藤原経憲
藤原 経憲(ふじわら の つねのり)は、平安時代後期の貴族。藤原北家勧修寺流、少納言・藤原顕憲の子。官位は従五位下・蔵人大夫。
時代 | 平安時代後期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
官位 | 従五位下、蔵人大夫 |
主君 | 藤原頼長 |
氏族 | 藤原北家勧修寺流 |
父母 | 父:藤原顕憲、母:藤原時貞の娘 |
兄弟 | 盛憲、憲親、経憲、玄顕、能円 |
経歴
編集兄弟達と同様、従兄弟である藤原頼長の側近となり、その家司を務める。その容貌は兄達より美麗であったと、頼長によって評されている(『台記・久安3年6月22日条』)。
保元元年(1156年)の保元の乱に当たっては、崇徳上皇、頼長方に参加。敗北後は出家するも捕らえられ、近衛天皇や美福門院を呪詛した嫌疑によって兄・盛憲と共に拷問にかけられた後、隠岐国へと流罪となった。没年を含め、その後の足跡は不明である。