「生田緑地」の版間の差分
→沿革: Wikipedia:表記ガイド#年月日・時間に従って年号表記を修正 |
m →外部リンク |
||
305行目: | 305行目: | ||
*[http://www.city.kawasaki.jp/20/fmuseum/index.htm 藤子・F・不二雄ミュージアム整備準備室](川崎市) |
*[http://www.city.kawasaki.jp/20/fmuseum/index.htm 藤子・F・不二雄ミュージアム整備準備室](川崎市) |
||
{{DEFAULTSORT:いくたりよくち}} |
|||
[[Category: |
[[Category:多摩区]] |
||
[[Category:神奈川県の |
[[Category:神奈川県の公園]] |
||
[[Category:神奈川県の自然景勝地]] |
2008年12月22日 (月) 12:25時点における版
生田緑地(いくたりょくち)は、神奈川県川崎市多摩区枡形、東生田、長尾、および宮前区初山にある都市公園である。
なお、桝形山(ますかたやま)及び飯室山(いいむろやま)の大部分は生田緑地内に含まれている。
概要
多摩丘陵が多摩川に接する東端の一角に位置しており、現在は計画面積 179.3ha(うち供用面積 95.5ha)の、川崎市内最大の都市公園である。
津久井道沿いの賑わいが間近に控え、江戸から神奈川(現在の横浜市)方面までの眺望が開ける桝形山一帯には、かつて鎌倉時代に稲毛地方(概ね現在の川崎市北部地域)を支配していた武将・稲毛三郎重成が本拠を構え、同山頂に枡形城を築いたとされている。
近代以降は急速に都市化が進み、当地周辺のかつて豊かな森林が広がっていた風景は劇的に変化することとなるが、ここ生田緑地の一角は本格的な都市化が始まる前に川崎市が緑地として都市計画決定したこと、およびその一角に構えていた向ヶ丘遊園が一定の森林を保全しつつ営業していたことから、周辺で宅地開発が進む中にあっても豊かな森が比較的多く残されることとなった。
旧向ヶ丘遊園、東高根森林公園、緑ヶ丘霊園が当地と概ね東西方向に尾根続きになっており、多摩川とその支流の平瀬川に挟まれたこの一帯で、かつて多摩丘陵一帯が豊かな森であったことを今に伝えるとともに、一体として周辺の生態系を支え、近隣住民に憩いの場を提供している。
また、当緑地の維持管理に際しては多くの市民団体などが参加している。最近では市内各所にて、市民と行政が連携しての公共の場の維持・保全・活性化を実践しはじめているが、生田緑地はその先駆け的存在としても注目されている。
なお、入場は無料だが、一部施設では観覧料等が必要となる。
沿革
1930年(昭和5年)
- 戸隠不動本堂が建立され(当時は私有地)、本尊不動明王などを招来。
1941年(昭和16年)
- 川崎市が、桝形山や向ヶ丘遊園およびその周辺の森林 165.5ha について緑地として都市計画決定する。
- なお、都市計画決定以前は「生田緑地」ではないが、参考のため付記している。
1954年(昭和29年)
- 緑地計画区域内にて民間企業がゴルフ場の営業を開始。
1961年(昭和36年)
- 生田緑地管理事務所(現在の北部公園事務所)を設置。
1964年度(昭和39年度)
- 整備着手。
1967年(昭和42年)
- 日本民家園が開園。
1968年(昭和43年)
- 長者穴横穴墓群の一部墳墓で発掘調査される。
1971年(昭和46年)
- 青少年科学館プラネタリウムが開館。
- D51形蒸気機関車が静態保存される。
- 川崎ローム斜面崩壊実験事故。死者15名、負傷者9名。
1985年(昭和60年)
- スハ42 2047 座席型客車が静態保存される。
- ゴルフ場の営業が川崎市に移管。
1993年(平成5年)
- 戸隠不動焼失。以降、跡地は生田緑地の一部として整備される。
1999年(平成11年)
- 岡本太郎美術館開館。
2002年(平成14年)
- 向ヶ丘遊園閉園。
- ばら苑が暫定的に生田緑地内に組み入れられる。
2004年(平成16年)
- 向ヶ丘遊園跡地の整備計画について、川崎市と小田急電鉄が基本合意。同地の緑地指定区域の変更(森林部分を追加し、更地部分を解除)などの方向性が決定する。
2006年(平成18年)
- 藤子・F・不二雄ミュージアム(仮称)の設置が決定。
名所・旧跡
- 枡形山(ますかたやま)
山頂が桝のように四角形の平地になっていることから、こう呼ばれるようになったと言われている。 - 飯室山(広場)
- 長者穴横穴墓群
- 古くから横穴古墳として知られているが、古代人の生活の場であるとする説もある。うち一部が昭和43年に調査され、鉄鏃や勾玉などが発見されている。
- 現在は、見学できるよう遊歩道が設置されている。
- 戸隠不動跡
- かつて戸隠神社の実道院の仏像であった不動明王を招来して祀っており、一時は武相不動尊霊二十八札所の第二十六番札所として、毎酉年には多くの参詣者を集めていた。しかし平成 5年度に本堂が焼失し、以降所有者らによる再建が検討されたものの断念、跡地は市に譲渡された。現在は生田緑地の一部として整備されており、モニュメントおよび川崎歴史ガイドのガイドパネルが建っている(公共施設内への宗教施設の建造は法的に難しいため、復元等はされていない)。
- なお、かつての参道はヤマザクラの並木道になっており、春には鮮やかに彩られる。
自然・広場
生田緑地で見られる植物
当緑地西部、および旧向ヶ丘遊園の東南部には、かつての雑木林が保存・維持管理されており、うち西部については散策道が整備され、森林浴を楽しめるとともに、「グリーンアドベンチャー」として当緑地内で見られる樹木の名前や特徴などを学べる案内板の設置なども行われている。 また、一角ではゲンジボタルなどが生活できる環境が整備されるとともに湿地帯や田畑が維持され、かつて人里の生活に密着していた小動物の生態も観察できる。
かつては、ここ多摩丘陵を含め多くの地域で当然のように営まれていた、人間と山林の共生環境である里山や雑木林について、都市化が進んだ近頃ではその実情を知る機会すら得られない場合も少なくないが、当緑地ではその様子を垣間見ることができるよう解説なども設置されている。
そして、公園として整備されて以降は桜や梅なども植えられており、春には園内に彩りを添える。
生田緑地で見られる野鳥
当緑地内には比較的広い森林が保全されていることから、次のような野鳥が観察され、彼等にとっても貴重な生活の場となっている。また春には さえずりが響き、冬には葉を落とした木枝の狭間から姿が観察され、来場者に憩いのひとときを提供する。
施設
各施設の詳しい利用案内等については外部リンク先を参照。
枡形地区
- 市内および市外の東日本地域に実在した代表的な構造の古民家、水車小屋などの建物および民具の保存と伝承を目的に整備され、1967(昭和42)年に開園した野外博物館である。国・県の指定重要文化財を含めた 25件の建物を保存・常設展示するとともに、夜間ライトアップや講話会などの催事も企画・実施している。要入場料。
- また、園内には古民家を利用し、戸隠のそば粉を使う「そば処」が営業している(営業日注意)。
- 川崎市青少年科学館
- 多摩区在住の大平貴之氏が開発したプラネタリウム「メガスターII Phoenix*現在はMinerva」による投影および生解説により、月替わりの番組を通年上演している。なお、左記プラネタリウムは 全天(北半球、南半球合計)で410万個の星を投影する性能を有し、肉眼で見えない星も再現しているため、天の川なども精細に表現できる特徴を持つ。そのため、館内でそれら微細な星を見るための双眼鏡の貸出も実施している(数量限定)。プラネタリウムは要観覧料。
- また、D51408号蒸気機関車および スハ42 2047号客車が屋外に静態保存されており、客車については車内に入ることができる。
- 数年の間にプラネタリウム館のみではあるが、解体・改築が予定されている。そのため、今のドームの姿やD51の姿を見られるのは、あと2、3年と見られる。
- さらに、ドラマや歌手のプロモーションビデオの撮影にも使用されることがあり、MISIAの新曲のPVは、このプラネタリウムで撮影された。
- 伝統工芸館
- 藍染め体験や講習会などを行っている。入場は無料だが、染物体験には要実費。
- また、現在は民家園の入口としても利用されている。
- 市内二子に縁のある岡本太郎氏より、同氏の作品が川崎市に寄贈されたことを受けて当緑地内に整備され、1999(平成11)年10月に開館した。岡本太郎および両親(一平、かの子)の作品を中心に収蔵と常設展示、および企画展を行っている。要入場料。
- また、カフェテリア「TARO」が併設されている。
- 売店・レストハウス
- 冬季は休日など多客時のみ営業する。
- 北部公園事務所
- 生田緑地および多摩・麻生区内の公園の維持管理を行っている。
初山地区
- 川崎国際生田緑地ゴルフ場
- 井上誠一氏により設計され、現在は川崎市が管理している。会員制ではなく、また市民以外でも利用できる。
長尾地区
- ばら苑
- 533種類約4,700株のバラが手入れされており、春・秋の一定期間内に一般公開され、花を楽しめる。
- かつて向ヶ丘遊園内の一施設であったが、閉園後に川崎市が暫定的に施設を借り受け、市が施設維持を行い、苑内のバラの管理にはボランティアを募り、手入れされている。
- 入場は無料だが、維持管理にかかる費用の一部を賄う募金を苑内で受け付けている。
イベント
- 毎年、10月第3土曜日に多摩区民祭が開催されている。その日には、青少年科学館のプラネタリウムは、一日7回投影で、無料開放される。また、その日の岡本太郎美術館、日本民家園両施設は、入場無料となっている。
- 11月3日(文化の日)には、日本民家園にて「民家園まつり」がひらかれる。
計画
- 1927(昭和2)年の開園以降「花と緑の遊園地」として運営されていた当園内には多くの森林が保全されていた。2002(平成14)年の閉園以降、遊具などは撤去されたが、跡地については川崎市と地権者、および保全を求める地元有志との間で協議が重ねられ、当園跡地のうち雑木林について緑地指定され、いっぽう遊具等があった一部区域の緑地指定が解除された。前者は生田緑地に組み入れられる方向で検討されており、後者については小田急電鉄が福祉施設を設置する方向で検討されている。
- いっぽう、現在の供用地域と旧向ヶ丘遊園の間には市道が通っており、また沿道は一部宅地開発されていたため、現状では緑地が分断され、当園のあった長尾地区が孤立している。市道沿いのうち「どんぐり山」と呼ばれる一部地域については市および地元有志により保全されているものの、現在は一旦市街地に出ての連絡となるため、今後の整備上の課題のひとつになっている。
- なお、当遊園地の営業中の事象については向ヶ丘遊園を参照。
- 藤子・F・不二雄ミュージアム(仮称)
- 生前は多摩区内に在住していた藤子・F・不二雄の原画等の作品が、親族より川崎市に寄贈されることとなり、それを受けて川崎市および藤子プロが、当緑地内への展示施設の設立を決定した。
- 2007年度中に基本計画を策定し、2010年に着工、2011年秋の開館を予定。建設用地を地権者の小田急電鉄より川崎市が貸り(旧向ヶ丘遊園のうち、緑地に隣接し遊具が置かれていた区域を念頭に検討中)、藤子プロが建物を建設して市に寄贈、藤子プロ中心に運営を委託する方向で検討されている。また、川崎市は市役所内に「藤子・F・不二雄ミュージアム整備準備室」を設置する予定。
利用者の禁則事項
- 禁煙、火気厳禁。
- 森林および古民家の焼失を防ぐため、火気使用は厳禁されている。
- ゴミ捨て禁止(園内にゴミ箱は設置されていないため、持ち帰る必要がある)。
- 散策道以外の森林への立入禁止。
- 植物採取、動物捕獲禁止(全域が禁猟区に指定されている)。
- 野球など球技禁止(ゴルフ場を除く)。
- 犬の放し飼い禁止(つないだ犬については、一部区域を除き入場可能)。
当緑地内は比較的よく手入れされているものの、一部ではゴミの散乱も見られ、道路が近接する山林では粗大ゴミなどの不法投棄に悩まされている実態も見られる。 また、当地には重要文化財に指定されている古民家や保全森林なども多数あり、平成 5年には戸隠不動(当時は隣接地、現在は生田緑地内)を火災で失っている。 マナーを知らない大人による不法行為が、市民の貴重な憩いの場、かつ地域の生態系を支えている貴重な場所を荒らしている、または荒らす危険性に晒されている実情が懸念されている。
周辺
公共交通
ばら苑については後段を参照。
- 東急バス向01系統「向ヶ丘遊園駅東口」行きで「飯室」下車、徒歩約10分。
公共交通(ばら苑)
正面ゲートから苑内までは徒歩 5〜10分ほどかかる。 なお、足が不自由な人向けの送迎車、および身障者用駐車場が用意されている。
- 川崎市営バス溝06系統「向ヶ丘遊園駅東口」「登戸駅」行きで「向丘遊園(むこうがおかゆうえん)」下車、正面ゲートまで至近。
- 川崎市営バス溝19系統「おし沼」行きで終点下車、裏門まで徒歩約15分(案内表示無し)。
- 東急バス向02系統「向ヶ丘遊園駅東口」行きで「向ヶ丘遊園(むこうがおかゆうえん)」下車、正面ゲートまで至近。
- 東急バス向01系統「向ヶ丘遊園駅東口」行きで「向ヶ丘遊園」下車、正面ゲートまで至近。
関連項目
外部リンク
- 生田緑地
- 生田緑地植生管理計画
ここ生田緑地の保全には数多くの市民団体等が参加しており、それら団体間の調整等を行う協議会が設置されている。 - かわさきの文化財(川崎市教育委員会文化財課)
- かながわの公園50選
- かながわの美林50選
- 向ヶ丘遊園の跡地利用に関する川崎市との基本合意について(小田急電鉄)
- 藤子・F・不二雄ミュージアム整備準備室(川崎市)