沢田牛麿
日本の内務官僚、政治家
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沢田 牛麿(さわだ うしまろ、1874年(明治7年)2月6日[1] - 1958年(昭和33年)1月29日[1][2])は、日本の内務官僚、政治家。貴族院議員。
来歴
編集高知県土佐郡布師田村(現:高知市)で旧土佐藩士沢田誠一の長男として生まれる[1]。山口中学、山口高等学校を経て、1899年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業[1]。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格[1]。陸軍省に入り、陸軍属として大臣官房付となる。以後、陸軍省参事官、警察監獄学校教授兼内務省参事官などを歴任[1]。その後、東京府事務官に転じ、韓国統監府警視、兼統監府書記官、鹿児島県内務部長などを務めた。
1918年10月、青森県知事に就任[1]。以後、佐賀県・石川県・福岡県の各知事を歴任した[1]。1927年4月、北海道庁長官となり、1929年7月まで在任し退官した[1]。
1939年(昭和14年)8月28日、貴族院勅選議員に任じられ[3][4]、同和会に属し1947年(昭和22年)5月2日に貴族院が廃止されるまで在任[2]。その他、長門企業炭鉱取締役などを務めた[1]。1958年1月29日死去。享年83。
栄典
編集脚注
編集参考文献
編集関連項目
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