田中 充(たなか たかし、1975年6月3日 - )は、栃木県芳賀郡出身の元プロ野球選手投手)。

田中 充
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 栃木県芳賀郡
生年月日 (1975-06-03) 1975年6月3日(49歳)
身長
体重
183 cm
84 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2001年 ドラフト4巡目
初出場 2002年4月1日
最終出場 2007年8月21日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴・人物

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中学2年の時に越谷シニアのエースとして全国優勝[1]浦和学院高3年夏は埼玉県大会決勝で春日部共栄高土肥義弘と投げ合うも敗れる。大学時代は同期に左腕・倉則彦、2学年先輩に清水隆行川中基嗣、1学年先輩に今岡誠、1学年後輩に福原忍、2学年後輩に前田忠節、3学年後輩に三浦貴がおり、4年生時も高校の後輩にあたる三浦が1年から登板するなど、主戦ではなく1部リーグ通算4勝[1]

卒業後はNTT関東へ進み、1年目の日本選手権では2回戦でリードした場面で救援し、2回を投げたのみだが優勝を経験。翌年からは統合されたNTT東日本に所属して、2001年都市対抗野球朝日生命の補強選手となるが[1]金剛弘樹が完投するも惜敗して登板はなし。2001年度ドラフト会議にて千葉ロッテマリーンズから4巡目指名を受け、入団。

2004年シーズン途中に前田浩継との交換トレードで、丸山泰嗣と共にヤクルトスワローズへ移籍。途中入団ながら38試合に登板する。

2007年シーズンは4試合しか登板がなく、10月に球団から戦力外通告を受けた。二度の12球団合同トライアウトに参加するも獲得の声は掛からず現役を引退。そして、横浜ベイスターズ打撃投手となった。戦力外通告を受けてからトライアウトに奮闘する姿は2008年1月10日放送のバース・デイにおいて紹介された。

2008年シーズン限りで横浜を退団。

2009年シーズンには中華職棒(CPBL)の兄弟エレファンツの春季キャンプにテスト生として参加したが入団には至らなかった。

現在は大日本住友製薬MRを務める傍ら、リトルリーグのコーチも務めている。

自身の子息は高崎健康福祉大学高崎高等学校でプレーし、「第96回選抜高等学校野球大会」優勝メンバーとなった田中陽翔である。2024年のドラフトでヤクルトから4位指名された[2]

詳細情報

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年度別投手成績

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W
H
I
P
2002 ロッテ 18 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 91 20.0 21 2 6 1 4 9 1 1 16 15 6.75 1.35
2004 6 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 24 6.1 5 0 2 0 0 2 0 0 2 2 2.84 1.11
ヤクルト 38 0 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 119 27.2 34 5 3 1 1 16 0 0 20 17 5.53 1.34
'04計 44 0 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 143 34.0 39 5 5 1 1 18 0 0 22 19 5.03 1.29
2005 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 15 2.2 7 3 0 0 0 0 0 0 4 4 13.50 2.63
2006 10 0 0 0 0 0 1 0 2 .000 26 4.0 9 0 4 1 0 2 1 0 8 8 18.00 3.25
2007 4 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 13 2.0 2 0 3 0 2 3 0 0 1 1 4.50 2.50
通算:5年 79 1 0 0 0 2 1 0 2 .667 288 62.2 78 10 18 3 7 32 2 1 51 47 6.75 1.53

記録

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その他の記録
  • 同一年に2球団で勝利:2004年 ※史上8人目

背番号

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  • 16 (2002年 - 2004年途中)
  • 47 (2004年途中 - 2007年)
  • 107 (2008年)

脚注

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  1. ^ a b c 2002プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社
  2. ^ "【ドラフト】清原親子よりも先に親子プロ野球選手誕生 通算79登板左腕の息子が父もプレーのヤクルトに4位指名". スポーツ報知. 報知新聞社. 2024年10月24日. 2024年10月24日閲覧

関連項目

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外部リンク

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