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「沖島 (愛知県)」の版間の差分

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'''沖島'''(おきしま)とは、[[三河湾]]にある[[三河湾国定公園]]内の[[島]]。対岸(東幡豆海岸)から約1.5km離れた[[無人島]]であり、面積は約8ha。[[愛知県]][[西尾市]]に属する。別名・'''猿が島'''(さるがしま)、'''弁天島'''<ref name=HZ3-312>{{Cite book|和書|author=西尾市史編さん委員会(編)|year=2013|title=幡豆町史 本文編3 近代・現代|publisher=西尾市|page=312}}</ref>


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== 歴史 ==
== 歴史 ==
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[[Category:西尾市の地理]]
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2024年12月8日 (日) 13:25時点における最新版

沖島
三河湾に浮かぶ無人島の沖島
所在地 日本の旗 日本
所在海域 三河湾
座標 北緯34度46分17秒 東経137度8分45秒 / 北緯34.77139度 東経137.14583度 / 34.77139; 137.14583座標: 北緯34度46分17秒 東経137度8分45秒 / 北緯34.77139度 東経137.14583度 / 34.77139; 137.14583
面積 約0.08 km²
最高標高 32 m
沖島の位置(愛知県内)
沖島
沖島
沖島 (愛知県)
沖島の位置(日本内)
沖島
沖島
沖島 (日本)
プロジェクト 地形
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沖島(おきしま)とは、三河湾にある三河湾国定公園内の。対岸(東幡豆海岸)から約1.5km離れた無人島であり、面積は約8ha。愛知県西尾市に属する。別名・猿が島(さるがしま)、弁天島[1]

島内はシイタブノキモチノキが生い茂る照葉樹林の森林となっている。島の中央部に神社(沖嶋社)があり、全島が境内である[2]

歴史

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沖島はその植生から、古くから植物研究目的での来島者がいた[2]。1950年代には前島と共に観光開発が図られ、島を巡回する遊覧船が就航している[3]。前島が名古屋鉄道の手によりウサギなどを放し飼いにした「うさぎ島」として開発されたのに対し、沖島は日本モンキーセンターの支所として小豆島で捕獲した野生のニホンザル36頭が学術研究用に放たれ、「猿が島」と呼ばれるようになった[4]。両島は公益財団法人日本モンキーセンターが運営する三河湾海上動物園となり、沖嶋社の拝殿に隣接してニホンザル展示館が建設された。東幡豆港・前島・沖島・西浦港間の定期船も1958年9月から就航した[5]。その後ニホンザルの数は90頭にまで増えた[6][注釈 1]

経営悪化により1997年平成9年)11月30日に三河湾海上動物園は閉園[7]。放し飼いにされていたニホンザルは日本モンキーパークに引き取られている。閉園時に定期船も廃止され[8]、現在は潮干狩りシーズン中に漁協による船が就航するのみである。

脚注

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注釈

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  1. ^ このほかキンケイシマリスなども放し飼いされていた。

出典

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  1. ^ 西尾市史編さん委員会(編)『幡豆町史 本文編3 近代・現代』西尾市、2013年、312頁。 
  2. ^ a b 西尾市史編さん委員会(編)『幡豆町史 本文編3 近代・現代』西尾市、2013年、316頁。 
  3. ^ 西尾市史編さん委員会(編)『幡豆町史 本文編3 近代・現代』西尾市、2013年、313頁。 
  4. ^ 西尾市史編さん委員会(編)『幡豆町史 本文編3 近代・現代』西尾市、2013年、316-317頁。 
  5. ^ 西尾市史編さん委員会(編)『幡豆町史 本文編3 近代・現代』西尾市、2013年、318頁。 
  6. ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名鉄電車・バス時刻表』 VOL.3、名古屋鉄道、1986年、168頁。 
  7. ^ 名鉄120年史編纂委員会事務局(編)『名鉄120年:近20年のあゆみ』名古屋鉄道、2014年、184頁。 
  8. ^ 西尾市史編さん委員会(編)『幡豆町史 本文編3 近代・現代』西尾市、2013年、401頁。 

関連項目

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外部リンク

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