渡辺義綱

戦国時代の武将

渡辺 義綱(わたなべ よしつな、生没年不詳)は、戦国時代武将。通称八右衛門松平氏家臣 [1]

略歴

編集

天文9年(1540年6月6日安城合戦において義綱は味方劣勢の中、矢を放って敵を防ぎ織田軍を撤退させた [2]1556年柴田勝家酒井忠次らの守備する福谷城を攻撃した。義綱は酒井の元で敵将の早川藤太を弓で討ち取った [3]

娘に渡辺守綱の母がいる [4]

参考文献

編集
  • 『寛永諸家系図伝 1第 1 巻』(続群書類従完成会 、1980年、169p)
  • 『改正三河後風土記上巻』(金松堂 、1886年、238p)
  • 『新訂寛政重修諸家譜 8』(続群書類従完成会 、1965年、103p)

脚注

編集

外部リンク

編集