「薬師如来」の版間の差分
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薬師如来が説かれている代表的な経典は、[[永徽]]元年([[650年]])の玄奘訳『'''[[薬師瑠璃光如来本願功徳経]]'''』([[薬師経]])と、[[景龍 (唐)|景竜]]元年([[707年]])の[[義浄]]訳『[[薬師瑠璃光七佛本願功徳経]]』([[七仏薬師経]])であるが、そのほかに[[建武 (東晋)|建武]]~[[永昌 (東晋)|永昌]]年間(317~322年)の[[帛尸梨蜜多羅]]訳、[[大明 (南朝宋)|大明]]元年([[457年]])の[[慧簡]]訳、[[大業]]11年([[615年]])の[[達磨笈多]]訳が知られている。 |
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薬師本願功徳経では、薬師如来は[[東方浄瑠璃世界]](瑠璃光[[浄土]]とも称される)の教主で、[[菩薩]]の時に[[#十二誓願|12の]][[大願]]を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。[[瑠璃]]光を以て[[衆生]]の病苦を救うとされている。[[無明]]の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集める。 |
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== 密教との関係 == |
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== 十二誓願 == |
== 十二誓願 == |
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十二の誓願は以下の通り{{Sfn|荒井|1917|pages=63-66}}。 |
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#光明普照(自らの光で[[三千世界]]を照らし、あまねく[[衆生]]を悟りに導く。) |
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#随意成弁(仏教[[七宝]]の一つである瑠璃の光を通じて[[仏性]]を目覚めさせる。) |
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# 自身の{{読み仮名|光明照耀|こうみょうしょうやく}}に依って、一切衆生をして[[三十二相]]八十{{読み仮名|随形|ずいぎょう}}を具せしむるの願。 |
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#施無尽仏(仏性を持つ者たちが[[悟り]]を得るために欲する、あらゆる物品を施す。) |
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# 衆生の意に随うて光明を以て種々の事業を成弁せしむること。 |
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#安心大乗(世の[[外道]]を正し、衆生を仏道へと導く。) |
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# 衆生をして欠乏を感ぜしめず、無尽の受用を得せしむること。 |
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#具戒清浄(戒律を破ってしまった者をも戒律を守れるよう援ける。) |
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# 邪道を行ずる者を誘引して皆な菩提道に入らしめ、大乗の悟りを開かしむること。 |
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#諸根具足(生まれつきの[[障碍]]・病気・身体的苦痛を癒やす。) |
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# 衆生をして[[梵行]]を修して清浄なることを得、決して[[悪趣]]に堕せしめざること。 |
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#除病安楽(困窮や苦悩を除き払えるよう援ける。) |
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# 六根具足して{{読み仮名|醜陋|しゅうろう}}ならず、{{読み仮名|身相端正|しんそうたんせい}}にして諸の病苦なからしむること。 |
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#転女得仏(成仏するために男性への[[輪廻|転生]]を望む女性を援ける{{efn|伝統的[[インド思想]]に連なる仏教では基本的に[[女人成仏]]は認められていないため、女性が成仏するためには一旦男性に転生し直す必要があるとされる([[転女成仏]])。}}。) |
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# 前述の如く諸病悉除。 |
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#安心正見(一切の精神的苦痛や煩悩を浄化できるよう援ける。) |
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# {{読み仮名|女|にょ}}を転じて{{読み仮名|男|なん}}と成し、丈夫の相を具して成仏せしむること。 |
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#苦悩解脱(重圧に苦しむ衆生が解き放たれるべく援ける。) |
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# [[外道]]の[[邪見]]に捕らえられて居る者を[[正見]]に{{読み仮名|復|ふく}}せしめ、無上菩提を得せしむること。 |
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#飲食安楽(著しい餓えと渇きに晒された衆生の苦しみを取り除く。) |
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# もろもろの{{読み仮名|災難|さいなん}}{{読み仮名|刑罰|けいばつ}}を免れしめ、一切の憂苦を解脱せしむること。 |
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#美衣満足(困窮して寒さや虫刺されに悩まされる衆生に衣類を施す。) |
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# {{読み仮名|飢渇|きかつ}}に悩まされ、食を求むる者には、{{読み仮名|飯食|ばんじき}}を飽満せしめ、又、{{読み仮名|法味|ほうみ}}を授けて安楽を得せしむること。 |
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# 所求満足の誓いで、衆生の欲するに任せて衣服珍宝等一切の{{読み仮名|宝荘厳|ほうしょうごん}}を得せしめんとすること。 |
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== 七仏薬師 == |
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=== 出典 === |
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== 参考文献 == |
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*{{Cite book|和書|author = 荒井涙光|year = 1917|title = 十三仏講話 : 布教資料||series= |publisher = 森江本店|ref = {{SfnRef|荒井|1917}} }} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
2021年4月16日 (金) 14:38時点における版
薬師如来(やくしにょらい、梵: Bhaiṣajyaguru[1]、バイシャジヤグル)、あるいは薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)は、大乗仏教における如来の一尊。大医王、医王善逝(いおうぜんぜい)とも称する[1]。
三昧耶形は薬壺、または丸薬の入った鉢。種字は尊名のイニシャルのバイ(भै、bhai)[2]。
概要
薬師如来が説かれている代表的な経典は、永徽元年(650年)の玄奘訳『薬師瑠璃光如来本願功徳経』(薬師経)と、景竜元年(707年)の義浄訳『薬師瑠璃光七佛本願功徳経』(七仏薬師経)であるが、そのほかに建武~永昌年間(317~322年)の帛尸梨蜜多羅訳、大明元年(457年)の慧簡訳、大業11年(615年)の達磨笈多訳が知られている。
薬師本願功徳経では、薬師如来は東方浄瑠璃世界(瑠璃光浄土とも称される)の教主で、菩薩の時に12の大願を発し、この世門における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ、災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、かつ仏行を行じては無上菩提の妙果を証らしめんと誓い仏と成ったと説かれる。瑠璃光を以て衆生の病苦を救うとされている。無明の病を直す法薬を与える医薬の仏として、如来には珍しく現世利益信仰を集める。
密教との関係
密教経典としては「薬師瑠璃光如来消災除難念誦儀軌」「薬師七仏供養儀軌如意王経」等がある。
薬師経に説かれていることから、真言宗(東密)では顕教系の如来とされ、本来あまり重視されない。ただし、「覚禅抄(東密)」において胎蔵大日如来と同体と説かれている。雑密系の別尊曼荼羅では中尊となる事も多いが、純密の両界曼荼羅にはみられない。
一方で伝統的に皇室と結びつきが強かった天台宗(台密)では、薬師如来が東方浄瑠璃世界の教主であることから、東の国の帝たる天皇と結び付けられもした。「阿裟縛抄(台密)」で釈迦如来・大日如来と一体とされているが、顕教での妙法蓮華経に説かれる久遠実成の釈迦如来=密教の大日如来との解釈と、釈迦如来の衆生救済の姿という二つの見方による。
チベット仏教(蔵密)でもよく信仰されており、しばしばチベット僧により日本でも灌頂(かんじょう)が執り行われる。
十二誓願
十二の誓願は以下の通り[3]。
- 自身の
光明照耀 ()に依って、一切衆生をして三十二相八十随形 ()を具せしむるの願。 - 衆生の意に随うて光明を以て種々の事業を成弁せしむること。
- 衆生をして欠乏を感ぜしめず、無尽の受用を得せしむること。
- 邪道を行ずる者を誘引して皆な菩提道に入らしめ、大乗の悟りを開かしむること。
- 衆生をして梵行を修して清浄なることを得、決して悪趣に堕せしめざること。
- 六根具足して
醜陋 ()ならず、身相端正 ()にして諸の病苦なからしむること。 - 前述の如く諸病悉除。
女 ()を転じて男 ()と成し、丈夫の相を具して成仏せしむること。- 外道の邪見に捕らえられて居る者を正見に
復 ()せしめ、無上菩提を得せしむること。 - もろもろの
災難 ()刑罰 ()を免れしめ、一切の憂苦を解脱せしむること。 飢渇 ()に悩まされ、食を求むる者には、飯食 ()を飽満せしめ、又、法味 ()を授けて安楽を得せしむること。- 所求満足の誓いで、衆生の欲するに任せて衣服珍宝等一切の
宝荘厳 ()を得せしめんとすること。
七仏薬師
義浄訳「薬師瑠璃光七仏本願功徳経(七仏薬師経)」や達磨笈多訳「薬師如来本願経」では、薬師如来を主体とした七尊の仏の本願と仏国土が説かれる。天台密教では、円仁から始まったとされる七仏薬師法が息災・安産をもたらすとして重要視され、8-9世紀には藤原摂関家で同法による安産祈願が行われた。
- 善名称吉祥王如来(ぜんみょうしょうきちじょうおうにょらい)
- 宝月智厳光音自在王如来(ほうがつちごんこうおんじざいおうにょらい)
- 金色宝光妙行成就王如来(こんじきほうこうみょうぎょうじょうじゅおうにょらい)
- 無憂最勝吉祥王如来(むうさいしょうきちじょうおうにょらい)
- 法海雲雷音如来(ほうかいうんらいおんにょらい)
- 法海勝慧遊戯神通如来(ほうかいしょうえゆげじんつうにょらい)
- 薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)
東照権現信仰
江戸時代に初代将軍徳川家康が神格化されて神君と呼ばれるようになった。当時徳川将軍家のブレーンであった天海大僧正などの働きもあり、朝廷より徳川家康に「東照大権現」の神号が下され、天台宗系の山王一実神道によって日光東照宮に祭祀された。この東照権現信仰では薬師如来を本地とした。
また、徳川家康は生母於大の方が鳳来寺(愛知県新城市)の本尊の薬師如来に祈願して誕生したと言われ、家康は薬師如来が人間界に現れたものとも言われる。
真言
薬師如来の真言は、以下の通り。
小咒
オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ(oṃ huru huru caṇḍāli mātaṅgi svāhā)[注釈 2][注釈 3][4]
中咒(台密)
オン ビセイゼイ ビセイゼイ ビセイジャサンボリギャテイ ソワカ(Oṃ bhaiṣajye bhaiṣajye bhaiṣajyasamudgate svāhā)[注釈 4]
大咒(東密)
ノウマク バギャバテイ バイセイジャ クロ ベイルリヤ ハラバ アラジャヤ タタギャタヤ アラカテイ サンミャクサンボダヤ タニヤタ オン バイセイゼイ バイセイゼイ バイセイジャサンボリギャテイ ソワカ(Namo bhagavate bhaiṣajyaguru vaiḍūryaprabharājāya tathāgatāya arhate samyaksambuddhāya tadyathā oṃ bhaiṣajye bhaiṣajye mahābhaiṣajya-samudgate svāhā)[注釈 5]
仏像
像容
像容は、立像・坐像ともにあり、印相は右手を施無畏(せむい)印、左手を与願印とし、左手に薬壺(やっこ)を持つのが通例である。ただし、日本での造像例を見ると、奈良・薬師寺金堂像、奈良・唐招提寺金堂像のように、古代の像では薬壷を持たないものも多い。これは、不空訳「薬師如来念誦儀軌」の伝来以降に薬壷を持つ像が造られるようになったと考えられている。単独像として祀られる場合と、日光菩薩・月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として安置される場合がある。また、眷属として十二神将像をともに安置することが多い。薬師如来の光背には、七体または六体、もしくは七体の同じ大きさの像容がある。これは七仏薬師といって薬師如来とその化身仏とされる。
薬師如来の縁日は毎月8日である。これは、薬師如来の徳を講讃する「薬師講」に由来すると考えられている。
国分寺のほとんどは現在は薬師如来を本尊としている。
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薬師三尊像(薬師寺)
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薬師座像 行基・作(新薬師寺)
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薬師如来(『図像抄』)
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薬師如来(今山、福岡市西区今宿)
日本における造像例
現世利益的信仰が有力な日本においては、薬師如来は病気平癒などを祈願しての造像例が多い。極楽往生を約束する仏である阿弥陀如来とともに、日本においてはもっとも信仰されてきた如来である。奈良・法隆寺金堂の薬師如来坐像は光背に推古天皇15年(607年)の銘があるが、銘文中の用語や像自体の鋳造技法等から、実際の制作は7世紀後半と言われている。また、現世利益を司る数少ない如来であることから、延暦寺、神護寺、東寺、寛永寺のような典型的な(国家護持の祈りを担う)密教寺院においても薬師如来を本尊とするところが多い。
国宝指定の薬師如来像
日本における造像例は多数あり、網羅不可能であるため、ここでは国宝指定像を挙げるにとどめる。
- 福島・勝常寺像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期)
- 京都・仁和寺(旧北院)像(坐像、平安時代)
- 京都・神護寺像(立像、平安時代初期)
- 京都・醍醐寺(上醍醐)薬師堂像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代前期)
- 大阪・獅子窟寺像(坐像、平安時代前期)
- 奈良・法隆寺金堂像(坐像、飛鳥~奈良時代)
- 奈良・法隆寺大講堂像(薬師三尊の中尊、坐像、平安時代中期)
- 奈良・唐招提寺金堂像(立像、奈良時代~平安時代初期)
- 奈良・薬師寺像(薬師三尊の中尊、坐像、奈良時代)
- 奈良・新薬師寺像(坐像、平安時代初期)
- 奈良国立博物館像(坐像、平安時代前期)
- 奈良・元興寺(奈良市芝新屋町)像(立像、平安時代前期)
関連霊場
- 関東九十一薬師霊場
- 中部四十九薬師霊場
- 東海四十九薬師霊場
- 西国薬師四十九霊場
- 京都十二薬師霊場
- 播州薬師霊場
- 播磨八薬師霊場
- 中国四十九薬師霊場
- 阿波北嶺薬師霊場
- 九州四十九院薬師霊場
- 安房国四十八ヶ所薬師如来霊場
- 武相寅年薬師霊場
脚注
注釈
- ^ 奈良国立博物館に寄託。
- ^ これは無能勝明王(アパラージタ)の真言と混同される。無能勝明王の真言はナウマクサマンダボダナン・ジリンジリン・リンリン・シリンシリン・ソワカである。
- ^ 「密教の神々—その文化史的考察」(佐藤任 著、平河出版社、1979年7月, ISBN 978-4582766738)では「オーム (聖音)、取り払え、チャンダーリーよ、マータンギーよ、スヴァーハー」と訳して、チャンダーリーはインドの賎民の女、またマータンギーは摩登伽族の女と解釈している。インドのマータンギー女神(Matangi devi)については、英語版のwikipediaのen:Matangiを参照。パールヴァティ女神が賎民に変身してシヴァ神に対して、「私はマータンギー。チャンダラ族の娘よ。」と名乗ったとされる
- ^ 比叡山延暦寺根本中堂での勤行。
- ^ 薬師本願功徳経に説かれている。「薬師世尊、瑠璃光の王、如来、応供、正等正覚、に帰依いたします。すなわち:オーム、薬よ、薬よ、大いなる薬、医薬よ、スヴァーハー。」
出典
参考文献
- 荒井涙光『十三仏講話 : 布教資料』森江本店、1917年。