若井はんじ・けんじ

日本の漫才コンビ

若井 はんじ・けんじ(わかい はんじ・けんじ)は、日本の兄弟漫才コンビ。昭和時代高度経済成長期に活動した。略称は「はんけん」。同世代の「柳柳」こと上方柳次・柳太としのぎを削った。

メンバー

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兄。本名:若井 輝雄(わかい てるお)[1]。ボケ担当。愛称は「はんちゃん」。
漫才師だった両親の巡業先の京都富貴席の楽屋で生まれる。子供のころからトランペットドラムといった楽器演奏をはじめとしたあらゆる芸を仕込まれた。1946年、12歳の時に「荒川照坊」の名で両親とトリオを組み[2]、巡業先の愛知県半田市で初舞台。翌年、父親がメチルアルコールの多量摂取で死去したため、母子のコンビとなる。
短期間弟と漫才コンビを組んだのち、2代目大江美智子率いる名古屋市女剣劇一座「大美劇団」に座長として入団。
はんじ・けんじとして活動中の1975年に胃癌のため入院。一時快方に向かうが、同年12月に再入院し、翌年死去。癌であることは本人に知らされないままだった[3]
弟。本名:若井 修身(わかい おさみ)[4]。ツッコミ担当。愛称は「けんちゃん」。
両親の巡業先の愛知県で生まれる。幼いころの病気で鼓膜が破れ右耳が全く聞こえなかった[5]
短期間兄と漫才コンビを組んだのち、はんじ・けんじ結成までは芸人を休業。
はんじに先立たれたのち、同様に相方を病で失っていた上方柳次とコンビを結成するが、解散[2]。その後はファンの仲介で天王寺のスナックのマスター[3]となったり、シャッター製造会社を設立したりするなどしたのち、1983年9月に東大阪市議選に出馬し、初当選。民社党会派に所属[4]。2期目を目指した1987年9月[4]には、膝を悪くした影響で選挙活動が思うように行なえず、また定数削減のあおりを受け次点で落選[3]し、芸能界に復帰。漫談をしていた[2]が、同年自動車事故[3][6]のため死去。

コンビ略歴

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1948年[2]名古屋市の寄席において、「荒川福児・笑児」の名で兄弟初舞台を踏む(のちのはんじが福児、けんじが笑児[4])。はんじと舞台に立っていた千夜子はこのとき裏方に回る。幼少期に長く名古屋を拠点としていた影響で、後年まで名古屋なまりが残った[3]。やがて旅回りの浪曲師宮川右近の紹介で北海道を拠点とするが、右近がギャラを持って失踪する。

ブランクの末、ふたりは音楽ショウのらくろショウの紹介で帰阪し、籠寅興行のもとで活動を再開させる。漫才のかたわら軽演劇団で活動していたが、公演の移動中、新世界暴力団とタクシーの乗降をめぐるトラブルが起き、はんじが胸を刺されて負傷する。これが原因となり、劇団は解散する。

はんじは失意のあまり、酒を暴飲する日々を過ごす。その様子を見た漫才作家秋田實が、ふたりの再起を図り、上方演芸(のちの松竹芸能)にスカウトする。

1957年に「福児・笑児」として新花月に出演[4]。1959年に「デイト チック・ヤング」と改名(のちのはんじがチック、けんじがヤング[4])。1960年10月に「若井はんじ・けんじ」と改名し、道頓堀角座で披露興行を行った[2]。1964年から1973年にかけ、MBSテレビダイビングクイズ』の司会を務め、人気を博した[2]。1968年よりケーエープロダクションに在籍。

受賞歴

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家族・親族

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弟子

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直弟子
孫弟子

芸風・ギャグ

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テンポの早いやりとり[1]で知られ、はんじの「頭の先までピーコピコ[1][6]」や「ゴメ〜ンネ[6]」といったギャグが流行語となった。

もともと「頭の先までピーコピコ」は、はんじの口癖であった。永六輔がこれに注目し、彼らのために自身初めての漫才台本を書いた際、つかみネタに入れた。これが舞台でウケたので、その後ギャグとして定着した。1970年代の大阪を舞台にした映画『岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS』(1996年)の作中、岡村隆史が演じる小鉄がこのギャグを言うシーンがある。

出演

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テレビ

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ドラマ
その他

ラジオ

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映画

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脚注

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  1. ^ a b c d e f 若井 はんじ』 - コトバンク 典拠は日外アソシエーツ『20世紀日本人名事典』(2004年)および同『新撰 芸能人物事典 明治~平成』(2010年)
  2. ^ a b c d e f g h 第15回上方演芸の殿堂入り(平成23年度) 大阪府立上方演芸資料館(ワッハ上方)
  3. ^ a b c d e f 足立克己『いいたい放題 上方漫才史』(東方出版 1994年)pp.53-61。けんじの最初の妻について同資料は「加茂川かもめ」としている
  4. ^ a b c d e f g 若井 けんじ』 - コトバンク 典拠は上に同じ。
  5. ^ ABCラジオもうすぐ夜明けABC2009年11月13日深夜放送分「ミッドナイト寄席」コーナーで弟子の若井みどりが語った。
  6. ^ a b c 相羽秋夫『上方漫才入門』(弘文出版、1995年)p.118
  7. ^ 幻の漫才コンビ「若井ろくじはちじ」

関連項目

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