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「藤原定信」の版間の差分

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== 墨跡 ==
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[[Image:KASUJIKISHI Cutting MinamotoShitago.jpeg|thumb|200px|right|糟色紙]]
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*金沢本[[万葉集]] [[前田育徳会]]所蔵の巻第三・六残巻は[[国宝]]。[[三の丸尚蔵館]]に1帖所蔵。
*定信[[和漢朗詠集]]切
*定信[[和漢朗詠集]]切
:近来、石川家の秘庫から出たもので、その奥書きに「同日未刻染筆申時終切'''定信'''」の自署があるので、定信の真跡と決定された。詩句と和歌を大きく散らし書きにしている。書風は雄健高雅で、連綿も自然で、筆端には才気が溢れており、円熟した晩年の[[書道|書]]と推測されている。
:近来、石川家の秘庫から出たもので、その奥書きに「同日未刻染筆申時終切'''定信'''」の自署があるので、定信の真跡と決定された。詩句と和歌を大きく散らし書きにしている。書風は雄健高雅で、連綿も自然で、筆端には才気が溢れており、円熟した晩年の[[書道|書]]と推測されている。[[京都国立博物館]]の断簡は[[重要文化財]][http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=86353]


*金澤萬葉集
*金澤萬葉集
*西本願寺本三十六人家集のうち貫之集下(石山切として分割された)と順集
*西本願寺本三十六人家集のうち貫之集下(石山切として分割された)と順集。[[和泉市久保惣記念美術館]]のものは重文
*兼輔集切
*兼輔集切
*戊辰切(朗詠集)
*戊辰切(朗詠集)([[東京国立博物館]]
*糟色紙(順集断片)
*糟色紙(順集断片)
*久能寺経
*久能寺経

2009年11月1日 (日) 00:01時点における版

藤原定信(ふじわら の さだのぶ、寛治2年(1088年) - 保元元年1月18日[1]1156年2月10日))は、平安時代後期の書家藤原定実の長男で、世尊寺家第5世となり、能書家として重んじられた。官位は従四位下宮内権大輔大嘗会屏風の筆者となり、多くの墨跡を今日に伝えている。大治4年(1129年)からは23年間をかけて、一切経5048巻を独力で書写したという[2]

鑑識にも長じており、保延6年(1140年)10月22日、小野道風書の『屏風土代』と藤原行成書の『白楽天詩巻(高松宮家本)』を入手し、『屏風土代』は延長6年(928年)11月、道風35歳の書であること、『白楽天詩巻』は寛仁2年8月21日、行成47歳の書であることを鑑定し、それぞれの奥書きに記している。

墨跡

糟色紙
近来、石川家の秘庫から出たもので、その奥書きに「同日未刻染筆申時終切定信」の自署があるので、定信の真跡と決定された。詩句と和歌を大きく散らし書きにしている。書風は雄健高雅で、連綿も自然で、筆端には才気が溢れており、円熟した晩年のと推測されている。京都国立博物館の断簡は重要文化財[1]
  • 金澤萬葉集
  • 西本願寺本三十六人家集のうち貫之集下(石山切として分割された)と順集。和泉市久保惣記念美術館のものは重文
  • 兼輔集切
  • 戊辰切(朗詠集)(東京国立博物館
  • 糟色紙(順集断片)
  • 久能寺経

など。

系譜

関連項目

参考文献

脚注

  1. ^ 『世尊寺現過録』
  2. ^ 「一切経一筆書寫人」『尊卑分脈