「善光寺 (岐阜市)」の版間の差分
表示
削除された内容 追加された内容
テンプレート追記ほか |
|||
13行目: | 13行目: | ||
|中興年 = |
|中興年 = |
||
|中興 = |
|中興 = |
||
|正式名 = 善光寺安乗院 |
|正式名 = 愛護山 善光寺 安乗院 |
||
|別称 = 岐阜善光寺、伊奈波善光寺 |
|別称 = 岐阜善光寺、伊奈波善光寺 |
||
|札所等 = [[美濃四国]]第1番 |
|札所等 = [[美濃四国]]第1番 |
||
53行目: | 53行目: | ||
[[Category:岐阜県の寺]] |
[[Category:岐阜県の寺]] |
||
[[Category:岐阜市]] |
[[Category:岐阜市]] |
||
[[Category:真言系仏教]] |
|||
{{buddhism-stub}} |
{{buddhism-stub}} |
2008年8月2日 (土) 00:21時点における版
善光寺 | |
---|---|
右手奥が伊奈波神社 | |
所在地 | 岐阜県岐阜市伊奈波通一丁目8番地 |
位置 | 北緯35度25分41.32613秒 東経136度46分05.99797秒 / 北緯35.4281461472度 東経136.7683327694度 |
山号 | 愛護山 |
宗旨 | 真言宗 |
宗派 | 醍醐派 |
本尊 | 善光寺如来 |
創建年 | 不明 |
開基 | 織田秀信 |
正式名 | 愛護山 善光寺 安乗院 |
別称 | 岐阜善光寺、伊奈波善光寺 |
札所等 | 美濃四国第1番 |
文化財 | 木造釈迦如来坐像(市指定重要文化財) |
法人番号 | 8200005000851 |
善光寺(ぜんこうじ)は、岐阜県岐阜市にある真言宗醍醐派の寺院。山号は愛護山。本尊は善光寺如来。善光寺安乗院ともいう。通称は「岐阜善光寺」、「伊奈波善光寺」。美濃四国第1番札所。
沿革
善光寺の本尊は武田征伐後、織田信長の手で天正10年(1582年)3月に、岐阜城下の伊奈波神社の近くに移された。
しかし、同年6月2日の本能寺の変により織田信長が亡くなると、織田信雄により尾張国甚目寺(現愛知県海部郡甚目寺町)へ移される。善光寺如来は後に徳川家康の手に渡り遠江国の鴨長寺へ、さらに慶長2年(1597年)、豊臣秀吉の手に渡り、方広寺の本尊にされる。翌慶長3年(1598年)、信濃国に戻る。
信長の孫・織田秀信が、かつて善光寺如来が祀られていた地に伊奈波善光寺堂を建立し、善光寺如来の分身を祀ったのが始まりという。建立時期は不明だが、織田秀信が岐阜城主であった文禄元年(1592年)から慶長5年(1600年)頃と推測される。江戸時代初期、善光寺安乗院に改称する。
善光寺如来の分身は、安乗院と満願寺(伊奈波神社の境内の寺院)で交代で守られていたが、明治元年(1868年)に廃仏毀釈、神仏分離のため満願寺は廃寺となる。本尊は安乗院単独で所有することとなる。
明治24年(1891年)の濃尾地震により本堂は全焼し、現在の建物は大正元年(1912年)に再建された。
行事
- 2月3日 - 節分星祭
- 7月初旬 - 大施餓鬼会
- 7月下旬 - 胡瓜封じ
- 8月17日 - お十七夜
- 10月下旬 - 不動明王例大祭
- 12月中旬 - 秋葉三尺坊祈祷会
所在地
- 岐阜県岐阜市伊奈波通一丁目8番地
- 金華山山麓部に位置する。
交通アクセス
- 岐阜バス「伊奈波通り」バス停が最寄である。バスの本数は多く、JR岐阜駅バスターミナル、名鉄岐阜のりばから、「高富」行きなどの長良橋方面のバスを利用する。