現代任侠[1]』(げんだいにんきょうし)は、1973年昭和48年10月27日土曜日)に公開された日本映画高倉健主演・石井輝男監督東映京都撮影所製作[2]、配給東映

現代任侠史
監督 石井輝男
脚本 橋本忍
出演者 高倉健
梶芽衣子
中村英子
成田三樹夫
郷鍈治
夏八木勲
小池朝雄
今井健二
内田朝雄
林彰太郎
沢彰謙
有川正治
北沢彪
北村英三
川谷拓三
阿波地大輔
舟橋竜次
成瀬正孝
鈴木康弘
堀正夫
岩尾正隆
野口貴史
高並功
福本清三
北川俊夫
宮城幸生
唐沢民賢
島田秀雄
東竜子
丸平峰子
林三恵
青木卓司
友金敏郎
矢部義章
西山清孝
鳥巣哲生
松田利夫
ダーリン・ヒサシマ
土橋勇
笹木俊志
森源太郎
木谷邦臣
田中邦衛
南利明
笑福亭仁鶴
三益愛子
辰巳柳太郎
安藤昇
音楽 木下忠司
撮影 古谷伸
編集 宮本信太郎
製作会社 東映京都
配給 東映
公開 日本の旗1973年10月27日土曜日
上映時間 96分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

概要

編集

高倉健の"新任侠路線"第一弾で[3]任侠映画10周年記念映画として宣伝された[2]。高倉健・安藤昇梶芽衣子の三大スター初共演[4]

あらすじ

編集

喧騒の70年代。任侠の世界から足を洗い、寿司屋の主人になった男が、関西から進出して来た現代的組織のヤクザ勢力に昔世話になった一家が蹂躪されるのを見て再び立ち上がる[2][3]

キャッチコピー

編集
任俠を心に刻んでたゞ一人 着流し高倉のドスが’73現代、組織再編成の謀略を斬る
この血のドラマは1973年

息つく間もないヤマ場の波状攻撃

豪華顔合わせで描く新任俠<フィクション>路線第一弾

スタッフ

編集
  • 監督:石井輝男
  • 企画:橋本慶一、日下部五朗、佐藤雅夫
  • 脚本:橋本忍
  • 撮影:古谷伸
  • 照明:増田悦章
  • 録音:溝口正義
  • 美術:鈴木孝俊
  • 音楽:木下忠司
  • 助監督:皆川隆之
  • 記録:梅津泰子
  • 進行主任:俵坂孝宏
  • 編集:宮本信太郎
  • 装置:近藤幸一
  • 装飾:宮川俊夫
  • 美粧結髪:東和美粧
  • スチール:木村武司
  • 演技事務:森村英次
  • 衣裳:岩逧保
  • 擬斗:上野隆三
  • アームス・テクニカル・アドバイザー:トビー・門口、トニー・村添

出演

編集

製作

編集

企画

編集

1973年の実録路線の抬頭で、岡田茂東映社長が任侠路線を打ち切って、急速に実録路線への転換を進めようとしたため、純"任侠映画"にこだわる俊藤浩滋プロデューサーと揉め、東映のお家騒動が起きた(海軍横須賀刑務所#製作を参照)。結局表面上の手打ちがなされ、俊藤が東映映画事業部参与・事業部長補佐に就任した[7][8]。1973年3月18日に東映本社で、今後の東映の製作方針についての記者会見があり、この席で俊藤参与が「最近の任侠ものはマンネリ化して興行的にも落ち目という噂があるが、これは作り方次第であってもっと明るいものにすれば、まだまだいけると思う。そういう意味では秋には『日本任侠史』(『現代任侠史』、脚本橋本忍)を製作して、同シリーズ(任侠路線)の巻き返しを計りたい」などと話した[7][8]

1973年の東映は正月第二弾映画『仁義なき戦い』の予想外の大ヒットで、1973年に当初は全く製作予定のなかった実録映画 、『仁義なき戦い』の続編、『山口組三代目』『実録 私設銀座警察』、安藤組の続編などを、どんどんラインナップに入れ[9]、またそれらのロングランもあり、この1973年に"実録の東映"、というイメージを作り上げたが[10]、この影響で岡田が春先に話していた『実録連合赤軍』など[11]、予定した映画が延期されたり、製作中止された[7][12]。しかし本作は公開日に関しては予定通り製作された[4][7][8]

監督

編集

監督の石井輝男は同時期に製作の始まった『海軍横須賀刑務所』で勝新太郎とコンビを組む予定だったが[2]クランクイン直前に俊藤が石井を訪ねてきて、「高倉があなたと一緒にやりたいと言っているから『現代任侠史』の方に監督を替わってくれ」と石井に言った[2]。石井は勝と仕事をするのに気が乗らなかったため[2]、渡りに船とばかりに橋本忍の脚本もろくに読まずに『現代任侠史』の監督に代わり[2]、『海軍横須賀刑務所』の監督は山下耕作になった[2][4]。『現代任侠史』は『海軍横須賀刑務所』(東映東京撮影所製作)の製作会見があった1973年9月19日(水曜日)の三日後、1973年9月22日(土曜日)に東映京都でクランクインした[4]。クランクイン時のタイトルもまだ『現代任侠史』でなく『日本任侠史』だった[4][7]

脚本

編集

石井は橋本の脚本をろくに読まずに監督を引き受けたため、ホンをちゃんと読むと理解できない箇所があり、橋本に会って質問した[2]。まず冒頭でやくざの高倉がアメリカから帰って来るが、英語がペラペラという設定[2]。不思議だなあと思い、橋本に「何故ですか」と聞いたら橋本は「『人間革命』は舛ちゃん(舛田利雄)がぼくが300枚書いたホンをうまくまとめてくれた」などと話し、石井の質問をはぐらかし、ちゃんと質問に答えてくれなかったという[2]。石井は分からないことばかりでホンを直しながら撮った[2]

キャスティング

編集

高倉健と安藤昇は四作品で共演済みだが、梶芽衣子は二人とは初共演[4]。梶は当たり役「女囚さそりシリーズ」でブレイク直後だったが、ハミ出した女性像を演じたさそりとは一転、短大卒のルポライター役で、女優としてさらにひと回り大きくなれるか試金石と見られた[4]。あまりの方向転換に梶は、「何だか初めて映画に出る感じ。お二人の間に入ると緊張でヒザがガクガクします」と話した[4]。安藤昇は『網走番外地 吹雪の斗争』で石井監督と揉め、帰ったことがあったが、嵐寛寿郎が「安藤はええ男ですから」と盛んに推薦するので、石井の方から「出てください」と安藤に頼み、安藤は気持ちよく出演を快諾し、以降は仲良しになったという[2]。 また『冬の華』は、一部キャストに本作との重複が見られる。主役・高倉健田中邦衛夏八木勲小池朝雄今井健二林彰太郎岩尾正隆青木卓など。

撮影

編集

鹿島茂は本作の撮影を見学し、「ヤクザ映画をつくっている人間のほうが、実際のヤクザ以上にヤクザっぽかった」と感想を述べている[13]

宣伝

編集

キャッチコピー

編集

親父さん‥‥この刀 抜かしてもらいます! 残侠高倉! 現代暴力 〈組織大改革〉の渦中にドスを抜く![14]

作品の評価

編集

興行成績

編集

人間革命』(東宝)と同じ橋本忍脚本で、大当たりするのではないかという前評判もあり[15]、岡田茂社長の仕掛けた実録路線も大当たりを続け[16][17]、映画部門が東映創立以来の好成績も予想され[18]、お荷物のプロ野球も手放し[15][17][19]動画の整理も一段落し[15]、岡田社長も「水漏れがなくなった」と喜んでいたところだったが[15]、ヒットしなかったとされる[20]滝沢一は「高倉健は『山口組三代目』は作品自体が話題性をもって大ヒットしたが、『現代任侠史』になると吸引力が落ちていることがはっきりした」と評した[20]

批評家評

編集

1977年の文献に「東映任侠路線は、昭和38年の『人生劇場 飛車角』をもってその始まりとされ、終焉を告げたのは『現代任侠史』である」と書かれている[21]

脚注

編集

出典

編集
  1. ^ タイトル表記は一部旧字体の『現代任史』。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 石井輝男福間健二『石井輝男映画魂』ワイズ出版、1992年、221-223,349頁。ISBN 4948735086 
  3. ^ a b 「内外映画封切興信録 『現代任侠史』」『映画時報』1970年2月号、映画時報社、40頁。 
  4. ^ a b c d e f g h 「東映勝新太郎主演で『海軍横須賀刑務所』製作 共演には、菅原、松方らが決定/『日本任侠史』 高倉・安藤・梶が共演」『映画時報』1973年10月号、映画時報社、19頁。 
  5. ^ 名は作中に従った。キネマ旬報映画データベースでは「善さん」。
  6. ^ 名は作中に従った。キネマ旬報映画データベースでは「武志」。
  7. ^ a b c d e 「俊藤参与、今後の方針語る秋に超大作『東条英機―』公開」『映画時報』1973年4月号、映画時報社、19頁。 
  8. ^ a b c “東映五、六月の確定番組 俊藤参与今後方針語る”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 4. (1973年4月21日) 
  9. ^ “東映三月までの決定番組実録ものに全力を注入!”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 4. (1973年2月3日) “東映三月までの決定番組実録ものに全力を注入!”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 4. (1973年2月3日) 「映画界東西南北談議 邦画陣には明るい見通し 減税にはなったが多難な映画界」『映画時報』1973年2月号、映画時報社、32頁。 日本シナリオ作家協会 編「作品解説 文・鬼頭麟平」『年鑑代表シナリオ集 '73』ダヴィッド社、1974年、316頁。 「藤純子が引退して一年 鶴田浩二と高倉健も東映映画から消える? 東映王国に何が起きたのか カギ握る俊藤プロデューサー 鶴田や健さんがポルノ、劇画路線に追われるなんて!」『週刊明星』1973年3月11日号、集英社、193 - 195頁。 「《話題の裏窓》 "お家騒動"が一見落着した東映 岡田社長と俊藤氏の和解は果たして本物か」『実業界』1973年3月号、株式会社実業界、82 - 83頁。 
  10. ^ 黒井和男「一九七三年度日本映画/外国映画業界総決算 日本映画製作」『キネマ旬報』1974年2月上旬号、キネマ旬報社、96-98頁。 
  11. ^ 「映画界東西南北談議 粒揃いの各社の企画ラインアップ」『映画時報』1973年3月号、映画時報社、34頁。 
  12. ^ 「映画界東西南北談議 粒揃いの各社の企画ラインアップ」『映画時報』1973年3月号、映画時報社、34頁。 “東映三月までの決定番組実録ものに全力を注入!”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 4. (1973年2月3日) 日本シナリオ作家協会 編「作品解説 文・鬼頭麟平」『年鑑代表シナリオ集 '73』ダヴィッド社、1974年、316頁。 「映画界東西南北談議 邦画陣には明るい見通し 減税にはなったが多難な映画界」『映画時報』1973年2月号、映画時報社、32頁。 “東映の九月一週番組決る 実録もの企画連続登場”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 7. (1973年7月21日) 黒井和男「一九七三年度日本映画/外国映画業界総決算 日本映画製作」『キネマ旬報』1974年2月上旬号、キネマ旬報社、96-98頁。 
  13. ^ 鹿島茂福田和也松原隆一郎『読んだ、飲んだ、論じた 鼎談書評二十三夜』飛鳥新社、2005年、209-209頁。ISBN 9784870316850 
  14. ^ 「ジャック110番 『現代任侠史』」『月刊ビデオ&ミュージック』1973年11月号、東京映音、42-43頁。 
  15. ^ a b c d 井沢淳・高橋英一・鳥畑圭作・土橋寿男・嶋地孝麿「映画・トピック・ジャーナル 歩行者天国の恩恵にあずかる興行街」『キネマ旬報』1973年10月上旬号、キネマ旬報社、181頁。 
  16. ^ 岡田茂 | 時事用語事典 | 情報・知識&オピニオン imidas - イミダス「ヤクザ映画」抜きに東映の成功は語れない理由「仁義なき戦い」を世に出した岡田茂の慧眼
  17. ^ a b 菅原文太さん死去で思い出す東映フライヤーズ身売り話 岡田社長の懐深さが染みた夜
  18. ^ 「VM業界情報 好決算の邦画三社」『月刊ビデオ&ミュージック』1973年11月号、東京映音、39頁。 
  19. ^ 揺らぐ? 東映大奥城/週べ回顧
  20. ^ a b 滝沢一「日本映画四社首脳に直言する― 企画・製作面から見た四社の現状と問題点―」『月刊ビデオ&ミュージック』1974年11月号、東京映音、18-19頁。 
  21. ^ 「シリーズ人間の内幕(31) ゼニと人情はかりにかけりゃ…鶴田浩二『只今、帰って参りました』」『週刊サンケイ』1977年1月6日、13日号、産業経済新聞社、52頁。 

関連項目

編集

外部リンク

編集