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{{Otheruseslist|[[経済学]]用語|不労所得者|不労所得|交通機関にただ乗りする者|不正乗車}} |
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'''フリーライダー'''({{lang-en-short|free rider}})とは、 |
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* [[経済学]]用語。本項で詳述。 |
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* 活動に必要なコストを負担せず利益だけを受ける者。 |
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* [[不労所得|不労所得者]]。 |
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* 交通機関にただ乗りする者。[[不正乗車]]を参照。 |
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経済学における'''フリーライダー'''({{Lang-en-short|free rider}})とは、資源、[[公共財]]、{{仮リンク|コモンプール資源|en|common pool resource|label=コモンプール資源}}の恩恵を受けている人々がその対価を支払わない、あるいは支払いが不十分である場合に発生する[[市場の失敗]]の一種である<ref name="Baumol">{{Cite book |last=Baumol |first=William |title=Welfare Economics and the Theory of the State |year=1952 |publisher=Harvard University Press |location=Cambridge, Massachusetts}}</ref>。公道や公共図書館、その他のコミュニティ性の高い財やサービスがその例である。フリーライダーは、コモンプール資源に対して料金や通行料、あるいは間接的に税金を支払わずに利用することで問題となる。その結果、コモンプール資源は過小生産、過剰利用、あるいは劣化する可能性がある<ref>Rittenberg and Tregarthen. ''Principles of Microeconomics'', [http://www.saylor.org/site/wp-content/uploads/2012/06/ECON101-3.2.pdf Chapter 6, Section 4. p. 2] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130319152336/http://www.saylor.org/site/wp-content/uploads/2012/06/ECON101-3.2.pdf|date=19 March 2013}}. Retrieved 20 June 2012</ref>。さらに、人々は本来協力的であるという証拠があるにもかかわらず(向社会的行動)、フリーライダーの存在によって協力が損なわれ、フリーライダー問題が永続化することが示されている<ref>Choi, T & Robertson, P. Contributors and Free-Riders in Collaborative Governance: A Computational Exploration of Social Motivation and Its Effects [https://academic.oup.com/jpart/article/29/3/394/5168276], Journal Of Public Administration Research and Theory, 29(3), 394-413. doi:10.1093/jopart/muy068</ref>。 |
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==概要== |
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経済学においては、ことに[[<!--純粋-->公共財]]のように<!--[[非競合性]]かつ-->[[非排除性]]がある[[サービス]]について、対価(供給のための費用)を支払わないで便益を享受する者を指す用語である。 |
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社会科学におけるフリーライダー問題とは、このような状況でフリーライディングとその悪影響をいかに制限するかという問題である。その一例として、[[所有権]]が明確に定義され、実施されていない場合のフリーライダー問題である<ref>{{Cite web |last1=Pasour Jr. |first1=E. C. |title=The Free Rider as a Basis for Government Intervention |url=https://direct.mises.org/journals/jls/5_4/5_4_6.pdf |publisher=Libertarian Studies |access-date=2014-10-25 |date=2014-07-30 |archive-date=2014-10-28 |archive-url=https://web.archive.org/web/20141028195146/https://direct.mises.org/journals/jls/5_4/5_4_6.pdf |url-status=dead}}</ref>。フリーライダー問題は、{{仮リンク|非排除性|en|non-excludability|label=非排除的}}かつ[[非競合性]]である[[公共財]]でよく見られる。非排除性とは、支払っていない人でも財やサービスの使用や恩恵を受けることを止められないことを意味する。非競合消費は、ある消費者による財やサービスの使用が、他の消費者の利用可能性を減らさないことを意味する。公共財のこれらの特性により、消費者が集合的資源に貢献するインセンティブはほとんどなくなる。 |
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一般的に、物財やサービスは、対価を支払った者に限り便益を受けることができる。これを財の'''排除性'''という。しかし、他の経済主体に有利に働く正の[[外部性]]を有する財のなかには、[[公共財]]や[[情報財]](例:[[ウィキペディア]])のような[[排除性]]を有しない財がある。 |
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フリーライダーは、政府が提供する道路システムのような非排除的かつ非競合的な財を、その費用を負担することなく享受できる。別の例としては、沿岸の町が灯台を建設した場合、多くの地域や国の船舶がその恩恵を受けるが、費用を負担していないため、航海援助に「フリーライド」していることになる。非排除的かつ非競合的消費の3つ目の例は、花火を見る群衆である。支払ったかどうかにかかわらず、観客の数は資源としての花火を減らすことはない。これらの例では、非支払者を排除するコストが法外になる一方で、資源の集合的消費は利用可能な量を減らさない{{要出典|date=August 2021}}。 |
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たとえば<!--、追加的な利用者が他の利用者の便益を減少させることのない[[非競合性]] を有する[[公共財]]の中には、[[非排除性]]をも有する[[純粋公共財]]がある。このような-->[[純粋公共財]]である消火活動や治安・国防などは、対象になる利用者を限定することが難しい(非排除性)。誰かが費用を負担してサービスを供給すれば、負担していない人も便益を受けられる。結果として、供給のための費用を負担する誘引は働かず、みながただ乗りをしようとするようになる。 |
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「フリーライダー」という用語は当初、公共財の経済理論で使用されたが、同様の概念が[[団体交渉]]、[[独占禁止法]]、心理学、[[政治学]]、[[ワクチン]]など、他の文脈にも適用されている<ref>{{Cite journal|last=Hendriks|first=Carolyn M.|date=December 2006|title=When the Forum Meets Interest Politics: Strategic Uses of Public Deliberation|journal=Politics & Society|volume=34|issue=4|pages=571–602|doi=10.1177/0032329206293641|s2cid=144875493}}</ref><ref>{{Cite journal|last1=Ibuka|first1=Yoko|last2=Li|first2=Meng|last3=Vietri|first3=Jeffrey|last4=Chapman|first4=Gretchen B|last5=Galvani|first5=Alison P|date=24 January 2014|title=Free-riding behavior in vaccination decisions: an experimental study|journal=PLOS ONE|volume=9|issue=3|pages=e87164|bibcode=2014PLoSO...987164I|doi=10.1371/journal.pone.0087164|pmc=3901764|pmid=24475246|doi-access=free}}</ref>。例えば、チームやコミュニティの一部の人は、グループの他のメンバーがフリーライドする可能性があると信じると、貢献度やパフォーマンスを下げることがある<ref>Ruël, Gwenny Ch.; Bastiaans, Nienke and Nauta, Aukje. [http://som.eldoc.ub.rug.nl/FILES/reports/themeA/2003/03A42/03a42.pdf "Free-riding and team performance in project education"] {{Webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130602145757/http://som.eldoc.ub.rug.nl/FILES/reports/themeA/2003/03A42/03a42.pdf|date=2013-06-02}}</ref>。 |
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そのため、[[市場経済]]に任せた場合、これらの正の外部性を伴うサービスの'''供給が著しく過少になる'''という問題が生じる。しかしながら、必要不可欠なサービスである。そこで[[租税]]により、便益に関わらず広く負担を募り、公共サービスを提供し社会的需要を満たす。これらのサービスを提供するのは、租税によって活動する公共性の高い主体(政府や地方自治体)である。 |
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経済的なフリーライダー問題は、グローバルな政治の領域でも同様に重要であり、国際協力と集団行動において課題を提示することが多い。グローバルな政治において、各国は、コストを負担したり、共通の目標を達成するために必要な努力に貢献したりすることなく、集合財や行動の恩恵を受ける特定の主体が存在するというシナリオに直面する。この現象は不均衡を生み出し、気候変動、国際安全保障、人道的危機などの国境を越えた課題に取り組む際の協調的な努力を阻害する。例えば、気候変動対策の議論では、温室効果ガス排出量の寄与度が低い国でも、排出量削減のコストを比例的に負担することなく、排出量削減のグローバルな取り組みから安定した気候の恩恵を受けることができる。このことは、各国の貢献と利得の間に格差を生み、効果的な国際協定の交渉と実施に課題をもたらす。グローバル政治におけるフリーライダー問題は、切迫したグローバルな課題に対処するために、国家間の集団行動と公平な負担分担を促進する際に直面する複雑さと障害を浮き彫りにしている<ref>AHNLID, ANDERS. "Free or Forced Riders? Small States in the International Political Economy: The Example of Sweden." Cooperation and Conflict, vol. 27, no. 3, 1992, pp. 241–76. JSTOR, [http://www.jstor.org/stable/45083885].</ref>。 |
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==外部性とフリーライダー== |
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フリーライダー問題は、[[外部性|正の外部性]]から派生する問題である。これは正の外部性を有する財は、その生産が通例では過少となることによる。これに対して負の外部性を有する財では、過剰生産の問題が通例では発生するが、これは[[ピグー税]]などの[[外部性|内部化]]による解決がはかられる。 |
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== インセンティブ == |
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なお経済学上のフリーライダーは対価を支払わずに便益を享受する者を意味する。公害を発生させた工場所有者は、その対価を負担していないがフリーライダーではない。 |
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フリーライダー問題を生み出す根本的なインセンティブは、公共財への貢献という文脈において、[[囚人のジレンマ]]の適用により説明できる<ref>Stanford Encyclopedia of Philosophy, "Free Rider Problem", section 1: "The Logic of Collective Action". [https://plato.stanford.edu/entries/free-rider/#LogColAct]</ref>。2人が公共サービス(警察署など)への貢献を分担し、社会がその貢献から恩恵を受けるとしよう。囚人のジレンマによれば、このシナリオの結果から特定の結論を導き出すことができる。両当事者が寄付をすれば、社会は恩恵を受けるが、当事者は金銭的な負担を強いられる。一方の当事者が支払わない(他の誰かが支払うことを期待して)場合、その当事者はフリーライダーとなり、もう一方が費用を負担しなければならない。もう一方の当事者もフリーライダーになることを決め、どちらも支払わなければ、社会は恩恵を受けられない。これは、フリーライダー問題が、自分自身はゼロコストで恩恵を受けられるのだから、他人に支払わせようとする個人の意欲によって生み出されることを示している<ref>Hardin, R. (2003). The Free Rider Problem (Stanford Encyclopedia of Philosophy) [https://plato.stanford.edu/entries/free-rider/#:~:text=The%20free%20rider%20problem%20is,one%20can%20receive%20it%20without]</ref>。これは、人間は最大の利益をもたらす選択をするという[[合理的選択理論]]の経済理論によって裏付けられている。したがって、サービスや資源が無料で提供される場合、消費者はそれに対価を支払わない<ref>Albanese, R & Van Felet, D (1985) Rational Behaviour in Groups: The Free-Riding Tendency. The academy of Management Review, 10 (2), 244</ref>。 |
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== 経済的課題 == |
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==その他の例== |
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フリーライディングは、財の過小生産や過剰消費につながる場合、[[パレート効率性]]の問題となる。例えば、ある[[公共財]]の価値をどの程度と評価するか、その価値を支払ってもよい金額で測った場合、人々はその評価額を過小に報告する傾向がある<ref name="Economics and the Environment">{{Cite book |last1=Goodstein |first1=Eban |title=Economics and the Environment |date=2014 |publisher=Library of Congress |location=University of Minnesota |isbn=978-1-118-53972-9 |edition=7}}</ref>。フリーライディングの対象となる財の特徴は通常、非支払者を排除できないこと、個人の消費が他者の利用可能性に影響を与えないこと、当該資源が生産・維持されなければならないことである。実際、何らかのメカニズムで非支払者を排除できれば、その財は[[クラブ財]]に変換される可能性がある(例えば、混雑した公道を有料道路に変更したり、無料の公共博物館を入場料を徴収する私立博物館に変更したりする場合)。 |
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教育においては、教育費を負担した当人だけでなく、雇用主の企業にもその効果が取得される(正の外部性)。しかし企業はフリーライダーとして費用を負担せず、市場の下では教育費の支出が過少となる。 |
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フリーライダーは、非排除的な財が[[非競合性]]でもある場合に問題となる。これらの財は、{{仮リンク|コモンプール資源|en|common-pool resources|label=コモンプール資源}}に分類され、共有財産制度が実施されていない場合、過剰消費によって特徴付けられる<ref name="Understanding Institutional Diversity">{{Cite book |last1=Ostrom |first1=Elinor |title=Understanding Institutional Diversity |date=2009 |publisher=Princeton University Press}}</ref>。共有財産の消費者は支払いなしで恩恵を受けられるだけでなく、一人の消費が他者に[[機会費用]]を課す。「[[コモンズの悲劇]]」の理論はこの点を強調しており、各消費者は自分の効用を最大化するように行動し、その結果、他者が消費を抑制することに依存する。これは過剰消費、さらには財の枯渇や破壊につながる可能性がある。フリーライドする人が多すぎると、システムやサービスは最終的に運営に必要な資源を確保できなくなる。フリーライディングは、財の生産が[[外部性]]、特に[[生態系サービス]]の使用を考慮していない場合に経験される。 |
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花火大会の開催にあたっては、それを鑑賞する住民は、費用を負担することなく便益を享受することが可能である。そのため、開催の便益がその費用を上回ると考えられる場合でも、市場に任せた場合、花火大会は開催されることはない。そのため地方自治体などが住民から税を徴収することで花火大会を開催することが可能となる<ref>マンキュー『ミクロ経済学』</ref>。 |
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その一例が地球規模の気候変動対策である。気候変動は地球規模の問題であり、気候を管理するグローバルな体制がないため、ある国の排出量削減の恩恵はその国の国境を越えて及び、世界中の国々に影響を与える。しかし、これにより一部の国が自国の利益のために行動し、自国の努力を制限し、他国の努力にフリーライドしている。一部の国では、市民や政府は、他者の努力にフリーライドできるため、緩和に関連する努力やコストに貢献したくない。{{要出典|date=August 2021}}このフリーライダー問題は、気候変動の[[地球温暖化の影響|影響]]を最も受けやすい国が、通常、温室効果ガスの排出量が最も少なく、[[ツバル]]のような小さな島国のように、経済的資源も少ないという点で、これらの慣行の公平性と倫理性に関する疑問も提起している<ref>Climate Leadership Council (2020), 'Why Climate Progress is Deadlocked'</ref>{{Full citation needed|date=August 2021}}。 |
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==実験経済学上での類例<!--日本の特殊性-->== |
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上述の公共経済学におけるフリーライダー論(正の外部性を有しつつ排除性を有しない財をその対象とする)とは異なるが、実験経済学での日米比較実験によると、日本人はアメリカ人と比べ、自分が損をしてもフリーライドする人の足を引っ張る傾向にある<ref>[[西條辰義]] 「経済行動と感情」(3)意地悪な行動 『日本経済新聞』2006年10月25日「やさしい経済学――実験で解く」。</ref>。たとえば、友人と2人でアルバイトを始めるにあたり、店を選ぶ決定権が自分にある場合、自分も友人も10万円もらえる店Aと、自分は9万9千円もらえるが友人は8万円しかもらえない店Bがあれば、約1割の日本人がBを選択する。 |
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この傾向は小学生低学年には見られなかったことから、ある程度年齢を経るにつれ、徐々に得られるものだと思われる。 |
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セオドア・グローブスとジョン・レディアードは、公共財に関する資源の[[パレート効率性|パレート最適]]配分は、個人に属する根本的なインセンティブと両立しないと考えている<ref>{{Cite journal|last1=Groves|first1=Theodore|last2=Ledyard|first2=John|date=May 1977|title=Optimal Allocation of Public Goods: A Solution to the "Free-Rider" Problem|url=http://www.kellogg.northwestern.edu/research/math/papers/144.pdf|journal=Econometrica|volume=45|issue=4|pages=783|doi=10.2307/1912672|jstor=1912672}}</ref>。したがって、ほとんどの学者によれば、フリーライダー問題は今後も公共の問題であり続けると予想される{{要出典|date=August 2021}}。例えば、[[アルバート・O・ハーシュマン]]は、フリーライダー問題は[[資本主義]]経済にとって循環的な問題であると考えた。ハーシュマンは、フリーライダー問題を人々の{{仮リンク|関心のシフト|en|shifting interest|label=関心のシフト}}と関連づけている。職場で個人のストレスレベルが上昇し、多くの人が雇用を失うことを恐れると、公共の場に[[人的資本]]を投入することが少なくなる。公共のニーズが高まると、不満を持つ消費者は{{仮リンク|集合行為|en|collective action|label=集合行為}}プロジェクトにより関心を持つようになる。これにより、個人は様々なグループを組織し、公共問題の解決を試みる。これは、フリーライディングの勢いを逆転させる効果がある。自己利益に焦点を当てたモデルではコストとして見なされることが多い活動が、以前は私的利益を追求していた不満を持つ消費者にとっては利益として見なされるようになる{{要出典|date=August 2021}}。 |
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また日米の大学院生を対象とした同様の実験では<ref>[http://www.iser.osaka-u.ac.jp/~saijo/pdffiles/keisemi06-01.pdf 「日本人はいじわるがお好き?!」プロジェクト 西條辰義 2005 年10 月]</ref>、日本の学生はアメリカの学生に比べて、自分の利益をかなり下げてでも、参加をしない相手に損をさせようとする傾向が高いという実験結果となった。そこから得られた示唆として、公共経済に対するフリーライダーのあり方にも、日本では独特の背景があるとしており、<!--フリーライダーの存在についても、−『公共財をみんなで作ろうとすると,日本人は「ただ乗り」をめざすものの成功しません.というのは,参加をした人が,参加をしなかった人の足を引っ張るからです.これを経験してしまうと,後で参加せざるをえなくなるのです.-->「日本の社会ではみんなで仲良く協力してコトにあたっているのではなく、協力しないと後が怖い、というところでしょうか」<!--(「日本人はいじわるがお好き?!」プロジェクト 西條辰義 2005)− -->と結論している。 |
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このサイクルは、公共の利益のために働く個人の活動がほめられなくなると、リセットされる。支持者の集合行為プロジェクトへのコミットメントレベルが低下するからである。支持の減少に伴い、多くの人が私的利益に戻り、時間とともにサイクルがリセットされる{{要出典|date=August 2021}}。ハーシュマンのモデルの支持者は、人々を動機付ける重要な要因は、指導者の[[利他主義]]の呼びかけに駆り立てられることだと主張する。[[ジョン・F・ケネディ]]の{{仮リンク|1961年大統領就任演説|en|John F. Kennedy 1961 presidential inauguration|label=就任演説}}では、「国があなたのために何をしてくれるかを問うのではなく、あなたが国のために何ができるかを問いなさい」とアメリカ国民に訴えた。一部の経済学者(例えば[[ミルトン・フリードマン]])は、このような利他主義の呼びかけは無意味だと考えている。フリードマンのような学者は、フリーライダー問題は不変の{{仮リンク|善循環と悪循環|en|Virtuous circle and vicious circle|label=善循環や悪循環}}の一部ではなく、別の場所で可能な解決策や改善の試みを求めている<ref>{{Cite news |last1=Frank |first1=Robert H. |title=When Self-Interest Isn't Everything |url=https://www.nytimes.com/2008/02/10/business/10view.html |access-date=29 April 2019 |newspaper=The New York Times |date=February 10, 2008}}</ref>。 |
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{{see also|囚人のジレンマ}} |
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== 経済的・政治的解決策 == |
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==参考文献・脚注== |
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=== 保証契約 === |
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{{Main|保証契約}}保証契約とは、参加者が公共財の建設に貢献することを拘束力のある誓約をする契約であり、所定の規模の定足数に達することを条件としている。定足数に達しない場合、公共財は提供されず、金銭的な貢献は返金される{{要出典|date=August 2021}}。 |
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{{仮リンク|支配的保証契約|en|assurance contract#Variants|label=支配的保証契約}}は、起業家が契約を作成し、定足数に達しない場合、最初の誓約額に追加の金額を加えて返金するという変形である。起業家は、定足数に達して公共財が提供された場合、手数料を徴収することで利益を得る。[[ゲーム理論]]の観点から、これにより公共財の建設を誓約することが支配戦略となる。つまり、他者の行動に関係なく、契約に誓約することが最善の行動となる<ref>{{Cite web |url=http://mason.gmu.edu/~atabarro/PrivateProvision.pdf |title={title} |access-date=16 October 2013 |archive-url=https://web.archive.org/web/20130112223855/http://mason.gmu.edu/~atabarro/PrivateProvision.pdf |archive-date=12 January 2013 |url-status=live |df=dmy-all}}</ref>。 |
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=== コースの解決策 === |
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経済学者[[ロナルド・コース]]にちなんで名付けられた{{仮リンク|コースの解決策|en|Coasian solution|label=コースの解決策}}は、公共財の潜在的な受益者が交渉を通じて資源を出し合い、各当事者の自己利益に基づく支払い意思に基づいて公共財を創出できるというものである。コースの論文『{{仮リンク|社会的費用の問題|en|The Problem of Social Cost|label=社会的費用の問題}}』(1960年)は、公共財の潜在的な受益者間の[[取引費用]]が低い場合、つまり潜在的な受益者が互いを見つけ、各自の公共財に対する価値に基づいて資源を出し合うことが容易な場合、政府の介入なしに公共財を生産できると主張した<ref name="Coase1960">{{Cite journal|last=Coase|first=Ronald|date=October 1960|title=The Problem of Social Cost|journal=Journal of Law and Economics|volume=3|pages=1–44|doi=10.1086/466560|s2cid=222331226}}</ref>。 |
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その後、コース自身は、コース定理として知られるようになったものは取引費用がゼロの場合の含意を探ったものであるが、実際には、この構想を踏み台として、正の取引費用、企業、法制度、政府の行動という現実世界を理解するつもりだったと述べている<ref>{{Cite web |last=Fox |first=Glenn |title=The Real Coase Theorems |url=http://www.canadianjusticereviewboard.ca/archive-Dr._Glenn_Fox_on_The_Real_Coase_Theorems.pdf |website=Cato Journal 27, Fall 2007 |publisher=Cato Institute, Washington, D.C. |access-date=17 February 2014 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20130723053515/http://www.canadianjusticereviewboard.ca/archive-Dr._Glenn_Fox_on_The_Real_Coase_Theorems.pdf |archive-date=23 July 2013}}</ref><ref name="Coase1988_1">{{Cite book |last=Coase |first=Ronald |title=The Firm, the Market and the Law |year=1988 |publisher=University of Chicago Press |location=Chicago, Illinois |page=13}}</ref>。<blockquote>私は、取引費用がゼロであると仮定した世界で何が起こるかを検討した。そうすることの目的は、そのような世界での生活がどのようなものになるかを描写することではなく、分析を展開するためのシンプルな設定を提供し、さらに重要なのは、取引費用が経済システムを構成する制度の形成において果たすべき、また実際に果たしている基本的な役割を明確にすることだった。</blockquote>コースはまた次のようにも述べている。<blockquote>取引費用がゼロの世界はしばしばコース的世界と形容されてきた。しかし、それは真実から程遠い。それは現代経済学の世界であり、私は経済学者にそこから離れるよう説得しようとしていたのだ。「社会的費用の問題」で私がしたことは、単にその特性の一部を明らかにすることだった。私は、そのような世界では、資源の配分は法的立場とは無関係になると論じた。スティグラーはこの結果を「コースの定理」と名付けた<ref name="Coase1988_2">{{Cite book |title=The Firm, the Market and the Law |last=Coase |first=Ronald |publisher=University of Chicago Press |year=1988 |location=Chicago, Illinois |page=174}}</ref>。</blockquote>したがって、コース自身は「コース定理」やコース的解決策を、政府、法律、企業という20世紀の現実世界を最終的に考察するための単純化された構築物と考えていたようだが、これらの概念は取引費用がはるかに低く、政府の介入が疑いなく不要な世界と結びついてきた。 |
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情報財に特に関連する小さな代替案は、生産者が費用をカバーするための支払いが満たされるまで、公共財を公開しないというものである。例えば作家の[[スティーヴン・キング]]は、一定額の資金が調達されない限り後続の章を公開しないと述べながら、新しい小説の章を自身のウェブサイトで無料でダウンロードできるようにした。時に''身代金要求''とも呼ばれるこの公共財生産の方法は、公共財生産のための{{仮リンク|ストリートパフォーマープロトコル|en|street performer protocol|label=ストリートパフォーマープロトコル}}の現代的応用である。保証契約とは異なり、その成功は主に社会規範に依存しており、一定の範囲で目標額に達し、部分的な貢献が無駄にならないようにする{{要出典|date=August 2021}}。 |
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今日、最も純粋なコース的解決策の1つは、インターネット[[クラウドファンディング]]という新しい現象である{{要出典|date=August 2021}}。ここでは、コンピュータアルゴリズムと法的契約、そして社会的圧力によってルールが執行される。例えば、[[Kickstarter]]では、各出資者は新製品の購入や他の約束された特典を受けるためにクレジットカードの購入を承認するが、資金調達目標が達成されるまで資金は動かない<ref name="kick">{{Cite web |title=Kickstarter FAQ |url=https://www.kickstarter.com/help/faq/kickstarter+basics?ref=faq_nav#Kick |access-date=17 February 2014 |archive-url=https://web.archive.org/web/20140226050118/https://www.kickstarter.com/help/faq/kickstarter+basics?ref=faq_nav#Kick |archive-date=26 February 2014 |url-status=live |df=dmy-all}}</ref>。自動化とインターネットが資源をプールするための取引コストを大幅に削減するため、わずか数百ドルのプロジェクト目標が頻繁にクラウドファンディングされ、伝統的な投資家を勧誘するコストをはるかに下回っている。 |
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=== 排除メカニズムの導入(クラブ財) === |
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情報財のために発展したもう1つの解決策は、公共財を[[クラブ財]]に変える排除メカニズムを導入することである。よく知られた例としては、[[著作権]]と[[特許]]法がある。20世紀に[[知的財産権]]と呼ばれるようになったこれらの法律は、財の複製を禁止することで自然な非排除性を取り除こうとするものである。フリーライダー問題には対処できるが、これらの法律のマイナス面は、私的な独占力を意味し、[[パレート最適]]ではないことである。 |
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例えば、米国では、製薬会社に与えられた特許権により、高価格([[限界費用]]以上)での販売が奨励される<!--I'm hiding this, not removing it, just in case.{{Dubious|date=August 2011| reason=Patents encourage pharmaceutical research (which is absurdly expensive) by allowing companies to have some time to recuperate their losses via market monopoly. If a company had to share the market immediately, they would be unlikely to recover the amount lost during research. See "generic competition paradox", which shows that it is actually the loss of the patent that causes prices to skyrocket.}}-->。また、患者に医師に薬を処方してもらうよう説得する広告を行うことも奨励される{{疑問点|date=August 2011|reason=特許を持たない企業も広告を行っている。広告を行うかどうかは、特許とは全く関係ない。}}。同様に、著作権は、出版社が自社の新作の収益を奪わないように古い作品を[[絶版]]にする{{仮リンク|犬と干し草の寓話|en|The Dog in the Manger|label=犬と干し草の寓話}}のように行動するインセンティブを与える。娯楽産業の例としては、[[ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメント]]の「{{仮リンク|ディズニー・ヴォールト|en|Disney Vault|label=ヴォールト}}」販売方式がある。コンピュータソフトウェア産業の例としては、広く批判された[[Microsoft Windows Vista|Windows Vista]]オペレーティングシステムからの収益を促進するために、2008年半ばに[[Microsoft Windows XP|Windows XP]]を市場から撤退させるという[[マイクロソフト]]の決定がある{{要出典|date=March 2021}}。 |
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これらの法律はまた、特許権者や著作権者が穏やかな模倣者であっても裁判で訴え、[[レントシーキング]]の一形態として排他的権利の期間延長を求めてロビー活動を行うことを助長する結果となっている。 |
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このクラブ財メカニズムの問題点は、より多くの人々に財を提供する際の根本的な[[限界費用]]が低いか、ゼロであるにもかかわらず、[[価格差別]]の限界により、利益最大化価格を支払う意思がない、あるいは支払えない人々が財にアクセスできないことに起因している。排除メカニズムのコストが協働によるメリットを上回らなければ、クラブ財は自然に生まれる可能性がある。[[ジェームズ・M・ブキャナン]]は、その画期的な論文で、クラブは政府の介入に代わる効率的な選択肢になり得ることを示した<ref>James M. Buchanan (February 1965). "An Economic Theory of Clubs". Economica. 32 (125): 1–14. doi:10.2307/2552442. JSTOR 2552442.</ref>。その一方で、クラブ財の排除には非効率性と不公平性があるため、潜在的に排除可能なクラブ財を公共財として扱い、その生産を他のメカニズムで資金調達することがある。このような「自然な」クラブ財の例としては、固定費用の非常に高い[[自然独占]]、私営ゴルフ場、映画館、ケーブルテレビ、社交クラブなどがある。このため、このような財は、利益を追求する企業家に供給を任せるのではなく、政府、協同組合、ボランティア団体が提供したり、補助金を出したりすることが多い。これらの財は、しばしば''社会的財''と呼ばれる。[[ヨーゼフ・シュンペーター]]は、著作権や特許の独占によって生み出される「超過利潤」、つまり通常の利潤を上回る利潤は、技術革新を行う競争相手を引き付け、それによって独占を終わらせると主張した。これは「シュンペーター的[[創造的破壊]]」と呼ばれる継続的なプロセスであり、さまざまなタイプの公共財への適用については、ある程度の論争がある。この理論の支持者は、例えばマイクロソフトのケースを指摘し、価格を引き上げる(あるいは製品の品質を下げる)というこれらの慣行が、LinuxやAppleの市場シェアの増加を大いに不可避なものにすると予測している{{要出典|date=May 2011}}。 |
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国家は、その構成員が市民である「クラブ」とみなすことができる。そうすると、政府はこのクラブの管理者ということになる。これについては、国家理論でさらに研究されている{{要出典|date=January 2020}}。 |
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=== 非利他的な社会的制裁(共同体制) === |
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ゲーム理論を基礎とした実験的文献では、さまざまな形態の社会的制裁の効果を測定することで、国家の介入なしにフリーライダー問題を改善できることが示唆されている。共同資源プールに貢献しない構成員に「フリーライダー」にコストを課すことで、他の構成員が制裁を加えるピア・ツー・ピア(P2P)の罰は、協力関係を確立し維持するのに十分であると考えられている<ref>{{Cite journal|author1=Elinor Ostrom|date=June 1992|title=Covenants With and without a Sword: Self-Governance Is Possible|journal={{仮リンク|American Political Science Review|en|American Political Science Review|label=American Political Science Review}}|volume=86|issue=2|pages=404–17|doi=10.2307/1964229|jstor=1964229|author2=James Walker|author3=Roy Gardner|s2cid=155015135|author-link1=Elinor Ostrom}}</ref><ref>Fehr, E., & S. Gächter (2000) "Cooperation and Punishment in Public Goods Experiments"'', 90 American Economic Review'' 980.</ref>。 |
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社会的行動は罰する側にコストがかかるため、個人がフリーライダーを罰する行動をとることを妨げる。したがって、資源を効果的に管理するためには、罰する側が罰を実行することに対して報酬を与える必要がある。囚人が意思疎通や戦略を立てることを禁じられている囚人のジレンマとは異なり、人々は集まって「共同体制」を形成することができる。そこでは、グループがフリーライダーを制裁する個人に報酬を与えることのコストと利益を比較検討する<ref name="Understanding Institutional Diversity" />。資源を保全することの利益が、コミュニケーションと執行のコストを上回る限り、メンバーはしばしばフリーライダーを制裁する罰する側に報酬を与える<ref name="Governing the Commons">{{Cite book |last1=Ostrom |first1=Elinor |title=Governing the Commons |date=1990 |publisher=Cambridge University Press |isbn=0521405998}}</ref>。結果は[[パレート最適]]ではないが(執行のための追加コストがグループにかかるため)、資源を枯渇させるよりはコストが低くなることが多い。交渉と執行のコストがゼロに近づく極限のケースでは、解がパレート最適解に近づくにつれ、この設定はコース的なものになる。 |
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罰も国家による規制も、人々が他人の行動を観察できない不完全情報下では、比較的うまくいかない<ref>{{Cite journal|last1=Kristoffel Grechenig|first1=Nicklisch|last2=Thöni|first2=C.|year=2010|title=Punishment despite reasonable doubt – a public goods experiment with sanctions under uncertainty|url=https://www.alexandria.unisg.ch/71109/1/GrechenigNicklischTh%C3%B6ni2010JELS%20Punishment%20Despite%20Reasonable%20Doubt-A%20Public%20Goods%20Experiment%20with%20Sanctions%20Under%20Uncertainty.pdf|journal=Journal of Empirical Legal Studies|volume=7|issue=4|pages=847–67|doi=10.1111/j.1740-1461.2010.01197.x|ssrn=1586775|s2cid=41945226}}</ref><ref name="Governing the Commons" />。交渉を通じてメンバーが確立する共同体制は、外部者よりも管理している特定の共同資源プールについての情報を多く持っていることが多い。このため、また共同体制は[[プリンシパル=エージェント理論]]の問題を回避できるため、共同体制内の特定のローカルな知識は、通常、外部の技術専門家が設計する規制よりも優れたパフォーマンスを発揮できる<ref name="Governing the Commons" />。それでも、共同体制の人々が企業のルールと設計を決定する際に、政府や技術専門家に相談することで、ローカルな知識と技術的知識を組み合わせると、最高のパフォーマンスが得られることが多い<ref name="Governing the Commons" /><ref name="Understanding Institutional Diversity" />。 |
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== 利他的な解決策 == |
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=== 社会規範 === |
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心理学的に、人間は、貢献を差し控えながら恩恵を享受する場合にのみ、他者から根本的にフリーライダーと見なされる。すべての文化でフリーライダーが認識されているが、許容度や対処法には文化的な違いがある<ref>Delton, A., Cosmides, L., Guemo, M., Robertson, T., & Tooby, J. (2012) The Psychosemantics of Free Riding: Dissecting the Architecture of a Moral Concept. Journal of Personality and Social Psychology, 102 (6), 1252-1270</ref>。[[規範]]がフリーライダー問題に与える影響は文化的文脈によって異なるため、異文化間で適用した場合、フリーライダー問題に関する研究結果にばらつきが生じる可能性がある。社会規範は、私的かつ自発的に提供される公共財に影響を与えるが、多くの文脈で問題にある程度の影響を与えると考えられている。例えば、社会的制裁は、それ自体が高度な普遍性を持つ規範である<ref>{{Cite journal|last1=Vyrastekova|first1=Jana|last2=Funaki|first2=Yukihiko|last3=Takeuchi|first3=Ai|date=2011|title=Sanctioning as a social norm: Expectations of non-strategic sanctioning in public goods game experiment|journal=The Journal of Socio-Economics|volume=40|issue=6|pages=919–928|doi=10.1016/j.socec.2011.08.020|hdl=2066/95402|hdl-access=free}}</ref>。社会的制裁とそれがフリーライダー問題に与える影響に関する多くの研究の目的は、さまざまな社会で観察される利他的な動機を説明することである。 |
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フリーライディングは、公共が感じるプラスとマイナスの外部性の観点からのみ考えられることが多い。[[利他主義]]に関連する行動や動機に対する社会規範の影響は、経済的解決策やそれらが導き出されるモデルでしばしば過小評価されている<ref>{{Cite journal|last1=Hustinx|first1=Lesley|last2=Cnaan|first2=R. A.|last3=Handy|first3=F.|date=2010|title=Navigating theories of volunteering: A hybrid map for a complex phenomenon|url=https://biblio.ugent.be/publication/1100542|journal=Journal for the Theory of Social Behaviour|volume=40|issue=4|pages=410–434|doi=10.1111/j.1468-5914.2010.00439.x|hdl=1854/LU-1100542|hdl-access=free}}</ref>。 |
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=== 利他的な社会的制裁 === |
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非利他的な社会的制裁は、人々が共同体制を確立する際に行われるが、人々は報酬を得なくてもフリーライダーを罰することがある。動機の正確な性質は、まだ探求されるべきものである<ref>{{Cite journal|last1=Fehr|first1=Ernst|last2=Gächter|first2=Simon|year=2002|title=Altruistic punishment in humans|journal=Nature|volume=415|issue=6868|pages=137–40|bibcode=2002Natur.415..137F|doi=10.1038/415137a|pmid=11805825|s2cid=4310962}}</ref>。コストのかかる罰が協力を説明できるかどうかは議論の的となっている<ref>{{Cite journal|last1=Dreber|first1=Anna|year=2008|title=Winners don't punish|journal=[[ネイチャー|Nature]]|volume=452|issue=7185|pages=348–51|bibcode=2008Natur.452..348D|doi=10.1038/nature06723|pmc=2292414|pmid=18354481|display-authors=etal}}</ref>。最近の研究では、コストのかかる罰は現実世界の環境ではあまり効果的ではないことが分かっている。 |
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他の研究では、公共財の文脈において、社会的制裁を戦略的なものとして一般化することはできないことが分かっている。秘密の制裁(ゲームのプレイヤー間で追跡不可能な制裁)と標準的な制裁(他の点では同一の環境でプレイヤー間のフィードバックを含む追跡可能な制裁)に対するフリーライダーの選好に有意な差はなかった。むしろ、一部の個人は秘密性に関係なく他者を制裁することを好んだ<ref>{{Cite journal|last1=Vyrastekova|first1=Jana|last2=Funaki|first2=Yukihiko|last3=Takeuchi|first3=Ai|date=2011|title=Sanctioning as a social norm: Expectations of non-strategic sanctioning in a public goods game experiment|journal=The Journal of Socio-Economics|volume=40|issue=6|pages=919–928|doi=10.1016/j.socec.2011.08.020|hdl=2066/95402|hdl-access=free}}</ref>。[[行動経済学]]の知見に基づく他の研究では、ジレンマのある寄付ゲームにおいて、寄付者は損失の恐れに動機づけられていることが分かっている。このゲームでは、寄付者が常に他の個人のフリーライディングと非コミットメントを罰する場合にのみ、寄付者の預金が返金された。プール罰(1人の寄付者がフリーライダーを罰しないと全員が預金を失う)は、グループのコンセンサスを考慮しない罰よりも安定した結果をもたらした。個人対個人のピア罰は、一貫性の低い社会的制裁につながった<ref>{{Cite journal|last1=Sasaki|first1=Tatsuya|last2=Okada|first2=Isamu|last3=Uchida|first3=Satoshi|last4=Chen|first4=Xiaojie|date=2015|title=Commitment to Cooperation and Peer Punishment: Its Evolution|journal=Games|volume=6|issue=4|pages=574–587|doi=10.3390/g6040574|hdl=10419/167960|doi-access=free|hdl-access=free}}</ref>。これらの研究は実験的性質のものではあるが、社会におけるフリーライダー問題を改善しようとする公共政策の決定に応用すれば有用であることが証明されるかもしれない。 |
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== 出典 == |
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== 参考文献 == |
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* {{Cite book |title=The Theory of Externalities, Public Goods and Club Goods |last=Cornes |first=Richard |author2=Sandler, Todd |year=1986 |publisher=Cambridge University Press |location=New York |isbn=052130184X}} |
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* [[ウィリアム・ノードハウス|William D. Nordhaus]], "A New Solution: the Climate Club" (a review of {{仮リンク|Gernot Wagner|en|Gernot Wagner|label=Gernot Wagner}} and {{仮リンク|Martin L. Weitzman|en|Martin L. Weitzman|label=Martin L. Weitzman}}, ''Climate Shock: The Economic Consequences of a Hotter Planet'', [[プリンストン大学出版局|Princeton University Press]], 250 pp, $27.95), ''{{仮リンク|The New York Review of Books|en|The New York Review of Books|label=The New York Review of Books}}'', vol. LXII, no. 10 (June 4, 2015), pp. 36–39. |
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* {{Cite journal|last=Venugopal|first=Joshi|year=2005|title=Drug imports: the free-rider paradox|journal=Express Pharma Pulse|volume=11|issue=9|pages=8}} |
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* P. Oliver – [https://web.archive.org/web/20160304201349/http://www.ssc.wisc.edu/~oliver/Soc626/Lectures/CollAct%20TheoryNew.pdf Sociology 626] published by [https://www.ssc.wisc.edu/sscc/ Social Science Computing Cooperative] [[ウィスコンシン大学マディソン校|University of Wisconsin]] |
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* [[グレゴリー・マンキュー]]『ミクロ経済学』 |
* [[グレゴリー・マンキュー]]『ミクロ経済学』 |
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* '''[[マンサー・オルソン]]'''『集合行為論――公共財と集団理論』 |
* '''[[マンサー・オルソン]]'''『集合行為論――公共財と集団理論』 |
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* 河合太介、渡部幹『フリーライダー』[[講談社現代新書]]、2010年 ISBN 9784062880565 |
* 河合太介、渡部幹『フリーライダー』[[講談社現代新書]]、2010年 ISBN 9784062880565 |
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==関連項目== |
== 関連項目 == |
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*[[社内ニート]] |
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* {{仮リンク|コモンプール資源|en|Common pool resource|label=コモンプール資源}} |
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* [[社会的余剰|経済的余剰]] |
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* {{仮リンク|フリーダム・ライダーズ|en|Freedom Riders|label=フリーダム・ライダーズ}} |
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* {{仮リンク|強制ライダー|en|Forced rider|label=強制ライダー}} |
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* {{仮リンク|リーチ (コンピューティング)|en|Leech (computing)|label=リーチ (コンピューティング)}} |
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* {{仮リンク|The Logic of Collective Action|en|The Logic of Collective Action|label=The Logic of Collective Action}} |
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* [[モラルハザード]] |
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* {{仮リンク|寄生 (社会的問題)|en|Parasitism (social offense)|label=寄生 (社会的問題)}} |
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* [[囚人のジレンマ]] |
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* [[コモンズの悲劇]] |
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* [[第三者罰]] |
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*[[公共事業]] |
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*[[天下り]] |
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*[[汚職]] |
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*[[市場の失敗]] |
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*[[公共経済学]] |
*[[公共経済学]] |
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*[[コモンズの悲劇]] |
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*[[ネットワークインフラただ乗り論争]] |
*[[ネットワークインフラただ乗り論争]] |
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*[[外部性]] |
*[[外部性]] |
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*[[マンサー・オルソン]] |
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*[[働きアリの法則]] |
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*[[スパイト行動]] |
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2024年9月9日 (月) 09:42時点における最新版
経済学におけるフリーライダー(英: free rider)とは、資源、公共財、コモンプール資源の恩恵を受けている人々がその対価を支払わない、あるいは支払いが不十分である場合に発生する市場の失敗の一種である[1]。公道や公共図書館、その他のコミュニティ性の高い財やサービスがその例である。フリーライダーは、コモンプール資源に対して料金や通行料、あるいは間接的に税金を支払わずに利用することで問題となる。その結果、コモンプール資源は過小生産、過剰利用、あるいは劣化する可能性がある[2]。さらに、人々は本来協力的であるという証拠があるにもかかわらず(向社会的行動)、フリーライダーの存在によって協力が損なわれ、フリーライダー問題が永続化することが示されている[3]。
社会科学におけるフリーライダー問題とは、このような状況でフリーライディングとその悪影響をいかに制限するかという問題である。その一例として、所有権が明確に定義され、実施されていない場合のフリーライダー問題である[4]。フリーライダー問題は、非排除的かつ非競合性である公共財でよく見られる。非排除性とは、支払っていない人でも財やサービスの使用や恩恵を受けることを止められないことを意味する。非競合消費は、ある消費者による財やサービスの使用が、他の消費者の利用可能性を減らさないことを意味する。公共財のこれらの特性により、消費者が集合的資源に貢献するインセンティブはほとんどなくなる。
フリーライダーは、政府が提供する道路システムのような非排除的かつ非競合的な財を、その費用を負担することなく享受できる。別の例としては、沿岸の町が灯台を建設した場合、多くの地域や国の船舶がその恩恵を受けるが、費用を負担していないため、航海援助に「フリーライド」していることになる。非排除的かつ非競合的消費の3つ目の例は、花火を見る群衆である。支払ったかどうかにかかわらず、観客の数は資源としての花火を減らすことはない。これらの例では、非支払者を排除するコストが法外になる一方で、資源の集合的消費は利用可能な量を減らさない[要出典]。
「フリーライダー」という用語は当初、公共財の経済理論で使用されたが、同様の概念が団体交渉、独占禁止法、心理学、政治学、ワクチンなど、他の文脈にも適用されている[5][6]。例えば、チームやコミュニティの一部の人は、グループの他のメンバーがフリーライドする可能性があると信じると、貢献度やパフォーマンスを下げることがある[7]。
経済的なフリーライダー問題は、グローバルな政治の領域でも同様に重要であり、国際協力と集団行動において課題を提示することが多い。グローバルな政治において、各国は、コストを負担したり、共通の目標を達成するために必要な努力に貢献したりすることなく、集合財や行動の恩恵を受ける特定の主体が存在するというシナリオに直面する。この現象は不均衡を生み出し、気候変動、国際安全保障、人道的危機などの国境を越えた課題に取り組む際の協調的な努力を阻害する。例えば、気候変動対策の議論では、温室効果ガス排出量の寄与度が低い国でも、排出量削減のコストを比例的に負担することなく、排出量削減のグローバルな取り組みから安定した気候の恩恵を受けることができる。このことは、各国の貢献と利得の間に格差を生み、効果的な国際協定の交渉と実施に課題をもたらす。グローバル政治におけるフリーライダー問題は、切迫したグローバルな課題に対処するために、国家間の集団行動と公平な負担分担を促進する際に直面する複雑さと障害を浮き彫りにしている[8]。
インセンティブ
[編集]フリーライダー問題を生み出す根本的なインセンティブは、公共財への貢献という文脈において、囚人のジレンマの適用により説明できる[9]。2人が公共サービス(警察署など)への貢献を分担し、社会がその貢献から恩恵を受けるとしよう。囚人のジレンマによれば、このシナリオの結果から特定の結論を導き出すことができる。両当事者が寄付をすれば、社会は恩恵を受けるが、当事者は金銭的な負担を強いられる。一方の当事者が支払わない(他の誰かが支払うことを期待して)場合、その当事者はフリーライダーとなり、もう一方が費用を負担しなければならない。もう一方の当事者もフリーライダーになることを決め、どちらも支払わなければ、社会は恩恵を受けられない。これは、フリーライダー問題が、自分自身はゼロコストで恩恵を受けられるのだから、他人に支払わせようとする個人の意欲によって生み出されることを示している[10]。これは、人間は最大の利益をもたらす選択をするという合理的選択理論の経済理論によって裏付けられている。したがって、サービスや資源が無料で提供される場合、消費者はそれに対価を支払わない[11]。
経済的課題
[編集]フリーライディングは、財の過小生産や過剰消費につながる場合、パレート効率性の問題となる。例えば、ある公共財の価値をどの程度と評価するか、その価値を支払ってもよい金額で測った場合、人々はその評価額を過小に報告する傾向がある[12]。フリーライディングの対象となる財の特徴は通常、非支払者を排除できないこと、個人の消費が他者の利用可能性に影響を与えないこと、当該資源が生産・維持されなければならないことである。実際、何らかのメカニズムで非支払者を排除できれば、その財はクラブ財に変換される可能性がある(例えば、混雑した公道を有料道路に変更したり、無料の公共博物館を入場料を徴収する私立博物館に変更したりする場合)。
フリーライダーは、非排除的な財が非競合性でもある場合に問題となる。これらの財は、コモンプール資源に分類され、共有財産制度が実施されていない場合、過剰消費によって特徴付けられる[13]。共有財産の消費者は支払いなしで恩恵を受けられるだけでなく、一人の消費が他者に機会費用を課す。「コモンズの悲劇」の理論はこの点を強調しており、各消費者は自分の効用を最大化するように行動し、その結果、他者が消費を抑制することに依存する。これは過剰消費、さらには財の枯渇や破壊につながる可能性がある。フリーライドする人が多すぎると、システムやサービスは最終的に運営に必要な資源を確保できなくなる。フリーライディングは、財の生産が外部性、特に生態系サービスの使用を考慮していない場合に経験される。
その一例が地球規模の気候変動対策である。気候変動は地球規模の問題であり、気候を管理するグローバルな体制がないため、ある国の排出量削減の恩恵はその国の国境を越えて及び、世界中の国々に影響を与える。しかし、これにより一部の国が自国の利益のために行動し、自国の努力を制限し、他国の努力にフリーライドしている。一部の国では、市民や政府は、他者の努力にフリーライドできるため、緩和に関連する努力やコストに貢献したくない。[要出典]このフリーライダー問題は、気候変動の影響を最も受けやすい国が、通常、温室効果ガスの排出量が最も少なく、ツバルのような小さな島国のように、経済的資源も少ないという点で、これらの慣行の公平性と倫理性に関する疑問も提起している[14][要文献特定詳細情報]。
セオドア・グローブスとジョン・レディアードは、公共財に関する資源のパレート最適配分は、個人に属する根本的なインセンティブと両立しないと考えている[15]。したがって、ほとんどの学者によれば、フリーライダー問題は今後も公共の問題であり続けると予想される[要出典]。例えば、アルバート・O・ハーシュマンは、フリーライダー問題は資本主義経済にとって循環的な問題であると考えた。ハーシュマンは、フリーライダー問題を人々の関心のシフトと関連づけている。職場で個人のストレスレベルが上昇し、多くの人が雇用を失うことを恐れると、公共の場に人的資本を投入することが少なくなる。公共のニーズが高まると、不満を持つ消費者は集合行為プロジェクトにより関心を持つようになる。これにより、個人は様々なグループを組織し、公共問題の解決を試みる。これは、フリーライディングの勢いを逆転させる効果がある。自己利益に焦点を当てたモデルではコストとして見なされることが多い活動が、以前は私的利益を追求していた不満を持つ消費者にとっては利益として見なされるようになる[要出典]。
このサイクルは、公共の利益のために働く個人の活動がほめられなくなると、リセットされる。支持者の集合行為プロジェクトへのコミットメントレベルが低下するからである。支持の減少に伴い、多くの人が私的利益に戻り、時間とともにサイクルがリセットされる[要出典]。ハーシュマンのモデルの支持者は、人々を動機付ける重要な要因は、指導者の利他主義の呼びかけに駆り立てられることだと主張する。ジョン・F・ケネディの就任演説では、「国があなたのために何をしてくれるかを問うのではなく、あなたが国のために何ができるかを問いなさい」とアメリカ国民に訴えた。一部の経済学者(例えばミルトン・フリードマン)は、このような利他主義の呼びかけは無意味だと考えている。フリードマンのような学者は、フリーライダー問題は不変の善循環や悪循環の一部ではなく、別の場所で可能な解決策や改善の試みを求めている[16]。
経済的・政治的解決策
[編集]保証契約
[編集]保証契約とは、参加者が公共財の建設に貢献することを拘束力のある誓約をする契約であり、所定の規模の定足数に達することを条件としている。定足数に達しない場合、公共財は提供されず、金銭的な貢献は返金される[要出典]。
支配的保証契約は、起業家が契約を作成し、定足数に達しない場合、最初の誓約額に追加の金額を加えて返金するという変形である。起業家は、定足数に達して公共財が提供された場合、手数料を徴収することで利益を得る。ゲーム理論の観点から、これにより公共財の建設を誓約することが支配戦略となる。つまり、他者の行動に関係なく、契約に誓約することが最善の行動となる[17]。
コースの解決策
[編集]経済学者ロナルド・コースにちなんで名付けられたコースの解決策は、公共財の潜在的な受益者が交渉を通じて資源を出し合い、各当事者の自己利益に基づく支払い意思に基づいて公共財を創出できるというものである。コースの論文『社会的費用の問題』(1960年)は、公共財の潜在的な受益者間の取引費用が低い場合、つまり潜在的な受益者が互いを見つけ、各自の公共財に対する価値に基づいて資源を出し合うことが容易な場合、政府の介入なしに公共財を生産できると主張した[18]。
その後、コース自身は、コース定理として知られるようになったものは取引費用がゼロの場合の含意を探ったものであるが、実際には、この構想を踏み台として、正の取引費用、企業、法制度、政府の行動という現実世界を理解するつもりだったと述べている[19][20]。
私は、取引費用がゼロであると仮定した世界で何が起こるかを検討した。そうすることの目的は、そのような世界での生活がどのようなものになるかを描写することではなく、分析を展開するためのシンプルな設定を提供し、さらに重要なのは、取引費用が経済システムを構成する制度の形成において果たすべき、また実際に果たしている基本的な役割を明確にすることだった。
コースはまた次のようにも述べている。
取引費用がゼロの世界はしばしばコース的世界と形容されてきた。しかし、それは真実から程遠い。それは現代経済学の世界であり、私は経済学者にそこから離れるよう説得しようとしていたのだ。「社会的費用の問題」で私がしたことは、単にその特性の一部を明らかにすることだった。私は、そのような世界では、資源の配分は法的立場とは無関係になると論じた。スティグラーはこの結果を「コースの定理」と名付けた[21]。
したがって、コース自身は「コース定理」やコース的解決策を、政府、法律、企業という20世紀の現実世界を最終的に考察するための単純化された構築物と考えていたようだが、これらの概念は取引費用がはるかに低く、政府の介入が疑いなく不要な世界と結びついてきた。
情報財に特に関連する小さな代替案は、生産者が費用をカバーするための支払いが満たされるまで、公共財を公開しないというものである。例えば作家のスティーヴン・キングは、一定額の資金が調達されない限り後続の章を公開しないと述べながら、新しい小説の章を自身のウェブサイトで無料でダウンロードできるようにした。時に身代金要求とも呼ばれるこの公共財生産の方法は、公共財生産のためのストリートパフォーマープロトコルの現代的応用である。保証契約とは異なり、その成功は主に社会規範に依存しており、一定の範囲で目標額に達し、部分的な貢献が無駄にならないようにする[要出典]。
今日、最も純粋なコース的解決策の1つは、インターネットクラウドファンディングという新しい現象である[要出典]。ここでは、コンピュータアルゴリズムと法的契約、そして社会的圧力によってルールが執行される。例えば、Kickstarterでは、各出資者は新製品の購入や他の約束された特典を受けるためにクレジットカードの購入を承認するが、資金調達目標が達成されるまで資金は動かない[22]。自動化とインターネットが資源をプールするための取引コストを大幅に削減するため、わずか数百ドルのプロジェクト目標が頻繁にクラウドファンディングされ、伝統的な投資家を勧誘するコストをはるかに下回っている。
排除メカニズムの導入(クラブ財)
[編集]情報財のために発展したもう1つの解決策は、公共財をクラブ財に変える排除メカニズムを導入することである。よく知られた例としては、著作権と特許法がある。20世紀に知的財産権と呼ばれるようになったこれらの法律は、財の複製を禁止することで自然な非排除性を取り除こうとするものである。フリーライダー問題には対処できるが、これらの法律のマイナス面は、私的な独占力を意味し、パレート最適ではないことである。
例えば、米国では、製薬会社に与えられた特許権により、高価格(限界費用以上)での販売が奨励される。また、患者に医師に薬を処方してもらうよう説得する広告を行うことも奨励される[疑問点 ]。同様に、著作権は、出版社が自社の新作の収益を奪わないように古い作品を絶版にする犬と干し草の寓話のように行動するインセンティブを与える。娯楽産業の例としては、ウォルト・ディズニー・スタジオ・ホーム・エンターテイメントの「ヴォールト」販売方式がある。コンピュータソフトウェア産業の例としては、広く批判されたWindows Vistaオペレーティングシステムからの収益を促進するために、2008年半ばにWindows XPを市場から撤退させるというマイクロソフトの決定がある[要出典]。
これらの法律はまた、特許権者や著作権者が穏やかな模倣者であっても裁判で訴え、レントシーキングの一形態として排他的権利の期間延長を求めてロビー活動を行うことを助長する結果となっている。
このクラブ財メカニズムの問題点は、より多くの人々に財を提供する際の根本的な限界費用が低いか、ゼロであるにもかかわらず、価格差別の限界により、利益最大化価格を支払う意思がない、あるいは支払えない人々が財にアクセスできないことに起因している。排除メカニズムのコストが協働によるメリットを上回らなければ、クラブ財は自然に生まれる可能性がある。ジェームズ・M・ブキャナンは、その画期的な論文で、クラブは政府の介入に代わる効率的な選択肢になり得ることを示した[23]。その一方で、クラブ財の排除には非効率性と不公平性があるため、潜在的に排除可能なクラブ財を公共財として扱い、その生産を他のメカニズムで資金調達することがある。このような「自然な」クラブ財の例としては、固定費用の非常に高い自然独占、私営ゴルフ場、映画館、ケーブルテレビ、社交クラブなどがある。このため、このような財は、利益を追求する企業家に供給を任せるのではなく、政府、協同組合、ボランティア団体が提供したり、補助金を出したりすることが多い。これらの財は、しばしば社会的財と呼ばれる。ヨーゼフ・シュンペーターは、著作権や特許の独占によって生み出される「超過利潤」、つまり通常の利潤を上回る利潤は、技術革新を行う競争相手を引き付け、それによって独占を終わらせると主張した。これは「シュンペーター的創造的破壊」と呼ばれる継続的なプロセスであり、さまざまなタイプの公共財への適用については、ある程度の論争がある。この理論の支持者は、例えばマイクロソフトのケースを指摘し、価格を引き上げる(あるいは製品の品質を下げる)というこれらの慣行が、LinuxやAppleの市場シェアの増加を大いに不可避なものにすると予測している[要出典]。
国家は、その構成員が市民である「クラブ」とみなすことができる。そうすると、政府はこのクラブの管理者ということになる。これについては、国家理論でさらに研究されている[要出典]。
非利他的な社会的制裁(共同体制)
[編集]ゲーム理論を基礎とした実験的文献では、さまざまな形態の社会的制裁の効果を測定することで、国家の介入なしにフリーライダー問題を改善できることが示唆されている。共同資源プールに貢献しない構成員に「フリーライダー」にコストを課すことで、他の構成員が制裁を加えるピア・ツー・ピア(P2P)の罰は、協力関係を確立し維持するのに十分であると考えられている[24][25]。
社会的行動は罰する側にコストがかかるため、個人がフリーライダーを罰する行動をとることを妨げる。したがって、資源を効果的に管理するためには、罰する側が罰を実行することに対して報酬を与える必要がある。囚人が意思疎通や戦略を立てることを禁じられている囚人のジレンマとは異なり、人々は集まって「共同体制」を形成することができる。そこでは、グループがフリーライダーを制裁する個人に報酬を与えることのコストと利益を比較検討する[13]。資源を保全することの利益が、コミュニケーションと執行のコストを上回る限り、メンバーはしばしばフリーライダーを制裁する罰する側に報酬を与える[26]。結果はパレート最適ではないが(執行のための追加コストがグループにかかるため)、資源を枯渇させるよりはコストが低くなることが多い。交渉と執行のコストがゼロに近づく極限のケースでは、解がパレート最適解に近づくにつれ、この設定はコース的なものになる。
罰も国家による規制も、人々が他人の行動を観察できない不完全情報下では、比較的うまくいかない[27][26]。交渉を通じてメンバーが確立する共同体制は、外部者よりも管理している特定の共同資源プールについての情報を多く持っていることが多い。このため、また共同体制はプリンシパル=エージェント理論の問題を回避できるため、共同体制内の特定のローカルな知識は、通常、外部の技術専門家が設計する規制よりも優れたパフォーマンスを発揮できる[26]。それでも、共同体制の人々が企業のルールと設計を決定する際に、政府や技術専門家に相談することで、ローカルな知識と技術的知識を組み合わせると、最高のパフォーマンスが得られることが多い[26][13]。
利他的な解決策
[編集]社会規範
[編集]心理学的に、人間は、貢献を差し控えながら恩恵を享受する場合にのみ、他者から根本的にフリーライダーと見なされる。すべての文化でフリーライダーが認識されているが、許容度や対処法には文化的な違いがある[28]。規範がフリーライダー問題に与える影響は文化的文脈によって異なるため、異文化間で適用した場合、フリーライダー問題に関する研究結果にばらつきが生じる可能性がある。社会規範は、私的かつ自発的に提供される公共財に影響を与えるが、多くの文脈で問題にある程度の影響を与えると考えられている。例えば、社会的制裁は、それ自体が高度な普遍性を持つ規範である[29]。社会的制裁とそれがフリーライダー問題に与える影響に関する多くの研究の目的は、さまざまな社会で観察される利他的な動機を説明することである。
フリーライディングは、公共が感じるプラスとマイナスの外部性の観点からのみ考えられることが多い。利他主義に関連する行動や動機に対する社会規範の影響は、経済的解決策やそれらが導き出されるモデルでしばしば過小評価されている[30]。
利他的な社会的制裁
[編集]非利他的な社会的制裁は、人々が共同体制を確立する際に行われるが、人々は報酬を得なくてもフリーライダーを罰することがある。動機の正確な性質は、まだ探求されるべきものである[31]。コストのかかる罰が協力を説明できるかどうかは議論の的となっている[32]。最近の研究では、コストのかかる罰は現実世界の環境ではあまり効果的ではないことが分かっている。
他の研究では、公共財の文脈において、社会的制裁を戦略的なものとして一般化することはできないことが分かっている。秘密の制裁(ゲームのプレイヤー間で追跡不可能な制裁)と標準的な制裁(他の点では同一の環境でプレイヤー間のフィードバックを含む追跡可能な制裁)に対するフリーライダーの選好に有意な差はなかった。むしろ、一部の個人は秘密性に関係なく他者を制裁することを好んだ[33]。行動経済学の知見に基づく他の研究では、ジレンマのある寄付ゲームにおいて、寄付者は損失の恐れに動機づけられていることが分かっている。このゲームでは、寄付者が常に他の個人のフリーライディングと非コミットメントを罰する場合にのみ、寄付者の預金が返金された。プール罰(1人の寄付者がフリーライダーを罰しないと全員が預金を失う)は、グループのコンセンサスを考慮しない罰よりも安定した結果をもたらした。個人対個人のピア罰は、一貫性の低い社会的制裁につながった[34]。これらの研究は実験的性質のものではあるが、社会におけるフリーライダー問題を改善しようとする公共政策の決定に応用すれば有用であることが証明されるかもしれない。
出典
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関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- The Free Rider Problem - スタンフォード哲学百科事典「フリーライダー問題」の項目。