「ムービースター (競走馬)」の版間の差分
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|名 = ムービースター |
|名 = ムービースター |
2008年6月4日 (水) 12:38時点における版
ムービースター | |
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品種 | サラブレッド系種 |
性別 | 牡 |
毛色 | 栗毛 |
生誕 | 1986年4月9日 |
父 | ディクタス |
母 | ダイナビーム |
生国 | 日本(北海道白老郡白老町) |
生産者 | 社台ファーム |
馬主 | 吉田照哉 |
調教師 | 坪憲章(栗東トレーニングセンター) |
競走成績 | |
生涯成績 | 50戦9勝 |
獲得賞金 | 417,426,000円 |
ムービースター(1986年4月9日 - )は、日本の競走馬である。以下は当時の馬年齢で記述する。
戦歴
3歳~4歳
1988年9月10日、阪神競馬場の3歳新馬戦にてデビュー。デビュー戦は南井克巳が騎乗して1着であった。3歳時は5戦して2勝であった。
年が明けて4歳となり1989年2月18日の京都競馬場でのオープン特別:バイオレットステークスに出走、そこで2着に入り、クラシック戦線に期待が高まったものの、4歳春はなかなか勝てず、クラシックロードに乗ることは出来ず、結局、4歳時は1989年7月23日の九州スポーツ杯の1勝に終わった。
5歳以後
5歳時は4戦して全て10着以下という成績で、ここで現役生活に見切りをつけられてもおかしくはなかったが、6歳になってから本格化する。
1991年6月16日の東海テレビ杯金鯱賞(中京競馬場)で6歳にして重賞初勝利を飾ると、続く8月4日のテレビ西日本賞北九州記念も勝って重賞2連勝。1級オープン馬の仲間入りを果たした。
その年の秋のGI戦線の台風の目になるかと思われたが、GIの壁は厚かったか、天皇賞・秋、マイルチャンピオンシップと共に9着に敗れた。
7歳になってからは1992年3月22日のトヨタ賞中京記念に勝ち重賞3勝目。7歳の春は5月12日の安田記念では3着に入ったが、宝塚記念は10着と敗れた。
しかし、その年、11月1日に行われた天皇賞・秋でレッツゴーターキンの2着に入り、馬連17,220円の波乱を演出して見せた。
1993年、明け8歳となっても現役を続け、3月14日の中山記念に勝ち重賞3勝目。多くの競馬ファンも驚く老兵の活躍であった。その年の夏に小倉日経オープンに勝ち、前年秋に勝てなかった天皇賞に挑んだが、7着と敗れた。そして暮れの六甲ステークスの7着を最後に現役を引退した。
引退後
引退後は種牡馬へ転向。当初はビッグレッドファームで繋養されていた。しかしながら目立った産駒は居らず、現在は岩手県の湯澤ファームに移り、そこで余生を送っているという。