第1海兵師団 (アメリカ軍)
第1海兵師団(だいいちかいへいしだん、1st Marine Division)は、アメリカ海兵隊の師団の一つ。アメリカ海兵隊の現役部隊としては最も古くかつ規模が大きく、兵力は約19,000人である。司令部はカリフォルニア州、キャンプ・ペンドルトン海兵隊基地に置かれている。
第1海兵師団 | |
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第1海兵師団の記章 | |
創設 | 1941年 2月1日 |
所属政体 | アメリカ合衆国 |
所属組織 | アメリカ海兵隊 |
兵種/任務 | 水陸両用戦 |
人員 | 約19,000名 |
所在地 | カリフォルニア州 キャンプ・ペンドルトン海兵隊基地 |
愛称 |
オールド・ブリード "The Old Breed" ブルー・ダイアモンド "Blue Diamond" |
標語 |
より善き友、強き敵 No Better Friend, No Worse Enemy |
上級単位 | 第1海兵遠征軍 |
戦歴 |
第二次世界大戦 *ガダルカナル島の戦い *グロスター岬の戦い *ペリリューの戦い *沖縄戦 朝鮮戦争 *釜山橋頭堡の戦い *仁川上陸作戦 *第2次ソウルの戦い *長津湖の戦い *第1次・第2次原州の戦い *パンチボウルの戦い キューバ危機 ベトナム戦争 *テト攻勢 *スターライト作戦 湾岸戦争 *カフジの戦闘 *クウェート解放作戦 ソマリア内戦 アフガニスタン紛争 *不朽の自由作戦 イラク戦争 *イラク侵攻 *ファルージャの戦闘 |
戦歴
編集師団編制となったのは1941年2月のことである。太平洋戦争開戦後、第1海兵連隊と第5海兵連隊はニュージーランドのウェリントン、第7海兵連隊は西サモア、第11海兵連隊はフィジーの駐屯地に移動していたが、ガダルカナル島の戦いの準備のため、1942年7月28日から7月30日にかけてフィジーのコロ島に集結した。この時点でコロ島には89隻の輸送船と16,000の兵力が集結し、11日間の航海ののち、8月7日にガダルカナル島に上陸した。ガダルカナル島では12月9日に陸軍の第23歩兵師団と交代するまで戦い、650人の戦死者と1,278人の負傷者を出した。
ガダルカナル島の戦いの後、第1海兵師団は休養と再編成のためオーストラリアのメルボルンに駐屯したが、カートホイール作戦開始に伴って東部ニューギニアのニューブリテン島に移動した。1943年12月26日、第1海兵師団はニューブリテン島のグロスター岬付近に上陸し、グロスター岬の戦いが開始された。戦闘は翌1944年2月まで続き、310人の戦死者と1,083人の負傷者を出した。グロスター岬の戦いの後、第1海兵師団はルッセル諸島のパヴヴ島に移動し、休養と再編成を行った。
9月15日、第1海兵師団はパラオのペリリュー島に上陸した。日本軍はペリリュー島において、従来の戦術からゲリラ戦と縦深防御戦術に転換しており、第1海兵師団は苦戦を強いられることになった。ペリリューの戦いで、第1海兵師団は中隊長クラスの将校を含む1,252人の戦死者と5,274人の負傷者を出し、師団長のウィリアム・リュパータス少将は師団長を更迭された。10月、第1海兵師団は再び休養のためにパヴヴ島に戻り、そこで新年を迎えた。そのため、硫黄島の戦いには第3・4・5海兵師団が投入され、参加していない。
翌1945年4月1日、第1海兵師団は第6海兵師団とともに沖縄本島に上陸した。沖縄戦において、第1海兵師団は大名高地の戦いやシュガーローフの戦いに参戦したのち、首里城を制圧した。6月23日の戦闘終結の時点で第1海兵師団は1,655人の戦死者を出した。
日本の降伏の後、1945年9月30日に第1海兵師団は中国の大沽に上陸し、河北省を中心に北平や天津、山東半島に展開した。しかし、国共内戦の激化に伴い、1947年9月1日に中国から撤退した。
部隊編成
編集- 本部大隊
- 第1海兵連隊
- 第5海兵連隊
- 第7海兵連隊
- 第11海兵連隊(砲兵連隊)
- 第3両用強襲大隊
- 第1軽装甲偵察大隊
- 第3軽装甲偵察大隊
- 第1戦闘工兵大隊
- 第1戦車大隊
- 第1偵察大隊
- A中隊
- B中隊
- C中隊
- 第一武装偵察中隊(アメリカ海兵隊武装偵察部隊)
関連項目
編集- アメリカ海兵隊
- 第1海兵遠征軍 - 地上戦部隊が本項で扱う「第1海兵師団」
- ザ・パシフィック - 第1海兵師団と太平洋戦争での日本軍との戦いをノンフィクション作品を基に描いたテレビドラマ。
- ペリリュー・沖縄戦記 - 上記ドラマの原作。
- ジェネレーション・キル- イラク戦争に従軍した第1海兵師団・第1偵察大隊の兵士らの戦闘と戦場での日常を描いたテレビドラマ。