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「台湾地区」の版間の差分

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{{複数の問題
[[File:Political divisions of the Republic of China (Taiwan).svg|230px|thumb|台湾地区(自由地区)の行政区画]]
| 出典の明記 = 2021年3月
'''台湾地区'''(たいわんちく)、あるいは'''自由地区'''(じゆうちく)は、[[中華民国]]政府が[[1955年]]の[[大陳島撤退作戦|大陳島撤退]]後[[実効支配]]している全地域を指す政治的・行政上の用語。他にも国際的に使用される[[同義語]]として'''台澎金馬'''(たいほうきん)がある(詳細は[[台湾地区#同義語の使用状況|下記参照]])。対義語は、[[中華人民共和国]]([[中国]])の支配地域を指す'''[[中国大陸]]'''(ちゅうごくたいりく)あるいは'''大陸地区'''(たいりくちく)。
| 更新 = 2021年3月
}}
[[File:Taiwan2014.svg|230px|thumb|台湾地区(自由地区)を構成する島々とその行政区画]]
'''台湾地区'''(たいわんちく)は、[[中華民国]]政府が[[1955年]]の[[大陳島撤退作戦|大陳島撤退]]以降も引き続き[[実効支配]]している地域を指す、[[政治]]的な配慮を伴った[[法律用語]]。

'''自由地区'''(じゆうちく)呼ばれるほか、[[同義語]]として'''台澎金馬'''(たいほうきん)があり、国際的に使用されている(詳細は[[台湾地区#同義語の使用状況|下記参照]])。[[対義語]]は、[[中華人民共和国]]の支配地域を指す'''[[中国大陸]]'''(ちゅうごくたいりく)あるいは'''大陸地区'''(たいりくちく)。


== 範囲 ==
== 範囲 ==
中華民国の法律である「{{仮リンク|台湾地区と大陸地区の人民関係条例|zh|台湾地区与大陆地区人民关系条例}}」第2条第1項<ref>[[:s:zh:臺灣地區與大陸地區人民關係條例 (民國108年7月)|臺灣地區與大陸地區人民關係條例(民國108年公布)]](ウィキソース)</ref>では、台湾地区を次のように定義している。
[[地理]]上の範囲としては、[[台湾本島]]、[[澎湖群島]]、それに福建省の[[金門島]]、[[馬祖島]]、[[烏坵島]]、[[東沙諸島]]、[[南沙諸島]]の一部([[太平島]]、[[中洲島]])、<small>[[尖閣諸島|釣魚台列嶼]](外交紛争のある)</small>、及びそれらの付属の島嶼からなる。特に台湾本島、澎湖群島、金門島、馬祖島は台湾地区の主要な構成要素とされている。
{| class="wikitable"
|-
|
* 第二条(語法の定義)
:  本条例の語法は以下の如く定義する:
:  一、台湾地区:[[台湾]]、[[澎湖諸島|澎湖]]、[[金門県|金門]]、[[馬祖島|馬祖]]及び[[中華民国政府|政府]]の[[統治権]]が及ぶ場所のその他地区を指す。
:  二、大陸地区:台湾地区以外の中華民国の領土を指す。
:  三、(以下省略)
|}


この定義は、[[教育部 (中華民国)|中華民国教育部]]編纂の[[国語 (中国語)|国語]]([[標準中国語]])[[辞典]]である『[[教育部国語辞典|教育部重編國語辭典修訂本]]』<ref>中華民國教育部國語推行委員會編、[http://dict.revised.moe.edu.tw/cbdic/ 教育部重編國語辭典修訂本]</ref>にも掲載されている<ref>[http://dict.revised.moe.edu.tw/cgi-bin/cbdic/gsweb.cgi?o=dcbdic&searchid=Z00000049645 「臺灣地區」の項] </ref>。
なお、域内の行政区画については、[[台湾の行政区分]]を参照のこと。

法律・辞典に書かれた「政府の[[統治権]]が及ぶ場所のその他地区」の具体的な範囲としては、中国大陸沿岸にある[[烏坵島]]と、[[南海諸島]]の島々([[東沙諸島]]、[[南沙諸島]]の[[太平島]]と[[中洲島]])が該当する。

なお、中華民国が[[領有権]]を主張している[[尖閣諸島|釣魚台列嶼(尖閣諸島)]]は、[[台湾の行政区分|行政区分]]上[[台湾省]]に分類されているものの、[[日本]]が実効支配し中華民国の統治権が及んでいないため、定義上「台湾地区」に該当しないとしている。台湾地区の行政区画については、[[台湾の行政区分]]を参照のこと。


== 沿革 ==
== 沿革 ==
[[File:Protect the Kinmen and Matsu Postage Stamps.JPG|right|400px|thumb|[[交通部 (中華民国)|交通部]]郵政総局(今日の[[中華郵政]])が[[1957年]][[9月3日]]に発行した「保衛金馬」(金門・馬祖を守り抜こう)をテーマとした[[郵便切手]]。台湾地区全体が描かれている。]]
[[File:Protect the Kinmen and Matsu Postage Stamps.JPG|right|400px|thumb|[[交通部 (中華民国)|交通部]]郵政総局(今日の[[中華郵政]])が[[1957年]][[9月3日]]に発行した「保衛金馬」(金門・馬祖を守り抜こう)をテーマとした[[郵便切手]]。台湾地区全体が描かれている。]]
[[1945年]]9月、中華民国[[南京国民政府]]は[[大日本帝国]]の統治下にあった[[台湾]]を接収し、[[中国大陸]]と台湾を統治するようになった。しかし、[[第二次国共内戦]]が激化すると南京国民政府は中国大陸の支配地域を相次いで喪失し、[[1949年]]6月の[[首都]]・[[南京]]陥落と共に「中国政府」としての機能を果たせなくなった。その後、南京政府は[[蒋介石]]の指導の下で同年12月に中国大陸から台湾へと避難し、[[1950年]]1月に[[台湾政府]]として再起動した。しかしその後も中華民国は実効支配領域を狭めていき[[1955年]]の[[大陳島撤退作戦|大陳島撤退]]でようやく現在の台湾地区が実効統治範囲として定まった<ref>この内戦には公式な終戦日がない。しかし、[[1979年]][[1月1日]]の[[米中関係|米中国交樹立]]以降は中台両軍間で武力衝突は起きておらず、[[1990年代]]以降は中台両政府間の接触も起きている。(詳細は[[両岸関係史]]を参照のこと。)</ref>
[[1945年]][[1025日]]中国大陸を統治する[[中華民国 (1912年-1949年)|中華民国]][[国民政府]]は、[[日本の降伏|第二次世界大戦に敗北]]した[[大日本帝国]]から台湾と澎湖群島を接収([[台湾光復]]し、[[台湾省]]として編入した。しかし、同時期に勃発した[[国共内戦|第二次国共内戦]]の結果[[中華政府]]は中国大陸の支配地域を相次いで喪失し、[[1949年]][[4]]の[[首都]]・[[南京市|南京]]陥落と共に「中国政府」としての機能を果たせなくなった。中華民国政府は同年[[12月]]に中国大陸から[[中華民国政府の台湾への移転|台湾に移転]]したが、遷台後も中華民国は実効支配領域の喪失が止まらず、1955年の[[大陳島撤退作戦|大陳島撤退]]でようやく現在の台湾地区が実効統治範囲として定まった{{Efn2|この内戦には公式な終戦日がないものの、[[1979年]][[1月1日]]の[[米中関係|米中国交樹立]]以降は中台両軍間で武力衝突は起きていない。中華人民共和国が時折「武力攻撃の可能性」について言及するものの、[[1990年代]]以降は中台両政府間の接触も起きており、民間の人的交流も活発化している。{{main|中台関係}}}}


台湾国民政府を組織する際、中華民国の実効支配地域が劇的に縮小しにもかかわらず、介石は基本的に中国大陸も支配していることを前提とした組織づくりを行った。これは、蒋介石が将来的に「反政府組織・[[中共]]」[[中華人民共和国]]の「占領地域」を武力で奪還(大陸反攻)する方針でいたためで、政府機構のあり方と実効統治区域の乖離状態は一時的なものとして問題視されなかった。しかし、[[冷戦]]の長期化と共に大陸攻が不可能となると、政府組織を運営する上で様々な矛盾が生じるようになり、[[蒋経国]]時代の[[1980]]に理想と現実矛盾解消求める声が大きくなっていった。
中華政府を台湾で再組織する際、中華民国の実効支配地域が劇的に縮小しにもかかわらず、[[蔣介石]]は基本的に中国大陸も支配していることを前提とした組織づくりを行った。これは、国共内戦公式には終結していない状況下で、将来的に「反政府組織・[[共匪]]([[中共]]{{Efn2|[[中華人民共和国]]のこと。中華民国は自身が「[[中国]]唯一の[[正統性|正統]]な国家」であると認識しているため、中華人民共和国を国家と認めていない。}}の「占領地域」(淪陥区)を武力で奪還(大陸反攻)する方針を政府が維持し続けたためで、政府機構のあり方と実効統治区域の乖離状態は一時的なものとして問題視されなかった。その後、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の反対や[[中華人民共和の大量破壊兵器|中華人民共和国の核兵器]]保有といった情勢変化を受け、中華民国政府は[[1972年]]に[[国光計画|大陸反攻計画]]撤廃した。


しかし、[[1970年代]]以降も中華民国政府は政府組織の修正を行わなかったため、中華民国では政府組織を運営する上で様々な矛盾が蓄積していき{{Efn2|[[立法院 (中華民国)|立法院]]や[[国民大会]]等の組織は[[国民]]の[[直接選挙]]で[[議員]]を選出することになっているが、[[福建省 (中華民国)|福建省]]の一部(「金馬地区」)を除いた中国大陸を「中共」に占領されたのでほとんどの[[選挙区]]で改選が不可能となった。政府は「大陸反攻」を達成するまで全面改選を行わない方針を採ったので、[[1940年代]]の第一回総選挙で選出された人物が1990年代の第二回総選挙まで議員の座に居座り、「[[中華民国の政治#憲法|万年議員]]」と揶揄された。{{main|万年国会|中華民国立法委員選挙}}}}{{Efn2|[[行政院]]傘下の[[蒙蔵委員会]]は、[[蒙古地方]]と[[西蔵地方]]の管理が主たる業務であったが、遷台後は台湾に住む蒙古地方(モンゴル)や西蔵地方(チベット)の出身者の保護や文化交流などの業務にあたるのみとなっていた<ref>{{cite news|url=https://www.sankei.com/article/20170815-PBMKSK2OPFKPVETI464BKOH4LU/ |title=台湾、モンゴル・チベット委を廃止へ 中国反発の可能性も|newspaper=[[産経新聞]]|date=2017-08-15|accessdate=2024-11-24}}</ref>。}}、[[蔣経国]]時代の[[1980年代]]には[[民主化]]と共に理想と現実の矛盾解消を求める声が大きくなっていった。
[[1988年]]に[[中華民国総統|総統]]に就任した[[李登輝]]は、[[中華民国憲法増修条文|中華民国憲法を修正]]して政府組織を現状の実効統治範囲に適したものへ是正することにした。その際、台湾国民政府の実効統治範囲を指す法律上の適切な呼称が今まで無かったため、公式的な中華民国全土とは別に中華民国実効統治区域のみを指す概念として「'''自由地区'''」が生み出され、[[1991年]]の第1次憲法修正時に初めて[[法律]]上の用語として使用された。更に、[[1992年]]には自由地区と同じ意味を持つ「'''台湾地区'''」が、[[:zh:臺灣地區與大陸地區人民關係條例|両岸人民例]](中国大陸との民間の各種往来について定めた法律)内にて使用された。なお、単に「台湾」としなかったのは、中国側から[[台湾独立]]と受け取られる恐れがあること、また台湾側も、[[法理独立]]につながること、政治色を無くす意図があったからである。

[[1988年]]に[[中華民国総統|総統]]に就任した[[李登輝]]は、[[中華民国憲法増修条文|中華民国憲法を修正]]して政府組織を現状の実効統治範囲に適したものへ是正することにした。その際、中華政府の実効統治範囲を指す法律上の適切な呼称が今まで無かったため、名目上の中華民国全土とは別に中華民国政府の実効統治区域のみを指す概念として「'''自由地区'''」が生み出され、[[1991年]]の第1次憲法修正時に初めて[[法律]]上の用語として使用された。更に、[[1992年]]には自由地区と同じ意味を持つ「'''台湾地区'''」が、「台湾地区と大陸地区の人民関係条例」<ref>[[:s:zh:臺灣地區與大陸地區人民關係條例 (民國81年)|臺灣地區與大陸地區人民(民國81年公布)]](ウィキソース)</ref>(中国大陸との民間の各種往来について定めた法律)内にて使用された。なお、単に「台湾」としなかったのは、中華人民共和国側から[[一つの中国]]」原則の放棄と受け取られる恐れがあること、また中華民国政府側も、かつて[[中国国民党]]が主張した[[法理独立]]につながねないため、政治色([[台湾独立]]を想起させる表現)を無くす意図があったからである。


== 同義語の使用状況 ==
== 同義語の使用状況 ==
現在、[[法律]]や[[公文書]]等で使用される言葉には4種類がある。
現在、[[法律]]や[[公文書]]等で使用される言葉には4種類がある。
* '''自由地区''' - [[中華民国憲法増修条文]]にて主に使用。
* '''自由地区''' - [[中華民国憲法増修条文]]にて主に使用。
* '''台湾地区''' - [[:zh:臺灣地區與大陸地區人民關係條例|両岸人民関係条例]]等、[[両岸関係|両岸関係]]を規定する法律で主に使用。また、民間においても比較的通用する。
* '''台湾地区''' - [[:zh:臺灣地區與大陸地區人民關係條例|両岸人民関係条例]]等、[[中台関係|両岸関係]]を規定する法律で主に使用。また、民間においても比較的通用する。
* '''台澎金馬区)''' - 一部の政府文献にて使用<ref>[http://www.mofa.gov.tw/News_Content.aspx?n=8742DCE7A2A28761&s=ABCE429A177E6037 中華民國政府再次重申對臺澎金馬的主權地位] - [[中華民国外交部]]</ref>される他、[[国際組織]]へ加入する際に「[[中華台北]]」と同様の中華民国を指す呼称としても使用<ref>中華民国は[[世界貿易機関]](WTO)へ加盟する際に「'''[[:zh:台澎金馬個別關稅領域|台澎金馬個別関税領域]]'''」(''Separate Customs Territory of Taiwan, Penghu, Kinmen and Matsu'', 略称:'''TPKM''')という名称で加盟している[http://www.wto.org/english/thewto_e/countries_e/chinese_taipei_e.htm]</ref>。これは、中華民国実効統治区域の主要な構成要素である台湾本島、澎湖諸島、金門島、馬祖島の[[頭文字]]に由来する。
* '''[[湾・湖・門・祖独立関税域|台澎金馬個別関税領域]]''' - 一部の政府文献にて使用<ref>[http://www.mofa.gov.tw/News_Content.aspx?n=8742DCE7A2A28761&s=ABCE429A177E6037 中華民國政府再次重申對臺澎金馬的主權地位] - [[中華民国外交部]]</ref>される他、[[国際組織]]へ加入する際に「[[中華台北]]」と同様の中華民国を指す呼称としても使用{{Efn2|中華民国は[[世界貿易機関]](WTO)へ加盟する際に「'''[[:zh:台澎金馬個別關稅領域|台澎金馬個別関税領域]]'''」(''Separate Customs Territory of Taiwan, Penghu, Kinmen and Matsu'', 略称:'''TPKM''')という名称で加盟している<ref>[http://www.wto.org/english/thewto_e/countries_e/chinese_taipei_e.htm WTO | Separate Customs Territory of Taiwan, Penghu, Kinmen and Matsu - Member information]</ref>。}}。これは、中華民国実効統治区域の主要な構成要素である台湾本島、澎湖諸島、金門島、馬祖島の[[頭文字]]に由来する。
* '''台閩地区''' - 一部の政府文献にて使用<ref>[http://www.fia.gov.tw/public/Attachment/47316113571.pdf 臺閩地區各縣市最近五年營利事業家數增長情形統計表] - [[中華民国財政部]][[:zh:財政部財政資訊中心|財政資訊中心]]</ref>。これは、中華民国の行政区域である[[台湾省]]と[[福建省 (中華民国)|福建省]](「[[ビン (十国)|閩]]」は[[中華圏]]で多用される福建省の略称)に由来する。
* '''台閩地区''' - 一部の政府文献にて使用<ref>[http://www.fia.gov.tw/public/Attachment/47316113571.pdf 臺閩地區各縣市最近五年營利事業家數增長情形統計表] - [[中華民国財政部]][[:zh:財政部財政資訊中心|財政資訊中心]]</ref>。これは、[[台湾の行政区分|中華民国の行政区域]]である[[台湾省]]と[[福建省 (中華民国)|福建省]](「[[閩]]」は[[中華圏]]で多用される福建省の略称)に由来する。


== 認識の差異 ==
== 認識の差異 ==
「台湾地区」の概念に対する認識は、政治的・思想的な立場の違いによって差異がある。
「台湾地区」の概念に対する認識は、政治的・思想的な立場の違いによって差異がある。
*{{ROC}}:中華民国にる「[[一つの中国]]」という発想のもと、憲法が規定する「中華民国固有の領」内が現状では「中華民国統治区域」と「中共統治区域」の2つに分かれているとみなし、あくまでも「大陸地区」との対比語として使用する。「台湾地区」は中華民国の領土を構成する一部分である。
*{{ROC}}:現在の中華民国におけ二大政治陣営である[[泛藍連盟]]と[[泛緑連盟]]では解釈が異なっている。
**泛藍連盟 - 「[[一つの中国]]」は中華民国という発想のもと、[[中華民国憲法|憲法第4条]]が規定する「中華民国固有の領」内が現状では「中華民国統治区域」と「中共統治区域」の2つに分かれているとみなし、あくまでも「大陸地区」との対比語として使用する。「台湾地区」は中華民国の領土を構成する[[中国]]の[[地域]]である。
**泛緑連盟 - 中華民国と中華人民共和国は[[一辺一国]]の関係という発想のもと、中華民国の領土は[[中華民国総統|総統]]や[[立法院 (中華民国)|立法院]]議員を選出する中華民国政府の実効統治区域(いわゆる台湾)のみとみなし、台湾をあえて「地区」付けで呼ぶ行為を台湾を軽視・矮小化する行為として否定的にみる。「台湾地区」は即ち台湾であり、中華民国そのものである。

*{{PRC}}:「一つの中国」は中華人民共和国という発想のもと、[[中華人民共和国]]成立後の中華民国政府([[台湾国民政府]])は非合法な存在とみなし、中国政府が[[国共内戦]]後も国民党の残党勢力から「解放」できていない地域として使用する。「台湾地区」は中華人民共和国の領土を構成する一部分である。
*{{PRC}}:「一つの中国」は中華人民共和国という発想のもと、[[中華人民共和国]]成立後の中華民国政府非合法な存在とみなし、[[中国共産党]]率いる[[統一戦線]][[国共内戦|人民解放戦争]]」勝利後も国民党蔣介石派{{Efn2|[[中国国民党]]のうち、[[容共]]を唱える一派は[[中国国民党革命委員会]]を結成し、[[中国人民政治協商会議]]に参加した。そのため、理論上は国民党も「新中国」建国に参加したことになっている。}}の残党勢力から「解放」できていない地域として使用する。「台湾地区」は中華人民共和国の領土を構成する中国の地域である。


== 参考文献 ==
== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
* [[台湾の名称の一覧]]
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2024年11月27日 (水) 06:21時点における最新版

台湾地区(自由地区)を構成する島々とその行政区画

台湾地区(たいわんちく)は、中華民国政府が1955年大陳島撤退以降も引き続き実効支配している地域を指す、政治的な配慮を伴った法律用語

自由地区(じゆうちく)とも呼ばれるほか、同義語として台澎金馬(たいほうきんば)があり、国際的に使用されている(詳細は下記参照)。対義語は、中華人民共和国の支配地域を指す中国大陸(ちゅうごくたいりく)あるいは大陸地区(たいりくちく)。

範囲

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中華民国の法律である「台湾地区と大陸地区の人民関係条例中国語版」第2条第1項[1]では、台湾地区を次のように定義している。

  • 第二条(語法の定義)
  本条例の語法は以下の如く定義する:
  一、台湾地区:台湾澎湖金門馬祖及び政府統治権が及ぶ場所のその他地区を指す。
  二、大陸地区:台湾地区以外の中華民国の領土を指す。
  三、(以下省略)

この定義は、中華民国教育部編纂の国語標準中国語辞典である『教育部重編國語辭典修訂本[2]にも掲載されている[3]

法律・辞典に書かれた「政府の統治権が及ぶ場所のその他地区」の具体的な範囲としては、中国大陸沿岸にある烏坵島と、南海諸島の島々(東沙諸島南沙諸島太平島中洲島)が該当する。

なお、中華民国が領有権を主張している釣魚台列嶼(尖閣諸島)は、行政区分台湾省に分類されているものの、日本が実効支配し中華民国の統治権が及んでいないため、定義上「台湾地区」に該当しないとしている。台湾地区の行政区画については、台湾の行政区分を参照のこと。

沿革

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交通部郵政総局(今日の中華郵政)が1957年9月3日に発行した「保衛金馬」(金門・馬祖を守り抜こう)をテーマとした郵便切手。台湾地区全体が描かれている。

1945年10月25日、中国大陸を統治する中華民国国民政府は、第二次世界大戦に敗北した大日本帝国から台湾と澎湖群島を接収(台湾光復)し、台湾省として編入した。しかし、同時期に勃発した第二次国共内戦の結果、中華民国政府は中国大陸の支配地域を相次いで喪失し、1949年4月首都南京陥落と共に「中国政府」としての機能を果たせなくなった。中華民国政府は同年12月に中国大陸から台湾に移転したが、遷台後も中華民国は実効支配領域の喪失が止まらず、1955年の大陳島撤退でようやく現在の台湾地区が実効統治範囲として定まった[注 1]

中華民国政府を台湾で再組織する際、中華民国の実効支配地域が劇的に縮小したにもかかわらず、蔣介石は基本的に中国大陸も支配していることを前提とした組織づくりを行った。これは、国共内戦が公式には終結していない状況下で、将来的に「反政府組織・共匪中共)」[注 2]の「占領地域」(淪陥区)を武力で奪還(大陸反攻)する方針を政府が維持し続けたためで、政府機構のあり方と実効統治区域の乖離状態は一時的なものとして問題視されなかった。その後、アメリカの反対や中華人民共和国の核兵器保有といった情勢の変化を受け、中華民国政府は1972年大陸反攻の計画を撤廃した。

しかし、1970年代以降も中華民国政府は政府組織の修正を行わなかったため、中華民国では政府組織を運営する上で様々な矛盾が蓄積していき[注 3][注 4]蔣経国時代の1980年代には民主化と共に理想と現実の矛盾解消を求める声が大きくなっていった。

1988年総統に就任した李登輝は、中華民国憲法を修正して政府組織を現状の実効統治範囲に適したものへ是正することにした。その際、中華民国政府の実効統治範囲を指す法律上の適切な呼称が今まで無かったため、名目上の中華民国全土とは別に中華民国政府の実効統治区域のみを指す概念として「自由地区」が生み出され、1991年の第1次憲法修正時に初めて法律上の用語として使用された。更に、1992年には自由地区と同じ意味を持つ「台湾地区」が、「台湾地区と大陸地区の人民関係条例」[5](中国大陸との民間の各種往来について定めた法律)内にて使用された。なお、単に「台湾」としなかったのは、中華人民共和国側から「一つの中国」原則の放棄と受け取られる恐れがあること、また中華民国政府側も、かつて中国国民党が主張した法理独立につながりかねないため、政治色(台湾独立を想起させる表現)を無くす意図があったからである。

同義語の使用状況

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現在、法律公文書等で使用される言葉には4種類がある。

認識の差異

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「台湾地区」の概念に対する認識は、政治的・思想的な立場の違いによって差異がある。

  • 中華民国の旗 中華民国:現在の中華民国における二大政治陣営である泛藍連盟泛緑連盟では解釈が異なっている。
    • 泛藍連盟 - 「一つの中国」は中華民国という発想のもと、憲法第4条が規定する「中華民国固有の領域」内が現状では「中華民国統治区域」と「中共統治区域」の2つに分かれているとみなし、あくまでも「大陸地区」との対比語として使用する。「台湾地区」は中華民国の領土を構成する中国の一地域である。
    • 泛緑連盟 - 中華民国と中華人民共和国は一辺一国の関係という発想のもと、中華民国の領土は総統立法院議員を選出する中華民国政府の実効統治区域(いわゆる台湾)のみとみなし、台湾をあえて「地区」付けで呼ぶ行為を台湾を軽視・矮小化する行為として否定的にみる。「台湾地区」は即ち台湾であり、中華民国そのものである。
  • 中華人民共和国の旗 中華人民共和国:「一つの中国」は中華人民共和国という発想のもと、中華人民共和国成立後の中華民国政府を非合法な存在とみなし、中国共産党率いる統一戦線が「人民解放戦争」勝利後も国民党蔣介石派[注 6]の残党勢力から「解放」できていない地域として使用する。「台湾地区」は中華人民共和国の領土を構成する中国の一地域である。

脚注

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注釈

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  1. ^ この内戦には公式な終戦日がないものの、1979年1月1日米中国交樹立以降は中台両軍間で武力衝突は起きていない。中華人民共和国が時折「武力攻撃の可能性」について言及するものの、1990年代以降は中台両政府間の接触も起きており、民間の人的交流も活発化している。
  2. ^ 中華人民共和国のこと。中華民国は自身が「中国唯一の正統な国家」であると認識しているため、中華人民共和国を国家と認めていない。
  3. ^ 立法院国民大会等の組織は国民直接選挙議員を選出することになっているが、福建省の一部(「金馬地区」)を除いた中国大陸を「中共」に占領されたのでほとんどの選挙区で改選が不可能となった。政府は「大陸反攻」を達成するまで全面改選を行わない方針を採ったので、1940年代の第一回総選挙で選出された人物が1990年代の第二回総選挙まで議員の座に居座り、「万年議員」と揶揄された。
  4. ^ 行政院傘下の蒙蔵委員会は、蒙古地方西蔵地方の管理が主たる業務であったが、遷台後は台湾に住む蒙古地方(モンゴル)や西蔵地方(チベット)の出身者の保護や文化交流などの業務にあたるのみとなっていた[4]
  5. ^ 中華民国は世界貿易機関(WTO)へ加盟する際に「台澎金馬個別関税領域」(Separate Customs Territory of Taiwan, Penghu, Kinmen and Matsu, 略称:TPKM)という名称で加盟している[7]
  6. ^ 中国国民党のうち、容共を唱える一派は中国国民党革命委員会を結成し、中国人民政治協商会議に参加した。そのため、理論上は国民党も「新中国」建国に参加したことになっている。

出典

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関連項目

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