粟津潔
日本のグラフィックデザイナー (1929-2009)
人物
編集東京都目黒区出身。法政大学専門部中退。絵画・デザイン技法は独学である。背景やフォルムを緻密な線や混沌とした色彩で構成し、一見ファインアートであるかのように見える作風が特徴。油彩作品も多数制作している。
1955年の日本宣伝美術会展(日宣美)で日宣美賞受賞。1960年に建築家の有志を募り『メタボリズム』を結成する。その後武蔵野美術大学商業デザイン学科(現・視覚伝達デザイン学科)助教授に就任、デザイン教育に携わる。1966年に『エンバイラメント』の会を結成、翌年の1967年頃から大阪万国博覧会のテーマ館別構想計画などを練る。その他、国内外問わず国際的なプロジェクトに参加している。1990年に紫綬褒章受章。2000年、勲四等旭日小綬章受章[1]。2009年4月28日に肺炎のため川崎市内の病院で死去[2]。
主な作品
編集著書
編集- 『デザインの発見』 三一書房、1966年
- 『現代との対話 若き創造者へ』 学芸書林、1968年
- 『デザインに何が出来るか』 田畑書店、1969年
- 『粟津潔デザイン図絵』 田畑書店、1970年
- 『デザイン夜講』 筑摩書房、1974年
- 『世界のグラフィックデザイン 7』 磯崎新,福田繁雄共編、講談社、1974年
- 『造型思考ノート』 河出書房新社、1975年
- 『粟津潔原点画』 土曜美術社、1975年
- 『阿部定 昭和11年の女』 井伊多郎,穂坂久仁雄共著 田畑書店、1976年
- 『粟津潔のブック・デザイン』 河出書房新社、1977 (アート・テクニック・ナウ)年
- 『粟津潔・作品集』全3巻 講談社、1978-79年
- 『ガウディ讃歌』現代企画室、1981年
- 『デザイン巡遊』現代企画室、1982年
- 『表層は深層の皮膚』 京都芸術短期大学「楽」編集室、1984年
- 『粟津潔・8夜快談集 青春のこと。都市のこと。デザインのこと。』 文化出版局、1985年
- 『粟津潔の仕事 1949-1989』 河出書房新社、1989年
- 『世界のグラフィックデザインシリーズ11 粟津潔』 ギンザ・グラフィック・ギャラリー、1994年
- 『象形文字遊行 文字始源』 東京書籍、2000年
- 『ロックアート 神話そしてイマジネーション 粟津潔とN・A・R・A探検隊』 フィルムアート社、2002年
- 『粟津潔デザインする言葉』 フィルムアート社 2005年
- 『不思議を眼玉に入れて 粟津潔横断的デザインの原点』 現代企画室、2006年
- 『粟津潔 荒野のグラフィズム』 フィルムアート社、2007年
- 『粟津潔 マクリヒロゲル』 現代企画室、2012年
- 『すてたろう』秩父前衛派ほか、KEN BOOKS、2014年
- 『まるのおうさま』粟津潔、谷川俊太郎、福音館書店、2019年
主な作品収蔵先
編集脚注
編集- ^ 「秋の叙勲、251人に 地道な努力報われる」『読売新聞』2000年11月3日朝刊
- ^ 時事通信 (2009年5月1日 21時17分). “時事ドットコム:粟津潔さん死去=グラフィックデザイナー、大阪万博で活躍”. 2009年5月1日閲覧。