コンテンツにスキップ

「SPANK HAPPY」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m 外部リンクの修正 http:// -> https:// (mikiki.tokyo.jp) (Botによる編集)
 
(27人の利用者による、間の43版が非表示)
1行目: 1行目:
{{Infobox Musician <!-- プロジェクト:音楽家を参照 -->
'''SPANK HAPPY'''(スパンク・ハッピー)は[[日本]]の[[ポップ・ミュージック]][[音楽ユニット|ユニット]]である。
| 名前 = SPANK HAPPY<!-- 日本人の個人名の場合、姓と名がある場合は間に半角スペースを入れる -->
| 画像 = <!-- 画像ファイル名 -->
| 画像説明 = <!-- 画像の説明文 -->
| 画像サイズ = <!-- サイズが幅250ピクセルに満たない場合のみ記入 -->
| 画像補正 = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 -->
| 背景色 = <!-- singer/group/bandなど -->
| 出生名 = <!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 -->
| 別名 = スパンクス<!-- ミュージシャン/グループの別名を記載。愛称や略称ではありません -->
| 出生 = <!-- 個人のみ --><!-- {{生年月日と年齢|XXXX|XX|XX}} 出生地が出身地と異なる場合、生年月日の後に記入 -->
| 出身地 = {{JPN}} <!-- {{JPN}}・XX都道府県YY市区町村 -->
| 死没 = <!-- 個人のみ --><!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} -->
| 学歴 = <!-- 個人のみ -->
| ジャンル = {{Hlist-comma|[[テクノポップ]]|[[シンセポップ]]|[[ダンス・ポップ]]|[[ディスコ (音楽)|ディスコ]]|[[エレクトロニカ]]|[[ハウス (音楽)|ハウス]]|[[J-POP]]|[[エレクトロクラッシュ]]}}
| 職業 = <!-- 個人のみ -->
| 担当楽器 = <!-- 個人のみ -->
| 活動期間 = [[1992年]] - [[2006年]]・[[2018年]] -
| レーベル = {{Hlist-comma|[[EMIミュージックジャパン|東芝EMI]]|[[ベルウッド・レコード|ベルウッド]]|[[キングレコード|キング]]}}
| 配偶者 = <!-- 個人のみ -->
| 著名な家族 = <!-- 個人のみ -->
| 事務所 =
| 共同作業者 = {{Hlist-comma|[[カヒミ・カリィ]]|[[今堀恒雄]]|[[パードン木村]]|[[オオエタツヤ|Captain Funk]]|[[矢野博康]]|[[野宮真貴]]|[[奥田健介]]|千ヶ崎学|Gaelle Cloarec|Richard Counord|上林俊雅}}
| 公式サイト =
| メンバー = '''第一期'''<br />[[ハラミドリ]]<br />[[菊地成孔]]<br />[[河野伸]]<br />'''第二期'''<br />菊地成孔<br />岩澤瞳<br />'''(岩澤脱退後)'''<br />菊地成孔<br />ドミニク・ツァイ<!-- グループのみ --><br />'''第三期'''<br />Boss the NK a.k.a. 菊地成孔<br />OD a.k.a. [[小田朋美]]<!-- グループのみ -->
| 旧メンバー = <!-- グループのみ -->
| 著名使用楽器 = <!-- 個人のみ -->
}}
'''SPANK HAPPY'''(スパンク・ハッピー)は[[日本]]の[[ポップ・ミュージック]]グループ(初期)、[[デュエット]]チーム(後期)である。[[1992年]]結成、[[2006年]]10月に解散。[[2018年]]に再始動<ref>[https://www.cinra.net/article/interview-201807-spankhappy 『SPANK HAPPY再始動 2人が今、ここで組む理由を語る』]、CINRA.NET、2018年7月11日(2018年8月18日閲覧)。</ref>。


== メンバー ==
[[1992年]]に、[[ハラミドリ]]([[ヴォーカル]])、[[菊地成孔]]([[サックス]])、[[河野伸]]([[キーボード (楽器)|キーボード]])で結成。[[1994年]][[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]よりデビュー、[[1998年]]のハラミドリ脱退で活動休止。[[1999年]]に岩澤瞳と菊地成孔とのヴォーカルデュオグループとして活動再開、[[2001年]]、[[ベルウッドレコード]]より再デビュー。[[2004年]]の岩澤脱退後、新ヴォーカルにドミニク・ツァイを迎えるがわずかな期間で脱退、以降は[[2006年]]10月22日の解散まで女性ヴォーカルを固定しないユニットとして活動した。グループ名は菊地の発案による[[スラップ・ハッピー|SLAPP HAPPY]]のもじりであり、ヴォーカルであったダグマー・クラウゼ自身からも許諾を得たという。
*'''第一期'''
**[[菊地成孔]](サックス)
**[[ハラミドリ]](ボーカル)1998年脱退
**[[河野伸]](キーボード・作曲)1997年脱退
*'''第二期'''
**菊地成孔(ヴォーカル、サックス)
**岩澤瞳(ボーカル)2004年引退
*'''岩澤脱退後'''
**菊地成孔(ヴォーカル、サックス)
**ドミニク・ツァイ(2004年9月11日のバンコク公演を無断キャンセル、自然消滅的に脱退)
**[[野宮真貴]] 2006年10月20日、22日にゲスト参加
***そのほか3名の女性がゲストとして参加
***ドミニク脱退後は、女性ヴォーカルに毎回違う人をゲストに招聘した。
<!--リンク切れ:''※[http://www.kikuchinaruyoshi.com/dernieres.php?n=061019200707 2006年10月19日の菊地成孔ホームページ内の記述]では、そのうち一名の姓名が縣亜希と明らかにされている。''-->

*'''第三期'''
**Boss the NK a.k.a. 菊地成孔
**OD a.k.a. [[小田朋美]]

== 概要 ==
結成当初はリーダーを持たない平等なユニットであったが、河野とハラが相次いで脱退し岩澤が加入して以降、菊地が実質的なリーダーとして活動していた。ハラミドリ脱退までを「第一期」または旧スパンクス、岩澤瞳加入から2006年の解散までを「第二期」または新スパンクス、2018年の再始動以降を「第三期」と呼ぶ。「第二期」と言えば岩澤在籍時の期間のみを指すこともあるが、岩澤脱退から2006年の解散までの時期について菊地は「この時期を、第三期、第四期、という風に数えないのは、単に音源の発売が無かったからで、マイルスに於けるロストクインテットのようなものです」<ref name="『スパンクハッピー活動再開に際して/菊地成孔と小田朋美による共同声明』">[https://www.kikuchinaruyoshi.net/2018/06/20/%E3%82%B9%E3%83%91%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%8F%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%BC%E6%B4%BB%E5%8B%95%E5%86%8D%E9%96%8B%E3%81%AB%E9%9A%9B%E3%81%97%E3%81%A6-%E8%8F%8A%E5%9C%B0%E6%88%90%E5%AD%94%E3%81%A8%E5%B0%8F%E7%94%B0%E6%9C%8B%E7%BE%8E%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E5%85%B1%E5%90%8C%E5%A3%B0%E6%98%8E/ 『スパンクハッピー活動再開に際して/菊地成孔と小田朋美による共同声明』]、第三インターネット、2018年6月20日(2018年8月18日閲覧)。</ref> と説明している。また菊地は第三期を「最終SPANK HAPPY」と位置付けている<ref name="『スパンクハッピー活動再開に際して/菊地成孔と小田朋美による共同声明』"/>。

グループ名は菊地の発案によるもので、[[ドイツ]]のグループ「[[スラップ・ハッピー]]({{Lang-en-short|Slapp Happy}})」の[[パロディ|もじり]]であり、ヴォーカルであった[[ダグマー・クラウゼ]]自身からも許諾を得たという。

第二期のSPANK HAPPYについて菊地は、自身と岩澤との年齢差が16歳離れていて、「年の離れたデュエットチームというあまり日本の音楽シーンに無いという部分がアイデンティティです」と発言していた。また、[[ヒットチャート]]を狙うつもりでいたが、次第にアーティスティックになっていき、もっと時代や日本という国に必要な物とかがきっとあるだろうという風に考えが変わってきたと述べた。


サウンド面では、菊地が個人的に幼少時に強烈な印象を受け愛好している[[ファッションショー]]の為の音楽、「ウォーキング・ミュージック」なる菊地が仮定した概念へのアプローチが強く、「[[ヒットチャート]]を狙う・アーティスティックに」という表面上のアティテュードの変化はあるとしても、根本にあるのはファッションショーで使われる音楽にしたいと述べた。制作中、常に色んな時代の色んな[[メゾン]]のファッションショーをモニターに映していたという。
結成当初はリーダーを持たない平等なユニットであったが、河野とハラが相次いで脱退し岩澤が加入して以降、菊地が実質的なリーダーとして活動していた。以下では、ハラミドリ脱退までを「第一期」または旧スパンクス、岩澤瞳加入から脱退までを「第二期」、ドミニク・ツァイ加入から解散までを「第三期」、第二期と第三期を合わせて新スパンクスと呼ぶ。


また、「'''Vendôme, La Sick Kaiseki'''」の詞で述べられている様に、菊地が[[ウィーン]]に訪れた際、[[ニューイヤーコンサート]]にて大人も子供も[[燕尾服]]・[[モーニングコート|モーニング]]・[[礼服|フォーマルウェア]]・[[ワルツ]]用の格好でビシッとしていながら、そのまま二次会ではクラブイベントがあり、同じウィーンの大舞踏会場の違う部屋に[[BOSE]]のスピーカーが置いてあり、二階の上の席に[[DJ]]ブースが付いていて、[[バリライト]]があり、聞いた事も無いクラブ・ミュージックが流れみんなが踊っているという光景に衝撃を受け、「これがSPANK HAPPYだなと思いました。ああいう事を日本で出来たら面白いなと思いました。」と語った。
[[2007年]]10月、「第一期」のアルバム2枚([[ボーナストラック]]としてシングル曲や未発表曲を追加)が[[EMIミュージック・ジャパン]]より復刻された。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
=== 第一期 ===
=== 第一期 ===
1992年に、ハラミドリ(ヴォーカル)、菊地成孔(サックス)、河野伸(キーボード)のメンバーで結成される。音楽性としてはヴォーカル中心のポップスで、ヒットチャートに乗るような音楽を目指していたという。作詞は菊地とハラ、作曲は全員の持ち寄りだった。楽曲トラックの制作においては、現役ジャズマンである菊地がブラスアレンジメントを担当。アイドルのオケ制作などをしていた河野が、全体のアレンジに大きな影響力を持っていたことが伺われる
1992年に、[[ハラミドリ]][[ボーカル|ヴォーカル]])、[[菊地成孔]][[サクソフォーン|サックス]])、[[河野伸]][[キーボード (楽器)|キーボード]])のメンバーで結成される。音楽性としてはヴォーカル中心のポップスで、ヒットチャートに乗るような音楽を目指していたという。作詞は菊地とハラ、作曲は全員の持ち寄りだった。楽曲トラックの制作においては、現役ジャズマンである菊地がブラスアレンジメントを担当。アイドルのオケ制作などをしていた河野が、全体のアレンジに大きな影響力を持っていた。


1994年東芝EMIからレコードデビュー、楽曲がテレビ番組のテーマ曲に使用されることがあったが、大きなヒットには至らなかった。しかしながら、ジャズマンでもある菊地が知り合いの凄腕ミュージシャンたちを集め、ポップグループとしては非常に演奏力のあるライブを行っていたことから、[[アヴァン・ポップ]]の文脈から一部にカルト的な人気を誇っていた。ライブおよびレコーディングに参加していたミュージシャンとしては、[[村田陽一]](トロンボーン)、[[今堀恒雄]](ギター)、[[大友良英]](ギター)、[[内橋和久]](ギター)、水谷浩章(ベース)、メッケン(ベース)、ナスノミツル(ベース)、[[岡部洋一]](パーカション)、芳垣安洋(パーカッション)、外山明(パーカッション)、[[ASA-chang]](パーカッション)、三沢泉(パーカッション)、植村昌弘(パーカッション)などが挙げられる。
[[1994年]][[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]よりデビュー、楽曲がテレビ番組のテーマ曲に使用されることがあったが、大きなヒットには至らなかった。ライブおよびレコーディングに参加していたミュージシャンとしては、[[村田陽一]](トロンボーン)、[[今堀恒雄]](ギター)、[[大友良英]](ギター)、[[内橋和久]](ギター)、水谷浩章(ベース)、メッケン(ベース)、[[ナスノミツル]](ベース)、[[岡部洋一]](パーカション)、芳垣安洋(パーカッション)、外山明(パーカッション)、[[ASA-CHANG&巡礼|ASA-chang]](パーカッション)、三沢泉(パーカッション)、植村昌弘(パーカッション)などが挙げられる。


[[1997年]]11月に河野伸が脱退。以降は2人で活動を継続するが、1998年に菊地成孔が壊死性リンパ結節炎という[[日本]]でもきわめて症例の少ない病気にかかり[[東京女子医大]]・[[耳鼻咽喉科]]に入院、スパンク・ハッピーの活動が休止する。1998年10月11日にはハラミドリが脱退し、事実上、第一期スパンク・ハッピーが終了する。
[[1997年]]11月に河野伸が脱退。以降は2人で活動を継続するが、1998年に菊地成孔が壊死性リンパ結節炎という[[日本]]でもきわめて症例の少ない病気にかかり[[東京女子医大]]・[[耳鼻咽喉科学|耳鼻咽喉科]]に入院、スパンク・ハッピーの活動が休止する。[[1998年]]10月11日にはハラミドリが脱退し、事実上、第一期スパンク・ハッピーが終了する。


=== 第二期 ===
=== 第二期 ===
ただ一人残ったオリジナルメンバーの菊地成孔は、活動を継続すべくヴォーカルの選考を繰り返す。1999年、岩澤瞳をヴォーカルに迎え、菊地成孔とのヴォーカルデュオグルとして活動を再開。これまでの音楽性一転、クラブミュージック・渋谷系寄りのアプローチを取る。ライブのオケは菊地周辺ジャズマン達による生演奏ではなく、カラオケトラックが用いられ、菊地が主にサックスではなくヴォーカルを取った。
ただ一人残ったオリジナルメンバーの菊地成孔は、活動を継続すべくヴォーカルの選考を繰り返す。[[1999年]]、岩澤瞳をヴォーカルに迎え、菊地成孔とのデュエットチとして活動を再開。第一期の[[J-POP]]風の音楽性から一転、クラブミュージック・[[渋谷系]]寄りのアプローチを取る。ライブのオケは菊地と親交ある演奏者達による生演奏ではなく、カラオケトラックが用いられ、菊地が主にサックスではなくヴォーカルを取った。


2001年には、まだ正式音源が発表されていないにもわらず、雑誌『[[クイックジャパン]]』がスパンク・ハッピー特集を組み、一部にマニアックな評価を得る。同年11月26日に、ファーストシングル『インターナショナル・クライン・ブルー』を発表。れまでライブで使用していたオケの音とは方向性が変わっており、ハウス色が濃くなっている。ちなみに、[[インターナショナル・クライン・ブルー]]とは[[フランス]]の画家[[イヴ・クライン]]が発案・[[特許]]取得した青色のことである。以降、シングル『ANGELIC』(2002年4月26日)、ファーストアルバム『COMPUTER HOUSE OF MODE』(2002年9月4日)を発表する
[[2001年]]には、正式音源が発表されていない時点にもかかわらず、雑誌『[[クイックジャパン]]』がスパンク・ハッピー特集を組み、一部にマニアックな評価を得る。同年11月26日に、[[ベルウッドレコード]]より第二期のファーストシングル『インターナショナル・クライン・ブルー』を発表。れまでライブで使用していたオケの音とは方向性が変わっており、ハウス色が濃くなっている。ちなみに、[[インターナショナル・クライン・ブルー]]とは[[フランス]]の画家[[イヴ・クライン]]が発案・[[特許]]取得した青色のことである。以降、シングル『ANGELIC』([[2002]]4月26日)、ファーストアルバム『COMPUTER HOUSE OF MODE』(2002年9月4日)を発表。


[[2003年]]12月3日、セカンドアルバム『vendome,la sick kaiseki』を発表。まもなくして[[口パク]]でのライブを宣言するが、詳細な経緯は明らかにされていない。また、正式録音発表前にライブで演奏していた「普通の恋」であるが、菊地のホームページ日記上で「歌詞を無くしたので誰か提供してくれ」という旨が書かれ、突如ライブで演奏される(歌詞カードを見ながらであった)。れまで「普通の恋」を演奏しなかったのは、歌詞の内容などが菊地の[[不安神経症]](2002年発症)に悪影響を及ぼすため、演奏する意志がないと説明されていた。結局、2004年1月に菊地成孔 feat.岩澤瞳名義でリリースに至るが、なぜスパンク・ハッピー名義ではないのか、なぜリリースする気になったのかなど、詳しい経緯は明らかにされていない(発売当初の菊地のインタビューによれば、音源製作に対する強い要望があったが、もともとSPANK HAPPYのために書かれた曲ではなく、従来のSPANK HAPPYの作風とは一線を画すため別名義でリリースに至ったとのことである)。<ref>viewsic DYNASTY 69 2004年1月31日放送分より http://jp.youtube.com/watch?v=ygHoSdL7mks</ref>2004年4月5日に岩澤が脱退(引退)する。
[[2003年]]12月3日、セカンドアルバム『[[Vendôme,la sick Kaiseki]]』を発表。まもなくして[[口パク]]でのライブを宣言。また、過去にライブで披露されていた「[[普通の恋]]」であるが、菊地のホームページ日記上で「歌詞を無くしたので誰か提供してくれ」という旨が書かれ、突如ライブで披露される(歌詞カードを見ながらであった)。れまで「普通の恋」を披露しなかったのは、歌詞の内容などが菊地の[[不安神経症]](2002年発症)に悪影響を及ぼすため、披露する意志がないと説明されていた。後に[[2004年]]1月に菊地成孔 feat.岩澤瞳名義でリリースに至る(発売当初の菊地のインタビューによれば、音源製作に対する強い要望があったが、もともとSPANK HAPPYのために書かれた曲ではなく、従来のSPANK HAPPYの作風とは一線を画すため別名義でリリースに至ったとのことである<ref>Viewsic DYNASTY 69 2004年1月31日放送分より [http://www.youtube.com/watch?v=ygHoSdL7mks DYNASTY 69 菊地成孔 普通の恋発売コメント]</ref>)。2004年4月5日に岩澤が脱退(引退)する。


=== 第三期 ===
==== 岩澤脱退後====
菊地は新ヴォーカルを迎えての活動継続を宣言し、ネット上での新ヴォーカル募集などを経て、最終的には[[台湾人]]のドミニク・ツァイをヴォーカルに迎える。2004年6月20日、[[東京]][[飯田橋]]・日仏学院で行われた「フェット・ドゥ・ラ・ミュージック(fête de la musique)」にて、ドミニク参加後の初ライブが行われる。以前からの口パク路線を踏襲してはいたが、ヴォーカルトラックが新たにドミニクの声で録音し直されていた。[[英語]]のみならず[[仏語]]も堪能なドミニクは、歌パート以外に仏語の語りパートも録音していた。以降、活動が軌道に乗るかと思われたが、ドミニクは活動継続の意志を失ったらしく、2004年9月11日の[[バンコク]]公演を無断キャンセル、自然消滅的に脱退した。
菊地は新ヴォーカルを迎えての活動継続を宣言し、ネット上での新ヴォーカル募集などを経て、最終的には[[台湾人]]のドミニク・ツァイをヴォーカルに迎える。<ref>{{Cite web|和書
|title=(なし)
| url = http://park10.wakwak.com/~kikuchic/
| archiveurl = https://web.archive.org/web/20040730171617/http://park10.wakwak.com/~kikuchic/
| archivedate = 2004-07-30
|date=2004-07-30|accessdate=2020-01-26}}</ref> 2004年6月20日、[[東京]][[飯田橋]]・日仏学院で行われた「フェット・ドゥ・ラ・ミュージック(fête de la musique)」にて、ドミニク参加後の初ライブが行われる。以前からの口パク路線を踏襲してはいたが、ヴォーカルトラックが新たにドミニクの声で録音し直されていた。[[英語]]のみならず[[仏語]]も堪能なドミニクは、歌パート以外に仏語の語りパートも録音していた。以降、活動が軌道に乗るかと思われたが、ドミニクは活動継続の意志を失ったらしく、2004年9月11日の[[バンコク]]公演を無断キャンセル、自然消滅的に脱退した。


以降は、ライブの度ごとに女性ヴォーカルをゲスト(菊地は「[[マネキン]]」と称している)として迎えるスタイルで散発的に活動を行う。迎えられたゲストの素性は一切明らかにされず、ライブも岩澤瞳時代のCDトラックをそのまま流す口パクで、ゲスト達がどのような歌声なのか、そもそも歌手なのかも不明だった(後に菊地の[[ホームページ]]にて、[[東大]][[駒場祭]]やオンエアネストでのライブに参加したのが、縣亜希という女性だったことが明らかにされている)。
以降は、ライブの度ごとに女性ヴォーカルをゲスト(菊地は「[[マネキン]]」と称している)として迎えるスタイルで散発的に活動を行う。迎えられたゲストの素性は一切明らかにされず、ライブも岩澤瞳時代のCDトラックをそのまま流す口パクで、ゲスト達がどのような歌声なのか、そもそも歌手なのかも不明だった(後に菊地の[[ホームページ]]にて、[[東京大学|東大]][[駒場祭]]やオンエアネストでのライブに参加したのが、縣亜希という女性だったことが明らかにされている)。


2006年10月、菊地により解散が宣言される。活動の最後となった2006年10月20日と22日のライブ([[スパークス]]の前座)には、元[[ピチカートファイヴ]]の[[野宮真貴]]がヴォーカルに迎えられていた。
2006年10月、菊地により解散が宣言される。活動の最後となった2006年10月20日と22日のライブ([[スパークス]]の前座)には、[[野宮真貴]]がヴォーカルに迎えられていた。

[[2007年]]10月、「第一期」のアルバム2枚([[ボーナス・トラック]]としてシングル曲や未発表曲を追加)が[[EMIミュージック・ジャパン]]より復刻された。


2011年、[[相対性理論 (バンド)|相対性理論]]のアルバム『[[正しい相対性理論]]』で、「QHPMAS」にボーカル・アレンジとして参加。
2011年、[[相対性理論 (バンド)|相対性理論]]のアルバム『[[正しい相対性理論]]』で、「QHPMAS」にボーカル・アレンジとして参加。


==== レトロスペクティブ ====
== メンバー ==
2023年12月1日、「菊地成孔還暦フェア」の一環として第二期の全5作がサブスク解禁、全3作のMVが公開された。同時に、全曲をDJプレイするイベント「セカンド・スパンクハッピー・レトロスペクティヴ<DJ premier jour / PERFOrmance le jour suivant>」の開催が発表された。<ref>[https://ch.nicovideo.jp/bureaukikuchi/blomaga/ar2175625 <「二期スパンクハッピー」という運動体によって、人生が狂ってしまった全ての皆様へ。そして「なにそれ聴いたことない」という全ての皆様へ>]</ref>
*第一期
**菊地成孔(サックス)
**原ミドリ(ボーカル)1998年脱退
**河野伸(キーボード・作曲)1997年脱退
*第二期
**菊地成孔(ヴォーカル、サックス)
**岩澤瞳(ボーカル)2004年引退
*第三期(ドミニク脱退後は、女性ヴォーカルに毎回違う人をゲストに呼んでいた)
**菊地成孔(ヴォーカル、サックス)
**ドミニク・ツァイ
**野宮真貴 2006年10月20日、22日にゲスト参加
**そのほか3名の女性がゲストとして参加
:''※[http://www.kikuchinaruyoshi.com/dernieres.php?n=061019200707 2006年10月19日の菊地成孔ホームページ内の記述]では、そのうち一名の姓名が縣亜希と明らかにされている。''


2024年4月10日、「Vendôme, la sick KAISEKI」に収録予定だった未発表曲 「ethic」と、シングル「普通の恋」のカップリング曲としてリリースされた「フロイドと夜桜」の別ミックスバージョンにAI修正を施して収録したデジタルシングル『ethic c/w フロイドと夜桜 (sweet voices mix)』をリリースした。<ref>[https://ch.nicovideo.jp/bureaukikuchi/blomaga/ar2189696 <新曲 / 最後の、未完成の、発掘された、ヴィンテージ・ポルト>]</ref>
== ディスコグラフィー ==

=== 第三期 ===
2018年1月21日未明放送のTBSラジオ番組『菊地成孔の粋な夜電波』で菊地が再結成を発表<ref>[https://web.archive.org/web/20180203221120/https://www.tbsradio.jp/218943 【放送後記&セットリスト】ありがとうございます。12月の聴取率調査でNO1を獲得!そして番組内でSPANK HAPPY(スパンク・ハッピー)の再結成を発表!『菊地成孔の粋な夜電波』(土曜28時〜)第347回(2018年1月20日)放送分。]、TBSラジオウェブサイト、2018年1月21日(2018年8月18日閲覧)</ref>。5月13日のライブイベント『TABOO LABEL Presents GREAT HOLIDAY』(新木場STUDIO COAST)で、菊地扮するBoss the NKと小田朋美扮するODが再始動のステージに立ち、新曲「夏の天才」を披露した<ref>[https://mikiki.tokyo.jp/articles/-/18013 SPANK HAPPY 夏の天才]、music review site "Mikki"、2018年5月30日(2018年8月18日閲覧)</ref>。

2019年9月、第三期のファーストアルバム『mint exorcist』のリリースに伴い、正式名称を'''FINAL SPANK HAPPY'''に改称した。

== ディスコグラフィ ==
=== 第一期 ===
=== 第一期 ===
{| class="wikitable" style="font-size:small"
ハラミドリ(ヴォーカル)、菊地成孔(サックス)、河野伸(キーボード)
! 発売日 !! 形式 !! タイトル<br>収録曲 !! 発売元 !! 規格品番 !! 備考
*走り泣く乙女(東芝EMI、1994年8月3日)マキシシングル
|-
*My Name Is(東芝EMI、1994年9月7日)ミニアルバム
| 1993年8月25日
*僕は楽器/泣く方法(東芝EMI、1994年12月7日)シングル
| オムニバス・アルバム
*空飛ぶ花嫁(東芝EMI、1995年3月15日)シングル
| <div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
*Freak Smile(東芝EMI、1995年5月10日)アルバム
<div class="NavHead" style="text-align: left;">'''Young Gifted and Five'''
*CHOCOLATE FOLK SONG(東芝EMI、1995年12月25日)シングル
</div><div class="NavContent" style="text-align: left;">
*My Name Is(EMIミュージック・ジャパン、2007年10月24日、復刻版、ボーナストラックあり)アルバム
# おはよう
*Freak Smile(EMIミュージック・ジャパン、2007年10月24日、復刻版、ボーナストラックあり)アルバム
#*一部歌詞を変えた別ヴァージョン「お早う」が『'''My Name Is'''』に収録。
*My Name Is(EMIミュージック・ジャパン、2011年10月26日、EMI ROCKS The First廉価盤、ボーナストラックなし)アルバム
# Out With Her~恋人達の宇宙~<Without Her>
#*[[ハリー・ニルソン]]「Without Her」の日本語詞カヴァー。
| [[マーキュリー・レコード|マーキュリー・ミュージックエンタテインメント]]<br>(現:[[ユニバーサルミュージック (日本)|ユニバーサルミュージック]])
| PCHL-5005
|
* 原みどり from SPANK HAPPY名義で2曲参加。
|-
| 1994年8月3日
| マキシ・シングル
|<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">'''走り泣く乙女'''
</div><div class="NavContent" style="text-align: left;">
# 走り泣く乙女(Single Version)
# 森へ続く道の途中で
# 走り泣く乙女 (Instrumental)
</div></div>
| rowspan="2" | [[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]]<br>(現:ユニバーサルミュージック)
| TOCT-4001
|
* 2曲ともアルバム未収録。
*『'''My Name Is'''』Standard of 90'sシリーズ盤<br>ボーナス・トラックとして収録。
|-
| 1994年9月7日
| rowspan="4" |ミニ・アルバム
| rowspan="4" |<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">'''My Name Is'''
</div><div class="NavContent" style="text-align: left;">
# 天上の方の人々
# ウィークエンド
# 走り泣く乙女(バンドタイプ)
# くよくよする日
# オー!神様
# ノールームメイト
# お早う
# 走り泣く乙女(Single Version)<BONUS TRACK>※
# 森へ続く道の途中で<BONUS TRACK>※
# 僕は楽器<BONUS TRACK>※
# 泣く方法<BONUS TRACK>※
※Standard of 90'sシリーズのみ収録。
</div></div>
| TOCT-8534
|
|-
| 2007年10月24日
| rowspan="2" | [[EMIミュージック・ジャパン]]<br>(現:ユニバーサルミュージック)
| TOCT-26397
|
* Standard of 90'sシリーズの1枚。
* ボーナストラック収録。
|-
| 2011年10月26日
| TOCT-26397
|
* EMI ROCKS“The First”シリーズの1枚。
|-
| 2022年10月26日
| USMジャパン<br>(発売・販売元:ユニバーサルミュージック合同会社)
| UPCY-90126
|
* <CITY POP Selections> by UNIVERSAL MUSICシリーズの1枚。
|-
| 1994年12月7日
| rowspan="2" | シングル
|<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">'''僕は楽器/泣く方法'''
</div><div class="NavContent" style="text-align: left;">
# 僕は楽器
# 泣く方法
# 僕は楽器(Instrumental)
# 泣く方法(Instrumental)
</div></div>
| rowspan="3" | 東芝EMI
| TODT-3361
|
* 2曲ともアルバム未収録。
*『'''My Name Is'''』Standard of 90'sシリーズ盤<br>ボーナス・トラックとして収録。
|-
| 1995年3月15日
|<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">'''空飛ぶ花嫁'''
</div><div class="NavContent" style="text-align: left;">
# 空飛ぶ花嫁
# 森へ行く方法
# 空飛ぶ花嫁(Instrumental)
</div></div>
| TODT-3453
|
* 「森へ行く方法」アルバム未収録。
*『'''Freak Smile'''』Standard of 90'sシリーズ盤<br>ボーナス・トラックとして収録。
|-
| 1995年5月10日
| rowspan="3" |フル・アルバム
| rowspan="3" |<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">'''Freak Smile'''
</div><div class="NavContent" style="text-align: left;">
# I LOVE YOUの逆襲
# 鉄の馬と女
# 破壊
# トラベルロリータ
# 空飛ぶ花嫁
# スパンクスのテーマ
# 私の場合
# ラブクランクイン
# 悲しむ物体
# USSR?
# 80年代
# さよならとオルガン(とタイコ)
# 森へ行く方法<BONUS TRACK>※
# CHOCOLATE FOLK SONG<BONUS TRACK>※
# SLEEP ME(未発表曲)<BONUS TRACK>※
※Standard of 90'sシリーズのみ収録。
</div></div>
| TOCT-8893
|
|-
| 2007年10月24日
| EMIミュージック・ジャパン
| TOCT-26397
|
* Standard of 90'sシリーズの1枚。
* ボーナストラック収録。未発表曲「SLEEP ME」収録。
|-
| 2022年10月26日
| USMジャパン<br>(発売・販売元:ユニバーサルミュージック合同会社)
| UPCY-90127
|
* <CITY POP Selections> by UNIVERSAL MUSICシリーズの1枚。
|-
| 1995年12月25日
| シングル
|<div class="NavFrame" style="clear: both; border:0;">
<div class="NavHead" style="text-align: left;">'''CHOCOLATE FOLK SONG'''
</div><div class="NavContent" style="text-align: left;">
# CHOCOLATE FOLK SONG
# 鉄の馬と女
# CHOCOLATE FOLK SONG(Instrumental)
</div></div>
| 東芝EMI
| TODT-3656
|
* 「CHOCOLATE FOLK SONG」アルバム未収録。
*『'''Freak Smile'''』Standard of 90'sシリーズ盤<br>ボーナス・トラックとして収録。
|}


=== 第二期 ===
=== 第二期 ===
{| class="wikitable" style="font-size:small"
菊地成孔(ヴォーカル、サックス)岩沢瞳(ヴォーカル)
|-
*インターナショナル・クライン・ブルー([[ベルウッドレコード]]、2001年11月26日)マキシシングル
! 発売日 !! 形式 !! タイトル !! レーベル !! 備考
*ANGELIC(ベルウッドレコード、2002年4月26日)マキシシングル
|-
*Computer House of Mode([[キングレコード]]、2002年9月4日)アルバム
| [[2001年]][[11月26日]] || rowspan="2" | マキシシングル || '''インターナショナル・クライン・ブルー''' || rowspan="2" | [[ベルウッド・レコード]]||
*Vendôme, La Sick Kaiseki(キングレコード、2003年12月3日)アルバム
|-
*普通の恋(compactsounds、2004年1月28日)マキシシングル c/w フロイドと夜桜 ''※菊地成孔 feat. 岩澤瞳名義''
| [[2002年]][[4月26日]] || '''ANGELIC''' ||
|-
| 2002年[[9月4日]] || rowspan="2" | アルバム || '''Computer House of Mode''' || rowspan="2" | [[キングレコード]] ||
|-
| [[2003年]][[12月3日]] || '''[[Vendôme,la sick Kaiseki]]''' ||
|-
| [[2004年]][[1月28日]] || マキシシングル || '''[[普通の恋]]''' || Viewsic Discs || 菊地成孔 feat. 岩澤瞳名義
|-
| [[2024年]][[4月10日]] || デジタルシングル || '''ethic c/w フロイドと夜桜 (sweet voices mix)''' || [[キングレコード]] ||
|}

=== 第三期 ===
{| class="wikitable" style="font-size:small"
|-
! 発売日 !! 形式 !! タイトル !! レーベル !! 備考
|-
| [[2018年]][[5月30日]] || シングル || '''夏の天才''' || Sony Music Artists Inc. ||
|-
| [[2019年]][[10月1日]] || アルバム || '''mint exorcist''' || || CDはライブ会場とビュロー菊地オンラインショップのみでの販売
|}

== タイアップ一覧 ==
{{節スタブ}}
{| class="wikitable" style="font-size:smaller;"
! 年<ref group=注 name=音源化>楽曲が起用された年ではなく、音源化された年で記載</ref>
! 曲名
! タイアップ
|-
| 1994年
! 走り泣く乙女
| [[テレビ朝日]]系『[[H・I・P]]』エンディング・テーマ
|-
| 1995年
! CHOCOLATE FOLK SONG
| [[ロッテ]]「ロル」CFソング
|}

== ヘビーローテーション/パワープレイ ==
{{節スタブ}}
=== テレビ ===
{| class="wikitable" style="font-size:smaller;"
! 年{{R|音源化|group=注}}
! 曲名
! ヘビーローテーション/パワープレイ
|-
| 1994年
! 走り泣く乙女
| [[スペースシャワーTV]] 1994年8月度[[スペースシャワーTV歴代POWER PUSH一覧|POWER PUSH!]]
|}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
<div class="references-small"><references/></div>
=== 注釈 ===
<!--
{{Notelist2}}
<ref name=no1>viewsic DYNASTY 69 2004年1月31日放送分より http://jp.youtube.com/watch?v=ygHoSdL7mks</ref>
=== 出典 ===
<br>
{{Reflist}}
-->


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[カヒミ・カリィ]]
*[[DCPRG]]
*[[菊地成孔]]
*[[今堀恒雄]]
*[[CAPTAIN FUNK]]
*[[矢野博康]]
*[[ノーナ・リーヴス]]
*[[野宮真貴]]
*[[相対性理論 (バンド)|相対性理論]]
*[[小田朋美]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
*[http://www.kikuchinaruyoshi.net/ 菊地成孔公式サイト]
*[http://www.kikuchinaruyoshi.net 菊地成孔公式サイト]
*[http://www.bounce.com/article/article.php/304 インタビュー]
*[http://www.emimusic.jp/st/series/standardof90s/artist01_02.htm SoundTown / サウンドタウン]
*[http://www.haramidori.com 原みどり公式サイト]
*[http://www.haramidori.com 原みどり公式サイト]
*[http://konoshin.jp 河野伸公式サイト]
<!--リンク切れ
*[http://www.bounce.com/article/article.php/304 インタビュー]
*[http://www.emimusic.jp/st/series/standardof90s/artist01_02.htm SoundTown / サウンドタウン] -->


{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:すはんくはつひい}}
{{デフォルトソート:すはんくはつひい}}
[[Category:日本の歌手グループ]]
[[Category:日本のポップ・グループ]]
[[Category:EMIミュージック・ジャパンのアーティスト]]
[[Category:EMIミュージック・ジャパンのアーティスト]]
[[Category:キングレコードのアーティスト]]
[[Category:キングレコードのアーティスト]]
[[Category:1992年に結成した音楽グループ]]
[[Category:2006年に解散した音楽グループ]]
[[Category:2018年に再結成した音楽グループ]]

2024年12月4日 (水) 13:22時点における最新版

SPANK HAPPY
別名 スパンクス
出身地 日本の旗 日本
ジャンル
活動期間 1992年 - 2006年2018年 -
レーベル
共同作業者
メンバー 第一期
ハラミドリ
菊地成孔
河野伸
第二期
菊地成孔
岩澤瞳
(岩澤脱退後)
菊地成孔
ドミニク・ツァイ
第三期
Boss the NK a.k.a. 菊地成孔
OD a.k.a. 小田朋美

SPANK HAPPY(スパンク・ハッピー)は日本ポップ・ミュージックグループ(初期)、デュエットチーム(後期)である。1992年結成、2006年10月に解散。2018年に再始動[1]

メンバー

[編集]
  • 第一期
  • 第二期
    • 菊地成孔(ヴォーカル、サックス)
    • 岩澤瞳(ボーカル)2004年引退
  • 岩澤脱退後
    • 菊地成孔(ヴォーカル、サックス)
    • ドミニク・ツァイ(2004年9月11日のバンコク公演を無断キャンセル、自然消滅的に脱退)
    • 野宮真貴 2006年10月20日、22日にゲスト参加
      • そのほか3名の女性がゲストとして参加
      • ドミニク脱退後は、女性ヴォーカルに毎回違う人をゲストに招聘した。
  • 第三期

概要

[編集]

結成当初はリーダーを持たない平等なユニットであったが、河野とハラが相次いで脱退し岩澤が加入して以降、菊地が実質的なリーダーとして活動していた。ハラミドリ脱退までを「第一期」または旧スパンクス、岩澤瞳加入から2006年の解散までを「第二期」または新スパンクス、2018年の再始動以降を「第三期」と呼ぶ。「第二期」と言えば岩澤在籍時の期間のみを指すこともあるが、岩澤脱退から2006年の解散までの時期について菊地は「この時期を、第三期、第四期、という風に数えないのは、単に音源の発売が無かったからで、マイルスに於けるロストクインテットのようなものです」[2] と説明している。また菊地は第三期を「最終SPANK HAPPY」と位置付けている[2]

グループ名は菊地の発案によるもので、ドイツのグループ「スラップ・ハッピー: Slapp Happy)」のもじりであり、ヴォーカルであったダグマー・クラウゼ自身からも許諾を得たという。

第二期のSPANK HAPPYについて菊地は、自身と岩澤との年齢差が16歳離れていて、「年の離れたデュエットチームというあまり日本の音楽シーンに無いという部分がアイデンティティです」と発言していた。また、ヒットチャートを狙うつもりでいたが、次第にアーティスティックになっていき、もっと時代や日本という国に必要な物とかがきっとあるだろうという風に考えが変わってきたと述べた。

サウンド面では、菊地が個人的に幼少時に強烈な印象を受け愛好しているファッションショーの為の音楽、「ウォーキング・ミュージック」なる菊地が仮定した概念へのアプローチが強く、「ヒットチャートを狙う・アーティスティックに」という表面上のアティテュードの変化はあるとしても、根本にあるのはファッションショーで使われる音楽にしたいと述べた。制作中、常に色んな時代の色んなメゾンのファッションショーをモニターに映していたという。

また、「Vendôme, La Sick Kaiseki」の詞で述べられている様に、菊地がウィーンに訪れた際、ニューイヤーコンサートにて大人も子供も燕尾服モーニングフォーマルウェアワルツ用の格好でビシッとしていながら、そのまま二次会ではクラブイベントがあり、同じウィーンの大舞踏会場の違う部屋にBOSEのスピーカーが置いてあり、二階の上の席にDJブースが付いていて、バリライトがあり、聞いた事も無いクラブ・ミュージックが流れみんなが踊っているという光景に衝撃を受け、「これがSPANK HAPPYだなと思いました。ああいう事を日本で出来たら面白いなと思いました。」と語った。

来歴

[編集]

第一期

[編集]

1992年に、ハラミドリヴォーカル)、菊地成孔サックス)、河野伸キーボード)のメンバーで結成される。音楽性としてはヴォーカル中心のポップスで、ヒットチャートに乗るような音楽を目指していたという。作詞は菊地とハラ、作曲は全員の持ち寄りだった。楽曲トラックの制作においては、現役ジャズマンである菊地がブラスアレンジメントを担当。アイドルのオケ制作などをしていた河野が、全体のアレンジに大きな影響力を持っていた。

1994年東芝EMIよりデビュー、楽曲がテレビ番組のテーマ曲に使用されることがあったが、大きなヒットには至らなかった。ライブおよびレコーディングに参加していたミュージシャンとしては、村田陽一(トロンボーン)、今堀恒雄(ギター)、大友良英(ギター)、内橋和久(ギター)、水谷浩章(ベース)、メッケン(ベース)、ナスノミツル(ベース)、岡部洋一(パーカション)、芳垣安洋(パーカッション)、外山明(パーカッション)、ASA-chang(パーカッション)、三沢泉(パーカッション)、植村昌弘(パーカッション)などが挙げられる。

1997年11月に河野伸が脱退。以降は2人で活動を継続するが、1998年に菊地成孔が壊死性リンパ結節炎という日本でもきわめて症例の少ない病気にかかり東京女子医大耳鼻咽喉科に入院、スパンク・ハッピーの活動が休止する。1998年10月11日にはハラミドリが脱退し、事実上、第一期スパンク・ハッピーが終了する。

第二期

[編集]

ただ一人残ったオリジナルメンバーの菊地成孔は、活動を継続すべくヴォーカルの選考を繰り返す。1999年、岩澤瞳をヴォーカルに迎え、菊地成孔とのデュエットチームとして活動を再開。第一期のJ-POP風の音楽性から一転、クラブミュージック・渋谷系寄りのアプローチを取る。ライブのオケは菊地と親交のある演奏者達による生演奏ではなく、カラオケトラックが用いられ、菊地が主にサックスではなくヴォーカルを取った。

2001年には、正式音源が発表されていない時点にもかかわらず、雑誌『クイックジャパン』がスパンク・ハッピー特集を組み、一部にマニアックな評価を得る。同年11月26日に、ベルウッドレコードより第二期のファーストシングル『インターナショナル・クライン・ブルー』を発表。それまでライブで使用していたオケの音とは方向性が変わっており、ハウス色が濃くなっている。ちなみに、インターナショナル・クライン・ブルーとはフランスの画家イヴ・クラインが発案・特許取得した青色のことである。以降、シングル『ANGELIC』(2002年4月26日)、ファーストアルバム『COMPUTER HOUSE OF MODE』(2002年9月4日)を発表。

2003年12月3日、セカンドアルバム『Vendôme,la sick Kaiseki』を発表。まもなくして口パクでのライブを宣言。また、過去にライブで披露されていた「普通の恋」であるが、菊地のホームページ日記上で「歌詞を無くしたので誰か提供してくれ」という旨が書かれ、突如ライブで披露される(歌詞カードを見ながらであった)。それまで「普通の恋」を披露しなかったのは、歌詞の内容などが菊地の不安神経症(2002年発症)に悪影響を及ぼすため、披露する意志がないと説明されていた。後に、2004年1月に菊地成孔 feat.岩澤瞳名義でリリースに至る(発売当初の菊地のインタビューによれば、音源製作に対する強い要望があったが、もともとSPANK HAPPYのために書かれた曲ではなく、従来のSPANK HAPPYの作風とは一線を画すため別名義でリリースに至ったとのことである[3])。2004年4月5日に岩澤が脱退(引退)する。

岩澤脱退後

[編集]

菊地は新ヴォーカルを迎えての活動継続を宣言し、ネット上での新ヴォーカル募集などを経て、最終的には台湾人のドミニク・ツァイをヴォーカルに迎える。[4] 2004年6月20日、東京飯田橋・日仏学院で行われた「フェット・ドゥ・ラ・ミュージック(fête de la musique)」にて、ドミニク参加後の初ライブが行われる。以前からの口パク路線を踏襲してはいたが、ヴォーカルトラックが新たにドミニクの声で録音し直されていた。英語のみならず仏語も堪能なドミニクは、歌パート以外に仏語の語りパートも録音していた。以降、活動が軌道に乗るかと思われたが、ドミニクは活動継続の意志を失ったらしく、2004年9月11日のバンコク公演を無断キャンセル、自然消滅的に脱退した。

以降は、ライブの度ごとに女性ヴォーカルをゲスト(菊地は「マネキン」と称している)として迎えるスタイルで散発的に活動を行う。迎えられたゲストの素性は一切明らかにされず、ライブも岩澤瞳時代のCDトラックをそのまま流す口パクで、ゲスト達がどのような歌声なのか、そもそも歌手なのかも不明だった(後に菊地のホームページにて、東大駒場祭やオンエアネストでのライブに参加したのが、縣亜希という女性だったことが明らかにされている)。

2006年10月、菊地により解散が宣言される。活動の最後となった2006年10月20日と22日のライブ(スパークスの前座)には、野宮真貴がヴォーカルに迎えられていた。

2007年10月、「第一期」のアルバム2枚(ボーナス・トラックとしてシングル曲や未発表曲を追加)がEMIミュージック・ジャパンより復刻された。

2011年、相対性理論のアルバム『正しい相対性理論』で、「QHPMAS」にボーカル・アレンジとして参加。

レトロスペクティブ

[編集]

2023年12月1日、「菊地成孔還暦フェア」の一環として第二期の全5作がサブスク解禁、全3作のMVが公開された。同時に、全曲をDJプレイするイベント「セカンド・スパンクハッピー・レトロスペクティヴ<DJ premier jour / PERFOrmance le jour suivant>」の開催が発表された。[5]

2024年4月10日、「Vendôme, la sick KAISEKI」に収録予定だった未発表曲 「ethic」と、シングル「普通の恋」のカップリング曲としてリリースされた「フロイドと夜桜」の別ミックスバージョンにAI修正を施して収録したデジタルシングル『ethic c/w フロイドと夜桜 (sweet voices mix)』をリリースした。[6]

第三期 

[編集]

2018年1月21日未明放送のTBSラジオ番組『菊地成孔の粋な夜電波』で菊地が再結成を発表[7]。5月13日のライブイベント『TABOO LABEL Presents GREAT HOLIDAY』(新木場STUDIO COAST)で、菊地扮するBoss the NKと小田朋美扮するODが再始動のステージに立ち、新曲「夏の天才」を披露した[8]

2019年9月、第三期のファーストアルバム『mint exorcist』のリリースに伴い、正式名称をFINAL SPANK HAPPYに改称した。

ディスコグラフィ

[編集]

第一期

[編集]
発売日 形式 タイトル
収録曲
発売元 規格品番 備考
1993年8月25日 オムニバス・アルバム マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
(現:ユニバーサルミュージック
PCHL-5005
  • 原みどり from SPANK HAPPY名義で2曲参加。
1994年8月3日 マキシ・シングル 東芝EMI
(現:ユニバーサルミュージック)
TOCT-4001
  • 2曲ともアルバム未収録。
  • My Name Is』Standard of 90'sシリーズ盤
    ボーナス・トラックとして収録。
1994年9月7日 ミニ・アルバム TOCT-8534
2007年10月24日 EMIミュージック・ジャパン
(現:ユニバーサルミュージック)
TOCT-26397
  • Standard of 90'sシリーズの1枚。
  • ボーナストラック収録。
2011年10月26日 TOCT-26397
  • EMI ROCKS“The First”シリーズの1枚。
2022年10月26日 USMジャパン
(発売・販売元:ユニバーサルミュージック合同会社)
UPCY-90126
  • <CITY POP Selections> by UNIVERSAL MUSICシリーズの1枚。
1994年12月7日 シングル 東芝EMI TODT-3361
  • 2曲ともアルバム未収録。
  • My Name Is』Standard of 90'sシリーズ盤
    ボーナス・トラックとして収録。
1995年3月15日 TODT-3453
  • 「森へ行く方法」アルバム未収録。
  • Freak Smile』Standard of 90'sシリーズ盤
    ボーナス・トラックとして収録。
1995年5月10日 フル・アルバム TOCT-8893
2007年10月24日 EMIミュージック・ジャパン TOCT-26397
  • Standard of 90'sシリーズの1枚。
  • ボーナストラック収録。未発表曲「SLEEP ME」収録。
2022年10月26日 USMジャパン
(発売・販売元:ユニバーサルミュージック合同会社)
UPCY-90127
  • <CITY POP Selections> by UNIVERSAL MUSICシリーズの1枚。
1995年12月25日 シングル 東芝EMI TODT-3656
  • 「CHOCOLATE FOLK SONG」アルバム未収録。
  • Freak Smile』Standard of 90'sシリーズ盤
    ボーナス・トラックとして収録。

第二期

[編集]
発売日 形式 タイトル レーベル 備考
2001年11月26日 マキシシングル インターナショナル・クライン・ブルー ベルウッド・レコード
2002年4月26日 ANGELIC
2002年9月4日 アルバム Computer House of Mode キングレコード
2003年12月3日 Vendôme,la sick Kaiseki
2004年1月28日 マキシシングル 普通の恋 Viewsic Discs 菊地成孔 feat. 岩澤瞳名義
2024年4月10日 デジタルシングル ethic c/w フロイドと夜桜 (sweet voices mix) キングレコード

第三期

[編集]
発売日 形式 タイトル レーベル 備考
2018年5月30日 シングル 夏の天才 Sony Music Artists Inc.
2019年10月1日 アルバム mint exorcist CDはライブ会場とビュロー菊地オンラインショップのみでの販売

タイアップ一覧

[編集]
[注 1] 曲名 タイアップ
1994年 走り泣く乙女 テレビ朝日系『H・I・P』エンディング・テーマ
1995年 CHOCOLATE FOLK SONG ロッテ「ロル」CFソング

ヘビーローテーション/パワープレイ

[編集]

テレビ

[編集]
[注 1] 曲名 ヘビーローテーション/パワープレイ
1994年 走り泣く乙女 スペースシャワーTV 1994年8月度POWER PUSH!

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ a b 楽曲が起用された年ではなく、音源化された年で記載

出典

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]