愛知郡 (滋賀県)

滋賀県(近江国)の郡

愛知郡(えちぐん)は、滋賀県近江国)の

滋賀県愛知郡の位置(緑:愛荘町 黄:明治期 薄黄:後に他郡に編入された区域 水色:後に他郡から編入した区域)

人口20,504人、面積37.97km²、人口密度540人/km²。(2024年10月1日、推計人口

下記の1町を含む。

郡域

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1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、下記の区域にあたる。

  • 彦根市の一部(石寺町、稲里町、金沢町、海瀬町、三津町より南西かつ薩摩町、下西川町、下岡部町、上岡部町、金田町、出路町、彦富町、稲枝町より北東)
  • 東近江市の一部(概ね愛知川右岸および黄和田町)
  • 犬上郡豊郷町の一部(吉田・上枝・下枝・高野瀬・大町・沢・日栄)

歴史

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古代の依知秦氏が本拠地とした。

近世以降の沿革

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幕末の知行
知行 村数 村名
幕府領 幕府領(大津代官所 37村 小倉村、青山村、曽根村、鯰江村、下岸本村、中岸本村、上岸本村、南花沢村、北花沢村、中里村、下里村、僧坊村、平松村、中一色村、大沢新町村、横溝村、南菩提寺村、北菩提寺村、勝堂村、栗田村、長塚村、野々目村、小田苅村、小池村、南清水村、北清水村、大清水村、清水中村、西菩提寺村、畑田村、平居村、苅間村、東円堂村、豊満村、市村、石部村、愛知川村[1]
幕府領(彦根藩預地 21村 小八木村、北蚊野村、南蚊野村、岩倉村、円城寺村、東出村、島川村、宮後村、北八木村、蚊野外村、吉田村、【中戸村、池ノ尻村、矢守村、土橋村、肥田村、山崎南町村、下岡部村、西川村、薩摩村、柳川村】
旗本領 3村 池庄村、上中野村、下中野村
藩領 近江彦根藩 55村 君ヶ畑村、蛭谷村、箕川村、政所村、黄和田村、九居瀬村、高野村、外村、●百済寺村[2]、大覚寺村、平尾村、湯屋村、祇園村、平柳村、今在家村、下一色村、上蚊野村、南安孫子村、斧磨村、●松尾寺村、竹原谷村、常安寺村、西出村、元持村、香之庄村、沖村、長村、目加田村、上枝村、山塚村、土橋河田村、中宿村、沓掛村、長野中村、大門村、河原村、野良田村、高野瀬村、沢村、三津村、海瀬村、林村、中下村、野部村、出路村、彦富村、石寺村、●下平流村、上平流村、上岡部村、金田村、上八木村[3]、下八木村[3]、下枝村[3]、延寿寺村[4]
近江宮川藩 1村 読合堂村
幕府領・藩領 幕府領(大津)・宮川藩 1村 園村
旗本領・彦根藩・宮川藩 1村 妹村
その他 寺社領 1村 塚村
不明(記載なし) 1村 大林新田
  • 慶応4年
  • 明治2年(1869年) - 彦根藩が戊辰戦争の戦功によって加増され、彦根藩預地のうち【 】内の10村が彦根藩領となる。
  • 明治3年(1870年)2月 - 旗本領が大津県の管轄となる。
  • 明治4年
  • 明治5年
  • 明治7年(1874年)(118村)
    • 10月 - 大林新田が改称して大林村となる。
    • 君ヶ畑村の一部(枝郷茨茶屋)が分立して茨川村となる。
    • 西出村の一部が分立して深草村となる。
    • 山塚村の一部(枝郷川久保)が分立して川久保村となる。
    • 高野瀬村の一部が分立して大町村となる。
    • 石部村・土橋村・山塚村が合併して石橋村となる。
    • 長野中村・大門村が合併して長野村となる。
    • 下平流村・塚村・延寿寺村が合併して寿村となる。
    • 土橋河田村が川久保村に合併。
    • 南安孫子村が安孫子村に、野部村が稲部村にそれぞれ改称。
  • 明治12年(1879年)(117村)
    • 3月 - 南蚊野村・上八木村が合併して軽野村となる。
    • 5月16日 - 郡区町村編制法の滋賀県での施行により、行政区画としての愛知郡が発足。郡役所を中宿村に設置。
    • 神崎郡愛知川村の所属郡が本郡に変更。
    • 下岸本村・中岸本村・上岸本村の各一部(枝郷梅林)が分立して梅林村となる。
    • 河原村の一部が分立して山川原村となる。
    • 矢守村の一部が分立して南野々目村となる。
    • 山崎南町村・上平流村・寿村が合併して稲里村となる。
    • 林村・中下村が合併して金沢村となる。
    • 出路村が金田村に合併。
    • 大沢新町村が改称して大沢村となる。
  • 明治14年(1881年) - 「愛知神崎郡役所」が中宿村に設置され、神崎郡とともに管轄。
  • 明治19年(1886年) - 百済寺村地先の開墾地より市ヶ原村が起立。(118村)

町村制以降の沿革

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1.愛知川村 2.東小椋村 3.西小椋村 4.角井村 5.東押立村 6.西押立村 7.豊椋村 8.豊国村 9.八木荘村 10.秦川村 11.日枝村 12.稲枝村 13.稲村(紫:彦根市 桃:東近江市 赤:愛荘町 橙:犬上郡豊郷町)
  • 明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。「愛知神崎郡役所」の所在地が愛知川村となる。(13村)
    • 愛知川村 ← 市村、愛知川村、中宿村、沓掛村、石橋村、川久保村、長野村、河原村、山川原村(現・愛荘町)
    • 東小椋村 ← 茨川村、君ヶ畑村、蛭谷村、箕川村、政所村、黄和田村、九居瀬村、高野村(現・東近江市)
    • 西小椋村 ← 外村、小倉村、青山村、曽根村、妹村、中戸村、鯰江村、上岸本村、梅林村(現・東近江市)
    • 角井村 ← 平尾村、園村、大林村、市ヶ原村、上中野村、下中野村、池ノ尻村、百済寺村、大覚寺村(現・東近江市)
    • 東押立村 ← 大沢村、南花沢村、北花沢村、読合堂村、中里村、湯屋村、祇園村、平柳村、僧坊村、下里村、平松村、中一色村、今在家村、小八木村(現・東近江市)
    • 西押立村 ← 下一色村、勝堂村、西菩提寺村、北菩提寺村、南菩提寺村、横溝村(現・東近江市)
    • 豊椋村 ← 中岸本村、下岸本村、小田苅村、大清水村、南清水村、北清水村、清水中村、小池村、長村、池庄村(現・東近江市)
    • 豊国村 ← 畑田村、平居村、苅間村、東円堂村、豊満村(現・愛荘町)
    • 八木荘村 ← 蚊野外村、香之庄村、元持村、沖村、宮後村、北八木村、下八木村、島川村、長塚村、栗田村、野々目村、南野々目村、矢守村(現・愛荘町)
    • 秦川村 ← 松尾寺村、斧磨村、岩倉村、竹原谷村、常安寺村、東出村、上蚊野村、北蚊野村、軽野村、安孫子村、円城寺村、西出村、深草村、目加田村(現・愛荘町)
    • 日枝村 ← 吉田村、上枝村、下枝村、高野瀬村、大町村、沢村(現・犬上郡豊郷町)
    • 稲枝村 ← 三津村、海瀬村、金沢村、稲部村、野良田村、肥田村、彦富村、金田村、稲里村(現・彦根市)
    • 稲村 ← 上岡部村、下岡部村、石寺村、薩摩村、柳川村、西川村、神崎郡甲崎村、西川村、田原村(現・彦根市)
  • 明治25年(1892年10月5日 - 東小椋村の一部(高野)が分立して高野村が発足。(14村)
  • 明治30年(1897年)4月1日 - 神崎郡葉枝見村の所属郡が本郡に変更。(15村)
  • 明治31年(1898年)4月1日 - 郡制を施行。単独の郡役所が愛知川村に設置。
  • 明治42年(1909年10月1日 - 愛知川村が町制施行して愛知川町となる。(1町14村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和18年(1943年)4月1日 - 東小椋村・高野村が神崎郡山上村と合併して神崎郡永源寺村が発足。(1町12村)
  • 昭和29年(1954年11月3日 - 東押立村・西押立村・豊椋村が合併して湖東町が発足。(2町9村)
  • 昭和30年(1955年
    • 1月1日 - 稲枝村・稲村・葉枝見村が合併して稲枝町が発足。(3町6村)
    • 2月11日 - 角井村・西小椋村が合併して愛東村が発足。(3町5村)
    • 4月1日
      • 秦川村・八木荘村が合併して秦荘町が発足。(4町3村)
      • 愛知川町・豊国村が合併し、改めて愛知川町が発足。(4町2村)
  • 昭和31年(1956年9月30日 - 日枝村が犬上郡豊郷村と合併し、改めて犬上郡豊郷村が発足。(4町1村)
  • 昭和43年(1968年)4月1日 - 稲枝町が彦根市に編入。(3町1村)
  • 昭和46年(1971年2月11日 - 愛東村が町制施行して愛東町となる。(4町)
  • 平成17年(2005年)2月11日 - 愛東町・湖東町が八日市市・神崎郡永源寺町五個荘町と合併して東近江市が発足し、郡より離脱。(2町)
  • 平成18年(2006年2月13日 - 秦荘町・愛知川町が合併して愛荘町が発足。(1町)

行政

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愛知郡長(第1次)
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治12年(1879年5月16日
明治14年(1881年 廃官
愛知・神崎郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治14年(1881年
明治30年(1898年3月31日 廃官
愛知郡長(第2次)
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 明治30年(1898年4月1日
大正15年(1926年6月30日 郡役所廃止により、廃官

脚注

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  1. ^ 記載は神崎郡。
  2. ^ 百済寺郷5ヶ村(大萩村・上山本村・下山本村・北小屋村・北坂本村)の総称。「旧高旧領取調帳」では百済寺村・大萩村の2村として記載。5ヶ村は明治16年(1883年)11月に正式に合併して百済寺村となる。本項では便宜的に1村に数える。
  3. ^ a b c 「旧高旧領取調帳データベース」には記載がないが、「角川日本地名大辞典」には「旧高旧領」に記載されている石高が掲載されている。
  4. ^ 「旧高旧領取調帳」には記載なし。

参考文献

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  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 25 滋賀県、角川書店、1979年4月1日。ISBN 404001250X 
  • 旧高旧領取調帳データベース

関連項目

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