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「党官僚」の版間の差分

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==官僚制の伝統==
==官僚制の伝統==
世界で最初の[[社会主義]]革命を達成した[[ロシア]]は、[[東ローマ帝国]]の伝統を受け継いでいる。[[西ヨーロッパ]]で[[封建制度]]が成立し、[[地方分権]]が進んだのとは反対に、東ローマ帝国は[[中央集権制]]を採り、意思決定に参画するのは[[皇帝]]と一部の[[エリート]][[官僚]]だけだった{{要出典}}、ともされる(注)。
世界で最初の[[社会主義]]革命を達成した[[ロシア]]は、[[東ローマ帝国]]の伝統を受け継いでいる。[[西ヨーロッパ]]で[[封建制度]]が成立し、[[地方分権]]が進んだのとは反対に、東ローマ帝国は[[中央集権制]]を採り、意思決定に参画するのは[[皇帝]]と一部の[[エリート]][[官僚]]だけだった{{要出典|date=2008年7月}}、ともされる(注)。


[[オスマン帝国]]の攻撃を受け、東ローマ帝国が滅亡した後。ロシアは東ローマ帝国の後継者を宣言し、皇帝と官僚が取り仕切る制度が受け継がれることになった。
[[オスマン帝国]]の攻撃を受け、東ローマ帝国が滅亡した後。ロシアは東ローマ帝国の後継者を宣言し、皇帝と官僚が取り仕切る制度が受け継がれることになった。


(注)ただし、これは通説であるともされ{{要出典}}、11世紀初頭までの東ローマは社会階層間の流動性が高く、[[バシレイオス1世]]のように農民から皇帝になるようなこともあった。また、11世紀後期の[[コムネノス王朝]]以降は、むしろ地方の大土地所有者の力が強まって西ヨーロッパの封建制度に近い状態になっている。また東ローマ帝国滅亡後、[[モスクワ大公国]]の[[イヴァン3世]]は「[[ツァーリ]]」と称したが、ツァーリは東ローマ皇帝のほかに[[ジョチ・ウルス|キプチャク・ハーン国]][[ハーン]]のことを指す言葉でもあり、イヴァン3世がローマ帝国の継承まで志向していたかどうかは疑わしいとする意見も有る。
(注)ただし、これは通説であるともされ{{要出典|date=2008年7月}}、11世紀初頭までの東ローマは社会階層間の流動性が高く、[[バシレイオス1世]]のように農民から皇帝になるようなこともあった。また、11世紀後期の[[コムネノス王朝]]以降は、むしろ地方の大土地所有者の力が強まって西ヨーロッパの封建制度に近い状態になっている。また東ローマ帝国滅亡後、[[モスクワ大公国]]の[[イヴァン3世]]は「[[ツァーリ]]」と称したが、ツァーリは東ローマ皇帝のほかに[[ジョチ・ウルス|キプチャク・ハーン国]][[ハーン]]のことを指す言葉でもあり、イヴァン3世がローマ帝国の継承まで志向していたかどうかは疑わしいとする意見も有る。


==執権すべき[[プロレタリアート]]の不在==
==執権すべき[[プロレタリアート]]の不在==
マルクス主義の理論では、[[ブルジョアジー]]から[[権力]]を奪い取った[[プロレタリアート]]が執権すべきものとされた。しかし、かつて[[第一インターナショナル]]においてマルクスの[[プロレタリア独裁]]論を、革命指導者である[[共産主義]]者によるプロレタリアートに対する独裁にすぎないと批判した[[ミハイル・バクーニン]]の予告や、[[カール・マルクス]]の先進国革命論とは異なり、世界で最初の社会主義革命が遅れた農業国ロシアで成功したことで、[[資本主義]]の[[発達]]の結果生まれるはずだったプロレタリアートが存在せず、プロレタリアートが育つまでの間、共産党幹部がプロレタリアートの役割を代行することとなった。これが党官僚専制支配の起源である。
マルクス主義の理論では、[[ブルジョアジー]]から[[権力]]を奪い取った[[プロレタリアート]]が執権すべきものとされた。しかし、かつて[[第一インターナショナル]]においてマルクスの[[プロレタリア独裁]]論を、革命指導者である[[共産主義]]者によるプロレタリアートに対する独裁にすぎないと批判した[[ミハイル・バクーニン]]の予告や、[[カール・マルクス]]の先進国革命論とは異なり、世界で最初の社会主義革命が遅れた農業国ロシアで成功したことで、[[資本主義]]の[[発達]]の結果生まれるはずだったプロレタリアートが存在せず、プロレタリアートが育つまでの間、共産党幹部がプロレタリアートの役割を代行することとなった。これが党官僚専制支配の起源である。


なお、[[中華人民共和国|中国]]や[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]など、[[アジア]]の[[スターリン主義]]国家の党官僚は、[[専制体制]]における[[領主]]的性格が強い{{要出典}}との意見もある。
なお、[[中華人民共和国|中国]]や[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]など、[[アジア]]の[[スターリン主義]]国家の党官僚は、[[専制体制]]における[[領主]]的性格が強い{{要出典|date=2008年7月}}との意見もある。


==関連項目==
==関連項目==

2010年10月20日 (水) 09:12時点における版

党官僚(とうかんりょう;ロシア語:аппара́тчик)とは、共産主義政党幹部で、特権的な地位を得た者を指す。

官僚制の伝統

世界で最初の社会主義革命を達成したロシアは、東ローマ帝国の伝統を受け継いでいる。西ヨーロッパ封建制度が成立し、地方分権が進んだのとは反対に、東ローマ帝国は中央集権制を採り、意思決定に参画するのは皇帝と一部のエリート官僚だけだった[要出典]、ともされる(注)。

オスマン帝国の攻撃を受け、東ローマ帝国が滅亡した後。ロシアは東ローマ帝国の後継者を宣言し、皇帝と官僚が取り仕切る制度が受け継がれることになった。

(注)ただし、これは通説であるともされ[要出典]、11世紀初頭までの東ローマは社会階層間の流動性が高く、バシレイオス1世のように農民から皇帝になるようなこともあった。また、11世紀後期のコムネノス王朝以降は、むしろ地方の大土地所有者の力が強まって西ヨーロッパの封建制度に近い状態になっている。また東ローマ帝国滅亡後、モスクワ大公国イヴァン3世は「ツァーリ」と称したが、ツァーリは東ローマ皇帝のほかにキプチャク・ハーン国ハーンのことを指す言葉でもあり、イヴァン3世がローマ帝国の継承まで志向していたかどうかは疑わしいとする意見も有る。

執権すべきプロレタリアートの不在

マルクス主義の理論では、ブルジョアジーから権力を奪い取ったプロレタリアートが執権すべきものとされた。しかし、かつて第一インターナショナルにおいてマルクスのプロレタリア独裁論を、革命指導者である共産主義者によるプロレタリアートに対する独裁にすぎないと批判したミハイル・バクーニンの予告や、カール・マルクスの先進国革命論とは異なり、世界で最初の社会主義革命が遅れた農業国ロシアで成功したことで、資本主義発達の結果生まれるはずだったプロレタリアートが存在せず、プロレタリアートが育つまでの間、共産党幹部がプロレタリアートの役割を代行することとなった。これが党官僚専制支配の起源である。

なお、中国北朝鮮など、アジアスターリン主義国家の党官僚は、専制体制における領主的性格が強い[要出典]との意見もある。

関連項目