富岡八幡宮
富岡八幡宮(とみおかはちまんぐう)は、東京都江東区富岡にある八幡神社。通称で深川八幡宮(ふかがわはちまんぐう)とも称される。
富岡八幡宮 | |
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鳥居と拝殿 | |
所在地 | 東京都江東区富岡一丁目20番3号[1] |
位置 | 北緯35度40分19秒 東経139度47分58.6秒 / 北緯35.67194度 東経139.799611度座標: 北緯35度40分19秒 東経139度47分58.6秒 / 北緯35.67194度 東経139.799611度 |
主祭神 | 品陀和気命他八柱 |
社格等 | 旧府社 |
創建 | 寛永4年(1627年)[1] |
札所等 | 深川七福神 |
例祭 | 8月15日 |
主な神事 | 粟島神社献針祭、七渡神社例祭、富士浅間神社例祭他 |
地図 |
江戸最大の八幡宮であり、8月に行われる祭礼「深川八幡祭り」は江戸三大祭りの一つ。また江戸勧進相撲発祥の神社で、境内には「横綱力士碑」をはじめ大相撲ゆかりの石碑が多数建立されている。
祭神
編集歴史
編集創建
編集1627年(寛永4年)、菅原道真公の末裔といわれる長盛法印が神託により、当時永代島と呼ばれた小島に創祀したのが始まりとされる。創建当初は「永代嶋八幡宮」と呼ばれ、砂州の埋め立てにより60,508坪の社有地があった。
また八幡大神を尊崇した徳川将軍家の保護を受け、庶民にも「深川の八幡様」として親しまれた[1]。広く美麗な庭園は人気の名所であったという。
なお、長盛法師は同じ地に別当寺院として永代寺も建立している。
当社の周囲には門前町(現在の門前仲町)が形成され、干拓地が沖合いに延びるにつれ商業地としても重要視された。
明治・大正
編集明治維新後の社格は、准勅祭社とされ[1]、同制度の廃止後は記載がない府社とされたが、皇室の尊崇を受け続けた。
永代寺については、神仏分離令によって廃寺。現在の永代寺は、1896年(明治29年)に旧永代寺の塔頭・吉祥院が名前を引き継いだものである。
澤渡敬吉の次男の盛彦が、富岡八幡宮第17代宮司の富岡宣永の娘と結婚し、婿養子となった[2]。
昭和以降
編集1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲により焼失。同年3月18日に、空襲罹災地巡幸のため、昭和天皇が境内を訪れた[3][4]。戦後、富岡盛彦は神社本庁と茨城県神社庁の設立に奔走した[2]。
1949年(昭和24年)、第17代宮司の富岡宣永が死去。同年、盛彦が第18代宮司に就任。再建に努め、1956年(昭和31年)に現在の社殿が造営される。盛彦は1959年(昭和34年)から1962年(昭和37年)まで神社本庁の事務総長(現在の総長)を務めた。
1974年(昭和49年)9月9日、盛彦が死去。同年、次男の富岡興永が第19代宮司に就任。
1994年(平成6年)10月、富岡興永が体調を崩し宮司を退任。1995年(平成7年)3月、興永の長男の富岡茂永が第20代宮司に就任。
2001年(平成13年)5月、茂永は金遣いの荒さや女癖の悪さなどが問題視され、宮司を解任された。先代の興永が宮司として復帰[5]。1億2000万円の退職金と月額30万円の年金を手に入れた茂永は神職を手放し、福岡県宗像市に移り住んだ[6][7]。2006年(平成18年)1月、茂永は、当時富岡八幡宮の禰宜を務めていた姉の富岡長子に対する脅迫罪の容疑で逮捕された[8]。
2010年(平成22年)10月、興永が体調を崩し宮司を退任[9]。2012年(平成24年)、長子は宮司代務者に就任[10]。富岡八幡宮の責任役員会は、長子の宮司昇進を求める要望書を計4回、神社本庁に提出したが認められなかった[10]。
神社本庁を離脱
編集2017年(平成29年)5月29日、富岡八幡宮は責任役員会を開き、神社本庁からの離脱を決議した[11]。同年9月28日付で神社本庁から正式に離脱して単立神社となり[8]、長子が第21代宮司に就任した。別表神社の神社本庁離脱は、2010年(平成22年)の気多大社、2013年(平成25年)の梨木神社に続くものであり、神社本庁のトップまで務めた有力神社の離脱として話題となった[10][12]。
同年12月7日、富岡茂永とその妻は境内北東の通用門付近で待ち伏せし、富岡長子と長子の運転手を日本刀で襲い、長子は死亡し、運転手は重傷を負った。茂永は妻を殺害した後に自殺した[11][13]。事件の2日後の12月9日、富岡八幡宮は緊急の責任役員会議を開催し、宮司の補佐や代理を務めていた権宮司の丸山聡一を宮司代務者にすることに決めた[14]。
2018年(平成30年)6月28日、丸山は第22代宮司に就任した[15]。かつて長子が住居として使用していた敷地内の洋館は同年中に解体された。
境内
編集祭礼
編集祭礼である通称「深川八幡祭り」は、毎年8月15日を中心に行われ江戸三大祭りの一つに数えられる。「わっしょい、わっしょい」の伝統的な掛け声と別名「水かけ祭り」と別称される通り、沿道の観衆から担ぎ手に清めの水が浴びせられる。3年に1度、八幡宮の御鳳輦が渡御を行う年は本祭りと呼ばれ、各町の大人神輿50数基が勢ぞろいして連合渡御が行われる。
- 表参道の神輿庫には2基の御本社神輿が飾られている。1991年(平成3年)に奉納された御本社一の宮神輿は台輪幅5尺(1.5メートル)、屋根の幅9尺3寸(2.9メートル)、高さは4メートルを優に超え、かつぎ棒を含めると4.5トン、鳳凰の胸には7カラットのダイヤモンドをはじめ、装飾の各所に宝石を配している[16]。「日本一の黄金神輿」とも呼ばれる[17]。あまりにも重すぎるため、一度しか担がれたことがない。
- 1997年(平成9年)、祭りで担ぐために御本社二の宮神輿が製作され[16]、本祭りの翌年に氏子各町を渡御している。
年中行事
編集- 1月
- 元旦 - 歳旦祭
- 2月
- 節分 - 節分祭
- 8日 - 粟島神社献針祭
- 6月
- 17日 - 七渡神社例祭
- 30日 - 大祓式
- 7月
- 1日 - 富士浅間神社例祭
- 8月
- 15日 - 例祭
- 11月
- 月中 - 七五三祝祭
- 酉の日 - 酉の市
- 12月
- 31日 - 大祓式
他、各末社の例祭日がある。
相撲とのかかわり
編集富岡八幡宮は1684年(貞享元年)に初めて寺社奉行の許しを得て勧進相撲が行われた、江戸勧進相撲(現在の大相撲の前身)発祥の神社として知られ、現在でも新横綱誕生の折には境内で横綱力士碑刻印の儀や奉納土俵入りなどの式典が執り行われるほか、相撲にまつわる数々の石碑が建つ。
2021年2月には第73代横綱(当時は関脇)照ノ富士春雄が夫人と結婚式を挙げた。師匠の伊勢ヶ濱(第63代横綱旭富士正也)もこの神社で結婚式を挙げている。
歴代宮司
編集代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
---|---|---|---|---|
16代 | 富岡有永 | |||
17代 | 富岡宣永 | 1949年 | ||
18代 | 富岡盛彦 | 1949年 | 1974年9月9日 | 在職中に死去。 |
19代 | 富岡興永 | 1974年 | 1994年10月 | |
20代 | 富岡茂永 | 1995年3月 | 2001年5月 | 素行の悪さが問題視され解任。 |
19代 | 富岡興永 | 2001年5月 | 2010年10月 | |
-- | (空席) | -- | -- | 神社本庁が富岡長子の宮司就任を認めなかったため。 |
21代 | 富岡長子 | 2017年10月 | 2017年12月7日 | 富岡茂永に殺害された。 |
22代 | 丸山聡一 | 2018年6月28日 | 現職 |
氏子地域
編集交通アクセス
編集ギャラリー
編集-
夜になるとライトアップされる(2022年11月撮影)
-
深川祭 御本社祭り 御本社二の宮神輿(重量約2トン)(2009年8月撮影)
-
御本社一の宮神輿。日本最大とされる。
-
左から超五十連勝力士碑・横綱力士碑・出羽海一門友愛之碑
-
大関力士碑ほか
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d 江東区.
- ^ a b 藤生 2018, pp. 24–28.
- ^ “NHK戦争証言アーカイブス 日本ニュース 第248号(1945年3月22日公開)”. NHK. 2019年6月2日閲覧。
- ^ a b 昭和天皇とその時代第一巻 企画・製作:日本記録映画社
- ^ 宮司退いた弟が日本刀を手にするまで 富岡八幡宮事件:朝日新聞デジタル(2017年12月9日)、2017年12月9日閲覧[リンク切れ]
- ^ “「富岡八幡宮殺傷事件」容疑者・富岡茂永が生前「週刊新潮」に訴えた“姉の密告””. デイリー新潮 (2017年12月10日). 2024年1月18日閲覧。
- ^ “「怨霊となり永遠に祟る」 富岡八幡宮事件、弟は“呪いの遺-書”投函も 心理学者がみる家族間トラブルの難しさ”. ABEMA TIMES (2017年12月11日). 2024年1月30日閲覧。
- ^ a b “姉弟間で過去にもトラブル=宮司人事で神社本庁離脱も-富岡八幡宮”. 時事ドットコム (2017年12月8日). 2018年1月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月18日閲覧。
- ^ “『富ヶ岡』平成23年春号”. 富岡八幡宮. 2024年1月18日閲覧。
- ^ a b c “富岡八幡宮、神社本庁を離脱”. 宗教情報リサーチセンター. 2024年1月30日閲覧。
- ^ a b “「殺害後に自害する」茂永容疑者妻の遺書見つかる”. 日刊スポーツ (2017年12月13日). 2024年1月24日閲覧。
- ^ 神社本庁「恐怖政治」の実態、地方の大神社で全面戦争も、週刊ダイアモンド、2017年7月5日
- ^ 宮司中傷の怪文書、殺害容疑の弟に警告 富岡八幡宮事件朝日新聞デジタル 2017年12月9日[リンク切れ]
- ^ 「朝日新聞」朝刊社会面39頁(2017年12月15日)、2017年12月15日閲覧
- ^ “『富ヶ岡』平成30年夏号”. 富岡八幡宮. 2024年1月18日閲覧。
- ^ a b “日本一の黄金大神輿”. 富岡八幡宮. 2024年4月26日閲覧。
- ^ “門前仲町【江東区】歴史ある二大社寺を巡る深川江戸さんぽ 老舗の名店で深川めしをいただく 〜ぐるり東京 街さんぽ〜”. 東京新聞 (2022年6月9日). 2024年1月30日閲覧。
参考文献
編集- 「富ヶ岡」(富岡八幡宮社報)
- 「富岡八幡宮の御祭神と深川八幡祭り」(2012年 松木伸也)
- 「富岡八幡宮の御社殿と境内」(2017年 松木伸也)
- 「富岡八幡宮の御創建と深川八幡祭り」(2023年 松木伸也)
- 「わっしょい深川2017 タウン誌深川別冊号」(クリオプロジェクト)
- 「わっしょい深川2023 タウン誌深川別冊号」(クリオプロジエクト)
- “深川エリア 富岡八幡宮 - みんなでつくる江東区のスポット紹介”. 江東区. 2020年7月3日閲覧。
- 斎藤幸雄「巻之七 揺光之部 第三 富ヶ岡八幡宮」『江戸名所図会』 3巻、有朋堂書店、1927年、8-15,20頁。NDLJP:1174161/8。
- 藤生明『徹底検証 神社本庁 ―その起源から内紛、保守運動まで』筑摩書房〈ちくま新書〉、2018年10月4日。ISBN 978-4480071767。
関連項目
編集- 神田祭
- 山王祭 (千代田区)
- 成田山東京別院深川不動堂(深川不動尊)
- 永代寺
- 富賀岡八幡宮(江東区)
- 富岡八幡宮 (横浜市)
- 深川富岡八幡葵太鼓
- 横綱力士碑
- 超五十連勝力士碑
- 白羽の矢
- 深川七福神
- 鶴岡八幡宮、白岡八幡宮 - 日本三岡八幡宮
外部リンク
編集- 富岡八幡宮 - 公式ホームページ
- 富岡八幡宮 (@FukagawaTomioka) - X(旧Twitter)
東京十社(准勅祭社) | |||||
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社名 | 主祭神 | 鎮座地(東京都) | 近代 | 別表 | |
根津神社 (根津権現) |
須佐之男命 大山咋命 誉田別命 大国主命 菅原道真公 |
文京区根津 | 府社 | ||
芝大神宮 (芝神明宮、飯倉神明宮) |
天照皇大御神 豊受大御神 |
港区芝大門 | 府社 | ||
神田明神 (神田神社) |
大己貴命 少彦名命 平将門神 |
千代田区外神田 | 府社 | 別表 | |
日枝神社 (山王権現、麹町山王) |
大山咋神 | 千代田区永田町 | 官幣大社 | 別表 | |
亀戸天神社 (東宰府、亀戸天満宮) |
天満大神 天菩日命 |
江東区亀戸 | 府社 | ||
白山神社 | 菊理姫命 伊弉諾命 伊弉冉命 |
文京区白山 | 郷社 | ||
品川神社 | 天比理乃咩命 素盞嗚尊 宇賀之売命 |
品川区北品川 | 郷社 | ||
富岡八幡宮 (深川八幡) |
品陀和気命 | 江東区富岡 | 府社 | ||
王子神社 (王子権現) |
伊弉諾命 伊弉冉命 天照大御神 速玉之男命 事解之男命 |
北区王子本町 | 郷社 | ||
氷川神社 (赤坂氷川神社) |
素盞鳴尊 奇稲田姫命 大己貴命 |
港区赤坂 | 府社 |