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'''日本橋野村ビルディング'''(にほんばしのむらビルディング)は、[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]一丁目に所在する建築物である。
'''日本橋野村ビルディング'''(にほんばしのむらビルディング)は、[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[日本橋 (東京都中央区)|日本橋]]一丁目に所在する建築物である。


旧[[野村財閥]](野村コンツエルン)が大阪から東京に進出する拠点として計画され、ビルの所有者は、旧財閥の不動産等資産を管理にあたる[[野村殖産]]であり、[[野村ホールディングス]]や[[野村證券]]の所有するビルではない。
== 沿革 ==

[[野村財閥]]の中核として大阪に本店を置いた[[野村銀行]]の東京進出の拠点となる建物として計画され、[[東京府]][[東京市]]日本橋区通一丁目1番地(現・東京都中央区日本橋一丁目9番1号)の地において、[[1928年]]([[昭和]]3年)[[6月8日]]起工され、[[1930年]](昭和5年)[[3月15日]]竣工した。
== 概要 ==
旧[[野村財閥]]の中核として大阪に本店を置いた[[大和銀行|野村銀行]](現在の[[りそな銀行]]の前身)の東京進出における拠点として計画され、[[1930年]]3月15日に竣工した。

戦後の[[1946年]]11月3日、建物は[[連合国軍最高司令官総司令部|占領軍]]に[[接収]]され、米軍やその家族の宿泊ホテル「リバービューホテル」とて<ref name="z" />、1952年10月20日の接収解除まで供され<ref>『野村建設工業三十年史』 15頁</ref>、1959年に本館、1981年には別館が増築され、野村證券が本社を置いた。


[[2012年]]は、[[DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築]]に選ばれた。
[[第二次世界大]]で日本が敗戦した後の[[1946年]](昭和21年)[[11月3日]]、[[連合国軍最高司令官総司令部|占領軍]]は本建物およびその別館を接収し、[[1952年]](昭和27年)[[10月20日]]の接収解除まで供され<ref>『野村建設工業三十年史』 15頁</ref>。竣工後増築された。


=== 再開発のため改修 ===
2012年に[[DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築]]に選ばれた。
日本橋野村ビルディングは、[[日本橋川]]沿いに建つ[[軍艦ビル]]として知られ、旧館・本館・別館から構成されていたが<ref name="z">{{Cite web|和書|url=https://www.zaikei.co.jp/article/20200229/554869.html|title=野村證券と「野村軍艦ビル」が迎える曲がり角と今後の行方|author=千葉明|publisher=財経新聞|date=2020-02-29|accessdate=2023-06-18}}</ref>、一角は[[三井不動産]]と[[野村不動産]]が組合員として参加する「[[日本橋一丁目中地区再開発|日本橋一丁目中地区再開発事業]]」の推進に伴い、本館・別館は解体された。他方、[[安井武雄]]が設計した旧館は外観が保存され、4階建ての複合施設(店舗・業務施設)に改装される<ref name="n" />。再開発ではほかに、52階建て・高さ284mの高層棟(ホテル・オフィス等)、7階建ての住宅、商業施設も建てられ、全体竣工は[[2026年]]3月末を予定<ref name="n">{{Cite web|和書|url=https://www.nomura-re.co.jp/cfiles/news/n2021120701943.pdf|title=「日本橋一丁目中地区第一種市街地再開発事業」着工|author=|publisher=三井不動産 野村不動産|date=2021-12-07|accessdate=2023-06-18}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65530120X21C20A0XQ1000/|title=三井不動産、日本橋にヒルトン最上級ホテル 2026年「ウォルドーフ・アストリア」|author=|publisher=日本経済新聞|date=2020-10-27|accessdate=2023-06-18}}</ref>。


== 建築概要 ==
== 旧館 ==
竣工当初の規模構造はそれぞれ、[[鉄骨鉄筋コンクリート構造]]の地上7階、地下2階建てで、敷地面積は334.880坪、建築面積は302.008坪、延床面積は2,384.551坪。設計は[[安井武雄]]。施工は[[大林組]]。
竣工当初の規模構造はそれぞれ、[[鉄骨鉄筋コンクリート構造]]の地上7階、地下2階建てで、敷地面積は334.880坪、建築面積は302.008坪、延床面積は2,384.551坪。設計は安井武雄。施工は[[大林組]]。


野村コンツエルンの東京進出の拠点として建てらるものであり、また日本橋のたもとという最も目立つ場所であることから、東京に数あるビルの亜流であってならないという意気込みのもと、独自のオフィスビルの定型を創出しようとする意欲が見られる建物となった<ref name=yasui/>。足元と頭を軽く中間を重くし、動的均整(ダイナミック・シンメトリー)と言われる設計手法が外観デザインの基本に据えられている<ref name=yasui>[https://www.yasui-archi.co.jp/pdf/yasui-takeo.pdf 日本橋野村ビル]安井建築設計事務所</ref>。
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== 出典 ==
== 出典 ==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* 建築学会、昭和5年(1930年)7月 『[http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00079427/ISS0000216599_ja.html 建築雑誌 第四四輯 第五三五號]』
* 建築学会、昭和5年(1930年)7月 『[http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00079427/ISS0000216599_ja.html 建築雑誌 第四四輯 第五三五號]』
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** {{PDFlink|[http://ci.nii.ac.jp/els/contents?id&#61;ART0004818949&type&#61;pdf&host&#61;cinii&lang&#61;jp 日本橋野村ビルディング新築工事概要]}}
* 野村建設工業株式会社社史編纂委員会、昭和51年(1976年) 『野村建設工業三十年史』 野村建設工業株式会社
* 野村建設工業株式会社社史編纂委員会『野村建設工業三十年史』 野村建設工業株式会社、1976年11月。


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* [http://www.nomurashokusan.co.jp/business/office_tokyo/ 日本橋野村ビル | 東京オフィスビル | 事業紹介 | 野村殖産株式会社] - 野村殖産公式WWW
* [http://www.nomurashokusan.co.jp/business/office_tokyo/ 日本橋野村ビル ] - 野村殖産


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2024年8月24日 (土) 13:12時点における最新版

日本橋一丁目中地区再開発 > 日本橋野村ビルディング
日本橋野村ビルディング
旧館
情報
用途 オフィス
設計者 安井武雄
施工 大林組
構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート構造
敷地面積 1,101.81 m²
延床面積 7,882.78 m²
高さ 地盤面より6階パラペット上端まで81.2尺、同7階まで91.8尺、方形屋根軒高93.8尺、エレベーター機械室上端まで103.5尺
着工 1928年(昭和3年)6月8日
竣工 1930年(昭和5年)3月15日
改築 本館(1959年)、別館(1981年)
所在地 東京都中央区日本橋一丁目9番1号
座標 北緯35度41分1.5秒 東経139度46分32.2秒 / 北緯35.683750度 東経139.775611度 / 35.683750; 139.775611
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日本橋野村ビルディング(にほんばしのむらビルディング)は、東京都中央区日本橋一丁目に所在する建築物である。

野村財閥(野村コンツエルン)が大阪から東京に進出する拠点として計画され、ビルの所有者は、旧財閥の不動産等資産を管理にあたる野村殖産であり、野村ホールディングス野村證券の所有するビルではない。

概要

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野村財閥の中核として大阪に本店を置いた野村銀行(現在のりそな銀行の前身)の東京進出における拠点として計画され、1930年3月15日に竣工した。

終戦後の1946年11月3日、建物は占領軍接収され、米軍やその家族の宿泊ホテル「リバービューホテル」として[1]、1952年10月20日の接収解除まで供され[2]、1959年に本館、1981年には別館が増築され、野村證券が本社を置いた。

2012年には、DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選ばれた。

再開発のため改修

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日本橋野村ビルディングは、日本橋川沿いに建つ軍艦ビルとして知られ、旧館・本館・別館から構成されていたが[1]、一角は三井不動産野村不動産が組合員として参加する「日本橋一丁目中地区再開発事業」の推進に伴い、本館・別館は解体された。他方、安井武雄が設計した旧館は外観が保存され、4階建ての複合施設(店舗・業務施設)に改装される[3]。再開発ではほかに、52階建て・高さ284mの高層棟(ホテル・オフィス等)、7階建ての住宅、商業施設も建てられ、全体竣工は2026年3月末を予定[3][4]

旧館

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竣工当初の規模構造はそれぞれ、鉄骨鉄筋コンクリート構造の地上7階、地下2階建てで、敷地面積は334.880坪、建築面積は302.008坪、延床面積は2,384.551坪。設計は安井武雄。施工は大林組

野村コンツエルンの東京進出の拠点として建てらるものであり、また日本橋のたもとという最も目立つ場所であることから、東京に数あるビルの亜流であってならないという意気込みのもと、独自のオフィスビルの定型を創出しようとする意欲が見られる建物となった[5]。足元と頭を軽く中間を重くし、動的均整(ダイナミック・シンメトリー)と言われる設計手法が外観デザインの基本に据えられている[5]

出典

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  1. ^ a b 千葉明 (2020年2月29日). “野村證券と「野村軍艦ビル」が迎える曲がり角と今後の行方”. 財経新聞. 2023年6月18日閲覧。
  2. ^ 『野村建設工業三十年史』 15頁
  3. ^ a b 「日本橋一丁目中地区第一種市街地再開発事業」着工”. 三井不動産 野村不動産 (2021年12月7日). 2023年6月18日閲覧。
  4. ^ 三井不動産、日本橋にヒルトン最上級ホテル 2026年「ウォルドーフ・アストリア」”. 日本経済新聞 (2020年10月27日). 2023年6月18日閲覧。
  5. ^ a b 日本橋野村ビル - 安井建築設計事務所

参考文献

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外部リンク

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