許慈
許 慈(きょ じ、生没年不詳)は、中国後漢末期から三国時代の政治家。字は仁篤。荊州南陽郡の出身。子は許勛。
許慈 | |
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蜀漢 大長秋 | |
出生 |
生年不詳 荊州南陽郡 |
死去 | 没年不詳 |
拼音 | Xǔ Cí |
字 | 仁篤 |
主君 | 劉備→劉禅 |
事績
編集劉熙に師事し、鄭玄の学問をよくした。『易』・『尚書』・『三礼』・『毛詩』・『論語』を学んだ。
劉備の益州平定後、胡潜とともに学士に任命され、孟光・来敏らとともに宮中儀礼の制定に当たった。
許慈と胡潜は大変仲が悪く、劉備にたしなめられるほどであった。
子の許勛は父の学問を受け継ぎ、博士となった。
参考文献
編集「正史 三国志 5 蜀書」(陳寿 著、裴松之 注、井波律子 訳) ちくま学芸文庫 ISBN 4-480-08045-7