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2009年7月14日 (火) 12:20時点における版
二段階革命論(にだんかいかくめいろん)とは、社会主義者・共産主義者の革命戦略の一つ。現状の社会体制からそのまま社会主義に移行する革命をおこなわず、その間に社会的発展段階を前進させる革命段階を経るという戦略を指す。
民主主義革命と社会主義革命
左翼運動、とくにマルクス主義的潮流のなかでは、次のような発展史観がある。封建制下では、封建領主階級や絶対君主が社会を支配し、それを打倒するために新興の階級であるブルジョアジー(資本家階級)が近代民主主義(ブルジョア民主主義)をかかげて階級闘争をおこない、国民国家を単位とする「民族」の成立とともに、封建領主階級や絶対君主を打倒して、自らの支配をうちたて、近代的資本主義国家を成立させる。資本主義的生産関係の確立とともに、社会の対立関係は資本家階級と労働者階級となり、成長してくる労働者階級は資本家階級と闘争し、その支配を打倒して資本主義的生産関係を変革する社会主義革命を遂行する。
このため、社会の発展がいまだ封建的段階を完全に脱していないとされる場合、あるいは外国帝国主義に支配されていると規定される場合、近代民主主義の確立や民族独立が革命の課題となり、これは資本主義的生産関係に手をつけない、ブルジョア民主主義革命の課題であるとされる。
また、独占資本主義体制の打破は、資本主義的生産関係の変革であり、社会主義的革命であるとする説と、独占の支配を打破しても資本主義的生産関係は残るので民主主義革命の課題であるとする説とがあり、「反独占」の課題をかがげた革命の性格については論争がおきてきた。
世界の共産主義運動における二段階革命論
ロシア革命において、ロシアの共産主義者たちはロシアを資本主義の発展が「おくれた」社会と規定し、その一人であるレーニンは、労働者と農民の同盟による帝政の打倒を目指す民主主義革命をへてプロレタリアートによる社会主義革命を目指すという二段革命論をとなえた。 中国革命においては、中国共産党などは、外国帝国主義に支配され、同時に半封建的な社会段階にある中国においては、直接社会主義革命をおこなうのではなく、労働者と農民の同盟による反帝国主義・反封建制をかかげる民主主義革命を徹底したのち、社会主義に移行するという二段階革命論をとなえた。
戦後の世界の共産主義運動においては、二段階革命戦略をとる共産主義政党は「おくれた国」に限定されるとして、ヨーロッパなどの「発達した資本主義国」の共産党ではほとんどが社会主義を直接めざした。しかし、イタリアではイタリア共産党が1975年に「ファシズムに反対する新しい段階の民主主義革命」をうちだし、また、フランスなどでは、フランス共産党が政権参加した前後には、同党が社会党などとの共闘の条件をあわせるさいに、社会主義的変革をもちだせず、「先進民主主義」とよばれる段階を設けるなどの変化があったこともある。
日本の左翼運動における二段階革命論
戦前の日本共産党は、日本は、絶対主義的天皇制を中心とする半封建的な母斑を残す資本主義社会だとして、絶対主義的天皇制を打倒し、寄生地主制や財閥の支配を解体するなどのブルジョア民主主義革命をまずとなえた。そして、そのあと、社会主義革命にいたるという二段階革命論を展開した。 戦後の日本共産党は、日本の現状を、アメリカ帝国主義と日本独占資本に支配されていると規定し、この両者の支配の打倒は資本主義の枠内で達成されるとして、まず反帝国主義・反独占の民主主義革命をおこない、国民の合意をへて社会主義的変革にいたるとする二段階革命論をとった。
この日本共産党の二段階革命論にたいし、日本の独立は基本的に達せられたとしてアメリカ帝国主義支配の打倒を革命上の課題にかかげず、独占資本の支配の打倒を革命戦略の中心にかかげ、二段階ではなく直接社会主義革命をとなえるグループがあった(日本共産党内反対派、日本社会党、新左翼諸派など)。