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「ボヘミア・モラビア共産党」の版間の差分

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'''ボヘミア・モラビア共産党'''( - きょうさんとう)は、[[チェコ共和国]]の左派政党。現在の党首は[[ヴォイチェフ・フィリプ]](2005年-)。2006年時点で党員数82,994名で、[[欧州議会]]内では[[欧州統一左派・北方緑の左派同盟]]に属する。ポスト共産主義の東欧諸国において、1989年以降に党綱領を改正したが、党名に共産主義を残している唯一の政党である。年金生活者などの高齢層や地方居住者を主な支持基盤としている。
'''ボヘミア・モラビア共産党'''(ボヘミア・モラビアきょうさんとう、Komunistická strana Čech a Moravy; ''KSČM'')は、[[チェコ共和国]]の左派政党。現在の党首は[[ヴォイチェフ・フィリプ]](2005年-)。2006年時点で党員数82,994名で、[[欧州議会]]内では[[欧州統一左派・北方緑の左派同盟]]に属する。ポスト共産主義の東欧諸国において、1989年以降に党綱領を改正したが、党名に共産主義を残している唯一の政党である。年金生活者などの高齢層や地方居住者を主な支持基盤としている。


1989年、[[チェコスロバキア共産党]]の組織を連邦化するため、ボヘミアおよびモラビアを基盤とする下部組織として結成された。1990年に、チェコスロバキア共産党は正式にボヘミア・モラビア共産党と[[スロバキア共産党]](KSS)に分かれた(後にKSSは、[[社会民主主義]]を志向する[[民主左翼党 (スロバキア)|民主左翼党]](SLD)に党名を変更<ref>但し、共産主義をあくまで堅持するグループは、1992年に改めてKSSを結成している。</ref>。また1992年にはチェコスロバキアの連邦自体も解体した)。
1989年、[[チェコスロバキア共産党]]の組織を連邦化するため、ボヘミアおよびモラビアを基盤とする下部組織として結成された。1990年に、チェコスロバキア共産党は正式にボヘミア・モラビア共産党と[[スロバキア共産党]](KSS)に分かれた(後にKSSは、[[社会民主主義]]を志向する[[民主左翼党 (スロバキア)|民主左翼党]](SLD)に党名を変更<ref>但し、共産主義をあくまで堅持するグループは、1992年に改めてKSSを結成している。</ref>。また1992年にはチェコスロバキアの連邦自体も解体した)。

2010年6月26日 (土) 02:12時点における版

チェコの政党
ボヘミア・モラビア共産党
Komunistická strana Čech a Moravy (KSČM)
中央委員会議長 ヴォイチェフ・フィリプ
成立年月日 1989年
代議院議席数
26 / 200   (13%)
(2010年6月22日)
元老院議席数
3 / 81   (4%)
(2010年4月16日)
党員・党友数
82,944名
(2006年)
政治的思想・立場 共産主義、左翼
国際組織 欧州左翼党(オブザーバー加盟)
公式サイト KSČM
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ボヘミア・モラビア共産党(ボヘミア・モラビアきょうさんとう、Komunistická strana Čech a Moravy; KSČM)は、チェコ共和国の左派政党。現在の党首はヴォイチェフ・フィリプ(2005年-)。2006年時点で党員数82,994名で、欧州議会内では欧州統一左派・北方緑の左派同盟に属する。ポスト共産主義の東欧諸国において、1989年以降に党綱領を改正したが、党名に共産主義を残している唯一の政党である。年金生活者などの高齢層や地方居住者を主な支持基盤としている。

1989年、チェコスロバキア共産党の組織を連邦化するため、ボヘミアおよびモラビアを基盤とする下部組織として結成された。1990年に、チェコスロバキア共産党は正式にボヘミア・モラビア共産党とスロバキア共産党(KSS)に分かれた(後にKSSは、社会民主主義を志向する民主左翼党(SLD)に党名を変更[1]。また1992年にはチェコスロバキアの連邦自体も解体した)。

下院選挙

1992年の連邦解体前の最後の選挙に他の左派政党と選挙リストを組んで左翼ブロック(Levý blok)として参加し、得票率14.05%で35議席を獲得した。

連邦解体後の初の総選挙となった1996年の下院選挙で、10.33%で22議席、次の1998年選挙では11.03%で24議席を獲得し、議会第3党の地位を維持した。続く2002年の下院選挙では市民民主党(ODS)やチェコ社会民主党(ČSSD)など諸政党が軒並み支持を減らした中、党は2大政党のなれ合い批判、新規雇用創出や労働条件向上、福祉水準の向上など訴え、失業者や年金生活者、労働者を中心に支持を拡大。18.5%の得票で41議席(前回比+17議席)を獲得し、議席率で20%を超える躍進を遂げた[2]。しかし2006年の下院選挙では、12.8%の得票で26議席に減少し、ODSおよびČSSDに次ぐ第3党の地位を維持したが、前回選挙と比べた支持の下落は党指導部を失望させた。下院の任期満了に伴って行われた2010年5月の下院選挙では得票率は前回よりやや減らしたものの、前回議席を維持した。

欧州議会選挙

2004年6月、チェコでの欧州議会選挙で24議席中6議席を獲得し、第2党になった。そして2009年の欧州議会選挙で、共産党は定員22議席のうち4議席(得票率14.18%)を獲得した。

歴代党首

  • イジー・マハリーク(1990年)
  • イジー・スヴォボダ(1990年-1993年)
  • ミロスラフ・グレベニーチェク(1993年-2005年)
  • ヴォイチェフ・フィリプ(2005年-)

国際交流

日本における共産主義政党である日本共産党の第22回(2000年)[3]、第23回(2004年)[4][5]、第24回(2006年)[6]大会に来賓として参加している。日本共産党も2002年の下院選挙でKSCMが躍進した際に、中央委員会名でKSCMの中央委員会に躍進したことを祝う祝電を送っている[7]。また、2004年5月に行われたKSČMの第6回党大会に日本共産党代表として、西口光常任幹部会委員・国際局長と伊藤知代国際局員の2名が参加、日本共産党中央委員会名のメッセージを手渡している[8]。この大会では40余の国からの代表が参加している。

脚注

  1. ^ 但し、共産主義をあくまで堅持するグループは、1992年に改めてKSSを結成している。
  2. ^ チェコ総選挙 共産党が躍進17増、41議席で第三党 第一党の社民党は4減-2002年6月17日付「しんぶん赤旗」
  3. ^ 日本共産党理論雑誌『前衛』2001年2月臨時増刊号『日本共産党第22回大会特集』、312頁「党大会に参加した外国来賓」。
  4. ^ 外国来賓14カ国24氏、14大使館から15氏 緒方国際局長が紹介-2004年1月14日付「しんぶん赤旗
  5. ^ 外国の党・組織からの党大会へのメッセージ-2004年1月17日付「しんぶん赤旗」
  6. ^ 党大会に参加 外国政党代表の紹介-2006年1月13日付「しんぶん赤旗」
  7. ^ 下院選で躍進したチェコ・モラビア共産党に日本共産党が祝電-2002年6月18日付「しんぶん赤旗」
  8. ^ チェコ・モラビア共産党が大会 綱領的文書の採択へ-2004年5月16日付「しんぶん赤旗」

外部リンク