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「ラッシュ (カナダのバンド)」の版間の差分

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{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
[[Image:Rush-in-concert.jpg|thumb|250px|right|'''Rush''']]
| 名前 = ラッシュ
| 画像 = [[File:Rush logo.png|150px]]
[[File:Rush band 1970s.jpg|280px]]
| 画像説明 = 1970年代 左からゲディー・リー、ニール・パート、アレックス・ライフソン
| 画像サイズ = 250
| 背景色 = band
| 出身地 = {{unbulleted list|{{CAN}}|[[オンタリオ州]][[トロント]]}}
| ジャンル = {{unbulleted list|[[アリーナ・ロック]]<ref>{{cite book |last= Greene |first= Doyle |year= 2012 |title= Teens, TV and Tunes: The Manufacturing of American Adolescent Culture |location= Jefferson, North Carolina |publisher= [[マクファーランド・アンド・カンパニー|McFarland, Incorporated, Publishers]] |page= 182 |isbn= 978-0-786-48972-5 }}</ref>|[[ハードロック]]<ref>{{cite book |last= McDonald |first= Chris |year= 2009 |title= Rush, Rock Music, and the Middle Class: Dreaming in Middletown |location= Bloomington, Indiana |publisher= [[:en:Indiana University Press|Indiana University Press]] |pages= 74, 127 |isbn=978-0-253-22149-0 |quote= ...Rush's hard rock orientation... Rush's hard rock roots... }}</ref><ref name="Bowman & Berti 2011 p 287">{{cite book |last1= Bowman |first1= Durrell |last2= Berti |first2= Jim |year= 2011 |title= Rush and Philosophy: The Heart and Mind United |publisher= Open Court Press |page= 287 |isbn= 978-0-812-69716-2 |quote= Rush mainly demonstrates 'Canadianness' by combining such British and American influences as progressive rock, hard rock, and individualism.}}</ref><ref name="Bowman 2014 p 29">{{cite book |last= Bowman |first= Durrell |year= 2014 |title= Experiencing Rush: A Listener's Companion |location= Lanham, Maryland |publisher= [[:en:Rowman & Littlefield|Rowman & Littlefield]] |page= 29 |isbn= 978-1-442-23130-6 |quote= ...Rush's hybrid of heavy metal, hard rock, and progressive rock. }}</ref>|[[プログレッシブ・ロック]]<ref name="Bowman & Berti 2011 p 287" /><ref name="Bowman 2014 p 29" /><ref>{{cite web |last= Sanneh |first= Kelefa |date= 2017-06-12 |title= The Persistence of Prog Rock |url= https://www.newyorker.com/magazine/2017/06/19/the-persistence-of-prog-rock |work= [[ザ・ニューヨーカー|The New Yorker]] |publisher= [[コンデナスト・パブリケーションズ|Condé Nast]] |accessdate= 2023-04-07 }}</ref>|[[プログレッシブ・メタル]]<ref>{{cite book |last1= Stuessy |first1= Joe |last2= Lipscomb |first2= Scott D. |year= 2003 |title= Rock and Roll: Its History and Stylistic Development |edition= 4th |location= New Jersey |publisher= [[:en:Prentice Hall|Prentice Hall]] |page= 326 |isbn= 978-0-130-99370-0 }}</ref><ref name="Bowman 2014 p 29" />}}
| 活動期間 = 1968年 - 2015年
| レーベル = {{unbulleted list|[[:en:Moon Records (Canada)|ムーン]]|[[アンセム・レコード|アンセム]]|[[マーキュリー・レコード|マーキュリー]]|[[アトランティック・レコード|アトランティック]]|[[ヴァーティゴ]]|[[ロードランナー・レコード|ロードランナー]]}}
| 公式サイト = {{URL|rush.com}}
| 旧メンバー = {{plainlist|
* [[ゲディー・リー]]([[ボーカル]]・[[ベース (弦楽器)|ベース]]・[[キーボード (楽器)|キーボード]])
* [[アレックス・ライフソン]]([[ギター]])
* [[ニール・パート]]([[ドラムセット|ドラムス]])
* ジョン・ラトジー(ドラムス)
* ジェフ・ジョーンズ(ボーカル・ベース)}}
}}
'''ラッシュ'''(''{{lang|en|Rush}}'')は、[[カナダ]]出身の[[スリーピース]]・[[ロックバンド]]。同国の国民的グループであり、北米における[[プログレッシブ・ロック]]の先駆者としても知られる。母国最大の音楽賞『[[ジュノー賞]]』を数多く受賞し、1994年に同殿堂入り。2013年には『[[ロックの殿堂]]』入りも果たした<ref>[https://www.cinematoday.jp/news/N0048622 カナダのロックバンド、ラッシュが殿堂入り!] - シネマトゥデイ</ref>。


== 来歴 ==
'''ラッシュ'''('''''[[:en:Rush (band)|Rush]]''''')は、[[ゲディー・リー]]([[ベース]]、[[ボーカル]]、[[キーボード]])、[[アレックス・ライフソン]]([[ギター]])、[[ニール・パート]]([[ドラム]]、[[パーカッション]])3人からなる[[カナダ]]の[[プログレッシブ・ロック]]・[[バンド (音楽)|バンド]]。<br />
[[File:Rush-in-concert.jpg|thumb|220px|right|イタリア・ミラノ公演(2004年9月)]]
1968年トロントの北郊外オンタリオにてリー、ライフソンと[[ジョン・ラトジー]]の三人にて結成。1974年プロ・デビュー。デビュー間もなくアメリカ・ツアーを前にドラムがニール・パートに変わる。以降これを不動のラインナップとして現在に至る。後述するような編纂を経て独自のサウンドを確立するに至り、多くのミュージシャンに影響を与えてきた。この代表として [[ドリーム・シアター]](Dream Theater)、[[シンフォニー・エックス]](Symphony X)、[[シャドウ・ギャラリー]](Shadow Gallery)、[[プリマス]](Primus)、[[メタリカ]](Metallica)、[[スマッシング・パンプキンズ]](Smashing Pumpkins)などの名前が挙げられる。幾度かJuno Award<ref>カナダのグラミー賞に当たる音楽賞の代表</ref>を受賞(末尾「[[#Juno Award受賞履歴|Juno Award受賞履歴]]」を参照)。1994年にはその殿堂入り<ref>正式名称「Canadian Music Hall of Fame」</ref>を果たした。<br />
[[File:Geddy-henhouse.jpg|thumb|220px|right|カナダ・オタワ公演(2007年9月)]]
 ドラムのニール・パートが娘、妻を相次いで亡くした事が主たる原因でミュージシャン活動する意欲が持てず、一時、永久活動休止とも受け取れる発言がインタービュー等で聞こえてきていた時期もあったが、2005年には結成30周年ライブツアーも敢行し、その模様を納めた30周年記念ライブDVD「R30」(DVD二枚とライブCD二枚の四枚カップリング)もリリースし、今なお現役であることを証明している。<br />
[[File:Rush all.JPG|thumb|220px|right|カナダ・トロント公演(2010年7月)]]
[[File:Rush September 9 2012 at Jiffy Lube Live Bristow VA - Washington DC (7988511768).jpg|thumb|220px|right|USワシントンD.C.公演(2012年9月)]]
1968年、トロントの郊外ウィローデイルにて[[アレックス・ライフソン]]、{{仮リンク|ジェフ・ジョーンズ (ミュージシャン)|en|Jeff Jones (musician)|label=ジェフ・ジョーンズ}}、{{仮リンク|ジョン・ラトジー (ミュージシャン)|en|John_Rutsey|label=ジョン・ラトジー}}の3人で結成。同年、ジェフ・ジョーンズが脱退し、二代目[[ベーシスト]]としてアレックスの友人[[ゲディー・リー]]が加入。


1974年、結成6年目にプロ・デビューを果たす。デビュー後、[[アメリカ]]・ツアーを前に[[ドラマー|ドラムス]]が[[ニール・パート]]に変わり、以降、解散するまで不動のラインナップとして続いた。
==バンドの歴史==
<!--
===デビューまで===
1968年にリー、ライフソン、およびジョン・ラトジーの
-->


===デビュー(及びその時代背景===
=== デビューその時代背景 ===
 彼らのデビューした[[1974年]]当時は[[レッド・ツェッペリン]](Led Zeppelin)の全盛時代で、彼らも類に洩れずツェッペリンの影響を強く受け、デビュー当初は[[レッド・ツェッペリン|ツェッペリン]]直系と言えるストレートで骨太なサウンド<ref>この路線を頑固なまでに守り続けている代表は[[AC/DC]]である</ref>の典型的[[ハードロック|ハードロックバンド]]であった。 その後に見られることとる[[プログレ]]的なアプローチの片鱗はデビューアルバムでも見れるものの、[[レッド・ツェッペリン]]の影響の範囲内と当初考えられており、評論家には「[[レッド・ツェッペリン|ツェッペリン]]典型的[[wikt:フォロワー|フォロワー]](Follower)」とレッテルを貼られ、実際その片鱗を敏感に覚知した一部のファン以外には「[[レッド・ツェッペリン|ツェッペリン]]を真似た二流バンド」しか理解されていなかった<ref>この傾向は日本では特に顕著で評価が高まるのがなり遅、初来日が実現し時には彼らの[[wikt:ギャランティー (ギャラ)|ギャランティー]]が既に高額なっており、これ故その後の来日公演が実現されてないのだと言われている因みに現在「世界一ギャランティーが高額なロックアーティスト」と言われている</ref>。<br />
彼らのデビューした1974年当時は[[レッド・ツェッペリン]](Led Zeppelin)の全盛時代で、彼らも類に洩れずツェッペリンの影響を強く受け、デビュー当初はレッド・ツェッペリン直系と言えるストレートで骨太なサウンドの典型的[[ハードロック]]・バンドであった。しかし、記者どからはカナダいまたツェッペリンとは違った音もこのら感じられたとい
 「よくもまぁこれだけの複雑なパッセージを唄いながら弾けるものだ」と聴く者に思わせるゲディー・リーの「引き倒しベース」はラッシュの特徴の一つとしてデビュー当初から健在である。<br />
 デビュー当初から変わらないラッシュのコンセプト一つに「ライブで再現できない曲は基本的に作らない」(アレックス・ライフソン弁)というのがあり、これは「まだロックキッズだった頃、レッド・ツェッペリンのライブを見に行ったらアルバムとまるで違うソロをジミー<ref>ジミー・ペイジの事</ref>が弾いていたんだよ。これには正直(僕は)がっかりしたね」(アレックス・ライフソン弁)というセリフが物語っている通り「ライブではスタジオ盤を出来るだけ忠実に再現するべし」という信仰にも似たポリシーを形成していたようで、これが心底にあった上で、一つには「アルバム・アーティスト<ref>ライブ活動をしないミュージシャンの俗称:後期の[[ビートルズ]]や[[スティーリー・ダン]]などが有名</ref>には決してならない」と言っているのであるが、もう一つの意味が解釈者によって二つの道に分かれる。 一つは「ライブで再現できないような難しい曲は作らない(簡単な曲に満足する、または複雑な曲を指向しない)」であり、もう一つは「ライブでの再現性を上げるために技巧鍛錬に努力を惜しまない」である。ラッシュは後者の解釈者である事は言うまでもない。事実、彼ら三人とも練習の鬼であった事は有名である(特にゲディー・リー)。 この事からデビュー当初から技巧性の高いバンドになる根は持っていたという事になる。<br />


===凡百のハードロック・バンドからの脱皮===
=== ハードロック・バンドからの脱皮 ===
 バンドにとっての転機は、デビューアルバム発表の殆ど直後というタイミングでドラムがニール・パートメンバーチェンジしたことである。 彼は当時から今に至るまで非常に有名な読書家で当時没頭していた[[ハイライン]]、[[アイザック・アシモフ]]、[[レイ・ブラッベリ]]等超科学的[[サイエンス・フィクション|SF小説]]にインスパイアされ思われる[[サイエンス・フィクション#スペース・オペラ|スペース・オペラ]]的な詩や哲学的なをバンドに提供し、これをサウンドで表現しようとするが動機となり、その後「ラッシュ的」と称されていくこととなる空間創出的なアプローチ<ref>所謂「[[プログレッシブ・ロック|プログレ]]的ものもこれの一手法に過ぎないというのが正しい見方であろう</ref>が発展していくとなる。<ref>それだけラッシュにとってのニール・パーの存在意義大きく、この点からであろうが、ニール・パート加入時からが実質的ラッュのスタトだとすファンは多い</ref><br />
デビューアルバム発表の殆ど直後というタイミングでドラム[[ニール・パート]]にメンバーチェンジしたことンドにとって転機となっ。彼は哲学的なをバンドに提供し、これをサウンドで表現しようとすることが動機となり、その後[[プログレッシブ・ロック]]的な発展していくこととなる。アルバム『[[フェアウェル・トゥ・キングス]]』で[[ンセサイザ]]を用いてい
 ただ当初はあくまでもオーソドックスなハードロック路線を堅持して、これに[[プログレッシブ・ロック|プログレ]]的なエッセンスを少々振りかけたという程度であった。 この路線の頂点が「 '''西暦2112年'''」(''2112'' )である。次のアルバムである「 '''フェアウェル・トゥ・キングス'''」(''A FAREWELL TO KINGS'') とを聴き比べると明らかにサウンドが変化しているのであるが、一番の変化はボーカル:ゲディー・リーの唱法で、それまでのハードロック的な金切り声を上げる唱法から[[ファルセット]]を用いた「綺麗に聞かせる」唱法への変化である。 これは「 '''西暦2112年'''」 発表に伴うヨーロッパ・ツアーで親しくなった[[マイケル・シェンカー]](Michael Schenker)のアドバイスによるものである(ゲディー・リー本人が後のインタビューで語っている)が、内容の深いニール・パートの詩をより丁寧に聴き手に届けようとする誠意から出たものでもあると考えられる。<br />
 ニール・パートが作詞により世界観、原イメージを提示し、それをライフソン、リーの二人がサウンド表現として具現化する、というのがラッシュの基本的創作スタイルであり、どのメンバーが欠けてもラッシュではあり得なくなるだろうと言える。<br />
 「'''フェアウェル・トゥ・キングス'''」に於いてのサウンドの変化のもう一つの柱は[[シンセサイザー]](Synthesizer)[[鍵盤楽器|キーボード]]を用いだしたことである。 数多くのロックバンドを「キーボード有り」と「キーボード無し」で分類すれば、そこにハッキリとしたサウンド傾向の違いが見出せる事でも明らかなように、この変化は極めて大きいと言うべきである。 実際、このアルバム以降を、それまでの旧来のファンの少なからずは「軟弱になった」と嫌って離れていった。が、それにも増して新たなファンを大きく獲得した事に繋がったのだろうと、成功したその後から振り返れば結論付けれるのは明らかである。 この要素が大きいのは'''「ベーシストが片手間で弾いているにしては上手過ぎる」'''ゲディー・リーのキーボード演奏の巧みさが裏付けになっている事は特筆しておく必要があるだろう。<br />


===プログレ色と大作主義===
=== プログレ色と大作主義 ===
 「'''西暦2112年'''」まを第一期期ラッシュとし「'''フェアウェル・トゥ・キングス'''」〜「'''ラッシュ・ライヴ〜神話大全'''」まを第二期ラッシュとすることが出来る。 この時期[[プログレッシブ・ロック]]全般が隆盛を極めていた時期でもあると呼応して、ラッシュも複雑なアレジの駆使と大作主義傾を強めていく<ref>それまでドロック的要素強く残しつつ大作主義に裏付けられているという意味で「'''西暦2112年'''」は交差点で作品だと言える</ref>。 しし、これバンド、特に、作詞のみならずバンド・コンセプトの鍵大きく握っていニール・パートを苦しめる事となる。 「'''フェアウェル・トゥ・キングス'''」当時で既にSF小説の大概は読了していたニール・パートの読書興味対象SF小説から[[アーネスト・ヘミングウェイ| ヘミングウェイ]]の現代文学へと移っていた<ref>この事は同アルバムタイトル「'''A FAREWELL TO KINGS'''」が[[アーネスト・ヘミングウェイ| ヘミングウェイ]]の「[[武器よさらば|A farewaell to arms]]」(邦題:武器よさらば)を捩て(もじって)いる事からも明瞭である</ref>のもあって、シンボリックな単語をふんだんに散りばめてファンタジックな空気感を演出するそれまでの作詞セオリー(これは必然的に文章量が膨らむので大作主義にはマッチする)には飽き始めていた。 より直接的、より具体的に、少ない言葉で端的に物事を言い表わす「明瞭さの美」に興味が移り始めていたのに「'''フェアウェル・トゥ・キングス'''」収録の最終曲 "Cygnus X-1 Book 1" を、大作主義的曲になるを匂わせた上で「to be continued(続く…)」としてしまったのだ 実際この段階では次作で大組曲 "Cygnus X-1 Book II" を構想しており、この予告編としてこれを入れたのであるが……<br />
ハードロック・バンドとしてのキャリアの集大成となるのが『[[西暦2112年]]』あり、次作『[[フェアウェル・トゥ・キングス]]』では、よりプログレッシブ・ロックのサウドを志ていく。この頃[[歌詞]]はファンタジやSF題材とするものが多ったが、作詞を担当するニール・パートの読は[[アーネスト・ヘミングウェイ|ヘミングウェイ]]などの現代文学へと移っていった。収録の最終曲Cygnus X-1 Book 1を、大作主義的曲になることを匂わせた上で「to be continued(続く…)」としてしまった。実際この段階では次作を構想しており、この予告編としてこれを入れたのである。次作『[[神々の戦い]]』に収録された、続編となる曲である「Cygnus X-1 Book II: Hemispheres」では、その後のニール・パートの歌詞の作風となる「少ない単語で端的に言い表す」ものに変化しつつある。
 苦労の末に発表された 「'''神々の戦い'''」(''HEMISPHERES'')は非常に素晴らしいアルバムに仕上がった<ref>Cygnus X-1 Book II" を除く全曲が、その後長くライブで演奏し続けられている曲ばかりである事からも伺い知れる</ref>のだが、上記の通りニール・パートの興味は大作主義ではない方向に移りつつあった処に、このアルバムの苦労がだめ押しとなり以降大作主義は鳴りを潜める(後のインタビューでニール・パート本人も「こりごりだ」と語っている)。 このアルバム自体も外形は大作主義的であるが、そこに展開されている歌詞は、その後のニール・パートの歌詞の決定的作風となる「少ない単語で端的に言い表わす」ものに既になっている。<br />


演奏面においては、[[イエス (バンド)|イエス]]や[[キング・クリムゾン]]といった難解な演奏をするプログレッシブ・ロックからの影響を受けた、長編曲で複雑な拍子記号の変化を特徴とする、非常にダイナミックなものになっていき、これはラッシュの特徴となっていった。アレックス・ライフソンは、[[クラシック・ギター|クラシックギター]]や[[12弦ギター]]を導入し、ゲディー・リーは、バスペダル・シンセサイザーと[[:en:Minimoog|ミニモーグ]]を導入、ニール・パートのドラムセットも、[[トライアングル]]、[[グロッケンシュピール]]、[[ウッドブロック]]、[[ティンパニ]]、[[ゴング]]など多様化していった。
===ラッシュらしさの確立===
 「'''神々の戦い'''」(''HEMISPHERES'')発表当時のラッシュは、ヨーロッパ大陸では概ね高評価であったのに全米での評価が未だ二流バンド扱いであったのが目下の商業的課題であったところに前作での苦労もあって、次作「'''パーマネント・ウェイヴス'''」(''PERMANENT WAVES'')では「短い曲<ref>今でもそうだが今以上に当時(70年代〜80年代)のアメリカに於いて曲がヒットするか否か(これはイコール、レコード(当時)、CDが売れるか否か)は、各地方のラジオ局がオンエアしてくれるかどうかが大きく鍵を握っていた。 この当時「5分を超える曲はラジオではオンエアして貰えない」というのが定説であった。 またシングルヒットする事がアルバムセールスを左右するというのもアメリカ音楽市場の特徴であり、これ故シングルヒット向きではないアーティストは日陰者になりやすい問題点も(今も)持っている</ref>」で「シングルをリリースする」という目標が(レーベルの意向も強くあって)立てられた。 これを見事クリアして生まれたのが名曲 "The Spirit Of Radio" である。 この曲の長さは「4分59秒」である。 ラッシュの素晴らしいのは、レーベルの強い意向である「短いシングルヒット向きの曲」の条件を満たしていながら、これを自分達らしさを犠牲にした単なる妥協の産物としてではなく、短いシングル向けの楽曲でも自分達らしさを表現でき切れるセオリーを掴んだ才能である。<ref>この曲を5分以内に切り詰めるのにアレンジにかなり腐心したのは有名な逸話である</ref> 他の多くのプログレ・バンドが「シングル向けの短い曲では自分達の表現が犠牲にされる」と拒否的態度をとり続け、レーベルを皮切りに、次第に市場から、果てはファンからも見放されて衰退していったのと対照的である。 しかも、その歌詞に於いては、耳馴染み易い曲ばかりを優先的に垂れ流してるラジオ業界全体の痛烈な批判である点・・・ユーモアのセンスが実にラッシュ的である<ref>余談ではあるが、[[バグルス|The Buggles]] の '''''[[Video Killed The Radio Star]]''''' と並べて論じられる事が多い話題でもある</ref>。<br />
 ここで確立した「耳馴染み易いポップな歌」と「技巧性の高い演奏&複雑なリズムアレンジ」(プログレぽさ)との両立というのが、この後のラッシュの独自性ということになっていく。<br />


=== ラッシュらしさの確立 ===
 これ以降のラッシュは誰とも比較される事は皆無になった。 何故なら、比べれるものが無くなったからである。<br />
次作『[[パーマネント・ウェイヴス]]』では、[[レゲエ]]や[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]の要素を取り入れ、今までのプログレ路線から大きく路線変更した<ref>{{Cite journal|author=Geoff Barton|year=2006|title=Rush: Progressive to the Core|journal=Classic Rock|volume=|page=97}}</ref>。その背景としては、シンセサイザーの導入が増えたことと、レーベルの強い意向もあり、ラジオで流すことのできる短い曲を収録したことが挙げられる。そうして生まれたのが「The Spirit of Radio」や「Freewill」であり、この「耳馴染み易いポップな歌」と「技巧性の高い演奏&複雑なリズムアレンジ」との両立が、以降のラッシュのスタイルになっていく。


ニール・パートの歌詞は、前作『神々の戦い』ですでに見られていた現代文学からの影響をより色濃く反映するようになり、空想的な話や寓話的なものではなく、人間的・社会的なテーマの探求に重点を置いたものになっていく。
<!-- アルバム「プレスト」以降について補記してくれる方を切望! -->


『パーマネント・ウェイヴス』は、前述したシングル2曲の貢献もあって、バンド初の全米トップ5を獲得した<ref>{{Citation|title=Permanent Waves - Rush {{!}} Songs, Reviews, Credits {{!}} AllMusic|url=https://www.allmusic.com/album/permanent-waves-mw0000195594|accessdate=2020-08-30|language=en-us}}</ref>。翌1981年に代表作となる『[[ムーヴィング・ピクチャーズ]]』をリリース。全米3位を記録し、「トム・ソーヤ」「YYZ」「ライムライト」など、バンドの代表曲となるものも生まれ、人気は頂点に達した。
==メンバー紹介==
[[ゲディー・リー]](''[[:en:Geddy Lee|Geddy Lee]]''):ベース、ボーカル、キーボード、フットベース<br />
メロディアスな歌を唄いながら常人なら到底弾けそうもないベース・フレーズを弾いている事だけでも驚きなのであるが、これに留まらず曲中[[ベース (弦楽器)|ベース]]と[[キーボード]]を交互に弾き分け、ベースを弾きながらフットペダル(キーボード)を演奏しつつという1人4役ぶり。 さすがにキーボード・アレンジが複雑になった 「'''グレイス・アンダー・プレッシャー'''」(''GRACE UNDER PRESSURE'')以降は[[ミュージックシーケンサー|シーケンサー]]による自動演奏も援用するようにはなったが「自分で弾ける限りは弾く」という基本姿勢には変わりない。本人の弁によると「ベースを弾いている時が一番ウキウキする」「パートは何かと問われれば、即座にベーシストと答えるだろう」なのだそうである。長いキャリアの中で様々な楽器をアルバムコンセプトに合わせて持ち替えてきた(ジャズベース、リッケンバッカー、スタインバーガー、ウォルetc…)。しかしどの楽器を用いても一聴してゲディと判る唯一無二のピッキングサウンドは、動き回るベースラインと相まって世界中多くのベーシスト達を虜にしている。このフラットピッキングにも聞こえる類い希なサウンドは、元々の力の強さに加え独特のフォームや爪を伸ばすこと、また弦高やアンプチューニングの妙から生まれるものと思われる。<br />


以降、1980年代のラッシュのサウンドはシンセサイザーを中心としたものに変容する。バンドは長きにわたってプロデュースを担当してきた[[テリー・ブラウン]]に代わる新しいプロデューサーとしてピーター・コリンズを招き、ゲディー・リーによる、複数のシンセサイザーのサウンドを重ね合わせたものを核とする。1990年代からは、ギターサウンドに回帰したアルバムを出すようになり、1991年に発表した『[[ロール・ザ・ボーンズ (ラッシュのアルバム)|ロール・ザ・ボーンズ]]』では[[ファンク]]と[[ヒップホップ・ミュージック|ヒップホップ]]の要素を見せ、インストゥルメンタル・トラック 「ウェアズ・マイ・シングス?」ではいくつかのジャズの要素を取り入れている<ref>{{Citation|title=Roll the Bones - Rush {{!}} Songs, Reviews, Credits {{!}} AllMusic|url=https://www.allmusic.com/album/roll-the-bones-mw0000268432|accessdate=2020-08-30|language=en-us}}</ref>。
[[ニール・パート]](''[[:en:Neil Peart|Neil Peart]]''):ドラム、パーカッション<br />
水平方向360度[[ドラムセット|ドラム]]を縦横無尽にプレイする。 [[電子楽器]]が今日のように進歩する以前は、ありとあらゆる打楽器類<ref>通常のドラムセットだけでもタム類の多い方で、この上、ティンパニ、チューブラ・ベル、多数のカウベル、コンガ、ボンゴ、クラベス、タブラ、サルナ・ベル、拍子木、タンバリン、アゴゴ、ティンバレス、ウインドチャイムなど</ref>を所狭しと並べていた(本人曰く「セッティングが完了してからだと出入りが出来ない」)が、今では特注[[ドラムパッド]]のお陰でだいぶスッキリとしている(であっても、あれなのだから……推して知るべし) これら上下に並ぶ膨大な打面を寸分の違いなく叩き分け、ライブで見せる恒例のドラムソロは必見。上述の読書家作詞家のプロフィールからは想像も出来ないパワフルな演奏は、ロックマニアならずとも一見の価値がある。 どちらも[[ビリー・コブハム]]、[[ビル・ブラッフォード]]([[:en:Bill Bruford|Bill Bruford]])に影響を受けているパートと[[テリー・ボジオ|テリー・ボジオ]]([[:en:Terry Bozzio|Terry Bozzio]])とは、互いに影響を与えあっている関係であるようで、本来音程という観念が希薄な打楽器に於いて「メロディー楽器のように打楽器を用いる」という面白いアプローチを取る事がままある<ref>この特徴が顕著に出ているのが「ミスティック・リズム(Mistic Rythm)」「ショウ・ドント・テル(Show Don't Tell)」などである</ref>。これもラッシュの摩訶不思議な曲調に一役買っている。<br />
http://www.drummerworld.com/drummers/Neil_Peart.html<br />
音楽活動以外では自転車で世界各地を旅行するのが好きなのが有名である(さすがに年齢が上がるにつけ以前のようなチベット奥地とかへは行かなくなっているらしいが)。


このように、時代に合わせてサウンドを変化させながら順調に活動していたラッシュだったが、1997年の『[[テスト・フォー・エコー (ラッシュのアルバム)|テスト・フォー・エコー]]』ツアー終了後、娘を[[交通事故]]、翌年妻を[[癌]]で立て続けに失う不幸がニールを襲う。
[[アレックス・ライフソン]](''[[:en:Alex Lifeson|Alex Lifeson]]''):エレクトリック・ギター、アコースティック・ギター<br />
デビュー当初はツェッペリン・フォロワーだった事からも推察できる通り、[[特別:Search/ディストーション|ディストーションギター]]の[[リフ|重音リフ]]を主体としていたが、「'''フェアウェル・トゥ・キングス'''」(''A FAREWELL TO KINGS'')辺りからは、その当時傾倒していたと思われる[[ジェネシス (バンド)|Genesis]] の[[スティーヴ・ハケット]]的な[[分散和音]]によって空間を作るという手法が特徴であったし、[[ポリス (バンド)|ポリス]]が一世を風靡した頃は[[アンディー・サマーズ]]([[:en:Andy Summers|Andy Summers]])ばりの硬質でエッジの鋭いコードカッティングと[[エフェクター#ディレイ|ディレイ]]処理を組み合わせた空間創出を特徴とし、この後[[U2]]を愛聴していた頃は軽く歪んだクランチサウンドによるパワフルはコードかき鳴らしも特徴に加わってきた・・・と、その時の「何に影響を受けているか」が割と分かりやすい人である。 これが普通はこれだけ日和見的だとオリジナリティーとは程遠いものとなるのがオチなのだが、彼はこれらを全部自分流に消化してしまい、今や彼の[[wikt:オリジナリティー|オリジナリティー]]となっているコード音の積み重ね・・・Lerxst Soundと呼ばれる音の壁のような重厚な[[ギター]]を奏でる。曲中のアコースティック・ギターとの持ち替えも充分に計算されたものとなっている。 左記の彼の特質が顕われている事象だと言って良いだろうが、その時の気分や曲調によってギターをかなり頻繁に持ち替え、例えば「[[ジミー・ペイジ]]=[[レスポール]]」みたいな[[トレードマーク]]が存在しないのが逆に特徴的である。<br />


=== バンドの終焉 ===
悲嘆に暮れたニールはバンド活動への意欲も失い、1998年にバンドは活動を休止する。その間、ニール・パートは放浪の旅に出て、[[オートバイ|バイク]]で北米全土(88,000 km)を旅した<ref>{{Cite book|title=Ghost rider : travels on the healing road|url=https://www.worldcat.org/oclc/49796529|publisher=ECW Press|date=2002|location=Toronto|isbn=1-55022-546-4|oclc=49796529|last=Peart, Neil.}}</ref>。


一時期は完全な解散も示唆されていたが、2001年に活動を再開し、翌年『[[ヴェイパー・トレイルズ]]』を発表。音楽性は純粋なハードロック・サウンドへと回帰した。最新作『[[クロックワーク・エンジェルズ]]』はハードロック調の楽曲にストーリー性を持たせた歌詞を乗せたコンセプト・アルバムという、プログレ時代を髣髴とさせる作品となっている。
[[アルバム]]での楽曲がかなり高難度であるにも関わらず、一般に水物とされるライブ演奏においても[[ミュージックシーケンサー|シーケンサー]]やテープとの[[同期]]を試み、完璧な演奏を実現する。 また[[変拍子]]を自然に聞かせる点<ref>リズムは一定している方が乗りやすいものなので変則拍子は、ぎこちなく、不自然な(人工的な)感じになりやすい。それを自然に聞こえさせるということである。この点でもニール・パートの功績は大きい←[[ビル・ブラッフォード]]([[:en:Bill Bruford|Bill Bruford]])から学んだ[[wikt:ファクター|ファクター]]である</ref>でも楽曲の完成度は高い。<br />


2015年にデビュー40周年記念ツアー「R40」を開催。ニールの[[腱鞘炎]]悪化のため、これがファイナルツアーになると発表された<ref>{{Cite news|url= https://nme-jp.com/news/10180/ |title= ラッシュ、ドラムのニール・パートが引退の意向について語る |newspaper= NME Japan |date= 2015-12-08 |accessdate= 2020-01-11 }}</ref>。
== 脚註 ==
<references/>


「R40」ツアー終了時点では活動継続の意思を示していた<ref>{{Cite news|url= https://www.barks.jp/news/?id=1000122236 |title= ラッシュ「ニールはツアーをやらない理由を説明しただけ」 |newspaper= BARKS |publisher= ジャパンミュージックネットワーク |date= 2015-12-09 |accessdate= 2020-01-11 }}</ref>が、その後ニールはドラマーとして完全に引退し、復帰することなく[[2020年]][[1月7日]]、[[脳腫瘍]]のために逝去<ref>{{Cite news|url= https://www.sanspo.com/article/20200111-UZN77XL4ABMK3DDWAA345AZKQQ/ |title= ニール・パート氏が死去、67歳 「ラッシュ」のドラマー |newspaper= SANSPO.COM |publisher= 産経デジタル |date= 2020-01-11 |accessdate= 2020-01-11 }}</ref>。ニールの死を受けて、アレックスはラッシュは2015年に活動終了したと改めて宣言された<ref>{{Cite news|url= https://nme-jp.com/news/104375/ |title= ラッシュのアレックス・ライフソン、ニール・パートなしでバンドが再結成することはないと語る |newspaper= NME Japan |date= 2021-07-05 |accessdate= 2022-08-09 }}</ref>。また2018年時点のインタビューでニールのドラマー引退とラッシュに活動継続の意思がない旨を述べている<ref>{{Cite news|url= https://nme-jp.com/news/49018/ |title= ラッシュのアレックス・ライフソン、バンドの終焉を宣言 |newspaper= NME Japan |date= 2018-01-22 |accessdate= 2022-08-09 }}</ref>が、この時点でニールの病は発覚しておりそれを受けての決定だったことも明かした。
==ディスコグラフィー==
===アルバム===
*[[1974年]] '''閃光のラッシュ''' ''RUSH''
*[[1975年]] '''夜間飛行''' ''FLY BY NIGHT''
*[[1975年]] '''鋼の抱擁''' ''CARESS OF STEEL''
*[[1976年]] '''世界を翔けるロック'''(ライヴ盤) ''ALL THE WOLRD'S A STAGE''
*[[1976年]] '''西暦2112年''' ''2112''
*[[1977年]] '''フェアウェル・トゥ・キングス''' ''A FAREWELL TO KINGS''
*[[1978年]] '''神々の戦い''' ''HEMISPHERES''
*[[1980年]] '''パーマネント・ウェイヴス''' ''PERMANENT WAVES''
*[[1981年]] '''ムーヴィング・ピクチャーズ''' ''MOVING PICTURES''
*[[1981年]] '''ラッシュ・ライヴ〜神話大全'''(ライヴ盤) ''EXIT...STAGE LEFT''
*[[1982年]] '''シグナルズ''' ''SIGNALS''
*[[1984年]] '''グレイス・アンダー・プレッシャー''' ''GRACE UNDER PRESSURE''
*[[1985年]] '''パワー・ウィンドウズ''' ''POWER WINDOWS''
*[[1987年]] '''ホールド・ユア・ファイア''' ''HOLD YOUR FIRE''
*[[1988年]] '''ラッシュ・ライヴ〜新約・神話大全'''(ライヴ盤) ''A SHOW OF HANDS''
*[[1989年]] '''プレスト''' ''PRESTO''
*[[1991年]] '''ロール・ザ・ボーンズ''' ''ROLL THE BONES''
*[[1993年]] '''カウンターパーツ''' ''COUNTERPARTS''
*[[1996年]] '''テスト・フォー・エコー''' ''TEST FOR ECHO''
*[[1998年]] '''ディファレント・ステージズ・ライヴ'''(ライヴ盤) ''DIFFERENT STAGES''
*[[2002年]] '''ヴェイパー・トレイルズ''' ''VAPOR TRAILS''
*[[2003年]] '''ラッシュ・イン・リオ'''(ライヴ盤) ''RUSH IN RIO''
*[[2004年]] '''フィード・バック'''(カヴァー・アルバム) ''FEEDBACK''
*[[2005年]] '''ルート30''' ''R30''(ライブ盤) DVD二枚のみ、CD二枚のみ、DVD二枚CD二枚のフルセット、の3バリエーションがある。


===ベストアルム===
== メン==
*[[ゲディー・リー]] (Geddy Lee) - ボーカル、ベース、キーボード、ペダルベース (1968年-2015年)
*[[1990年]] '''クロニクルス''' ''CHRONICLES''
*: [[ジョン・エントウィッスル]]らの影響を強く受けた所謂リードベースを弾きながら、「魔女」「鶏の首を絞めた声」と称される強力なハイトーンで歌うスタイルが特徴。更に曲中でベースとキーボードを交互に弾き分けたり、ベースを弾きながらペダルベースを演奏するというスタイルも持つ。 [[ミュージックシーケンサー|シーケンサー]]による自動演奏も援用するようにはなったが、「自分で弾ける限りは弾く」という基本姿勢があると言われる。使用しているベースは[[フェンダー・ジャズベース]]、[[リッケンバッカー]]、[[スタインバーガー]]、[[ウォル]]など。
:CD化に伴い前2作のライヴアルバムからカットされた「What You're Doing」(『ALL THE WOLRD'S A STAGE』収録)と「A Passage To Bangkok」(『EXIT...STAGE LEFT』収録)の2曲を収録したベスト盤。
*[[アレックス・ライフソン]] (Alex Lifeson) - ギター (1968年-2015年)
*[[1997年]] '''レトロスペクティブ 1''' ''RETROSPECTIVE I''
*: デビュー当初は[[ディストーション (音響機器)|ディストーション]]をかけたギターの[[リフ]]を主体としていたが、その後は音楽性の変遷に合わせ、80年代には[[ポリス (バンド)|ポリス]]の[[アンディ・サマーズ]]のようなコードカッティングと[[ディレイ (音響機器)|ディレイ]]処理を組み合わせ、90年代はグランジ風のオープンコードを駆使するなど様々な奏法を取り入れている。ライブ演奏においても、シーケンサーやテープとの[[同期]]を試み、ソロに多少のアレンジを加えた演奏をしている。近年ではキーボードを演奏することもある。
*[[1997年]] '''レトロスペクティブ 2''' ''RETROSPECTIVE II''
*[[ニール・パート]] (Neil Peart) - ドラムス、パーカッション (1974年-2015年)
:『1』は[[1974年]]から[[1980年]]まで、『2』は[[1981年]]から[[1987年]]までの年代に分けた2枚でひとつの[[ベストアルバム]]。
*: 「要塞」と俗称される、ありとあらゆる打楽器類<ref group="注">通常のドラムセットだけでも[[トムトム|タム]]類の多い方で、この上、[[ティンパニ]]、[[チューブラーベル|チューブラ・ベル]]、多数の[[カウベル]]、[[コンガ]]、[[ボンゴ]]、[[クラベス]]、[[タブラ]]、[[サルナ・ベル]]、[[拍子木]]、[[タンバリン]]、[[アゴゴ]]、[[ティンバレス]]、[[ウインドチャイム]]など。</ref>を並べたドラムセットを使用しており、[[テリー・ボジオ]]とともにその先駆者として知られる。ただし無駄な楽器は一切置かないことを信条としており、現在のセットはデジタルパーカッションの導入や[[2バス]]を1バスのツインペダルへと置換したこともあり(あくまで一時期に比べればだが)スリム化されている。ほぼ全ての楽曲で作詞を担当しており、内容は彼の乱読を反映してSFから社会風刺まで多岐に渡る。音楽活動以外では、自転車、オートバイで旅行するのが趣味であり、活動休止中の放浪の旅は88,000kmに及んだ。2020年1月7日、脳腫瘍のために逝去。
*[[2003年]] '''ザ・スピリット・オブ・レイディオ''' ''THE SPIRIT OF RADIO''
:[[1974年]]から[[1987年]]までの[[ベストアルバム]]。[[DVD]]が付属。


<gallery widths="180px" heights="135px">
===Juno Award受賞履歴===
Rush in Philly! 2012 (8095286482).jpg|ゲディー・リー(Vo/B/Key) 2012年
1975年:Most Promising Group of the Year(最も有望な新人に贈られる賞)<br />
Rush in Philly! 2012 (8095270029).jpg|アレックス・ライフソン(G) 2012年
1978年:Group of the Year<br />
Rush @ Bluesfest (4786682559).jpg|ニール・パート(Dr) 2010年
1979年:Group of the Year<br />
</gallery>
1991年:Best Hard Rock/Metal Album -「プレスト」(Presto)<br />
1992年:Hard Rock Album of the Year -「ロール・ザ・ボーンズ」(Roll The Bones)<br />
2004年:Music DVD of the Year -「ラッシュ・イン・リオ」(Rush In Rio)<br />
*Juno Award オフィシャル・サイトより[http://www.junoawards.ca/]<br />
ノミネートは殆ど毎年されているので割愛。


*ジョン・ラトジー (John Rutsey) (1952年-2008年) - ドラムス (1968年-1974年)
==日本公演==
*ジェフ・ジョーンズ (Jeff Jones) - ボーカル、ベース (1968年)
*[[1984年]] 11月16日・[[愛知県|愛知]][[瀬戸市]]文化センター、11月18日・[[福岡市|福岡]]サンパレス、11月20日・[[大阪府立体育会館]]、11月21日・[[日本武道館]]


== ディスコグラフィ ==
==関連項目==
=== スタジオ・アルバム ===
*[[プログレッシブ・ロック]]
{| class="wikitable"
*[[ハードロック]]
!style="width: 4.5em;"|発表年
*[[ドリーム・シアター]]
!アルバム・タイトル(邦題)
*[[レッド・ツェッペリン]]
!アルバム・タイトル(原題)
!style="text-align: center;"|US最高順位
!style="text-align: center;"|US売上枚数
|-
|1974年
|[[閃光のラッシュ]]
|''Rush''
|style="text-align: center;"|105
|style="text-align: right;"|500,000
|-
|1975年
|[[夜間飛行 (アルバム)|夜間飛行]]
|''Fly By Night''
|style="text-align: center;"|113
|style="text-align: right;"|1,000,000
|-
|1975年
|[[鋼の抱擁]]
|''Caress Of Steel''
|style="text-align: center;"|148
|style="text-align: right;"|500,000
|-
|1976年
|[[西暦2112年]]
|''2112''
|style="text-align: center;"|61
|style="text-align: right;"|3,000,000
|-
|1977年
|[[フェアウェル・トゥ・キングス]]
|''A Farewell To Kings''
|style="text-align: center;"|33
|style="text-align: right;"|1,000,000
|-
|1978年
|[[神々の戦い]]
|''Hemispheres''
|style="text-align: center;"|47
|style="text-align: right;"|1,000,000
|-
|1980年
|[[パーマネント・ウェイヴス]]
|''Permanent Waves''
|style="text-align: center;"|4
|style="text-align: right;"|1,000,000
|-
|1981年
|[[ムーヴィング・ピクチャーズ (ラッシュのアルバム)|ムーヴィング・ピクチャーズ]]
|''Moving Pictures''
|style="text-align: center;"|3
|style="text-align: right;"|4,000,000
|-
|1982年
|[[シグナルズ (ラッシュのアルバム)|シグナルズ]]
|''Signals''
|style="text-align: center;"|10
|style="text-align: right;"|1,000,000
|-
|1984年
|[[グレイス・アンダー・プレッシャー (ラッシュのアルバム)|グレイス・アンダー・プレッシャー]]
|''Grace Under Pressure''
|style="text-align: center;"|10
|style="text-align: right;"|1,000,000
|-
|1985年
|[[パワー・ウィンドウズ (ラッシュのアルバム)|パワー・ウィンドウズ]]
|''Power Windows''
|style="text-align: center;"|10
|style="text-align: right;"|1,000,000
|-
|1987年
|[[ホールド・ユア・ファイア (ラッシュのアルバム)|ホールド・ユア・ファイア]]
|''Hold Your Fire''
|style="text-align: center;"|13
|style="text-align: right;"|500,000
|-
|1989年
|[[プレスト (ラッシュのアルバム)|プレスト]]
|''Presto''
|style="text-align: center;"|16
|style="text-align: right;"|500,000
|-
|1991年
|[[ロール・ザ・ボーンズ (ラッシュのアルバム)|ロール・ザ・ボーンズ]]
|''Roll The Bones''
|style="text-align: center;"|3
|style="text-align: right;"|1,000,000
|-
|1993年
|[[カウンターパーツ (ラッシュのアルバム)|カウンターパーツ]]
|''Counterparts''
|style="text-align: center;"|2
|style="text-align: right;"|500,000
|-
|1996年
|[[テスト・フォー・エコー (ラッシュのアルバム)|テスト・フォー・エコー]]
|''Test For Echo''
|style="text-align: center;"|5
|style="text-align: right;"|500,000
|-
|2002年
|[[ヴェイパー・トレイルズ]]
|''Vapor Trails''
|style="text-align: center;"|6
|style="text-align: right;"|500,000
|-
|2007年
|[[スネークス・アンド・アローズ]]
|''Snakes & Arrows''
|style="text-align: center;"|3
|style="text-align: right;"|
|-
|2012年
|[[クロックワーク・エンジェルズ]]
|''Clockwork Angels
|style="text-align: center;"|2
|style="text-align: right;"|
|}


=== ライブ・アルバム ===
==オフィシャル・サイト==
{| class="wikitable"
http://www.rush.com/
!style="width: 4.5em;"|発表年
!アルバム・タイトル(邦題)
!アルバム・タイトル(原題)
!style="text-align: center;"|US最高順位
!style="text-align: center;"|US売上枚数
|-
|1976年
|[[ラッシュ・ライヴ・世界を翔けるロック]]
|''All The World's A Stage''
|style="text-align: center;"|40
|style="text-align: right;"|1,000,000
|-
|1981年
|[[ラッシュ・ライヴ〜神話大全]]
|''Exit...Stage Left''
|style="text-align: center;"|10
|style="text-align: right;"|1,000,000
|-
|1988年
|[[ラッシュ・ライヴ〜新約・神話大全]]
|''A Show Of Hands''
|style="text-align: center;"|21
|style="text-align: right;"|500,000
|-
|1998年
|[[ディファレント・ステージズ・ライヴ]]
|''Different Stages''
|style="text-align: center;"|35
|style="text-align: right;"|500,000
|-
|2003年
|[[ラッシュ・イン・リオ]]
|''Rush In Rio''
|style="text-align: center;"|33
|style="text-align: right;"|500,000
|-
|2005年
|[[ルート30 (アルバム)|ルート30]]
|''R30''
|style="text-align: center;"|-
|style="text-align: right;"|
|-
|2008年
|[[スネークス・アンド・アローズ・ライヴ]]
|''Snakes & Arrows Live''
|style="text-align: center;"|18
|style="text-align: right;"|
|-
|2013年
|[[クロックワーク・エンジェルズ・ツアー]]
|''Clockwork Angels Tour
|style="text-align: center;"|33
|style="text-align: right;"|
|-
|2015年
|[[R40 Live]]
|''R40 Live
|style="text-align: center;"|24
|style="text-align: right;"|
|}


=== EP ===
[[Category:カナダのバンド|らつしゆ]]
{| class="wikitable"
[[Category:プログレッシブ・ロック|らつしゆ]]
!style="width: 4.5em;"|発表年
[[Category:ハードロック|らつしゆ]]
!アルバム・タイトル(邦題)
[[Category:ヘヴィメタル・バンド|らつしゆ]]
!アルバム・タイトル(原題)
!style="text-align: center;"|US最高順位
!style="text-align: center;"|US売上枚数
|-
|2004年
|[[フィードバック (ラッシュのアルバム)|フィードバック]]
|''Feedback''
|style="text-align: center;"|19
|style="text-align: right;"|
|}


=== コンピレーション・アルバム ===
[[de:Rush]]
*『クロニクルス』 - ''Chronicles'' (1990年)
[[en:Rush (band)]]
*: CD化に伴い前2作のライブ・アルバムからカットされた「What You're Doing」(『ラッシュ・ライヴ・世界を翔けるロック』収録)と「A Passage To Bangkok」(『ラッシュ・ライヴ〜神話大全』収録)の2曲を収録した[[ベスト・アルバム]]。
[[es:Rush]]
*『ベスト・オブ・ラッシュ1 1974-1980』 - ''Retrospective I'' (1997年)
[[fi:Rush]]
*『ベスト・オブ・ラッシュ2 1981-1987』 - ''Retrospective II'' (1997年)
[[fr:Rush]]
*: 『1』は1974年から1980年まで、『2』は1981年から1987年までの年代に分けた2枚でひとつのベスト・アルバム。
[[he:ראש (להקה)]]
*『ザ・スピリット・オブ・レイディオ〜グレイテスト・ヒッツ 1974-1987』 - ''The Spirit of Radio: Greatest Hits 1974–1987'' (2003年)
[[id:Rush (band)]]
*: 1974年から1987年までのベスト・アルバム。DVDが付属。
[[it:Rush]]
*『ベスト・オブ・ラッシュ3 1989-2008』 - ''Retrospective III: 1989–2008'' (2009年)
[[nl:Rush (band)]]
*: 『3』は1989年から2008年までの年代のベスト・アルバム。
[[no:Rush]]

[[pl:Rush (zespół muzyczny)]]
== 受賞歴 ==
[[pt:Rush]]
=== ジュノー賞受賞歴 ===
[[simple:Rush (band)]]
[http://www.junoawards.ca/ ジュノー賞公式ウェブサイト]より。ノミネートはほとんど毎年されているので割愛。
[[sv:Rush]]
* 1975年:Most Promising Group of the Year(最も有望な新人に贈られる賞)
[[zh:匆促樂團]]
* 1978年:Group of the Year
* 1979年:Group of the Year
* 1991年:Best Hard Rock/Metal Album - 『プレスト』(Presto)
* 1992年:Hard Rock Album of the Year - 『ロール・ザ・ボーンズ』(Roll The Bones)
* 2004年:Music DVD of the Year - 『ラッシュ・イン・リオ』(Rush In Rio)

== 来日公演 ==
{{colbegin|2}}
* ''Grace Under Pressure Tour''(1984年)
** 11月16日 瀬戸 瀬戸市文化センター
** 11月18日 福岡 [[福岡サンパレス]]
** 11月20日 大阪 [[大阪府立体育会館]]
** 11月21日 東京 [[日本武道館]]
{{colend}}

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}

== 関連項目 ==
* [[プログレッシブ・ロック]]
* [[ハードロック]]
* [[レッド・ツェッペリン]]
* [[ヒュー・サイム]] ほとんどの作品のカヴァー・アートを手がける。

== 外部リンク ==
{{commonscat|Rush (band)}}
* [https://www.rush.com/ RUSH - The official band web site] {{En icon}}
* [https://wmg.jp/rush/ ワーナーミュージック・ジャパン - ラッシュ]

{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:らつしゆ}}
[[Category:カナダのハードロック・バンド]]
[[Category:カナダのプログレッシブ・ロック・バンド]]
[[Category:3人組の音楽グループ]]
[[Category:ロックの殿堂入りの人物]]
[[Category:1968年に結成した音楽グループ]]
[[Category:2015年に解散した音楽グループ]]

2025年1月6日 (月) 00:57時点における最新版

ラッシュ

1970年代 左からゲディー・リー、ニール・パート、アレックス・ライフソン
基本情報
出身地
ジャンル
活動期間 1968年 - 2015年
レーベル
公式サイト rush.com
旧メンバー

ラッシュRush)は、カナダ出身のスリーピースロックバンド。同国の国民的グループであり、北米におけるプログレッシブ・ロックの先駆者としても知られる。母国最大の音楽賞『ジュノー賞』を数多く受賞し、1994年に同殿堂入り。2013年には『ロックの殿堂』入りも果たした[7]

来歴

[編集]
イタリア・ミラノ公演(2004年9月)
カナダ・オタワ公演(2007年9月)
カナダ・トロント公演(2010年7月)
USワシントンD.C.公演(2012年9月)

1968年、トロントの郊外ウィローデイルにてアレックス・ライフソンジェフ・ジョーンズ英語版ジョン・ラトジー英語版の3人で結成。同年、ジェフ・ジョーンズが脱退し、二代目ベーシストとしてアレックスの友人ゲディー・リーが加入。

1974年、結成6年目にプロ・デビューを果たす。デビュー後、アメリカ・ツアーを前にドラムスニール・パートに変わり、以降、解散するまで不動のラインナップとして続いた。

デビューとその時代背景

[編集]

彼らのデビューした1974年当時はレッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)の全盛時代で、彼らも類に洩れずツェッペリンの影響を強く受け、デビュー当初はレッド・ツェッペリン直系と言えるストレートで骨太なサウンドの典型的ハードロック・バンドであった。しかし、記者などからはカナダの新しいまたツェッペリンとは違った音もこの時から感じられたという。

ハードロック・バンドからの脱皮

[編集]

デビュー・アルバム発表の殆ど直後というタイミングで、ドラムスがニール・パートにメンバー・チェンジしたことが、バンドにとっての転機となった。彼は哲学的な詞をバンドに提供し、これをサウンドで表現しようとすることが動機となり、その後プログレッシブ・ロック的な発展をしていくこととなる。アルバム『フェアウェル・トゥ・キングス』ではシンセサイザーを用いている。

プログレ色と大作主義

[編集]

ハードロック・バンドとしてのキャリアの集大成となるのが『西暦2112年』であり、次作『フェアウェル・トゥ・キングス』では、よりプログレッシブ・ロックのサウンドを志向していく。この頃の歌詞はファンタジーやSFを題材とするものが多かったが、作詞を担当するニール・パートの読む書物はヘミングウェイなどの現代文学へと移っていった。収録の最終曲「Cygnus X-1 Book 1」を、大作主義的曲になることを匂わせた上で「to be continued(続く…)」としてしまった。実際この段階では次作を構想しており、この予告編としてこれを入れたのである。次作『神々の戦い』に収録された、続編となる曲である「Cygnus X-1 Book II: Hemispheres」では、その後のニール・パートの歌詞の作風となる「少ない単語で端的に言い表す」ものに変化しつつある。

演奏面においては、イエスキング・クリムゾンといった難解な演奏をするプログレッシブ・ロックからの影響を受けた、長編曲で複雑な拍子記号の変化を特徴とする、非常にダイナミックなものになっていき、これはラッシュの特徴となっていった。アレックス・ライフソンは、クラシックギター12弦ギターを導入し、ゲディー・リーは、バスペダル・シンセサイザーとミニモーグを導入、ニール・パートのドラムセットも、トライアングルグロッケンシュピールウッドブロックティンパニゴングなど多様化していった。

ラッシュらしさの確立

[編集]

次作『パーマネント・ウェイヴス』では、レゲエニュー・ウェイヴの要素を取り入れ、今までのプログレ路線から大きく路線変更した[8]。その背景としては、シンセサイザーの導入が増えたことと、レーベルの強い意向もあり、ラジオで流すことのできる短い曲を収録したことが挙げられる。そうして生まれたのが「The Spirit of Radio」や「Freewill」であり、この「耳馴染み易いポップな歌」と「技巧性の高い演奏&複雑なリズムアレンジ」との両立が、以降のラッシュのスタイルになっていく。

ニール・パートの歌詞は、前作『神々の戦い』ですでに見られていた現代文学からの影響をより色濃く反映するようになり、空想的な話や寓話的なものではなく、人間的・社会的なテーマの探求に重点を置いたものになっていく。

『パーマネント・ウェイヴス』は、前述したシングル2曲の貢献もあって、バンド初の全米トップ5を獲得した[9]。翌1981年に代表作となる『ムーヴィング・ピクチャーズ』をリリース。全米3位を記録し、「トム・ソーヤ」「YYZ」「ライムライト」など、バンドの代表曲となるものも生まれ、人気は頂点に達した。

以降、1980年代のラッシュのサウンドはシンセサイザーを中心としたものに変容する。バンドは長きにわたってプロデュースを担当してきたテリー・ブラウンに代わる新しいプロデューサーとしてピーター・コリンズを招き、ゲディー・リーによる、複数のシンセサイザーのサウンドを重ね合わせたものを核とする。1990年代からは、ギターサウンドに回帰したアルバムを出すようになり、1991年に発表した『ロール・ザ・ボーンズ』ではファンクヒップホップの要素を見せ、インストゥルメンタル・トラック 「ウェアズ・マイ・シングス?」ではいくつかのジャズの要素を取り入れている[10]

このように、時代に合わせてサウンドを変化させながら順調に活動していたラッシュだったが、1997年の『テスト・フォー・エコー』ツアー終了後、娘を交通事故、翌年妻をで立て続けに失う不幸がニールを襲う。

バンドの終焉

[編集]

悲嘆に暮れたニールはバンド活動への意欲も失い、1998年にバンドは活動を休止する。その間、ニール・パートは放浪の旅に出て、バイクで北米全土(88,000 km)を旅した[11]

一時期は完全な解散も示唆されていたが、2001年に活動を再開し、翌年『ヴェイパー・トレイルズ』を発表。音楽性は純粋なハードロック・サウンドへと回帰した。最新作『クロックワーク・エンジェルズ』はハードロック調の楽曲にストーリー性を持たせた歌詞を乗せたコンセプト・アルバムという、プログレ時代を髣髴とさせる作品となっている。

2015年にデビュー40周年記念ツアー「R40」を開催。ニールの腱鞘炎悪化のため、これがファイナルツアーになると発表された[12]

「R40」ツアー終了時点では活動継続の意思を示していた[13]が、その後ニールはドラマーとして完全に引退し、復帰することなく2020年1月7日脳腫瘍のために逝去[14]。ニールの死を受けて、アレックスはラッシュは2015年に活動終了したと改めて宣言された[15]。また2018年時点のインタビューでニールのドラマー引退とラッシュに活動継続の意思がない旨を述べている[16]が、この時点でニールの病は発覚しておりそれを受けての決定だったことも明かした。

メンバー

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  • ゲディー・リー (Geddy Lee) - ボーカル、ベース、キーボード、ペダルベース (1968年-2015年)
    ジョン・エントウィッスルらの影響を強く受けた所謂リードベースを弾きながら、「魔女」「鶏の首を絞めた声」と称される強力なハイトーンで歌うスタイルが特徴。更に曲中でベースとキーボードを交互に弾き分けたり、ベースを弾きながらペダルベースを演奏するというスタイルも持つ。 シーケンサーによる自動演奏も援用するようにはなったが、「自分で弾ける限りは弾く」という基本姿勢があると言われる。使用しているベースはフェンダー・ジャズベースリッケンバッカースタインバーガーウォルなど。
  • アレックス・ライフソン (Alex Lifeson) - ギター (1968年-2015年)
    デビュー当初はディストーションをかけたギターのリフを主体としていたが、その後は音楽性の変遷に合わせ、80年代にはポリスアンディ・サマーズのようなコードカッティングとディレイ処理を組み合わせ、90年代はグランジ風のオープンコードを駆使するなど様々な奏法を取り入れている。ライブ演奏においても、シーケンサーやテープとの同期を試み、ソロに多少のアレンジを加えた演奏をしている。近年ではキーボードを演奏することもある。
  • ニール・パート (Neil Peart) - ドラムス、パーカッション (1974年-2015年)
    「要塞」と俗称される、ありとあらゆる打楽器類[注 1]を並べたドラムセットを使用しており、テリー・ボジオとともにその先駆者として知られる。ただし無駄な楽器は一切置かないことを信条としており、現在のセットはデジタルパーカッションの導入や2バスを1バスのツインペダルへと置換したこともあり(あくまで一時期に比べればだが)スリム化されている。ほぼ全ての楽曲で作詞を担当しており、内容は彼の乱読を反映してSFから社会風刺まで多岐に渡る。音楽活動以外では、自転車、オートバイで旅行するのが趣味であり、活動休止中の放浪の旅は88,000kmに及んだ。2020年1月7日、脳腫瘍のために逝去。
  • ジョン・ラトジー (John Rutsey) (1952年-2008年) - ドラムス (1968年-1974年)
  • ジェフ・ジョーンズ (Jeff Jones) - ボーカル、ベース (1968年)

ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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発表年 アルバム・タイトル(邦題) アルバム・タイトル(原題) US最高順位 US売上枚数
1974年 閃光のラッシュ Rush 105 500,000
1975年 夜間飛行 Fly By Night 113 1,000,000
1975年 鋼の抱擁 Caress Of Steel 148 500,000
1976年 西暦2112年 2112 61 3,000,000
1977年 フェアウェル・トゥ・キングス A Farewell To Kings 33 1,000,000
1978年 神々の戦い Hemispheres 47 1,000,000
1980年 パーマネント・ウェイヴス Permanent Waves 4 1,000,000
1981年 ムーヴィング・ピクチャーズ Moving Pictures 3 4,000,000
1982年 シグナルズ Signals 10 1,000,000
1984年 グレイス・アンダー・プレッシャー Grace Under Pressure 10 1,000,000
1985年 パワー・ウィンドウズ Power Windows 10 1,000,000
1987年 ホールド・ユア・ファイア Hold Your Fire 13 500,000
1989年 プレスト Presto 16 500,000
1991年 ロール・ザ・ボーンズ Roll The Bones 3 1,000,000
1993年 カウンターパーツ Counterparts 2 500,000
1996年 テスト・フォー・エコー Test For Echo 5 500,000
2002年 ヴェイパー・トレイルズ Vapor Trails 6 500,000
2007年 スネークス・アンド・アローズ Snakes & Arrows 3
2012年 クロックワーク・エンジェルズ Clockwork Angels 2

ライブ・アルバム

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発表年 アルバム・タイトル(邦題) アルバム・タイトル(原題) US最高順位 US売上枚数
1976年 ラッシュ・ライヴ・世界を翔けるロック All The World's A Stage 40 1,000,000
1981年 ラッシュ・ライヴ〜神話大全 Exit...Stage Left 10 1,000,000
1988年 ラッシュ・ライヴ〜新約・神話大全 A Show Of Hands 21 500,000
1998年 ディファレント・ステージズ・ライヴ Different Stages 35 500,000
2003年 ラッシュ・イン・リオ Rush In Rio 33 500,000
2005年 ルート30 R30 -
2008年 スネークス・アンド・アローズ・ライヴ Snakes & Arrows Live 18
2013年 クロックワーク・エンジェルズ・ツアー Clockwork Angels Tour 33
2015年 R40 Live R40 Live 24

EP

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発表年 アルバム・タイトル(邦題) アルバム・タイトル(原題) US最高順位 US売上枚数
2004年 フィードバック Feedback 19

コンピレーション・アルバム

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  • 『クロニクルス』 - Chronicles (1990年)
    CD化に伴い前2作のライブ・アルバムからカットされた「What You're Doing」(『ラッシュ・ライヴ・世界を翔けるロック』収録)と「A Passage To Bangkok」(『ラッシュ・ライヴ〜神話大全』収録)の2曲を収録したベスト・アルバム
  • 『ベスト・オブ・ラッシュ1 1974-1980』 - Retrospective I (1997年)
  • 『ベスト・オブ・ラッシュ2 1981-1987』 - Retrospective II (1997年)
    『1』は1974年から1980年まで、『2』は1981年から1987年までの年代に分けた2枚でひとつのベスト・アルバム。
  • 『ザ・スピリット・オブ・レイディオ〜グレイテスト・ヒッツ 1974-1987』 - The Spirit of Radio: Greatest Hits 1974–1987 (2003年)
    1974年から1987年までのベスト・アルバム。DVDが付属。
  • 『ベスト・オブ・ラッシュ3 1989-2008』 - Retrospective III: 1989–2008 (2009年)
    『3』は1989年から2008年までの年代のベスト・アルバム。

受賞歴

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ジュノー賞受賞歴

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ジュノー賞公式ウェブサイトより。ノミネートはほとんど毎年されているので割愛。

  • 1975年:Most Promising Group of the Year(最も有望な新人に贈られる賞)
  • 1978年:Group of the Year
  • 1979年:Group of the Year
  • 1991年:Best Hard Rock/Metal Album - 『プレスト』(Presto)
  • 1992年:Hard Rock Album of the Year - 『ロール・ザ・ボーンズ』(Roll The Bones)
  • 2004年:Music DVD of the Year - 『ラッシュ・イン・リオ』(Rush In Rio)

来日公演

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脚注

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注釈

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  1. ^ 通常のドラムセットだけでもタム類の多い方で、この上、ティンパニチューブラ・ベル、多数のカウベルコンガボンゴクラベスタブラサルナ・ベル拍子木タンバリンアゴゴティンバレスウインドチャイムなど。

出典

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  1. ^ Greene, Doyle (2012). Teens, TV and Tunes: The Manufacturing of American Adolescent Culture. Jefferson, North Carolina: McFarland, Incorporated, Publishers. p. 182. ISBN 978-0-786-48972-5 
  2. ^ McDonald, Chris (2009). Rush, Rock Music, and the Middle Class: Dreaming in Middletown. Bloomington, Indiana: Indiana University Press. pp. 74, 127. ISBN 978-0-253-22149-0. "...Rush's hard rock orientation... Rush's hard rock roots..." 
  3. ^ a b Bowman, Durrell; Berti, Jim (2011). Rush and Philosophy: The Heart and Mind United. Open Court Press. p. 287. ISBN 978-0-812-69716-2. "Rush mainly demonstrates 'Canadianness' by combining such British and American influences as progressive rock, hard rock, and individualism." 
  4. ^ a b c Bowman, Durrell (2014). Experiencing Rush: A Listener's Companion. Lanham, Maryland: Rowman & Littlefield. p. 29. ISBN 978-1-442-23130-6. "...Rush's hybrid of heavy metal, hard rock, and progressive rock." 
  5. ^ Sanneh, Kelefa (2017年6月12日). “The Persistence of Prog Rock”. The New Yorker. Condé Nast. 2023年4月7日閲覧。
  6. ^ Stuessy, Joe; Lipscomb, Scott D. (2003). Rock and Roll: Its History and Stylistic Development (4th ed.). New Jersey: Prentice Hall. p. 326. ISBN 978-0-130-99370-0 
  7. ^ カナダのロックバンド、ラッシュが殿堂入り! - シネマトゥデイ
  8. ^ Geoff Barton (2006). “Rush: Progressive to the Core”. Classic Rock: 97. 
  9. ^ (英語) Permanent Waves - Rush | Songs, Reviews, Credits | AllMusic, https://www.allmusic.com/album/permanent-waves-mw0000195594 2020年8月30日閲覧。 
  10. ^ (英語) Roll the Bones - Rush | Songs, Reviews, Credits | AllMusic, https://www.allmusic.com/album/roll-the-bones-mw0000268432 2020年8月30日閲覧。 
  11. ^ Peart, Neil. (2002). Ghost rider : travels on the healing road. Toronto: ECW Press. ISBN 1-55022-546-4. OCLC 49796529. https://www.worldcat.org/oclc/49796529 
  12. ^ “ラッシュ、ドラムのニール・パートが引退の意向について語る”. NME Japan. (2015年12月8日). https://nme-jp.com/news/10180/ 2020年1月11日閲覧。 
  13. ^ “ラッシュ「ニールはツアーをやらない理由を説明しただけ」”. BARKS (ジャパンミュージックネットワーク). (2015年12月9日). https://www.barks.jp/news/?id=1000122236 2020年1月11日閲覧。 
  14. ^ “ニール・パート氏が死去、67歳 「ラッシュ」のドラマー”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2020年1月11日). https://www.sanspo.com/article/20200111-UZN77XL4ABMK3DDWAA345AZKQQ/ 2020年1月11日閲覧。 
  15. ^ “ラッシュのアレックス・ライフソン、ニール・パートなしでバンドが再結成することはないと語る”. NME Japan. (2021年7月5日). https://nme-jp.com/news/104375/ 2022年8月9日閲覧。 
  16. ^ “ラッシュのアレックス・ライフソン、バンドの終焉を宣言”. NME Japan. (2018年1月22日). https://nme-jp.com/news/49018/ 2022年8月9日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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