松平近信
豊後府内藩第9代藩主
松平 近信(まつだいら ちかのぶ)は、江戸時代後期の大名。豊後国府内藩の第9代藩主。親清流大給松平家13代。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 文化元年10月8日(1804年11月9日) |
死没 | 天保12年3月28日(1841年5月18日) |
改名 | 前田利阜(初名)、松平近信 |
戒名 | 寂静院心誉所著超勝 |
墓所 | 大分県大分市荷揚町の浄安寺 |
官位 | 従五位下・信濃守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
藩 | 豊後府内藩主 |
氏族 | 前田氏→大給松平家 |
父母 |
父:前田利幹、母:佐々登の娘・八百 養父:松平近訓 |
兄弟 | 近信、前田利民、前田利親、恵子、鋭子、栓子、育子、誼子、前田利貫、前田利威、前田利愛、前田利豁、花房利種ら |
妻 | 松平近訓の養女 |
子 | 養子:近説、近章 |
生涯
編集文化元年(1804年)10月8日、富山藩の第9代藩主・前田利幹の次男として誕生した。母親の八百は松平志摩守家臣・佐々登の娘で、利幹の側室。初名は前田利阜(まえだ としおか)。天保元年(1830年)6月1日に第11代将軍・徳川家斉に拝謁する。同年12月16日に従五位下、信濃守に叙位・任官する。天保2年(1831年)2月24日に第8代藩主・松平近訓の隠居に伴い家督を継いだ。
しかし藩政の実権は、隠居していた第6代藩主・松平近儔が握っていた。天保11年(1840年)に近儔が死去すると、養父の近訓と共同して藩政を行なったが、藩財政がさらに悪化する中での天保12年(1841年)3月28日に死去した。享年38。跡を養子の近説が継いだ。
系譜
編集父母
正室
養子
脚注
編集注釈
編集- ^ 後に離縁。
出典
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