コンテンツにスキップ

「高野切」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
27行目: 27行目:




2011年1月筑波大学教授が国宝である高野切を18年かけ学生とともに復元し発表した。古典学術的な完成度に乏しく(高野切の三種とされる筆跡の人物らがどのように失われた四巻六巻七巻十巻から十七巻に携わったのか、もしくは他の人物が作成に係わったのか?学術的根拠も示されぬ憶測のみのまま)制作に芸術専攻書道科の学生を単位科目のひとつとしてとして起用することなど「芸術的な価値を評価してほしい」と論じる担当教授の発言に関係者は困惑の色を隠せない。
2011年1月筑波大学教授が国宝である高野切を18年かけ学生とともに復元し発表した。古典学術的な完成度に乏しく(高野切の三種とされる筆跡の人物らがどのように失われた四巻六巻七巻十巻から十七巻に携わったのか、もしくは他の人物が作成に係わったのか?学術的根拠も示されぬ憶測のみのまま)制作に芸術専攻書道科の学生を単位科目のひとつとしてとして起用することなど「芸術的な価値を評価してほしい」と論じ
[[Category:書|こうやきれ]]
[[Category:書|こうやきれ]]

2011年2月27日 (日) 18:12時点における版

高野切 第1巻 巻頭 五島美術館蔵

高野切(こうやぎれ)は、平安時代後期、11世紀に書写された『古今和歌集』の写本の通称である。『古今和歌集』の現存最古のテキストとして、日本文学史日本語史の研究資料として貴重であるとともに、その書風は仮名書道の最高峰として古来尊重され、日本書道史上もきわめて重要な作品である。

概要

『古今和歌集』を書き写したもので、当初は20巻(和歌1100首前後)からなっていた。現存するのはその一部である。料紙は、上質の麻紙で、表面に雲母砂子(きらすなご)を散らしたものを用いている。麻紙は経典の書写に多く用いられ、和歌集の料紙として用いた例は少ない。

「高野切」などの「切(きれ)」とは美術史、書道史茶道などの用語で、元来巻物や冊子本であった和歌集、漢詩集などの写本を、鑑賞用とするため切断し、掛軸に仕立てたり、手鑑(でかがみ)と称するアルバムに貼り込んだりしたものを指す。こうした鑑賞形式は、室町時代以降、茶道の隆盛とともに盛んになった。こうして切断された紙片のことを「断簡」と称するが、高野切本古今和歌集のうち、巻九の巻頭の17行分の断簡は豊臣秀吉が所持していた。この断簡は後に木食応其(もくじきおうご)に下賜され、高野山に伝来したため、「高野切」の名が生じた。この巻九巻頭の断簡は現存し、大阪の湯木美術館が所蔵する。

『古今和歌集』は和歌の規範として、平安時代の貴顕には必須の教養とされ、尊重されてきた。そのため写本も多く、平安時代にさかのぼる写本だけで約60種にのぼると言われているが、その中でも最古写本であり、書道の手本としても尊重されているのが高野切本である。

筆者と書風

高野切の筆者は古来紀貫之(882-946)と伝承されてきたが、実際は貫之の時代より1世紀ほど後の11世紀の書写である。

近代における筆跡研究の進展により、高野切の筆跡は3種に分かれることが明らかにされており、便宜上、「第一種」「第二種」「第三種」と称されている。

『古今和歌集』は全20巻と序からなるが、高野切本の現存する巻は巻一、二、三、五、八、九、十八、十九、二十で、残りの巻は発見されておらず、失われたものと思われる。このうち、巻五(個人蔵)、巻八(山口・毛利博物館蔵)、巻二十(高知県蔵)の3巻のみが巻物として完存し(3巻とも国宝)、巻一、二、三、九、十八、十九は断簡として各所に分蔵されている。巻一の巻頭部分の断簡は東京・五島美術館の所蔵である。

第一種

高野切 第20巻部分

第一種の筆者は現存する巻のうち、巻一、九、二十を担当している。古今集の冒頭の巻一と最後の巻二十を担当していることから、3人の筆者の中でもっとも地位の高い人物と推定される。筆者については藤原行成の子の藤原行経(1012-1050)とする説が有力だが、確証はない。第一種の書風は21世紀の今日に至るまで仮名書道の手本として尊重されている。書風は、秀麗温雅で、字形は直筆を主として、くせがなく、連綿(数文字を続けて書くこと)は控えめである。第一種と同筆または同系統の筆跡としては、大字和漢朗詠集切(諸家分蔵)、深窓秘抄(藤田美術館蔵)、和歌躰十種(東京国立博物館蔵)などがある。

第二種

第二種の筆者は現存する巻のうち、巻二、三、五、八を担当している。美術史家の小松茂美は第二種の筆者を源兼行(1023-1074頃活動)と推定した。九条家本延喜式の紙背文書(しはいもんじょ)中の兼行の筆跡との一致など、さまざまな観点から、兼行を筆者とする説はほぼ定説化している。高野切の3種の筆跡のなかではもっとも個性が強く、側筆を多用した右肩上がりで肉太の字形に特色がある。第二種と同筆または同系統の筆跡としては、平等院鳳凰堂壁画色紙形、桂宮本万葉集(御物)、雲紙本和漢朗詠集(三の丸尚蔵館蔵)、関戸本和漢朗詠集切(諸家分蔵)などがある。

第三種

高野切 第19巻部分

第三種の筆者は現存する巻のうち、巻十八、十九を担当している。筆者については藤原公経(?-1099)とする説もあるが、なお未詳である。書風は穏やかで、高野切の3種の筆跡のなかでは、もっとも現代風であると評されている。第三種と同筆または同系統の筆跡としては、粘葉本(でっちょうぼん)和漢朗詠集(三の丸尚蔵館蔵)、元暦校本万葉集巻一(東京国立博物館蔵)、伊予切(和漢朗詠集の断簡、諸家分蔵)、蓬莱切(未詳歌集の断簡、諸家分蔵)、法輪寺切(和漢朗詠集写本の断簡、諸家分蔵)などがある。


2011年1月筑波大学教授が国宝である高野切を18年かけ学生とともに復元し発表した。古典学術的な完成度に乏しく(高野切の三種とされる筆跡の人物らがどのように失われた四巻六巻七巻十巻から十七巻に携わったのか、もしくは他の人物が作成に係わったのか?学術的根拠も示されぬ憶測のみのまま)制作に芸術専攻書道科の学生を単位科目のひとつとしてとして起用することなど「芸術的な価値を評価してほしい」と論じている。