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「プレドラグ・ストヤコヴィッチ」の版間の差分

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{{バスケットボール選手
{{バスケットボール選手
|名前=プレドラグ・ストヤコヴィッチ
|名前={{PAGENAME}}
|画像=Peja Stojakovic Mavs.jpg
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|画像説明=現役時代([[ダラス・マーベリックス]])のストヤコヴィッチ<br/>(2011年)
|本名=Predrag Stojaković
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|愛称=ペジャ(Peja)
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|カタカナ表記={{PAGENAME}}
|アルファベット表記=Predrag Stojaković
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|原語名=セルビア語
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|原語表記=Предраг Стојаковић
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|国={{SRB}}<br>{{GRE}}
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|誕生日={{生年月日と年齢|1977|7|9}}
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|出身地=[[ユーゴスラビア]][[クロアチア]][[ポジェガ (クロアチア)|ポジェガ]]
|出身地={{YUG1945}} [[ファイル:Flag of the Socialist Republic of Croatia.svg|25px]] [[クロアチア社会主義共和国|クロアチア]]<br>[[File:Flag of Požega-Slavonia County.png|25px]] [[ポジェガ=スラヴォニア郡]][[ポジェガ (クロアチア)|ポジェガ]]
|出身={{Flagicon|SRB}} [[レッドスター・ベオグラード (バスケットボール)|レッドスター・ベオグラード]]
|身長=208m
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|体重=104kg
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|所属チーム名=引退
|所属チーム名=サクラメント・キングス
|ポジション=[[スモールフォワード]]
|ポジション=[[スモールフォワード|SF]]
|永久欠番={{NBAR|SAC|2|16}}
|背番号=
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|役職=球団副社長
|ドラフト=[[1996年のNBAドラフト|1996年]] 14位
|ドラフト= {{NBA draft|1996|1|15|SAC|S}}
|経歴=[[:w:KK Crvena zvezda|レッドスター・ベオグラード]]<br />[[PAOKテッサロニキ]]<br />[[サクラメント・キングス]]<br />[[インディアナ・ペイサーズ]]<br />[[ニューオーリンズ・ホーネッツ]]<br />[[トロント・ラプターズ]]<br />[[ダラス・マーベリックス]]
|賞歴=*[[NBAファイナル|NBAチャンピオン]] (2011)
* 3× [[NBAオールスターゲーム|NBAオールスター]] (2002-2004)
* [[オールNBAセカンドチーム]] (2004)
* 2× [[NBAスリーポイント・シュートアウト|NBAスリーポイントコンテスト]]優勝 (2002, 2003)
* No.16 [[サクラメント・キングス]]永久欠番
* [[バスケットボール欧州選手権|ユーロバスケット]]MVP (2001)
* [[ユーロリーグ]]得点王 (1998)
* [[ギリシャ・バスケットリーグ|ギリシャリーグ]]MVP (1998)
* 2× ギリシャリーグオールスター (1996, 1997)
* 2× ミスター・ヨーロッパ最優秀選手賞 (2001, 2002)
* ユーロスカー最優秀選手賞 (2001)
|経歴={{Flagicon|SRB}} [[KKツルヴェナ・ズヴェズダ]]<br />{{Flagicon|GRE}} [[PAOKテッサロニキ]]<br />[[サクラメント・キングス]]<br />[[インディアナ・ペイサーズ]]<br />[[ニューオーリンズ・ホーネッツ]]<br />[[トロント・ラプターズ]]<br />[[ダラス・マーベリックス]]
|経歴年=1992-1993<br />1994-1998<br />1998-2006<br />2006<br />2006-2010<br />2010<br />2010-2011
|経歴年=1992-1993<br />1994-1998<br />1998-2006<br />2006<br />2006-2010<br />2010<br />2010-2011
|show-medals = yes
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{{MedalGold|[[2001年バスケットボール男子欧州選手権|2001 トルコ]]|'''大会MVP'''}}
{{MedalGold|[[2001年バスケットボール男子欧州選手権|2001 トルコ]]|'''大会MVP'''}}
}}
}}
'''プレドラグ・ストヤコッチ'''('''Predrag "Peja" Stojaković'''、セルビア語表記:{{lang|sr|Предраг "Пеђа" Стојаковић}}、ギリシャ語表記:{{lang|el|Πρέντρακ Στογιάκοβιτς}}(Predrak Stoyiakovits)、[[1977年]][[7月9日]]-)は[[セルビア]]の元[[バスケットボール]]選手である。現[[クロアチア]](当時[[ユーゴスラビア]])の[[ポジェガ (クロアチア)|ポジェガ]]出身。ポジションは[[スモールフォワード]]。身長208cm、体重103.9kg。NBAでの登録名(ファーストネーム)は、彼の愛称から「'''Peja'''(ペジャ)」。日本でもペジャ・ストヤコヴィッチの名前で親しまれている。
'''プレドラグ・ストヤコヴィッチ'''('''Predrag "Peja" Stojaković'''、セルビア語表記:{{lang|sr|Предраг "Пеђа" Стојаковић}}、ギリシャ語表記:{{lang|el|Πρέντρακ Στογιάκοβιτς}}(Predrak Stoyiakovits)、[[1977年]][[7月9日]] - )は[[セルビア]]の元[[バスケットボール]]選手である。現[[クロアチア]](当時[[ユーゴスラビア]])の[[ポジェガ (クロアチア)|ポジェガ]]出身<ref name="basketball-refference.com">{{cite web|url=https://www.basketball-reference.com/players/s/stojape01.html|title=Peja Stojakovic Bio|publisher=basketball-reference.com|accessdate=December 19, 2011}}</ref>。ポジションは[[スモールフォワード]]。NBAでの登録名(ファーストネーム)は、彼の愛称から「'''Peja'''(ペジャ)」。日本でもペジャ・ストヤコヴィッチの名前で親しまれている。


==経歴==
== 経歴 ==
===NBA以前===
=== NBA以前 ===
[[ユーゴスラビア紛争]]の間、家族で[[ベオグラード]]に避難した過去を持つ。ちなみにベオグラードはバスケットボールの盛んな街で、プロチームも存在する。[[1993年]]、ストヤコビッチが16歳の時に、よりバスケットボールの環境に優れた[[ギリシャ]]に移住。[[テッサロニキ]]に移り、16歳の若さにしてギリシャ・リーグの[[PAOKテッサロニキ|PAOK BC]]と契約した。また同年、ギリシャの[[市民権]]も得ている。
[[ユーゴスラビア紛争]]の間、家族で[[ベオグラード]]に避難した過去を持つ。ちなみにベオグラードはバスケットボールの盛んな街で、プロチームも存在する。[[1993年]]、ストヤコビッチが16歳の時に、よりバスケットボールの環境に優れた[[ギリシャ]]に移住。[[テッサロニキ]]に移り、16歳の若さにしてギリシャ・リーグの[[PAOKテッサロニキ|PAOK BC]]と契約した。また同年、ギリシャの[[市民権]]も得ている。


[[1996年のNBAドラフト]]により[[サクラメント・キングス]]から1巡目(全体14位)指名を受けるが、1998-99シーズンの前にキングスと契約するまで、PAOK BCでのプレーを続けた。
[[1996年のNBAドラフト]]により[[サクラメント・キングス]]から1巡目(全体14位)指名を受けるが、1998-99シーズンの前にキングスと契約するまで、PAOK BCでのプレーを続けた。


===NBA===
=== NBA ===
1998-99シーズンのNBAデビューから2シーズンは、主にベンチからの出場が続いた。<br>
1998-99シーズンのNBAデビューから2シーズンは、主にベンチからの出場が続いた。<br>
2000年の[[シドニーオリンピックにおけるバスケットボール競技|シドニー五輪]]に[[バスケットボールセルビア代表|ユーゴスラビア代表]]として出場。<br>2000-01シーズンになると先発に抜擢。平均得点、平均リバウンド、3Pシュート成功数など、各カテゴリにおいて成績は急上昇し、次第にキングスにとって欠かせない存在に成長した。その年の[[MIP (NBA)|MIP]](最も成長した選手)の受賞こそ逃したものの、[[トレイシー・マグレディ]]に次ぐ第2位だった。[[2001年]]、[[トルコ]]で開催された[[バスケットボール欧州選手権]]に[[ユーゴスラビア]]代表として出場し、優勝を果たした。2001-02シーズンは初めて[[NBAオールスターゲーム]]に出場するなど、更なる飛躍のシーズンになった。成績の上昇は著しく、特にシュート成功率は48.4%を記録するなど、NBA屈指のシューターとして、その地位を確固たるものにした。またチームも[[NBAプレーオフ|プレーオフ]]の[[カンファレンスファイナル]]に進出。ストヤコビッチの貢献は非常に大きいものがあった。
2000年の[[2000年シドニーオリンピックバスケットボール競技|シドニー五輪]]に[[バスケットボールセルビア代表|ユーゴスラビア代表]]として出場。<br>2000-01シーズンになると先発に抜擢。平均得点、平均リバウンド、3Pシュート成功数など、各カテゴリにおいて成績は急上昇し、次第にキングスにとって欠かせない存在に成長した。その年の[[MIP (NBA)|MIP]](最も成長した選手)の受賞こそ逃したものの、[[トレイシー・マグレディ]]に次ぐ第2位だった。[[2001年]]、[[トルコ]]で開催された[[バスケットボール欧州選手権]]に[[ユーゴスラビア]]代表として出場し、優勝を果たした。2001-02シーズンは初めて[[NBAオールスターゲーム]]に出場するなど、更なる飛躍のシーズンになった。成績の上昇は著しく、特にシュート成功率は48.4%を記録するなど、NBA屈指のシューターとして、その地位を確固たるものにした。またチームも[[NBAプレーオフ|プレーオフ]]の[[カンファレンスファイナル]]に進出。ストヤコビッチの貢献は非常に大きいものがあった。


[[2002年]]にはアメリカ合衆国の[[インディアナ州]][[インディアナポリス]]で開催された[[バスケットボール世界選手権]]に出場。強豪アメリカを破るなど、ヨーロッパ選手権に引き続いて優勝した。2002-03シーズンもストヤコビッチはオールスターゲームに出場。本戦の前日に行われる3Pシュートコンテストでは2年連続優勝を果たした。続く2シーズン、2004-05シーズンまで、ストヤコッチはキングスの中心選手として活躍。しかしながらチーム成績は年々下降を辿り、キングスはメンバーの再編が迫られることになった。
[[2002年]]にはアメリカ合衆国の[[インディアナ州]][[インディアナポリス]]で開催された[[バスケットボール世界選手権]]に出場。強豪アメリカを破るなど、ヨーロッパ選手権に引き続いて優勝した。2002-03シーズンもストヤコビッチはオールスターゲームに出場。本戦の前日に行われる3Pシュートコンテストでは2年連続優勝を果たした。続く2シーズン、2004-05シーズンまで、ストヤコヴィッチはキングスの中心選手として活躍。しかしながらチーム成績は年々下降を辿り、キングスはメンバーの再編が迫られることになった。


2005-06シーズンは開幕から不調が続き、波に乗れない状態が続いていた。キングスは彼の放出を決断し、[[ロン・アーテスト]]との[[トレード]]で、シーズン途中に[[インディアナ・ペイサーズ]]に移籍した。移籍後、ペイサーズのチーム平均得点は上昇。自身も輝きを取り戻し、チームもプレーオフに進出した。しかし[[ニュージャージー・ネッツ]]相手に1回戦敗退を喫し、ストヤコッチはそのまま[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]]となって去就が注目されることになった。当初は残留(再契約)を望んでいたものの、結局、長期契約で[[ニューオーリンズ・ホーネッツ]]への移籍が決定した。
2005-06シーズンは開幕から不調が続き、波に乗れない状態が続いていた。キングスは彼の放出を決断し、[[ロン・アーテスト]]との[[トレード]]で、シーズン途中に[[インディアナ・ペイサーズ]]に移籍した。移籍後、ペイサーズのチーム平均得点は上昇。自身も輝きを取り戻し、チームもプレーオフに進出した。しかし[[ニュージャージー・ネッツ]]相手に1回戦敗退を喫し、ストヤコヴィッチはそのまま[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]]となって去就が注目されることになった。当初は残留(再契約)を望んでいたものの、結局、長期契約で[[ニューオーリンズ・ホーネッツ]]への移籍が決定した。


[[2006年]]、日本で開催された[[2006年バスケットボール世界選手権|バスケットボール世界選手権]]では[[セルビア・モンテネグロ]]代表としての出場が見込まれていたが、チームが若い世代への再編時期だということもあり、辞退を申し出た。2006-07シーズンは怪我の影響で開幕からわずか13試合出場しただけに留まった。
[[2006年]]、日本で開催された[[2006年バスケットボール世界選手権|バスケットボール世界選手権]]では[[セルビア・モンテネグロ]]代表としての出場が見込まれていたが、チームが若い世代への再編時期だということもあり、辞退を申し出た。2006-07シーズンは怪我の影響で開幕からわずか13試合出場しただけに留まった。
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2010年11月、[[ジャレット・ジャック]]らとの交換トレードで、[[トロント・ラプターズ]]へ移籍。その後、バイアウトされ、[[ダラス・マーベリックス]]と契約。そのマブスで悲願の優勝を果たした。
2010年11月、[[ジャレット・ジャック]]らとの交換トレードで、[[トロント・ラプターズ]]へ移籍。その後、バイアウトされ、[[ダラス・マーベリックス]]と契約。そのマブスで悲願の優勝を果たした。


2011年12月19日、現役引退を表明した。
2011年12月19日、現役引退を表明した<ref>[http://espn.go.com/nba/story/_/id/7370035/peja-stojakovic-decides-retirement-dallas-mavericks-championship-run Peja Stojakovic to retire after 13 years ---ESPN.com]</ref>

2014年9月16日、[[サクラメント・キングス]]は、ストヤコヴィッチが着けていた背番号「16」を、永久欠番にすると発表した<ref>[http://tbt.blogs.nba.com/kings/node/12083 Sacramento Kings to Retire Jersey of Peja Stojakovic---NBA.com]</ref>。

2014年12月16日の[[オクラホマシティ・サンダー]]戦のハーフタイム中に、ストヤコヴィッチの背番号「16」を永久欠番に認定するセレモニーが、[[パワー・バランス・パビリオン|スリーブ・トレイン・アリーナ]](旧名:[[アルコ・アリーナ]])で執り行われた。

== 個人成績 ==
{{NBA player statistics legend|champion=y|leader=y}}
=== NBA ===
==== レギュラーシーズン ====
{{NBA player statistics start}}
|-
| style="text-align:left;"| {{nbay|1998}}
| style="text-align:center;" rowspan=8|[[サクラメント・キングス|SAC]]
| 48 || 1 || 21.4 || .378 || .320 || .851 || 3.0 || 1.5 || .9 || .1 || 8.4
|-
| style="text-align:left;"| {{nbay|1999|trunc=y}}
| 74 || 11 || 23.6 || .448 || .375 || .882 || 3.7 || 1.4 || .7 || .1 || 11.9
|-
| style="text-align:left;"| {{nbay|2000}}
| 75 || 75 || 38.7 || .470 || .400 || .856 || 5.8 || 2.2 || 1.2 || .2 || 20.4
|-
| style="text-align:left;"| {{nbay|2001}}
| 71 || 71 || 37.3 || .484 || .416 || .876 || 5.3 || '''2.5''' || 1.1 || .2 || 21.2
|-
| style="text-align:left;"| {{nbay|2002}}
| 72 || 72 || 34.0 || .481 || .382 || .875 || 5.5 || 2.0 || 1.0 || .1 || 19.2
|-
| style="text-align:left;"| {{nbay|2003}}
| '''81''' || '''81''' || '''40.3''' || .480 ||.433 ||style="background:#cfecec;"| .927* || '''6.3''' || 2.1 || '''1.3''' || .2 || '''24.2'''
|-
| style="text-align:left;"| {{nbay|2004}}
| 66 || 66 || 38.4 || .444 || .402 || .920 || 4.3 || 2.1 || 1.2 || .2 || 20.1
|-
| style="text-align:left;" rowspan=2| {{nbay|2005}}
| 31 || 31 || 37.0 || .403 || .397 || .933 || 5.3 || 2.2 || .6 || .1 || 16.5
|-
| style="text-align:center;" rowspan=1| [[インディアナ・ペイサーズ|IND]]
| 40 || 40 || 36.4 || .461 || .404 || .903 || 6.3 || 1.7 || .7 || .2 || 19.5
|-
| style="text-align:left;"| {{nbay|2006}}
| style="text-align:center;" rowspan=5| [[ニューオーリンズ・ホーネッツ|NOH]]
| 13 || 13 || 32.7 || .423 || .405 || .816 || 4.2 || .8 || .6 || '''.3''' || 17.8
|-
| style="text-align:left;"| {{nbay|2007}}
| 77 || 77 || 35.2 || .440 || .441 ||style="background:#cfecec;" | .929* || 4.3 || 1.2 || .7 || .1 || 16.4
|-
| style="text-align:left;"| {{nbay|2008}}
| 61 || 59 || 34.2 || .399 || .378 || .894 || 4.3 || 1.2 || .9 || .0 || 13.3
|-
| style="text-align:left;"| {{nbay|2009}}
| 62 || 55 || 31.4 || .404 || .375 || .897 || 3.7 || 1.5 || .8 || .1 || 12.6
|-
| style="text-align:left;"rowspan=3 | {{nbay|2010}}
| 6 || 0 || 14.8 || .424 || .440 || .857 || 1.0 || 1.0 || .3 || .0 || 7.5
|-
| style="text-align:center;" rowspan=1| [[トロント・ラプターズ|TOR]]
| 2 || 0 || 11.0 || '''.700''' || '''.667''' || '''1.000''' || 1.5 || .5 || .0 || .0 || 10.0
|-
| style="text-align:center;background:#afe6ba;"| [[ダラス・マーベリックス|DAL]]
| 25 || 13 || 20.2 || .429 || .400 || .938 || 2.6 || .9 || .4 || .1 || 8.6
|-class="sortbottom"
| style="text-align:center;" colspan="2" | 通算
| 804 || 665 || 33.5 || .450 || .401 || .895 || 4.7 || 1.8 || .9 || .1 || 17.0
|-class="sortbottom"
| style="text-align:center;" colspan="2" | オールスター
| 3 || 0 || 14.9 || .364 || .385 || --- || 2.0 || 1.0 || .3 || .0 || 7.0
{{S-end}}

==== プレーオフ ====
{{NBA player statistics start}}
|-
| style="text-align:center;"| {{nbay|1998|end}}
| style="text-align:center;" rowspan=7|[[サクラメント・キングス|SAC]]
| 5 || 0 || 21.6 || .346 || .214 || '''1.000''' || 3.8 || .4 || .6 || .0 || 4.8
|-
| style="text-align:center;"| {{nbay|1999|end}}
| 5 || 0 || 25.8 || .400 || .462 || .667 || 3.4 || .6 || .8 || .0 || 8.8
|-
| style="text-align:center;"| {{nbay|2000|end}}
| 8 || 8 || 38.4 || .406 || .346 || .968 || 6.4 || .4 || .6 || .4 || 21.6
|-
| style="text-align:center;"| {{nbay|2001|end}}
| 10 || 7 || 33.8 || .376 || .271 || .897 || 6.3 || 1.0 || .5 || .0 || 14.8
|-
| style="text-align:center;"| {{nbay|2002|end}}
| 12 || '''12''' || 40.5 || '''.480''' || .457 || .850 || 6.9 || '''2.5''' || .8 || .4 || '''23.1'''
|-
| style="text-align:center;"| {{nbay|2003|end}}
| 12 || '''12''' || '''43.1''' || .384 || .315 || .897 || '''7.0''' || 1.5 || '''1.8''' || .3 || 17.5
|-
| style="text-align:center;"| {{nbay|2004|end}}
| 5 || 5 || 40.6 || .470 || .367 || .955 || 5.2 || 1.4 || .8 || .2 || 22.0
|-
| style="text-align:center;"| {{nbay|2005|end}}
| style="text-align:center;"|[[インディアナ・ペイサーズ|IND]]
| 2 || 2 || 25.5 || .444 || .000 || .857 || 4.5 || 2.0 || .5 || '''.5''' || 11.0
|-
| style="text-align:center;"| {{nbay|2007|end}}
| style="text-align:center;" rowspan=2|[[ニューオーリンズ・ホーネッツ|NOH]]
| 12 || '''12''' || 37.9 || .436 || '''.549''' || .926 || 5.4 || .5 || .5 || .1 || 14.1
|-
| style="text-align:center;"| {{nbay|2008|end}}
| 5 || 5 || 32.4 || .367 || .308 || .923 || 2.8 || .4 || .8 || .2 || 11.2
|-
| style="text-align:center;background:#afe6ba;"| {{nbay|2010|end}}
| style="text-align:center;"|[[ダラス・マーベリックス|DAL]]
| '''19''' || 0 || 18.4 || .408 || .377 || .778 || 1.7 || .4 || .6 || .1 || 7.1
|- class="sortbottom"
| style="text-align:center;" colspan="2" | 通算
| 95 || 63 || 32.7 || .418 || .376 || .900 || 4.9 || 1.0 || .8 || .2 || 14.4
{{S-end}}


== プレイスタイル ==
== プレイスタイル ==
58行目: 183行目:


== その他 ==
== その他 ==
*妻はギリシャ人[[ファッションモデル]]のアレカ・カミラ(Aleka Kamila)<ref>[http://www.fashionmodeldirectory.com/models/aleka_kamila PROFILE of aleka kamila]</ref><ref>[http://clutch3.wordpress.com/category/aleka-kamila/ The Hottest Hoops Wife ]</ref>。2人の子供がいる。
* 妻はギリシャ人[[ファッションモデル]]のアレカ・カミラ(Aleka Kamila)<ref>[http://www.fashionmodeldirectory.com/models/aleka_kamila PROFILE of aleka kamila]</ref><ref>[http://clutch3.wordpress.com/category/aleka-kamila/ The Hottest Hoops Wife ]</ref>。2人の子供がいる。
*フリースロー成功率(.894)2006年時点でNBA歴代4位。また3Pシュート成功確率(.399)2006年時点でNBA歴代24位。
* フリースロー成功率(.895)2024年時点でNBA歴代5位。3Pシュート成功数(1760本)2024年時点でNBA歴代29位。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{Reflist}}


==外部リンク==
== 外部リンク ==
*[http://www.nba.com/playerfile/predrag_stojakovic/index.html NBA.com-{{PAGENAME}}-] {{en icon}}
* [http://www.nba.com/playerfile/predrag_stojakovic/index.html NBA.com-プレドラグ・ストヤコヴィッチ-] {{en icon}}
* [https://www.basketball-reference.com/players/s/stojape01.html basketball-reference.com-プレドラグ・ストヤコヴィッチ-] {{en icon}}

{{先代次代|[[バスケットボール欧州選手権]]MVP|[[2001年バスケットボール男子欧州選手権|2001 トルコ]]|{{flagicon|ITA}}[[グレゴール・フッカ]]<br>[[1999年バスケットボール男子欧州選手権|1999 フランス]]|{{flagicon|LTU}}[[サルナス・ヤシケヴィシャス]]<br>[[2003年バスケットボール男子欧州選手権|2003 スウェーデン]]}}


{{バスケットボール欧州選手権MVP}}
{{NBAオールスター・スリーポイント・シュートアウト}}
{{NBAフリースロー成功率リーダー}}
{{ダラス・マーベリックス 2010-11NBA優勝}}
{{ダラス・マーベリックス 2010-11NBA優勝}}
{{2002年バスケットボール世界選手権金メダリスト}}
{{2002年バスケットボール世界選手権金メダリスト}}
{{Hoops-bio-stub}}
{{DEFAULTSORT:すとやこういつち ふれとらく}}
{{DEFAULTSORT:すとやこういつち ふれとらく}}
[[Category:ユーゴスラビアのバスケットボール選手]]
[[Category:ユーゴスラビアのバスケットボール選手]]
[[Category:ユーゴスラビアのオリンピック選手]]
[[Category:オリンピックバスケットボールユーゴスラビア代表選手]]
[[Category:セルビア・モンテネグロのバスケットボール選手]]
[[Category:セルビア・モンテネグロのバスケットボール選手]]
[[Category:セルビアのバスケットボール選手]]
[[Category:セルビアの男子バスケットボール選手]]
[[Category:PAOKテッサロニキBCの選手]]
[[Category:PAOKテッサロニキBCの選手]]
[[Category:サクラメント・キングスの選手]]
[[Category:サクラメント・キングスの選手]]
82行目: 210行目:
[[Category:トロント・ラプターズの選手]]
[[Category:トロント・ラプターズの選手]]
[[Category:ダラス・マーベリックスの選手]]
[[Category:ダラス・マーベリックスの選手]]
[[Category:NBAオールスターゲーム選出選手]]
[[Category:在アメリカ合衆国セルビア人のバスケットボール選手]]
[[Category:1977年生]]
[[Category:1977年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:NBA永久欠番保持者]]
{{Hoops-bio-stub}}

[[bat-smg:Predrags Stojakovičios]]
[[ca:Predrag Stojaković]]
[[de:Predrag Stojaković]]
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[[en:Peja Stojaković]]
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2024年8月22日 (木) 18:03時点における最新版

プレドラグ・ストヤコヴィッチ
Predrag Stojaković
現役時代(ダラス・マーベリックス)のストヤコヴィッチ
(2011年)
サクラメント・キングス
ポジション SF
役職 球団副社長
基本情報
愛称 ペジャ(Peja)
セルビア語 Предраг Стојаковић
国籍 セルビアの旗 セルビア
ギリシャの旗 ギリシャ
生年月日 (1977-07-09) 1977年7月9日(47歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国 クロアチア
ポジェガ=スラヴォニア郡ポジェガ
身長(現役時) 208cm (6 ft 10 in)
体重(現役時) 104kg (229 lb)
キャリア情報
出身 セルビアの旗 レッドスター・ベオグラード
ドラフト 1996年 1巡目 15位  SAC 
永久欠番 キングス  16 
選手経歴
1992-1993
1994-1998
1998-2006
2006
2006-2010
2010
2010-2011
セルビアの旗 KKツルヴェナ・ズヴェズダ
ギリシャの旗 PAOKテッサロニキ
サクラメント・キングス
インディアナ・ペイサーズ
ニューオーリンズ・ホーネッツ
トロント・ラプターズ
ダラス・マーベリックス
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten
獲得メダル
男子バスケットボール
ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア
世界選手権
2002 インディアナポリス 大会ベスト5
ユーロバスケット
1999 フランス
2001 トルコ 大会MVP

プレドラグ・ストヤコヴィッチPredrag "Peja" Stojaković、セルビア語表記:Предраг "Пеђа" Стојаковић、ギリシャ語表記:Πρέντρακ Στογιάκοβιτς(Predrak Stoyiakovits)、1977年7月9日 - )はセルビアの元バスケットボール選手である。現クロアチア(当時ユーゴスラビア)のポジェガ出身[1]。ポジションはスモールフォワード。NBAでの登録名(ファーストネーム)は、彼の愛称から「Peja(ペジャ)」。日本でもペジャ・ストヤコヴィッチの名前で親しまれている。

経歴

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NBA以前

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ユーゴスラビア紛争の間、家族でベオグラードに避難した過去を持つ。ちなみにベオグラードはバスケットボールの盛んな街で、プロチームも存在する。1993年、ストヤコビッチが16歳の時に、よりバスケットボールの環境に優れたギリシャに移住。テッサロニキに移り、16歳の若さにしてギリシャ・リーグのPAOK BCと契約した。また同年、ギリシャの市民権も得ている。

1996年のNBAドラフトによりサクラメント・キングスから1巡目(全体14位)指名を受けるが、1998-99シーズンの前にキングスと契約するまで、PAOK BCでのプレーを続けた。

NBA

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1998-99シーズンのNBAデビューから2シーズンは、主にベンチからの出場が続いた。
2000年のシドニー五輪ユーゴスラビア代表として出場。
2000-01シーズンになると先発に抜擢。平均得点、平均リバウンド、3Pシュート成功数など、各カテゴリにおいて成績は急上昇し、次第にキングスにとって欠かせない存在に成長した。その年のMIP(最も成長した選手)の受賞こそ逃したものの、トレイシー・マグレディに次ぐ第2位だった。2001年トルコで開催されたバスケットボール欧州選手権ユーゴスラビア代表として出場し、優勝を果たした。2001-02シーズンは初めてNBAオールスターゲームに出場するなど、更なる飛躍のシーズンになった。成績の上昇は著しく、特にシュート成功率は48.4%を記録するなど、NBA屈指のシューターとして、その地位を確固たるものにした。またチームもプレーオフカンファレンスファイナルに進出。ストヤコビッチの貢献は非常に大きいものがあった。

2002年にはアメリカ合衆国のインディアナ州インディアナポリスで開催されたバスケットボール世界選手権に出場。強豪アメリカを破るなど、ヨーロッパ選手権に引き続いて優勝した。2002-03シーズンもストヤコビッチはオールスターゲームに出場。本戦の前日に行われる3Pシュートコンテストでは2年連続優勝を果たした。続く2シーズン、2004-05シーズンまで、ストヤコヴィッチはキングスの中心選手として活躍。しかしながらチーム成績は年々下降を辿り、キングスはメンバーの再編が迫られることになった。

2005-06シーズンは開幕から不調が続き、波に乗れない状態が続いていた。キングスは彼の放出を決断し、ロン・アーテストとのトレードで、シーズン途中にインディアナ・ペイサーズに移籍した。移籍後、ペイサーズのチーム平均得点は上昇。自身も輝きを取り戻し、チームもプレーオフに進出した。しかしニュージャージー・ネッツ相手に1回戦敗退を喫し、ストヤコヴィッチはそのままフリーエージェントとなって去就が注目されることになった。当初は残留(再契約)を望んでいたものの、結局、長期契約でニューオーリンズ・ホーネッツへの移籍が決定した。

2006年、日本で開催されたバスケットボール世界選手権ではセルビア・モンテネグロ代表としての出場が見込まれていたが、チームが若い世代への再編時期だということもあり、辞退を申し出た。2006-07シーズンは怪我の影響で開幕からわずか13試合出場しただけに留まった。

2010年11月、ジャレット・ジャックらとの交換トレードで、トロント・ラプターズへ移籍。その後、バイアウトされ、ダラス・マーベリックスと契約。そのマブスで悲願の優勝を果たした。

2011年12月19日、現役引退を表明した[2]

2014年9月16日、サクラメント・キングスは、ストヤコヴィッチが着けていた背番号「16」を、永久欠番にすると発表した[3]

2014年12月16日のオクラホマシティ・サンダー戦のハーフタイム中に、ストヤコヴィッチの背番号「16」を永久欠番に認定するセレモニーが、スリーブ・トレイン・アリーナ(旧名:アルコ・アリーナ)で執り行われた。

個人成績

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略称説明
  GP 出場試合数   GS  先発出場試合数  MPG  平均出場時間
 FG%  フィールドゴール成功率  3P%  スリーポイント成功率  FT%  フリースロー成功率
 RPG  平均リバウンド  APG  平均アシスト  SPG  平均スティール
 BPG  平均ブロック  PPG  平均得点  太字  キャリアハイ
  優勝シーズン     リーグリーダー

NBA

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レギュラーシーズン

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1998–99 SAC 48 1 21.4 .378 .320 .851 3.0 1.5 .9 .1 8.4
1999–00 74 11 23.6 .448 .375 .882 3.7 1.4 .7 .1 11.9
2000–01 75 75 38.7 .470 .400 .856 5.8 2.2 1.2 .2 20.4
2001–02 71 71 37.3 .484 .416 .876 5.3 2.5 1.1 .2 21.2
2002–03 72 72 34.0 .481 .382 .875 5.5 2.0 1.0 .1 19.2
2003–04 81 81 40.3 .480 .433 .927* 6.3 2.1 1.3 .2 24.2
2004–05 66 66 38.4 .444 .402 .920 4.3 2.1 1.2 .2 20.1
2005–06 31 31 37.0 .403 .397 .933 5.3 2.2 .6 .1 16.5
IND 40 40 36.4 .461 .404 .903 6.3 1.7 .7 .2 19.5
2006–07 NOH 13 13 32.7 .423 .405 .816 4.2 .8 .6 .3 17.8
2007–08 77 77 35.2 .440 .441 .929* 4.3 1.2 .7 .1 16.4
2008–09 61 59 34.2 .399 .378 .894 4.3 1.2 .9 .0 13.3
2009–10 62 55 31.4 .404 .375 .897 3.7 1.5 .8 .1 12.6
2010–11 6 0 14.8 .424 .440 .857 1.0 1.0 .3 .0 7.5
TOR 2 0 11.0 .700 .667 1.000 1.5 .5 .0 .0 10.0
DAL 25 13 20.2 .429 .400 .938 2.6 .9 .4 .1 8.6
通算 804 665 33.5 .450 .401 .895 4.7 1.8 .9 .1 17.0
オールスター 3 0 14.9 .364 .385 --- 2.0 1.0 .3 .0 7.0

プレーオフ

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シーズン チーム GP GS MPG FG% 3P% FT% RPG APG SPG BPG PPG
1999 SAC 5 0 21.6 .346 .214 1.000 3.8 .4 .6 .0 4.8
2000 5 0 25.8 .400 .462 .667 3.4 .6 .8 .0 8.8
2001 8 8 38.4 .406 .346 .968 6.4 .4 .6 .4 21.6
2002 10 7 33.8 .376 .271 .897 6.3 1.0 .5 .0 14.8
2003 12 12 40.5 .480 .457 .850 6.9 2.5 .8 .4 23.1
2004 12 12 43.1 .384 .315 .897 7.0 1.5 1.8 .3 17.5
2005 5 5 40.6 .470 .367 .955 5.2 1.4 .8 .2 22.0
2006 IND 2 2 25.5 .444 .000 .857 4.5 2.0 .5 .5 11.0
2008 NOH 12 12 37.9 .436 .549 .926 5.4 .5 .5 .1 14.1
2009 5 5 32.4 .367 .308 .923 2.8 .4 .8 .2 11.2
2011 DAL 19 0 18.4 .408 .377 .778 1.7 .4 .6 .1 7.1
通算 95 63 32.7 .418 .376 .900 4.9 1.0 .8 .2 14.4

プレイスタイル

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ポジションはスモールフォワードだが、NBA屈指のシューターとして知られる。長いキャリアにおいて成功率4割を誇るヨーロッパ仕込みの3Pシュートは最強の武器である。2007-08シーズンにはリーグ2位の231本もの3ポイントシュートを成功させた。またフリースローの正確さは正に驚異的で、キャリアを通じても9割近い数字を残している。さらに208cmという長身を生かしてリバウンドなどディフェンス面でも活躍した。

その他

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  • 妻はギリシャ人ファッションモデルのアレカ・カミラ(Aleka Kamila)[4][5]。2人の子供がいる。
  • フリースロー成功率(.895)は2024年時点でNBA歴代5位。3Pシュート成功数(1760本)は2024年時点でNBA歴代29位。

脚注

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外部リンク

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