赤坂プリンスホテル
赤坂プリンスホテル(あかさかプリンスホテル、Akasaka Prince Hotel)は、かつて東京都千代田区紀尾井町で営業していたホテルである。最寄駅は赤坂見附駅または永田町駅。所有・運営は西武グループのプリンスホテル。「赤プリ」の愛称で親しまれていた。
赤坂プリンスホテル | |
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解体前の赤坂プリンスホテル | |
ホテル概要 | |
正式名称 | 赤坂プリンスホテル |
ホテルチェーン | プリンスホテル |
部屋数 | 761室 |
開業 |
1955年10月1日 1982年11月(40階新館) |
閉業 | 2011年3月31日 |
最寄駅 | 赤坂見附駅 |
所在地 |
〒102-8585 東京都千代田区紀尾井町1-2 |
位置 | 北緯35度40分47.58秒 東経139度44分14.09秒 / 北緯35.6798833度 東経139.7372472度座標: 北緯35度40分47.58秒 東経139度44分14.09秒 / 北緯35.6798833度 東経139.7372472度 |
公式サイト | 公式サイト |
2007年に「グランドプリンスホテル赤坂」と改称された後、2011年3月に「東京ガーデンテラス紀尾井町」への再開発のため閉鎖された。
概要
編集開業は1955年10月1日で、最終的には旧館・別館・新館・五色(コンベンションセンター)・弁慶橋清水(料亭)・赤坂プリンスレジデンスの6棟から構成されていた。1983年に開業した40階建ての新館は、隣接するホテルニューオータニのタワー棟と並んで赤坂見附にそびえ、バブル時代を代表するホテル・トレンディスポットとしても人気を得ていた。芸能人やスポーツ選手の結婚式の披露宴会場に使用された[1]。バブル時代には若いカップルがクリスマスを高級レストランや高級ホテルやリゾートで過ごすことが流行しており、赤坂プリンスホテルのクリスマスの宿泊予約も9月末には埋まり、クリスマス明けにチェックアウトした客がその場で翌年分を予約するほどの人気であったという[2][3]
旧館は1930年に完成した旧李王家邸を改装したクラシックな建物で、別棟が増築された後には客室は置かれず、バーやレストラン、結婚式場として利用されていた。
2010年4月、老朽化による競争力低下の予想と保有資産の活用再検討の必要性を理由に、翌年3月31日をもって営業を終了することが発表された[4]。その後、2011年3月31日をもってホテル営業を終了した。
新館は取り壊された上で大型複合商業ビルの「東京ガーデンテラス紀尾井町」として再開発され、2016年7月27日に開業。プリンスホテルは同施設にプリンスホテルの最高級ホテルブランドである「ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町」として入居する。旧館は「赤坂プリンス クラシックハウス」として移設され、同時に開業する(後述)。旧館内のバー「ナポレオン」は再開業となった。
施設
編集旧館(旧李王家邸)
編集大韓帝国の皇太子として生まれ、韓国併合後は日本の皇族に準じた扱いを受けていた李垠の邸宅として造営された建物を引き継いで1955年(昭和30年)開業した。建物は鉄筋コンクリート造(一部木造)2階建[5]の洋館で、宮内省内匠寮の北村耕造、権藤要吉らが設計し、清水組(当時)により施工された。
日本の敗戦後には李垠も臣籍降下したことから、建物の大部分は参議院議長公邸などとして使用された後、1952年に国土計画興業(後のコクド、及びプリンスホテル)がこれを取得した。客室35室が整備され、1955年に赤坂プリンスホテルとして開業した。
元は四角い中庭を囲む形の建物で、後に西側が撤去されている。デザインはチューダー様式を基調としている。白い壁と濃褐色の木材との対比が落ち着いた印象を与えている。玄関ホールのスクリーン、階段の手摺り子など随所にねじり柱が施されている。談話室などには和風の網代天井も用いられている。現在、1階の大食堂はチャペルとして使用されている。2階のレストランは大幅に改装されているが寝室や書斎などの内装は造り付けの調度品も含めて当初の状態で残され、レストランの個室などに使用されている。1階がバー「ナポレオン」や結婚式場、2階がフレンチレストラン「トリアノン」などとなっていた。
- 2階:サファイアホール、仏蘭西料理「トリアノン」
- 1階:チャペル、バー「ナポレオン」、清和政策研究会事務所(閉館に伴い2011年2月、紀尾井町に移転)
2011年に東京都指定有形文化財となり、敷地内で曳家されたあと修復工事が進められ、2016年にレストラン、結婚式場、宴会場を備えた「赤坂プリンス クラシックハウス」としてリニューアルオープンした。
- 赤坂プリンス クラシックハウス(2016年〜)
2016年にオープンしたレストラン1、バー1、宴会場3、挙式会場を備えた施設。バーの店名「バー ナポレオン」は1950年の開業時より名前を引き継いでいる。 敷地内にある挙式会場にて、「キリスト教式」「洋装人前式」「和装人前式」からそれぞれのスタイルに合わせて選べ[6]、敷地内でのガーデン挙式も可能である。 一方、パーティルーム(バンケット、披露宴会場)は「ロイヤル・ルーム」「クラウン・ルーム」「鏡の間」の3つから選択することができる[7]。
新館
編集丹下健三設計による超高層ビルで、1983年3月7日に営業を開始した。雁行設計により、全ての客室がコーナールームとなっており、客室内にはエーロ・サーリネンのデザインしたチューリップチェアやサイドテーブルのほか、スイートルームには丹下デザインのソファも配されていた。客室は761室で、1,454人の収容が可能であった。
開業翌年には第25回BCS賞を受賞した。2001年には、全面改装が行われていた。
- 建築概要
- 設計 - (建築)丹下健三・都市・建築設計研究所、(構造)鹿島建設(武藤清)
- 施工 - 鹿島建設・西武建設JV
- 着工 - 1980年3月
- 竣工 - 1982年11月
- 建築面積 - 3,098m2
- 延床面積 - 67,750m2
- 階数 - 地上39階(階数表記で4階・13階は存在せず)、塔屋1階、地下2階
- 高さ - 138.9m
- 構造 - 鉄骨造(地上)、鉄骨鉄筋コンクリート造(地下)
- 館内設備
- 40階:レストラン「ブルーガーデニア」、カクテルラウンジ「トップ オブ アカサカ」
- 20階:ビジネスサービスセンター
- 5階〜39階:客室
- 3階:コーヒーハウス「ポトマック」、コンビニ「スーベニアショップ」
- 2階:大宴会場「クリスタルパレス」
- 1階:メインエントランス、ロビー、フロント、クローク、ロビーラウンジ「マーブルスクエア」
- 地下1階:会席料理「紀尾井」寿司処・天麩羅処・しゃぶしゃぶ処、中国料理「李芳」、ショットバー「オアシス」、パーラー「ファウンテンテラス」
- 「弁慶橋清水」(庭園内)
- 旧自証院霊屋 - かつて西武鉄道が所有し、1957年から1979年までホテル敷地内に建っていた(新館建築に伴い解体、1986年に東京都へ寄贈され江戸東京たてもの園へ移設 )。
五色
編集丹下健三設計のコンベンションセンター。1997年12月3日開業。地上3階、地下2階建[8]。なお、傾斜地にあって五色の屋上玄関が旧館1階と同一階層となっており、旧館・プリンス通り側から見ると五色はすべて地下にあった。
- 2階:宴会場「五色の間」 - 橙光・黄雲・紅玉・紫雲・青葉
- 1階:宴会場6室 - 紺青・新緑・赤瑛・紅花・紅葉・紅梅
別館(旧新館)
編集1960年10月1日開業。5階建。
- 5階:ロイヤルホール
- 4階:結婚式場、有明、旭、曙、右近左近、写真室、衣装室、更衣室
- 1階:グリーンホール、ロビー、クローク
別館外、プリンス通りにベーカリーショップ「ブーランジュリー アカサカ」。2011年3月当時、2、3階は従業員事務所、更衣室になっていた。従業員事務所、更衣室へ変更前はクラウン、パール、ローズ、マーガレット、クィーン、梓、楓の宴会場として使用していた。
赤坂プリンス・レジデンス
編集2001年7月12日竣工。ホテルの快適さをそのままにセントラル冷暖房完備、各種取次サービスを配したデラックスなマンション。
閉鎖後と再開発
編集東日本大震災の避難所
編集2011年3月24日、東京都庁は東京電力福島第一原子力発電所事故で避難した福島県民の受け入れ施設として、新館を活用すると発表した[9]。4月9日から6月30日まで福島第一原子力発電所の被災者を受け入れ[10]、建物の解体は7月以降に行われることとなった[9]。
再開発計画
編集建て替えに伴う地区計画について、東京都の都市計画審議会は2011年7月、緑地の割合を増やすなど周辺環境に配慮されているとして、容積率を従来の2倍の600%に設定した[11]。これにより、該当地区の建物の高さの上限は180メートルとなり、当時の140メートルから大幅に増すことになった[11]。
再開発を進める西武ホールディングスは、該当する紀尾井町南地区44,000平米の敷地に2棟の高層ビルを2012年から建設する[11]。1棟は高さ180メートルの複合ビルで、上層に200-300室規模のホテル、中層にオフィス、低層に商業施設を設ける。もう1棟は高さ120メートルのタワーマンションとなり、100-200戸の賃貸住戸となった[11]。
旧館(旧李王家邸)については、移築して活用されることとなった[11]。
その後、2016年7月27日、跡地に東京ガーデンテラス紀尾井町が開業した。
解体工事
編集新館の解体工事は、粉塵や部材の飛散、騒音や振動を最小限に抑える新工法の「テコレップシステム」[12]を開発した大成建設が請け負い、西武ホールディングス傘下の西武建設も参加。解体工事は当初2011年9月中から本格的に開始されるとされたが[11]、諸事情により工事開始は遅れて2012年6月から行われた。2012年11月13日、39階と40階の解体作業が終了し、15本の油圧ジャッキが操作されて建物が6m短くする作業が行われた。解体作業は2013年5月頃まで続く予定とされた[13]が、最終的には2013年7月6日に解体作業が完了した[14]。
これ以前に日本国内で行われた高層建築物の解体工事は、清水建設が2007年に実施した東京・上野のホテルソフィテル東京(112m)が最大のものだったが、今回はそれを上回り[要出典]高層ビルの解体例としては日本で最高の例となった[15]が、世界貿易センタービル (162m) の解体によって記録が塗り替えられた[16]。
旧館の移動
編集その他
編集新館屋上には、日本放送協会(NHK)が千代田放送会館地内にあった千代田放送所に代わる予備送信設備(アナログテレビ・FM)を設置していたが、取り壊しに伴い廃止された。閉鎖時期がテレビジョン放送の完全デジタル化の時期に近く、かつ東京タワーに代わる送信所となる東京スカイツリーの運用開始は2012年であったため、一時的に予備送信施設がなくなることが危惧されたが、前述の通り解体工事開始が東京スカイツリーの試験運用開始後となったため、その問題は事実上解消した。NHK-FM放送は東京スカイツリーの運用開始後、東京タワーが予備送信施設としての機能を引き継いだ。
主な利用者
編集政治
編集- 自由民主党の派閥「清和政策研究会」の事務局が旧館1階に置かれ、毎年春頃に政治資金パーティーを開催していた。創始者で第8代自由民主党総裁の福田赳夫は西武グループ総帥・堤義明の媒酌人を務め、福田の長男・福田康夫は麻布学園や早稲田大学で堤の2年後輩に当たる。
- フジ・メディア・ホールディングスのうちフジテレビジョンが、大規模国政選挙直前の『新報道2001』のスタジオとして利用していた。台場本社が都心から離れていることに加え『日曜討論』のスタジオがあるNHK千代田放送会館が隣接しているため政治家が移動する時間を少なくし、トーク時間をより多く確保できるためである。また正論大賞授賞式会場としても使用していた。
- 李垠の子で李氏朝鮮の王世子(後継者)だった李玖は、2005年7月、かつての自宅だった同ホテルに滞在中死去した。
芸能
編集- 新館が建つ場所はかつて大規模な屋外プールがあり、毎年夏の新作水着ファッションショーやアイドル水泳大会などが催されていた。テレビ番組、映画などの制作発表も行われてきた。
- 1984年、女優竹下景子と写真家関口照生の結婚披露宴会場。
- 1990年までニッポン放送『銀座音楽祭』の会場でもあった。
- 2000年代に入ってオスカープロモーションが定宿として利用しており、「全日本国民的美少女コンテスト」や所属タレントの記者会見などが行われた。
- 2010年10月22日に千葉真一が結婚披露宴を兼ねた芸能生活50周年記念式典を開いた[19][20]。
スポーツ
編集- プロ野球ドラフト会議(1989年度)の会場として使用されたことがある。
- 星野仙一・山田久志監督時代や落合博満に交代して以降の2年間に中日ドラゴンズが東京ドームで読売ジャイアンツ戦がある場合の宿舎として利用していた。2006年以降は近隣のホテルニューオータニに変更されている。
- 阪神タイガースが東京ドームの読売ジャイアンツ戦および神宮球場のヤクルトスワローズ戦がある場合の宿舎として利用していた(2000年 - 2010年)。2011年以降は同じグループのグランドプリンス新高輪に変更されている。
- 原辰徳が結婚披露宴を行っている。
将棋界
編集-
新館
-
新館・1階エントランス
-
最後のクリスマス(2010年)
創作への登場
編集- 楽曲
- 映画、漫画
- 若い季節 - ラストで「プランタン化粧品」の発表会が行われ、主題歌を歌って終わる場所となる。
- 大冒険 - 神戸にあるホテルという設定で旧館が使われた他、ラストで主人公(植木等)の結婚式が中庭で行われ結成10周年のハナ肇とクレージーキャッツが『大冒険マーチ』を歌って終わる。
- コンシェルジュ - コンシェルジュの業務を中心に繰り広げられるホテル業界を扱った漫画。舞台となるホテルの内装(特にロビーなど)はグランドプリンスホテル赤坂を参考にしている。
- ドラえもん 新・のび太と鉄人兵団 〜はばたけ 天使たち〜 - 鏡面世界でしずかの操作ミスにより、ザンタクロスが破壊してしまう高層ビルのモデルとして登場する。
脚注
編集- ^ “「赤プリ」解体 屋上部分が地上に到着”. NHKニュース (日本放送協会). (2013年5月19日). オリジナルの2013年5月19日時点におけるアーカイブ。 2013年5月19日閲覧。
- ^ “泡と消えた?恋人たちの聖夜(平成のアルバム)”. 日本経済新聞 (2018年12月22日). 2022年7月14日閲覧。
- ^ “「赤プリ」閉館 バブル世代の憧れ「思い出ありがとう」”. asahi.com (朝日新聞社). (2011年3月31日). オリジナルの2011年4月3日時点におけるアーカイブ。 2013年1月15日閲覧。
- ^ 連結子会社の事業所の営業終了に関するお知らせ (PDF) 株式会社西武ホールディングス 2010年4月28日
- ^ “詳細情報 : 東京都文化財情報データベース”. bunkazai.metro.tokyo.lg.jp. 2021年1月17日閲覧。
- ^ [1]
- ^ [2]
- ^ 館内案内
- ^ a b “赤プリが震災の避難施設に 取り壊し前に最後の活躍”. 47NEWS. 共同通信. (2011年3月24日) 2011年3月24日閲覧。
- ^ “赤プリ、9日から被災者受け入れ 廉価で食事、ランドリー利用も”. 47NEWS. 共同通信. (2011年4月7日) 2011年4月7日閲覧。
- ^ a b c d e f 「旧赤プリ建て替え 容積率2倍の600%に」 『日本経済新聞』 平成23年7月30日朝刊
- ^ 大成建設>会社情報>プレスリリース>2010年
- ^ 国内最高のビル解体工事 本格開始(2012年11月14日時点のウェブ魚拓)
- ^ 赤プリ 解体終了、新棟着工へ 16年夏ごろ完成目指す - スポニチアネックス 2013年7月10日
- ^ “静かに消えた「赤プリ」 高さ140mの超高層を美しく解体 13年の注目技術4位”. 日本経済新聞. (2013年12月5日) 2020年4月26日閲覧。
- ^ 「臨海部、再開発盛ん 竹芝・芝浦、データ解析、効率管理 マンスリー編集特集」『日経産業新聞』6頁 2021年1月29日
- ^ “西武、「赤プリ」旧館を移設 再開発の目玉に”. 日本経済新聞 (2013年11月18日). 2021年1月15日閲覧。
- ^ 西武が赤プリ旧館の移設作業公開 都の有形文化財(msn 産経ニュース)[リンク切れ]
- ^ “千葉真一 家族初お披露目 結婚15年目の披露宴”. CHUNICHI Web (中日スポーツ). (2010年10月23日). オリジナルの2010年10月23日時点におけるアーカイブ。 2013年1月15日閲覧。
- ^ “千葉真一Jr.お披露目…結婚披露宴に600人が出席”. スポーツ報知. (2010年10月23日). オリジナルの2010年10月24日時点におけるアーカイブ。 2013年1月15日閲覧。
外部リンク
編集- グランドプリンスホテル赤坂 - ウェイバックマシン(2012年6月6日アーカイブ分)
- 赤坂プリンス クラシックハウス