破李拳竜

日本の漫画家、スーツアクター

破李拳 竜はりけん りゅう[1]1958年昭和33年〉[1]1月22日[2][3] -)は日本漫画家スーツアクター栃木県出身[出典 1]

なお、破拳 竜と表記されることもあるが、これは誤り。

来歴

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1976年千代田デザイナー学院に入学。同校に在学していた平野俊貴千之ナイフ金田益実らと知り合う。授業は真面目に受けず、友人の持ってきた超合金の玩具で遊んでいた。

1977年、佐藤プロダクションに入社し、劇画家・佐藤まさあきに師事[4]。3年後に佐藤プロが解散した際に千之ナイフに誘われ劇団白鳥座早川プロダクションにエキストラ俳優として所属[4]1977年にはアクションチーム「辻」に所属し、主にアトラクション・ショーで活動する[2]。これは高校時代、ブルース・リーに影響され中国武術(形意拳)を埼玉県の道場で学んでいた経験から[4]、腕におぼえがあったからともいう。

1980年、漫画家として『恍惚の放物線』でデビュー[出典 2]。千之ナイフと共にコミックマーケットにも参加を開始(同人誌『人形姫』)。その後は1982年創刊の漫画誌『レモンピープル』に、当時全盛であったアニパロ特撮版のノリでロリコン系漫画を描き、ロリコン漫画家として活動。主な作品は『撃殺!宇宙拳』、『プリティエグゼクター』など[5][6]

1984年ゴジラ復活キャンペーンでゴジラの着ぐるみを被り、『ゴジラvsビオランテ』(1989年)の時も同様にキャンペーンでゴジラの着ぐるみを被っていた[2][5]1991年の『ゴジラvsキングギドラ』ではキングギドラ役に抜擢された。以後も、平成ゴジラシリーズにスーツアクターとして参加することとなる[7][6]

平成ゴジラシリーズにおいてはスーツアクターのほかに、『ゴジラvsビオランテ』から『ゴジラvsデストロイア』までの作品の絵コンテやデザインを担当[2][5]。川北に特撮のヒントになるような映像をアドバイスしたり[注釈 1]、雑誌媒体の記事なども執筆。

平成ゴジラ映画の敵怪獣(キングギドラ、バトラ)やベビーゴジラ、ゴジラジュニアなども演じた[2]他、平成ゴジラシリーズの宣伝ではバラエティ番組に登場したアトラクション用ゴジラやCMもほとんど演じ、2000年の『夏休みゴジラツアー2000』による東宝撮影所内で行われた『ゴジラショー』や、『東武ワールドスクウェア』での『ゴジラバトルショー』『ゴジラ スーパーバトル2001』等のゴジラも演じていた。最近では『いかレスラー』、『かにゴールキーパー』『電エース』など、河崎実監督作品の常連でもある。

特撮映画への参加は1987年に自身の原作であるオリジナルビデオ作品『プリティエクゼクター』(ムービック)の演出・総監督を担当し、特技監督としての自らの礎にするためとの旨をコメントしている[要出典]

日本古流徒手武術護身技法師範代となるなど武術の心得もあり、専門学校で殺陣・護身術の特別講師も務めている[2]

エピソード

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映画『ゴジラ』(1984年版)のキャンペーンでは、キャンペーン用に用意されたゴジラのスーツはファンシーな仕上がりであったため、品田冬樹がゴジラ復活委員会のために制作した『モスラ対ゴジラ』(1964年)のゴジラを再現したスーツを着ることを選んだ[5]

『ゴジラvsビオランテ』では、キャンペーンの打ち合わせとともに撮影現場の見学に訪れたところ、特技監督の川北紘一から「絵が描けるならやってみろ」と言われ、台本もないままアクションプランを描くことになったという[5]

『ゴジラvsキングギドラ』では、当初ゴジラザウルスのデザインやピクトリアルスケッチを手掛けていたが、怪獣に入りたいと要望しゴジラザウルス役に起用された[6]。しかし、採寸を行った結果、キングギドラ役に改められた[6]

児童誌のアンケートで子供たちが「ゴジラは所詮怪獣だからウルトラマンスーパー戦隊シリーズのロボットが登場したら倒されるだろう」と考えているという結果を知り、そのデータを携えた上で、『ゴジラvsキングギドラ』の結末でゴジラが復活する案を提出。

『ゴジラvsデストロイア』(1995年)では、演じるゴジラジュニアが極秘扱いであったため、破李拳はプロデューサーの富山省吾から「あなたはいないことになっている」と告げられたという[7]

主な作品

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漫画作品

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書籍

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  • ゴジラ怪獣超クイズ(1992年、久保書店、製作・総指揮)
  • ゴジラ道 生まれてからずっ-とゴジラになりたかった(1995年、風塵社)
  • 怪獣バカ一代 ゴジラ役者への道(1996年、洋泉社
  • ザ・スーツアクター 特撮ヒーローを演じた男たち(1999年、ソニー・マガジンズ[7]
  • ゴジラの中は ある怪獣バカの足型(2017年、オルタナパブリッシング)[7][6]

雑誌記事

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  • 特撮雑誌『宇宙船』 - ヒーローアクション、スーツアクター、自身の出演作などに関する多くの記事を執筆

出演

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映画 / オリジナルビデオ

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テレビ番組

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  • 冒険!ゴジランド(1992年 - 1993年、テレビ東京系) - ゴジラ[10]

監督作品

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脚注

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注釈

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  1. ^ ゴジラvsメカゴジラ』の時には『恐竜戦隊ジュウレンジャー』のドラゴンシーザーの特撮シーンを見せたという。
  2. ^ 電エースキックの結末差し替えバージョン。

出典

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  1. ^ a b c VSビオランテコンプリーション 2015, p. 29, 「GODZILLA VS BIOLLANTE staff Message 破李拳竜」、VSデストロイアコンプリーション 2017, p. 55, 「STAFF MESSAGE 破李拳竜」、VSギドラコンプリーション 2020, p. 54, 「STAFF MESSAGE 破李拳竜」
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 平成ゴジラクロニクル 2009, pp. 256–257, 「第7章 平成ゴジラシリーズを作った男たち 破李拳竜」
  3. ^ a b c d 野村宏平、冬門稔弐「1月22日」『ゴジラ365日』洋泉社映画秘宝COLLECTION〉、2016年11月23日、28頁。ISBN 978-4-8003-1074-3 
  4. ^ a b c d e 『《特別特撮放談》三者三様に放つ強烈ビーム!・破李拳竜・佐藤元・さとうげん』、「まるくり倶楽部vol.1」所収、ラピュータ、2000年、pp57-72。
  5. ^ a b c d e f g h i VSビオランテコンプリーション 2015, p. 29, 「GODZILLA VS BIOLLANTE staff Message 破李拳竜」
  6. ^ a b c d e f VSギドラコンプリーション 2020, p. 54, 「STAFF MESSAGE 破李拳竜」
  7. ^ a b c d e f VSデストロイアコンプリーション 2017, p. 55, 「STAFF MESSAGE 破李拳竜」
  8. ^ 平成ゴジラクロニクル 2009, p. 130
  9. ^ 破李拳竜, 2020年6月14日, 本日は昭和ガメラでおなじみ湯浅憲明監督の御命日。, Twiiter (X)
  10. ^ ゴジラ大百科 1993, p. 170, 構成・執筆 早川優「ゴジラ映画を100倍楽しくする 東宝怪獣映画カルト・コラム 47 『冒険!ゴジランド』紹介」

出典(リンク)

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参考文献

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外部リンク

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