コンテンツにスキップ

「二見ヶ岡駅」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
 
(10人の利用者による、間の14版が非表示)
23行目: 23行目:
|駅構造 = [[地上駅]]
|駅構造 = [[地上駅]]
|ホーム = 1面1線
|ホーム = 1面1線
|開業年月日 = [[1935年]]([[昭和]]10年)[[10月10日]]
|開業年月日 = [[1935年]]([[昭和]]10年)[[10月10日]]<ref name="停車場">{{Cite book|和書|editor=石野哲|title=停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II|publisher=[[JTB]]|date=1998-10-01|edition=初版|isbn=978-4-533-02980-6|page=916}}</ref>
|廃止年月日 = [[1987年]](昭和62年)[[3月20日]]
|廃止年月日 = [[1987年]](昭和62年)[[3月20日]]{{R|停車場}}
|乗車人員 =
|乗車人員 =
|乗降人員 =
|乗降人員 =
31行目: 31行目:
|備考 = 湧網線廃線に伴い廃駅<br />仮乗降場との距離は実キロ
|備考 = 湧網線廃線に伴い廃駅<br />仮乗降場との距離は実キロ
}}
}}
[[ファイル:Futamigaoka eki.jpg|right|thumb|1977年の二見ヶ岡駅と周囲約500m範囲。下が網走方面。周囲は網走湖畔に開かれた網走刑務所管轄の一般人の立ち入りが制限された二見ヶ岡農場であり、駅はその真中にあって、駅前の区画だけに僅かな民家があった。下方左下へ向かう道路の先に農場の作業官舎がある。駅はかなり早い時点で無人化されていて、駅舎は小さな待合室に変えられている。島状の単式ホームで、かつては駅舎のあった側に貨物線を有していたが、既に痕跡すら殆んど無い。{{国土航空写真}}]]
[[ファイル:Futamigaoka eki.jpg|right|thumb|1977年の二見ヶ岡駅と周囲約500m範囲。下が網走方面。周囲は網走湖畔に開かれた網走刑務所管轄の一般人の立ち入りが制限された二見ヶ岡農場であり、駅はその真中にあって、駅前の区画だけに僅かな民家があった。下方左下へ向かう道路の先に農場の作業官舎がある。駅はかなり早い時点で無人化されていて、駅舎は小さな待合室に変えられている。島状の単式ホームで、かつては駅舎のあった側に貨物線を有していたが、既に痕跡すら殆んど無い<ref>[https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=75228&isDetail=true 1948年撮影航空写真](国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)</ref>。{{国土航空写真}}]]


'''二見ヶ岡駅'''(ふたみがおかえき)は、[[北海道]]([[網走支庁]])[[網走市]]字二見ヶ岡にあった[[日本国有鉄道]](国鉄)[[湧網線]]の[[鉄道駅|駅]]([[廃駅]])である。[[電報略号 (鉄道)|電報略号]]は'''フオ'''。湧網線の[[廃線]]に伴い[[1987年]](昭和62)[[3月20]]に廃駅となった
'''二見ヶ岡駅'''(ふたみがおかえき)は、かつて[[北海道]]([[網走支庁]])[[網走市]]字二見ヶ岡に設置されてい[[日本国有鉄道]](国鉄)[[湧網線]]の[[鉄道駅|駅]]([[廃駅]])である。[[電報略号 (鉄道)|電報略号]]は'''フオ'''。[[事務管理コード]]は▲122414<ref name=":0232222222">{{Cite book|和書 |title=停車場一覧 昭和41年3月現在 |date= |year=1966 |url=https://doi.org/10.11501/1873236 |publisher=本国有鉄道 |language=ja |doi=10.11501/1873236 |access-date=2023-03-21 |editor=日本国有鉄道営業局総務課 |page=244}}</ref>


== 歴史 ==
== 歴史 ==
* [[1935年]](昭和10年)[[10月10日]] - '''[[日本国有鉄道|国有鉄道]]湧網東線'''網走駅 - 卯原内駅間開通に伴い開業。[[日本の鉄道駅#一般駅|一般駅]]。
* [[1935年]](昭和10年)[[10月10日]] - [[鉄道]]湧網東線網走駅 - 卯原内駅間開通に伴い、新設{{R|停車場}}。[[日本の鉄道駅#一般駅|一般駅]]{{R|停車場}}
* [[1949年]](昭和24年)[[6月1日]] - [[公共企業体]]である[[日本国有鉄道]]に移管。
* [[1953年]](昭和28年)10月22日 - 中湧別駅 - 網走駅間全通により線路名を'''湧網線'''に改称、それに伴い同線の駅となる。
* [[1960年]](昭和35年)10月1日 - 貨物・[[チッキ|荷物]]取扱廃止
* [[1953年]](昭和28年)10月22日 - 中湧別駅 - 網走駅間全通により路線名を湧網線に改称、それに伴同線の駅となる
* [[1961年]](昭和36)4月1日 - 無人化
* [[1960年]](昭和35)10月1日 - 貨物・[[チッキ|荷物]]の取り扱いを廃止{{R|停車場}}
* [[1987年]](昭和62)[[320]] - 湧網線の廃線に伴い廃止となる
* [[1961年]](昭和36)41日 - 無人駅化
* [[1987年]](昭和62年)[[3月20日]] - 湧網線の全線廃止に伴い、廃駅となる{{R|停車場}}。

=== 駅名の由来 ===
当駅が所在した地名より。地名は、当地から[[網走湖]]と[[能取湖]]の双方が一望できる地であることに由来する<ref name="bunken1983" /><ref name=":02">{{Cite book|和書 |author= |editor=札幌鉄道局編 |title=駅名の起源 |date= |year=1939 |accessdate= |publisher=北彊民族研究会 |page=105 |author2= |author3= |author4= |author5= |author6= |author7= |author8= |author9= |id={{NDLJP|1029473}}}}</ref>。


== 駅構造 ==
== 駅構造 ==
廃止時点で、[[プラットホーム#単式ホーム|単式ホーム]]1面1線を有する[[地上駅]]であった。ホームは線路の西側(網走方面に向かって右手側)に存在した。[[分岐器|転轍機]]を持たない[[プラットホーム#単式ホーム|棒線駅]]となっていた<ref name="bunken1983">{{Cite book|和書|editor=[[宮脇俊三]] |others=[[原田勝正]] |title=国鉄全線各駅停車1 北海道690駅 |date=1983-7 |publisher=[[小学館]] |isbn=978-4093951012 |page=162}}</ref>。
廃止時点で、[[単式ホーム]]1面1線を有する[[地上駅]]であった。ホームは線路の西側(網走方面に向かって右手側)に存在し[[分岐器|転轍機]]を持たない[[棒線駅 (単式ホーム)|棒線駅]]となっていた<ref name="bunken1983">{{Cite book|和書|editor=[[宮脇俊三]] |others=[[原田勝正]] |title=国鉄全線各駅停車1 北海道690駅 |date=1983-7 |publisher=[[小学館]] |isbn=978-4093951012 |page=162}}</ref>。


[[無人駅]]となっており、[[日本の鉄道駅#有人駅|有人駅]]時代の駅舎は撤去されたがホーム南側に[[待合所]]を有していた<ref name="bunken1983"/>。
[[無人駅]]となっており、[[日本の鉄道駅#有人駅|有人駅]]時代の駅舎は撤去されたがホーム南側に[[待合所]]を有していた<ref name="bunken1983"/>。


== 駅名の由来 ==
== 利用状況 ==
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
当駅の所在する地名より。地名は、近くの丘から網走湖と能取湖が見えることに由来する<ref name="bunken1983"/>。
{| class="wikitable" style="margin: 1em 0.2em; text-align: right; font-size: 85%;"
! rowspan="2" |年度
! colspan="2" |乗車人員
! rowspan="2" |出典
! rowspan="2" |備考
|-
!年間
!1日平均
|-
|1978年(昭和53年)
|
|55
|<ref name=":2222">{{Cite book|和書 |title=国鉄全駅大事典 |date=1980-04-30 |publisher=藤田書店 |url=https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 |editor-last=藤田 |editor-first=稔 |doi=10.11501/12065814 |page=911}}</ref>
|
|}


== 駅周辺 ==
== 駅周辺 ==
56行目: 75行目:
* [[北海道道1087号網走常呂自転車道線]] - 湧網線廃線跡を再利用した[[自転車歩行者専用道路]]。
* [[北海道道1087号網走常呂自転車道線]] - 湧網線廃線跡を再利用した[[自転車歩行者専用道路]]。
* 二見ヶ岡公園 - 駅から南に約1.5km<ref name="bunken1983"/>。徒歩約20分<ref name="bunken1983"/>。100本の[[サクラ|桜]]が植えられていた<ref name="bunken1983"/>。
* 二見ヶ岡公園 - 駅から南に約1.5km<ref name="bunken1983"/>。徒歩約20分<ref name="bunken1983"/>。100本の[[サクラ|桜]]が植えられていた<ref name="bunken1983"/>。
* 二見ヶ岡農場 - 駅の西<ref name="bunken1980M"/>。
* [[網走刑務所]]二見ヶ岡農場 - 駅の西<ref name="bunken1980M"/>。
* [[網走湖]] - 駅から東に約1.5km<ref name="bunken1983"/>。
* [[網走湖]] - 駅から東に約1.5km<ref name="bunken1983"/>。
* [[能取湖]] - 駅の北西<ref name="bunken1980M"/>。
* [[能取湖]] - 駅の北西<ref name="bunken1980M"/>。
63行目: 82行目:


== 駅跡 ==
== 駅跡 ==
[[2011年]](平成23年)時点では鉄道関連の遺構は何も残っていない<ref name="bunken2011H">{{Cite book|和書|author=本久公洋 |title=北海道の鉄道廃線跡 |date=2011-9 |publisher=[[北海道新聞社]] |isbn=978-4894536128 |page=107}}</ref>。
[[2011年]](平成23年)時点では鉄道関連の遺構は何も残っていない<ref name="bunken2011H">{{Cite book|和書|author=本久公洋 |title=北海道の鉄道廃線跡 |date=2011-9 |publisher=[[北海道新聞社]] |isbn=978-4894536128 |page=107}}</ref>。


当駅跡附近の線路跡は[[北海道道1087号網走常呂自転車道線]]として[[自転車歩行者専用道路]]に再利用されていた<ref name="bunken2011H"/>。
当駅跡附近の線路跡は[[北海道道1087号網走常呂自転車道線]]として[[自転車歩行者専用道路]]に再利用されていた<ref name="bunken2011H"/>。


== 隣の駅 ==
== 隣の駅 ==
83行目: 102行目:


{{DEFAULTSORT:ふたみかおか}}
{{DEFAULTSORT:ふたみかおか}}
[[Category:網走市の鉄道駅|ふたみかおか]]
[[Category:網走市の廃]]
[[Category:網走市の歴史|ふたみかおかえき]]
[[Category:日本の鉄道駅 ふ|たみかおか]]
[[Category:日本の鉄道駅 ふ|たみかおか]]
[[Category:日本国有鉄道の廃駅]]
[[Category:日本国有鉄道の廃駅]]
[[Category:1935年開業の鉄道駅]]
[[Category:1935年開業の鉄道駅]]
[[Category:1987年廃止の鉄道駅]]
[[Category:1987年廃止の鉄道駅]]
[[Category:北海道の廃駅]]

2024年8月18日 (日) 12:44時点における最新版

二見ヶ岡駅
ふたみがおか
Futamigaoka
所在地 北海道網走市字二見ヶ岡
北緯44度0分14.7秒 東経144度10分17.8秒 / 北緯44.004083度 東経144.171611度 / 44.004083; 144.171611
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 湧網線
キロ程 82.1 km(中湧別起点)
電報略号 フオ←フヲ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1935年昭和10年)10月10日[1]
廃止年月日 1987年(昭和62年)3月20日[1]
備考 湧網線廃線に伴い廃駅
仮乗降場との距離は実キロ
テンプレートを表示
1977年の二見ヶ岡駅と周囲約500m範囲。下が網走方面。周囲は網走湖畔に開かれた網走刑務所管轄の一般人の立ち入りが制限された二見ヶ岡農場であり、駅はその真中にあって、駅前の区画だけに僅かな民家があった。下方左下へ向かう道路の先に農場の作業官舎がある。駅はかなり早い時点で無人化されていて、駅舎は小さな待合室に変えられている。島状の単式ホームで、かつては駅舎のあった側に貨物線を有していたが、既に痕跡すら殆んど無い[2]国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

二見ヶ岡駅(ふたみがおかえき)は、かつて北海道網走支庁網走市字二見ヶ岡に設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)湧網線廃駅)である。電報略号フオ事務管理コードは▲122414[3]

歴史

[編集]

駅名の由来

[編集]

当駅が所在した地名より。地名は、当地から網走湖能取湖の双方が一望できる地であることに由来する[4][5]

駅構造

[編集]

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の西側(網走方面に向かって右手側)に存在し、転轍機を持たない棒線駅となっていた[4]

無人駅となっており、有人駅時代の駅舎は撤去されたがホーム南側に待合所を有していた[4]

利用状況

[編集]

乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

年度 乗車人員 出典 備考
年間 1日平均
1978年(昭和53年) 55 [6]

駅周辺

[編集]

雑草地の中に位置した[4]

駅跡

[編集]

2011年(平成23年)時点では、鉄道関連の遺構は何も残っていない[8]

当駅跡附近の線路跡は、北海道道1087号網走常呂自転車道線として自転車歩行者専用道路に再利用されていた[8]

隣の駅

[編集]
日本国有鉄道
湧網線
卯原内駅 - <二見中央仮乗降場> - 二見ヶ岡駅 - <大曲仮乗降場> - 網走駅

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、916頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 1948年撮影航空写真(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、244頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年3月21日閲覧 
  4. ^ a b c d e f g h 宮脇俊三 編『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』原田勝正小学館、1983年7月、162頁。ISBN 978-4093951012 
  5. ^ 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、105頁。NDLJP:1029473 
  6. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、911頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  7. ^ a b c d 『北海道道路地図 改訂版』地勢堂、1980年3月、46頁。 
  8. ^ a b 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、107頁。ISBN 978-4894536128 

関連項目

[編集]