コンテンツにスキップ

「藤原公実」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
実行の母は藤原基貞の娘のため、rv
18行目: 18行目:
**女子:[[藤原経実]]室(1071-?)
**女子:[[藤原経実]]室(1071-?)
*妻:[[藤原光子]]([[藤原隆方]]女) - [[堀河天皇|堀河]]、[[鳥羽天皇]]の乳母
*妻:[[藤原光子]]([[藤原隆方]]女) - [[堀河天皇|堀河]]、[[鳥羽天皇]]の乳母
*子
**二男:[[三条実行]]- [[三条家]]祖
**三男:[[西園寺通季]](1090-1128) - [[西園寺家]]祖
**三男:[[西園寺通季]](1090-1128) - [[西園寺家]]祖
**男子:[[仁実]](1091-1131) - [[天台座主]]
**男子:[[仁実]](1091-1131) - [[天台座主]]

2010年7月14日 (水) 14:33時点における版

藤原 公実(ふじわら の きんざね、天喜元年(1053年) - 嘉承2年11月14日1107年12月29日))は、平安時代公卿歌人正二位権大納言に至り、三条大納言と称す。

略歴

大納言実季長男で、母は藤原経平女。閑院家の祖・太政大臣公季の玄孫にあたる。弟妹に、保実仲実と、苡子堀河天皇女御鳥羽天皇生母)らがいる。白河院とは従兄弟に当たるため朝廷の信任も篤く、堀河天皇に近臣として仕え、妻光子は堀河・鳥羽二代の乳母となった。歌壇でも活躍し、長治2年(1105年)頃奏覧の『堀河院御時百首和歌』に出詠し、後拾遺集以下の勅撰和歌集に57首が入集している。また家集『公実集』(断簡のみ)がある。

公実の逸話として、嘉承2年(1107年)に鳥羽天皇として即位した時、彼は摂関家の当主忠実の若年なるを侮って、幼帝の外舅の地位にある自らこそ摂政に就任すべしと主張し、「四代もの間、諸大夫として仕えた者が今摂関を望むとは」と白河院別当の源俊明に一蹴されたという話がある。しかし、公実の権勢は、その子供たちの出世にそのまま反映された(実行太政大臣実能右大臣、末娘璋子鳥羽天皇中宮)。公実はまた、三条西園寺徳大寺の三清華家の共通の祖先である。

系譜

略歴

関連リンク