コンテンツにスキップ

「ジャック・シャバン=デルマス」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
 
(21人の利用者による、間の28版が非表示)
1行目: 1行目:
{{政治家
{{大統領
| 人名 = ジャック・シャバン=デルマ
| 人名 = ジャック・シャバン=デルマ
| 各国語表記 = Jacques Chaban-Delmas
| 各国語表記 = {{fr|Jacques Chaban-Delmas}}
| 画像 = Jacques Chaban-Delmas.jpg
| 画像 = EEG-conferentie Den Haag Jacques Chaban-Delmas (cropped).jpg
| 画像サイズ = 230px
| 画像サイズ =
| 国 = {{FRA}}共和国
| 国略称 = {{FRA}}
| 国名 =
| 代数 = [[フランス第五共和政|第五共和政]]第4
| 職名 = [[フランスの首相|首相]]
| 職名 =
| 就任日 = [[1969年]][[6月20日]]
| 就任日 =
| 退任日 = [[1972年]][[7月6日]]
| 退任日 =
| 副大統領 =
| 元首職 =
| 元首 =
| 元首 = [[ジョルジュ・ポンピドゥー]][[フランスの大統領|大統領]]
| 職名2 = {{flagicon|FRA}} [[フランス|フランス共和国]]<br/>第4代[[フランスの首相#フランス第五共和政|首相]]
<!-- ↓省略可↓ -->
| 国名2 =
| 就任日2 = [[1969年]][[6月20日]]
| 代数2 =
| 退任日2 = [[1972年]][[7月6日]]
| 元首職2 = [[フランスの大統領|大統領]]
| 職名2 =
| 元首2 = [[ジョルジュ・ポンピドゥー]]
| 就任日2 =
| 退任日2 =
| 副大統領2 =
| 元首2 =
| 国名3 =
| 国名3 =
| 代数3 =
| 代数3 =
26行目: 23行目:
| 副大統領3 =
| 副大統領3 =
| 元首3 =
| 元首3 =
| 国名4 =
<!-- ↑省略可↑ -->
| 職名4 = [[ファイル:Flag_of_France_(1794–1815,_1830–1958).svg|border|25px]] [[フランス第四共和政|フランス]]<br>第18代[[%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E7%9C%81_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9)#%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E5%85%B1%E5%92%8C%E6%94%BF|国防大臣]]
| 出生日 = [[1915年]][[3月7日]]
| 生地 = [[パリ]]
| 就任日4 = [[1957年]][[11月6日]]
| 死亡 = {{死亡年月日と没年齢|1915|3|7|2000|11|10}}
| 退任4 = [[1958]][[514]]
| 元首職4 = 大統領
| 没地 = [[パリ]]
| 元首4 = [[ルネ・コティ]]
| 配偶者 =
| 国名5 =
| 政党 = [[共和国民主連合]](UDR)
| サイン =
| 職名5 =
| 就任日5 =
| 退任日5 =
| 元首職5 =
| 元首5 =
| 国名6 =
| title6 =
| 就任日6 =
| 退任日6 =
| 元首職6 =
| 元首6 =
| 国名7 =
| title7 =
| 就任日7 =
| 退任日7 =
| 元首職7 =
| 元首7 =
| 国名8 =
| title8 =
| 就任日8 =
| 退任日8 =
| 元首職8 =
| 元首8 =
| 生年月日 = [[1915年]][[3月7日]]
| 出生地 = [[ファイル:Flag_of_France_(1794–1815,_1830–1958).svg|border|25px]] [[フランス]] [[パリ]]
| 没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1915|3|7|2000|11|10}}
| 死没地 = {{FRA}} [[パリ]]
| 配偶者 = オディール・ハメリン
| 子女 = 3人
| 出身校 = [[パリ政治学院]]<br/>[[パリ大学]]
| 所属政党 = 共和国民主連合(UDR)
| サイン = Signature_chaban.jpg
}}
}}
'''ジャック・シャバン=デルマ'''('''シャバ・デルマ'''、'''シャバンデルマ'''、'''Jacques Chaban-Delmas'''<ref>日本における表記は英語由来の'''シャバンデルマス'''が多く見られたがフランス語では'''シャバンデルマ'''の発音が正しい。</ref>、[[1915年]][[3月7日]] – [[2000年]][[11月10日]])は、[[フランス]]の[[政治家]]。[[ド・ゴール主義|ドゴール派]]の重鎮で、[[ジョルジュ・ポンピドゥー]][[共和国大統領 (フランス)|大統領]]下で[[1969年]]から[[1972年]]まで[[フランスの首相|首相]]を務めた。
'''ジャック・シャバン=デルマ'''(フラス語:{{lang|fr|'''Jacques Chaban-Delmas'''}}、'''シャバンデルマス'''、'''シャバンデルマ'''、[[1915年]][[3月7日]] – [[2000年]][[11月10日]])は、[[フランス]]の[[政治家]]。[[ド・ゴール主義|ドゴール派]]の重鎮で、[[ジョルジュ・ポンピドゥー]]政権にて第4代[[フランスの首相#フランス第五共和政|フランス首相]]を務めた。


== 生涯 ==
== 生涯 ==
本名は'''ジャック・デルマ'''。[[第二次世界大戦]]中[[レジスタンス動]]に参加し、多くの偽名を用いたが、その最後の[[偽名]]が'''シャバン'''で、戦後、正式にシャバン=デルマと改名した。レジスタンス動では[[旅団]]規模の部隊を指揮し、[[1944年]]8月の[[パリ]]蜂起に参加している。
1915年3月7日にパリに誕生する。本名は'''ジャック・デルマ'''である。[[第二次世界大戦]]中[[レジスタンス動]]に参加し、多くの偽名を用いたが、その最後の[[偽名]]が'''シャバン'''で、戦後、正式にシャバン=デルマと改名した。レジスタンス動では[[旅団]]規模の部隊を指揮し、[[1944年]]8月の[[パリ]]蜂起に参加している。


戦後、[[フランス民主連合#急進党|急進党]]に入党するが、[[シャルル・ド・ゴール|ド・ゴール]]と行動を共にし、[[ド・ゴール主義]]政党、[[フランス国民連合]](RPF)を結成する。[[1947年]]から[[1995年]]までほぼ半世紀に渡り、[[ボルドー]]市長と[[ジロンド県]]から[[国民議会 (フランス)|国民議会]]議員として選出された。
[[リセ・ラカナル]]を経て[[パリ政治学院]][[パリ大学]]を卒業。[[フランス民主連合#急進党|急]][[フランス民主連合#急進党|進党]]に入党するが、[[シャルル・ド・ゴール|ド・ゴール]]と行動を共にし、[[ド・ゴール主義]]政党、[[フランス国民連合]](RPF)を結成する。[[1947年]]から[[1995年]]までほぼ半世紀に渡り、[[ボルドー]]市長を務めるともに、[[ジロンド県]]から[[国民議会 (フランス)|国民議会]]議員として選出され続けた。
[[1953年]]ド・ゴールの政界引退を受けて、シャバン=デルマは、ド・ゴール派議員を糾合し、[[社会共和派]]を結成した。また、[[中道左派]]の政党連合である共和国戦線とも提携した。
[[1953年]]ド・ゴールの政界引退を受けて、シャバン=デルマは、ド・ゴール派議員を糾合し、[[社会共和派]]を結成した。また、[[中道左派]]の政党連合である共和国戦線とも提携した。


[[1958年]][[アルジェリア]]独立問題を受けて、ド・ゴールが政界復帰すると、シャバン=デルマは、ド・ゴール派新党「[[新共和連合]]」(UNR)結成に一役買い、[[フランス第五共和政|第五共和政]]発足後、[[下院]]国民議議長に選出されド・ゴールを支えた。
[[1958年]][[アルジェリア]]独立問題を受けて、ド・ゴールが政界復帰すると、シャバン=デルマは、ド・ゴール派新党「[[新共和連合]]」(UNR)結成に一役買い、[[フランス第五共和政|第五共和政]]発足後、[[下院]]である[[国民議会]]の議長に選出されド・ゴールを支えた。
[[1969年]]ド・ゴールが辞任し、後任の大統領に[[ジョルジュ・ポンピドゥ]]首相が当選すると、シャバンデルマは後任の首相に任命された。
[[1969年]]ド・ゴールが辞任し、後任の大統領に[[ジョルジュ・ポンピドゥ]]首相が当選すると、シャバンデルマは後任の首相に任命された。
シャバン=デルマは、前年の[[1968年]][[五月革命 (フランス)|五月革命]]による社会的混乱を収拾するため「新しい社会」をスローガンに新内閣を発足させた。シャバン=デルマは、マスメディアに対する統制を緩和した。これはゴーリスト内の保守派からは、進歩的であると見なされることになった。また、シャバン=デルマとポンピドー大統領の間には潜在的な対立も生まれるようになった。鋭い風刺で知られる[[カナール・アンシェネ]]紙は、シャバン=デルマを脱税容疑で批判した。
シャバン=デルマは、前年の[[1968年]][[五月革命 (フランス)|五月革命]]による社会的混乱を収拾するため「新しい社会」をスローガンに新内閣を発足させた。また、マスメディアに対する統制を緩和した。これはゴーリスト内の保守派からは、進歩的であると見なされることになった。シャバン=デルマとポンピドー大統領の間には潜在的な対立も生まれるようになった。鋭い風刺で知られる[[カナール・アンシェネ]]紙は、シャバン=デルマを脱税容疑で批判した。


[[1974年]][[4月2日]]ポンピドーが死去すると、シャバンデルマは、ドゴール派の候補者として[[1974年フランス大統領選挙|後継大統領選挙]]に立候補する。しかし同じドゴール派の[[ジャック・シラク]]が[[独立共和派]]から立候補した[[ヴァレリー・ジスカール・デスタン]]の支持に回るなど、自派の支持をまとめ切れず第1回投票で敗北を喫した。
[[1974年]][[4月2日]]ポンピドーが死去すると、シャバンデルマは、ドゴール派の候補者として[[1974年フランス大統領選挙|後継大統領選挙]]に立候補する。しかし同じドゴール派の[[ジャック・シラク]]が[[独立共和派]]から立候補した[[ヴァレリー・ジスカール・デスタン]]の支持に回るなど、自派の支持をまとめ切れず第1回投票で敗北を喫した。


1978年国民議会議長に選出される。[[フランソワ・ミッテラン]]大統領のときフランス社会党が敗北し、[[コアビタシオン]]が浮上すると、ミッテランとの交友関係から、首相候補に取りざたされたが、シャバン=デルマはこれを辞退し、シラクを推し自らは国民議会議長を選んだ。
1978年国民議会議長に選出される。[[フランソワ・ミッテラン]]大統領のに社会党が敗北し、[[コアビタシオン]]が浮上すると、ミッテランとの交友関係から、首相候補に取り沙汰されたが、シャバン=デルマはこれを辞退し、シラクを推し自らは国民議会議長を選んだ。


== 人物 ==
個人的には第一級の[[スポーツマン]]であり、[[テニス]]プレイヤーとして鳴らした。
個人的には第一級の[[スポーツマン]]であり、[[テニス]]プレイヤーとして鳴らした。


[[1966年]]公開の[[映画]]「[[パリは燃えているか]]」
[[1966年]]公開の[[映画]]「[[パリは燃えているか]]」
[[:fr:Paris brûle-t-il ? (film, 1966)|Paris brûle-t-il ?]] [[ルネ・クレマン]]監督)では、[[アラン・ドロン]]がシャバン・デルマ役を演じている。
<ref>[[:fr:Paris brûle-t-il ? (film, 1966)|Paris brûle-t-il ?]] [[ルネ・クレマン]]監督)を参照して欲しい。</ref>では、[[アラン・ドロン]]がシャバン・デルマ役を演じている。

== ちなみに ==
デルマでは無く'''デルマス'''と発音される<ref>INA(フランス国立視聴覚研究所)のアーカイブサイトで閲覧できるビデオでは本人が"デルマス"と発音しているのが確認できる[http://www.ina.fr/media/entretiens/video/CPB75056809/chaban-raconte.fr.html]</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
<references />
<references />


== 関連項目 ==
{{先代次代|公共事業・運輸・観光大臣|[[1954年]]|Jacques Chastellain|Maurice Bourgès-Maunoury}}
* [[スタッド・シャバン=デルマス]]
{{先代次代|公共事業・運輸・観光大臣|[[1954年]] - [[1955年]]|Maurice Bourgès-Maunoury|Édouard Corniglion-Molinier}}

{{先代次代|建設・住宅大臣|[[1954年]]|Eugène Claudius-Petit|Maurice Lemaire}}
== 外部リンク ==
{{先代次代|[[国務大臣]]|[[1956年]] - [[1957年]]| - | - }}
{{先代次代|[[ファイル:Flag_of_France_(1794–1815,_1830–1958).svg|border|25px]] [[%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E7%9C%81_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9)#%E7%AC%AC%E5%9B%9B%E5%85%B1%E5%92%8C%E6%94%BF|フランス国防大臣]]|第18代:1957年11月6日 - 1958年5月14日|アンドレ・モリス|ピエール・ド・シュヴィニエ}}
{{先代次代|[[フランス国民議会|国民議会議長]]|[[1958年]] - [[1969年]]|[[アンドレ・ル・トロケール]]|[[w:Achille Peretti|Achille Peretti]]}}
{{先代次代|{{Flagicon|FRA}} フランス公共事業・運輸・観光大臣|1954年6月19日 - 1954年8月14日<br>1954年9月3日 - 1955年2月5日
{{先代次代|[[フランスの首相]]|[[1969年]] - [[1972年]]|[[モーリス・クーヴ・ド・ミュルヴィル]]|[[ピエール・メスメル]]}}
|ジャック・シャステラン<br>モーリス・ブルジェ・モーリス|モーリス・ブルジェ・モーリス<br>エドゥアルド・モリニエ}}
{{先代次代|{{Flagicon|FRA}} フランス建設・住宅大臣|[[1954年]]|ウジェーヌ・クラウディウス・プティ|モーリス・ルメール}}
{{先代次代|{{Flagicon|FRA}} フランス国務大臣|1956年2月21日 - 1957年6月13日| - | - }}
{{先代次代|{{Flagicon|FRA}} [[%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E9%A6%96%E7%9B%B8#%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%AC%AC%E4%BA%94%E5%85%B1%E5%92%8C%E6%94%BF|フランス首相]]|第4代:1969年6月20日 - 1972年7月6日|[[モーリス・クーヴ・ド・ミュルヴィル]]|[[ピエール・メスメル]]}}
{{先代次代|[[ゴーリスト|ドゴール派大統領候補]]|[[1974年]](落選)|[[ジョルジュ・ポンピドゥ]]|[[ジャック・シラク]]}}
{{先代次代|[[ゴーリスト|ドゴール派大統領候補]]|[[1974年]](落選)|[[ジョルジュ・ポンピドゥ]]|[[ジャック・シラク]]}}
{{先代次代|[[フランス国民議会|国民議会議長]]|[[1978年]] - [[1981年]]|[[エドガー・フォール]]|[[ルイ・メルマズ]]}}
{{先代次代|{{Flagicon|FRA}} [[フランス国民議会|国民議会議長]]|1958年12月9日 - 1969年6月20日<br/>1978年4月3日 - 1981年5月21日<br>1986年4月2日 - 1988年6月12日|アンドレ・ル・トロケール<br>[[エドガー・フォール]]<br>[[ルイ・メルマズ]]|[[w:Achille Peretti|アキレ・ペレッティ]]<br>[[ルイ・メルマズ]]<br>[[ローラン・ファビウス]]}}
{{先代次代|[[フランス国民議会|国民議会議長]]|[[1986年]] - [[1988年]]|[[ルイ・メルマズ]]|[[ローラン・ファビウス]]}}


{{フランス第五共和政の首相}}
{{Normdaten}}
{{France-stub}}
{{France-stub}}
{{Politician-stub}}
{{Europe-politician-stub}}
{{DEFAULTSORT:しやはん てるま しやつく}}
{{DEFAULTSORT:しやはん てるま しやつく}}
[[Category:フランスの首相]]
[[Category:フランスの首相]]
[[Category:フランスの国防相]]
[[Category:フランスの下院議員]]
[[Category:フランスのレジスタンス運動家]]
[[Category:パリ出身の人物]]
[[Category:パリ出身の人物]]
[[Category:1915年生]]
[[Category:1915年生]]
[[Category:2000年没]]
[[Category:2000年没]]

[[ar:جاك شابان دلماس]]
[[be:Жак Шабан-Дэльмас]]
[[ca:Jacques Chaban-Delmas]]
[[da:Jacques Chaban-Delmas]]
[[de:Jacques Chaban-Delmas]]
[[en:Jacques Chaban-Delmas]]
[[es:Jacques Chaban-Delmas]]
[[eu:Jacques Chaban-Delmas]]
[[fi:Jacques Chaban-Delmas]]
[[fr:Jacques Chaban-Delmas]]
[[id:Jacques Chaban-Delmas]]
[[io:Jacques Chaban-Delmas]]
[[it:Jacques Chaban-Delmas]]
[[la:Iacobus Chaban-Delmas]]
[[mr:जॉक शबान-देल्मास]]
[[nl:Jacques Chaban-Delmas]]
[[no:Jacques Chaban-Delmas]]
[[pl:Jacques Chaban-Delmas]]
[[pt:Jacques Chaban-Delmas]]
[[ru:Шабан-Дельмас, Жак]]
[[sv:Jacques Chaban-Delmas]]
[[tr:Jacques Chaban-Delmas]]
[[uk:Жак Шабан-Дельмас]]
[[yo:Jacques Chaban-Delmas]]

2024年8月17日 (土) 22:30時点における最新版

ジャック・シャバン=デルマス
Jacques Chaban-Delmas
生年月日 1915年3月7日
出生地 フランス パリ
没年月日 (2000-11-10) 2000年11月10日(85歳没)
死没地 フランスの旗 フランス パリ
出身校 パリ政治学院
パリ大学
所属政党 共和国民主連合(UDR)
配偶者 オディール・ハメリン
子女 3人
サイン

在任期間 1969年6月20日 - 1972年7月6日
大統領 ジョルジュ・ポンピドゥー

在任期間 1957年11月6日 - 1958年5月14日
大統領 ルネ・コティ
テンプレートを表示

ジャック・シャバン=デルマス(フランス語:Jacques Chaban-Delmasシャバン・デルマスシャバンデルマス1915年3月7日2000年11月10日)は、フランス政治家ドゴール派の重鎮で、ジョルジュ・ポンピドゥー政権にて第4代フランス首相を務めた。

生涯

[編集]

1915年3月7日にパリに誕生する。本名はジャック・デルマスである。第二次世界大戦中はレジスタンス運動に参加し、多くの偽名を用いたが、その最後の偽名シャバンで、戦後、正式にシャバン=デルマスと改名した。レジスタンス運動では旅団規模の部隊を指揮し、1944年8月のパリ蜂起に参加している。

リセ・ラカナルを経てパリ政治学院パリ大学を卒業。進党に入党するが、ド・ゴールと行動を共にし、ド・ゴール主義政党、フランス国民連合(RPF)を結成する。1947年から1995年までほぼ半世紀に渡り、ボルドー市長を務めるとともに、ジロンド県から国民議会議員として選出され続けた。 1953年のド・ゴールの政界引退を受けて、シャバン=デルマスは、ド・ゴール派議員を糾合し、社会共和派を結成した。また、中道左派の政党連合である共和国戦線とも提携した。

1958年アルジェリア独立問題を受けて、ド・ゴールが政界復帰すると、シャバン=デルマスは、ド・ゴール派新党「新共和国連合」(UNR)結成に一役買い、第五共和政発足後、下院である国民議会の議長に選出されド・ゴールを支えた。 1969年ド・ゴールが辞任し、後任の大統領にジョルジュ・ポンピドゥー首相が当選すると、シャバン=デルマスは後任の首相に任命された。 シャバン=デルマスは、前年の1968年五月革命による社会的混乱を収拾するため「新しい社会」をスローガンに新内閣を発足させた。また、マスメディアに対する統制を緩和した。これはゴーリスト内の保守派からは、進歩的であると見なされることになった。シャバン=デルマスとポンピドゥー大統領の間には潜在的な対立も生まれるようになった。鋭い風刺で知られるカナール・アンシェネ紙は、シャバン=デルマスを脱税容疑で批判した。

1974年4月2日にポンピドゥーが死去すると、シャバン=デルマスは、ドゴール派の候補者として後継大統領選挙に立候補する。しかし同じドゴール派のジャック・シラク独立共和派から立候補したヴァレリー・ジスカール・デスタンの支持に回るなど、自派の支持をまとめ切れず第1回投票で敗北を喫した。

1978年に国民議会議長に選出される。フランソワ・ミッテラン大統領の時に社会党が敗北し、コアビタシオンが浮上すると、ミッテランとの交友関係から、首相候補に取り沙汰されたが、シャバン=デルマスはこれを辞退し、シラクを推して自らは国民議会議長を選んだ。

人物

[編集]

個人的には第一級のスポーツマンであり、テニスプレイヤーとして鳴らした。

1966年公開の映画パリは燃えているか[1]では、アラン・ドロンがシャバン・デルマス役を演じている。

ちなみに

[編集]

デルマでは無くデルマスと発音される[2]

脚注

[編集]
  1. ^ Paris brûle-t-il ? ルネ・クレマン監督)を参照して欲しい。
  2. ^ INA(フランス国立視聴覚研究所)のアーカイブサイトで閲覧できるビデオでは本人が"デルマス"と発音しているのが確認できる[1]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
先代
アンドレ・モリス
フランス国防大臣
第18代:1957年11月6日 - 1958年5月14日
次代
ピエール・ド・シュヴィニエ
先代
ジャック・シャステラン
モーリス・ブルジェ・モーリス
フランスの旗 フランス公共事業・運輸・観光大臣
1954年6月19日 - 1954年8月14日
1954年9月3日 - 1955年2月5日
次代
モーリス・ブルジェ・モーリス
エドゥアルド・モリニエ
先代
ウジェーヌ・クラウディウス・プティ
フランスの旗 フランス建設・住宅大臣
1954年
次代
モーリス・ルメール
先代
-
フランスの旗 フランス国務大臣
1956年2月21日 - 1957年6月13日
次代
-
先代
モーリス・クーヴ・ド・ミュルヴィル
フランスの旗 フランス首相
第4代:1969年6月20日 - 1972年7月6日
次代
ピエール・メスメル
先代
ジョルジュ・ポンピドゥ
ドゴール派大統領候補
1974年(落選)
次代
ジャック・シラク
先代
アンドレ・ル・トロケール
エドガー・フォール
ルイ・メルマズ
フランスの旗 国民議会議長
1958年12月9日 - 1969年6月20日
1978年4月3日 - 1981年5月21日
1986年4月2日 - 1988年6月12日
次代
アキレ・ペレッティ
ルイ・メルマズ
ローラン・ファビウス