「滝川市小6いじめ自殺事件」の版間の差分
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[[2005年]]、女児は1学期の席替えの際に多数の児童に性的魅力がないと中傷されるなどの[[いじめ]]を受けていた。その年の[[9月9日]]にいじめを苦に、遺書を残した上で首吊り自殺を図った。その時一命は取り留めるものの、[[2006年]][[1月6日]]に回復することなく[[死亡]]した。 |
[[2005年]]、女児は1学期の席替えの際に多数の児童に性的魅力がないと中傷されるなどの[[いじめ]]を受けていた。その年の[[9月9日]]にいじめを苦に、遺書を残した上で首吊り自殺を図った。その時一命は取り留めるものの、[[2006年]][[1月6日]]に回復することなく[[死亡]]した。滝川市教育委員会は2005年11月に聞き取り調査を行い、いじめは無かったと結論した。 |
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⚫ | 2006年[[9月]]、遺族が新聞社に遺書を公開し、2006年10月上旬にマスコミで報じられた<ref>『読売新聞』2006年10月1日付。</ref>。滝川市[[教育委員会]]は2006年[[10月5日]]に遺族に謝罪したものの、マスコミに対しては女児の遺書について「遺書ではなく『手紙』である」と回答した。その後、2006年[[10月14日]]に滝川市[[教育長]]が辞職した。また、この問題について不適切対応をしたとして、滝川市は同年[[10月16日]]付で教育委員会幹部職員2人を停職2ヶ月の懲戒処分にした。滝川市教育委員会は同年[[12月5日]]に調査報告をまとめ、同月9日調査報告書の市民説明会を開いた。 |
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この件に対し、2005年11月に滝川市教育委員会は聞き取り調査を行い、いじめは無いと結論し隠蔽した。 |
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遺族は2006年[[9月]]、新聞社に遺書を公開した。2006年10月上旬に、この問題がマスコミで報じられた<ref>『読売新聞』2006年10月1日付。</ref>。滝川市[[教育委員会]]は2006年[[10月5日]]に遺族に謝罪したものの、マスコミに対しては女児の遺書について「遺書ではなく『手紙』である」と回答した。 |
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北海道教育委員会は[[2007年]][[2月28日]]に、積極的に原因究明に取り組まず[[校長]]としての職務の義務に違反したとして、校長を減給(10分の1)1カ月の懲戒処分、また[[教頭]]と当時の[[学級担任|担任教諭]]は訓告処分とした。なお、いじめに絡む問題で北海道教育委員会が職務義務違反を理由に懲戒処分するのは初めてのことである。 |
北海道教育委員会は[[2007年]][[2月28日]]に、積極的に原因究明に取り組まず[[校長]]としての職務の義務に違反したとして、校長を減給(10分の1)1カ月の懲戒処分、また[[教頭]]と当時の[[学級担任|担任教諭]]は訓告処分とした。なお、いじめに絡む問題で北海道教育委員会が職務義務違反を理由に懲戒処分するのは初めてのことである。 |
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[[札幌法務局]]もこの事件の調査をおこない、[[人権侵害]]事件と認定した。[[2007年]][[5月8日]]付で札幌法務局は、事件発生当時の校長(事件後他校に異動)に対して事件の反省を促す説示の措置を、また滝川市[[教育委員長]]と2007年時点の校長に対して再発防止を求める要請の措置を、それぞれおこなった<ref>『読売新聞』2007年5月10日付、『北海道新聞』2007年5月10日付。</ref>。 |
[[札幌法務局]]もこの事件の調査をおこない、[[人権侵害]]事件と認定した。[[2007年]][[5月8日]]付で札幌法務局は、事件発生当時の校長(事件後他校に異動)に対して事件の反省を促す説示の措置を、また滝川市[[教育委員長]]と2007年時点の校長に対して再発防止を求める要請の措置を、それぞれおこなった<ref>『読売新聞』2007年5月10日付、『北海道新聞』2007年5月10日付。</ref>。 |
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== 問題点 == |
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江部乙地区はもともと滝川市ではなく、旧[[江部乙町]]が1971年に滝川市に編入合併された地区であり、滝川の中でも独立した存在である。そのため地域の学校でうまく行かないとしても転校などの措置がなかなかとりづらいという。<ref>『財界さつぽろ』2006年12月号。</ref>。 |
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== 脚注 == |
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2008年12月15日 (月) 09:08時点における版
滝川市立江部乙小学校いじめ自殺事件とは、北海道滝川市の滝川市立江部乙小学校に通っていた小学6年生の女児がいじめを苦にして自殺した事件である。
事件概略
2005年、女児は1学期の席替えの際に多数の児童に性的魅力がないと中傷されるなどのいじめを受けていた。その年の9月9日にいじめを苦に、遺書を残した上で首吊り自殺を図った。その時一命は取り留めるものの、2006年1月6日に回復することなく死亡した。滝川市教育委員会は2005年11月に聞き取り調査を行い、いじめは無かったと結論した。
2006年9月、遺族が新聞社に遺書を公開し、2006年10月上旬にマスコミで報じられた[1]。滝川市教育委員会は2006年10月5日に遺族に謝罪したものの、マスコミに対しては女児の遺書について「遺書ではなく『手紙』である」と回答した。その後、2006年10月14日に滝川市教育長が辞職した。また、この問題について不適切対応をしたとして、滝川市は同年10月16日付で教育委員会幹部職員2人を停職2ヶ月の懲戒処分にした。滝川市教育委員会は同年12月5日に調査報告をまとめ、同月9日調査報告書の市民説明会を開いた。
北海道教育委員会は2007年2月28日に、積極的に原因究明に取り組まず校長としての職務の義務に違反したとして、校長を減給(10分の1)1カ月の懲戒処分、また教頭と当時の担任教諭は訓告処分とした。なお、いじめに絡む問題で北海道教育委員会が職務義務違反を理由に懲戒処分するのは初めてのことである。
札幌法務局もこの事件の調査をおこない、人権侵害事件と認定した。2007年5月8日付で札幌法務局は、事件発生当時の校長(事件後他校に異動)に対して事件の反省を促す説示の措置を、また滝川市教育委員長と2007年時点の校長に対して再発防止を求める要請の措置を、それぞれおこなった[2]。
この事件をきっかけとして、北海道教育委員会は2006年12月にいじめの実態の調査を実施しようとしたが、2007年1月、北海道教職員組合の執行部が21ヶ所の支部に対して調査に協力しないよう指導していた事が報道された[3]。
江部乙地区はもともと滝川市ではなく、旧江部乙町が1971年に滝川市に編入合併された地区であり、滝川の中でも独立した存在である。そのため地域の学校でうまく行かないとしても転校などの措置がなかなかとりづらいという。[4]。
脚注
- ^ 『読売新聞』2006年10月1日付。
- ^ 『読売新聞』2007年5月10日付、『北海道新聞』2007年5月10日付。
- ^ 『読売新聞』2007年1月24日付、『朝日新聞』2007年1月24日付
- ^ 『財界さつぽろ』2006年12月号。