幸島村 (岡山県)
日本の岡山県邑久郡にあった村
幸島村(こうじまそん[1])は、岡山県邑久郡にあった村。現在の岡山市東区の一部にあたる。
こうじまそん 幸島村 | |
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廃止日 | 1953年2月1日 |
廃止理由 |
新設合併 上道郡古都村・西大寺町・可知村・光政村・津田村・九蟠村・金田村、邑久郡豊村・太伯村・幸島村・邑久町(一部)→ 西大寺市 |
現在の自治体 | 岡山市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
郡 | 邑久郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
3,499人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 太伯村、大宮村、朝日村、上道郡九蟠村 |
幸島村役場 | |
所在地 | 岡山県邑久郡幸島村大字南幸田 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集歴史
編集- 1889年(明治22年)6月1日、町村制の施行により、邑久郡東幸西村、西幸西村、南幸田村、北幸田村、東幸崎村、西幸崎村が合併して村制施行し、幸島村が発足[1][2]。旧村名を継承した東幸西、西幸西、南幸田、北幸田、東幸崎、西幸崎の6大字を編成[2]。
- 1892年(明治25年)水害で大きな被害を受けた[2]。
- 1893年(明治26年)水害で大きな被害を受けた[2]。
- 1924年(大正13年)水門郵便局開設[2]
- 1934年(昭和9年)水害で大きな被害を受けた[2]。
- 1941年(昭和16年)帝国人造肥料(帝国化工)が外波崎に設立[2]。
- 1945年(昭和20年)水害で大きな被害を受けた[2]。
- 1946年(昭和21年)昭和南海地震で大きな被害を受けた[2]。
- 1953年(昭和28年)2月1日、上道郡古都村・西大寺町・可知村・光政村・津田村・九蟠村・金田村、邑久郡豊村・太伯村・邑久町(一部)と合併し、市制施行し西大寺市を新設して廃止された[1][2]。
地名の由来
編集近世以来の幸島新田にちなむ[2]。
産業
編集- 農業、酒造、製材、製粉、漁業[2]
交通
編集県道
編集- 鹿忍片岡神崎線[2](現岡山県道232号鹿忍片岡神崎線)
- 片岡往還[2](現岡山県道234号東片岡宿毛線)
教育
編集脚注
編集参考文献
編集- 角川日本地名大辞典 33 岡山県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。