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*定員368人。松竹の邦画を主に上映。「[[男はつらいよ]]」シリーズ全48作をすべて上映した数少ない映画館の一つ。終盤期には[[丸の内ルーブル]]系の作品を主に上映していた。 |
*定員368人。松竹の邦画を主に上映。「[[男はつらいよ]]」シリーズ全48作をすべて上映した数少ない映画館の一つ。終盤期には[[丸の内ルーブル]]系の作品を主に上映していた。 |
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===松竹遊楽館 |
===松竹遊楽館2=== |
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*定員232人。開業当初は'''遊楽地下劇場'''だった映画館。日曜朝には[[レコード]]・[[コンサート]]を行うなど、バラエティに富んだ名画座だったが、1974年に'''SY遊楽'''と改名し松竹の洋画ロードショー館となる。最末期には[[丸の内ピカデリー|丸の内ピカデリー1]]系の作品を上映していたが、ヒット予想の高い洋画は遊楽館1と作品交換することも多かった。 |
*定員232人。開業当初は'''遊楽地下劇場'''だった映画館。日曜朝には[[レコード]]・[[コンサート]]を行うなど、バラエティに富んだ名画座だったが、1974年に'''SY遊楽'''と改名し松竹の洋画ロードショー館となる。最末期には[[丸の内ピカデリー|丸の内ピカデリー1]]系の作品を上映していたが、ヒット予想の高い洋画は遊楽館1と作品交換することも多かった。 |
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2008年12月22日 (月) 12:07時点における版
松竹遊楽館(しょうちくゆうらくかん)は、札幌市中央区南2条西3丁目(狸小路3丁目)で松竹が運営・経営していた映画館。
沿革
- 1910年(明治43年)9月:九島伊太郎により演芸場『遊楽館』として創設。義太夫や浪花節を主に上演していた。
- 1915年(大正4年):映画常設館となる。
- 1956年(昭和31年):改築し、地下1階に名画座『遊楽地下劇場』を新設。
- 1974年(昭和49年):松竹の直営館となる。同時に遊楽地下劇場が『SY遊楽』と改称。
- 1991年(平成3年):2月9日から半年にわたる大改築を行い[1]、遊楽館が2階席を廃した414席、SYが264席となり同年8月10日にリニューアルオープンする[2]。
- 1999年(平成11年)6月12日:松竹のブロックブッキング制の廃止に伴い、館名を松竹遊楽館1・2に統一。
- 2003年(平成15年):札幌シネマフロンティアの開業に伴い閉館。3月23日「ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔」「たそがれ清兵衛」の上映を最後に93年間の歴史に終止符を打った。
※現在、跡地にはTAITOが経営するゲームセンターが入居している。
各館の特徴
松竹遊楽館1
松竹遊楽館2
- 定員232人。開業当初は遊楽地下劇場だった映画館。日曜朝にはレコード・コンサートを行うなど、バラエティに富んだ名画座だったが、1974年にSY遊楽と改名し松竹の洋画ロードショー館となる。最末期には丸の内ピカデリー1系の作品を上映していたが、ヒット予想の高い洋画は遊楽館1と作品交換することも多かった。
※館名・座席数は閉館時のもの。両館とも最末期はサラウンドEX対応だった。
脚注
- ^ その間、松竹の邦画は「札幌ピカデリー」(現在は閉館)にて上映された。
- ^ このリニューアルオープン直後にスガイビル4階にあった「グランドシネマ」と5階の「シネマ5」「シネマロキシ」が閉館に追い込まれている。