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「藤原定信」の版間の差分

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== 経歴 ==
== 経歴 ==
[[大嘗会]]屏風の筆者となり、多くの墨跡を今日に伝えている。[[大治 (日本)|大治]]4年([[1129年]])からは23年間をかけて、[[一切経]]5048巻を独力で書写したという<ref>「一切経一筆書寫人」『[[尊卑分脈]]』</ref>。鑑識にも長じており、[[保延]]6年(1140年)10月22日、[[小野道風]]書の『屏風土代』と[[藤原行成]]書の『白楽天詩巻(高松宮家本)』を入手し、『屏風土代』は[[延長 (元号)|延長]]6年(928年)11月、道風35歳の書であること、『白楽天詩巻』は[[寛仁]]2年8月21日、行成47歳の書であることを鑑定し、それぞれの奥書きに記している。
[[大嘗会]]屏風の筆者となり、多くの墨跡を今日に伝えている。[[大治 (日本)|大治]]4年([[1129年]])からは23年間をかけて、[[一切経]]5048巻を独力で書写したという<ref>「一切経一筆書寫人」『[[尊卑分脈]]』</ref>。この一筆一切経を成し遂げたのは、日本の歴史上定信と[[宗像大社]]の[[色定法師]]の二人だけがやり遂げた偉業である。鑑識にも長じており、[[保延]]6年(1140年)10月22日、[[小野道風]]書の『屏風土代』([[三の丸尚蔵館]]蔵)と[[藤原行成]]書の『白楽天詩巻(高松宮家本)』([[東京国立博物館]]蔵)を入手し、『屏風土代』は[[延長 (元号)|延長]]6年(928年)11月、道風35歳の書であること、『白楽天詩巻』は[[寛仁]]2年8月21日、行成47歳の書であることを鑑定し、それぞれの奥書きに記している。書風は祖父の[[藤原伊房]]の影響が強いことが当時から指摘されている。


== 墨跡 ==
== 墨跡 ==
[[Image:KASUJIKISHI Cutting MinamotoShitago.jpeg|thumb|200px|right|糟色紙]]
[[Image:KASUJIKISHI Cutting MinamotoShitago.jpeg|thumb|200px|right|糟色紙]]
*金沢本[[万葉集]] [[前田育徳会]]所蔵の巻第三・六残巻は[[国宝]]。[[三の丸尚蔵館]]に1帖所蔵。
*金沢本[[万葉集]] [[前田育徳会]]所蔵の巻第三・六残巻は[[国宝]]。三の丸尚蔵館に1帖所蔵。
*定信[[和漢朗詠集]]切
*定信[[和漢朗詠集]]切
:近来、石川家の秘庫から出たもので、その奥書きに「同日未刻染筆申時終切'''定信'''」の自署があるので、定信の真跡と決定された。詩句と和歌を大きく散らし書きにしている。書風は雄健高雅で、連綿も自然で、筆端には才気が溢れており、円熟した晩年の[[書道|書]]と推測されている。[[京都国立博物館]]の断簡は[[重要文化財]][http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=86353]
:近来、石川家の秘庫から出たもので、その奥書きに「同日未刻染筆申時終切'''定信'''」の自署があるので、定信の真跡と決定された。詩句と和歌を大きく散らし書きにしている。書風は雄健高雅で、連綿も自然で、筆端には才気が溢れており、円熟した晩年の[[書道|書]]と推測されている。[[京都国立博物館]]の断簡は[[重要文化財]][http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=86353][http://www.emuseum.jp/detail/101081/000/000?mode=simple&d_lang=ja&s_lang=ja&word=%E5%AE%9A%E4%BF%A1&class=&title=&c_e=&region=&era=&century=&cptype=&owner=&pos=1&num=4]。


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*金澤萬葉集
*西本願寺本三十六人家集のうち貫之集下(石山切として分割された)と順集。[[和泉市久保惣記念美術館]]のものは重文
*西本願寺本三十六人家集のうち貫之集下(石山切として分割された)と順集。[[和泉市久保惣記念美術館]]のものは重文
*兼輔集切
*兼輔集切
*戊辰切(朗詠集)([[東京国立博物館]])
*戊辰切(和漢朗詠集巻下)(東京国立博物館や[[五島美術館]]などに分蔵
*糟色紙(順集断片)
*糟色紙(順集断片)
*久能寺経
*久能寺経の譬喩品([[鉄舟寺]])国宝
など。
など。


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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* 『日本の美術519 和様の書』 島谷弘幸 [[ぎょうせい]]、2009年 ISBN 978-4-324-08728-2
*『[[日本と中国の書史]]』 - [[日本書作家協会|社団法人 日本書作家協会]]発行 [[木村卜堂]]編著
* 『[[日本と中国の書史]]』 - [[日本書作家協会|社団法人 日本書作家協会]]発行 [[木村卜堂]]編著 昭和46年
*古書画の鑑定と観賞常石英明著 金園社 昭和45年
*古書画の鑑定と観賞常石英明著 金園社 昭和45年


==関連項目==
==関連項目==

2011年7月31日 (日) 03:27時点における版

藤原 定信(ふじわら の さだのぶ、寛治2年(1088年) - 保元元年1月18日[1]1156年2月10日))は、平安時代後期の廷臣・書家藤原定実の長男で、世尊寺家第5世となり能書家として重んじられた。官位従四位下宮内権大輔

経歴

大嘗会屏風の筆者となり、多くの墨跡を今日に伝えている。大治4年(1129年)からは23年間をかけて、一切経5048巻を独力で書写したという[2]。この一筆一切経を成し遂げたのは、日本の歴史上定信と宗像大社色定法師の二人だけがやり遂げた偉業である。鑑識にも長じており、保延6年(1140年)10月22日、小野道風書の『屏風土代』(三の丸尚蔵館蔵)と藤原行成書の『白楽天詩巻(高松宮家本)』(東京国立博物館蔵)を入手し、『屏風土代』は延長6年(928年)11月、道風35歳の書であること、『白楽天詩巻』は寛仁2年8月21日、行成47歳の書であることを鑑定し、それぞれの奥書きに記している。書風は祖父の藤原伊房の影響が強いことが当時から指摘されている。

墨跡

糟色紙
近来、石川家の秘庫から出たもので、その奥書きに「同日未刻染筆申時終切定信」の自署があるので、定信の真跡と決定された。詩句と和歌を大きく散らし書きにしている。書風は雄健高雅で、連綿も自然で、筆端には才気が溢れており、円熟した晩年のと推測されている。京都国立博物館の断簡は重要文化財[1][2]
  • 西本願寺本三十六人家集のうち貫之集下(石山切として分割された)と順集。和泉市久保惣記念美術館のものは重文。
  • 兼輔集切
  • 戊辰切(和漢朗詠集巻下)(東京国立博物館や五島美術館などに分蔵)
  • 糟色紙(順集断片)
  • 久能寺経の譬喩品(鉄舟寺)国宝

など。

系譜

脚注

  1. ^ 『世尊寺現過録』
  2. ^ 「一切経一筆書寫人」『尊卑分脈

参考文献

関連項目