株式会社マルキョウ[4]: Marukyo Corporation)は、福岡県大野城市を拠点とするスーパーマーケット

株式会社マルキョウ
Marukyo Corporation
種類 株式会社
市場情報
福証 9866
1990年4月26日 - 2017年2月24日
本社所在地 日本の旗 日本
816-8567
福岡県大野城市山田5丁目3番1号
北緯33度32分47.9秒 東経130度28分40.9秒 / 北緯33.546639度 東経130.478028度 / 33.546639; 130.478028座標: 北緯33度32分47.9秒 東経130度28分40.9秒 / 北緯33.546639度 東経130.478028度 / 33.546639; 130.478028
設立 1964年(昭和39年)12月3日[1]
業種 小売業
法人番号 6290001041190 ウィキデータを編集
事業内容 スーパーマーケット
代表者 代表取締役会長兼CEO 斉田敏夫
代表取締役社長兼COO 坂本守
資本金 59億9620万円
(2020年2月29日現在)[広報 1]
発行済株式総数 1539万4976株
(2020年2月29日現在)[広報 1]
売上高 連結: 824億0197万0000円
単独: 824億0197万0000円
(2020年2月期)[広報 1]
営業利益 連結: 14億7718万7000円
単独: 12億7323万8000円
(2020年2月期)[広報 1]
経常利益 連結: 17億1124万0000円
単独: 15億8701万0000円
(2020年2月期)[広報 1]
純利益 連結: 9056万0000円
単独: 3608万8000円
(2020年2月期)[広報 1]
純資産 連結: 418億1674万1000円
単独: 414億8554万6000円
(2020年2月29日現在)[広報 1]
総資産 連結: 496億6000万5000円
単独: 490億3298万3000円
(2020年2月29日現在)[広報 1]
従業員数 522名(2,750名)()は平均臨時従業員数
決算期 2月末日
主要株主 株式会社リテールパートナーズ 100%(2020年2月29日現在)
主要子会社 青木商事
外部リンク www.marukyo-web.co.jp
特記事項:1985年、株式会社丸共ストアー[2]から株式会社マルキョウに商号変更。
設立時資本金400万円(設立時)[3]→1600万円[2]→3200万円[1]→59億9,620万円
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歴史・概要

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1964年(昭和39年)12月3日に[1]斉田弥太郎と鍋島市右衛門が共同で「株式会社丸共ストアー」を[5]資本金で400万円で福岡県福岡市博多区銀天町に設立し[3]、第1号店として[4]同月に雑餉隈店を開店した[2]

1973年(昭和48年)に本部を現在地に変更した。 1985年(昭和60年)5月に現社名の「株式会社マルキョウ」に変更した[4]。(雑餉隈店は現在も営業している)。

創業者の一人である鍋島市右衛門が魚市場の買参権を保有していたことから、創業時から鮮魚の鮮度や安さを強みとして売り上げを伸ばした[6]

ユニード寿屋が福岡市周辺での多店舗展開を強化し始めたことを受けて[6]1978年(昭和53年)春に営業時間を朝8時から深夜である午前1時までの17時間へ延長し[6]、長時間営業する営業戦略を展開して売り上げを伸ばした[7]

また、大規模小売店舗法の規制強化に対しては、売り場面積500m²以下の小型店舗の運営ノウハウを開発する方針を採り[6]、売り場面積約150坪の店舗を福岡の都市部で集中出店してドミナントの構築を図った[7]

さらに、グロサリーなどは粗利益率を16%台に抑え[7]、低コスト運営で低価格を売りにする「ディスカウントストア型スーパーマーケット」を[8]長時間営業する業態へ発展させて売り上げを伸ばした[7]

しかし、この低価格志向は一方で、2008年(平成20年)5月23日に公正取引委員会から「納入業者との取引で、優越的地位を乱用した不公正な取引方法があった」として排除措置命令を受けることになった[9]

2010年(平成22年)1月1日に全店舗がマルキョウにより直営化されて屋号が「マルキョウ」に変更され「マイチェリー」は消滅した[広報 2]

1989年(平成元年)度に売上に占める食料品の比率が約83%と食品主体の営業をしていた[10]

1996年(平成8年)、佐賀県で事業展開していた日祐(ニチユー)から創業地店舗を除く9店舗を譲り受けた[11]

2013年(平成25年)9月4日に西日本鉄道と資本・業務提携に基本合意したと発表した[12][13][14][15]

この時点では西日本鉄道は、創業者一族で[14]筆頭株主だった斉田キミヨから[12]、発行済み株式の15%を取得し[12][13][14]、筆頭株主となるとされていた[12][14][15]

しかし、西日本鉄道が取得する株式は、9月4日時点の15%・235.2万株を約11.97億円[14]から 12月19日の合意では10%・156.8万株を約9.4億円へ縮小し[16]、 西日本鉄道は3位の株主になると共に創業者家が引き続き当社の筆頭株主に留まることになった[16]。 また、取得は12月25日付けで行われることになった[広報 3][広報 4][広報 5]

2017年(平成29年)3月1日、丸久山口県)、マルミヤストア(大分県)などを傘下に持つリテールパートナーズ(山口県防府市)との株式交換により、同社の完全子会社となった[広報 6]。同時に、西日本鉄道との資本提携は解消した。

沿革

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  • 1964年(昭和39年)
    • 12月3日[1] - 斉田弥太郎と鍋島市右衛門が共同で「株式会社丸共ストアー」を[5]資本金で400万円で福岡市博多区銀天町に設立[3]
    • 12月 - 福岡市博多区銀天町に雑餉隈店を開店[17]。(第1号店[4]
  • 1977年(昭和52年)6月 - 株式会社青木商事を完全子会社化[広報 7]
  • 1978年(昭和53年)春 - 営業時間を朝8時から深夜1時までの17時間へ延長[6]
  • 1985年(昭和60年)5月 - 現社名の「株式会社マルキョウ」に変更[4]
  • 1996年(平成8年)7月 - 日祐の店舗を青木商事が譲受[11]
  • 1999年(平成11年)4月 - 青木商事から9店舗を譲受[18]
  • 2008年(平成20年)5月23日 - 公正取引委員会から「納入業者との取引で、優越的地位を乱用した不公正な取引方法があった」として排除措置命令を受ける[9]
  • 2010年(平成22年)1月1日 - 有限会社ポテトからマイチェリー9店舗を譲受[18][広報 2]
  • 2013年(平成25年)
  • 2017年(平成29年)3月1日 - リテールパートナーズの完全子会社となる[広報 6]

店舗

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マルキョウ高田店(福岡県糸島市)
 
マルキョウ香椎店(福岡県福岡市東区)
  • 現行店舗については、公式サイト「[1]」を参照。

過去に存在した店舗

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福岡県

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福岡市

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中央区
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  • 唐人店 - 福岡市中央区唐人町1-12-6[5]、1972年(昭和47年)6月開店[5]、店舗面積732m²[5]
博多区
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  • 比恵店 - 福岡市博多区東比恵4-6-6[1]、1968年(昭和43年)12月開店[1]、店舗面積152m²[1]
  • 対馬小路店 - 福岡市博多区対馬小路7-12[5]、1978年(昭和53年)12月開店[4]、店舗面積144m²[5]
東区
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南区
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  • 長住店 - 福岡市南区長住2-22-2[20]、1970年(昭和45年)5月22日開店[20]、店舗面積567m²[20]
  • 平尾店 - 福岡市南区市崎町1-1[20]1970年(昭和45年)5月開店[20]、店舗面積396m²[20]
西区
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  • 名島店 - 福岡市西区大字名島2120[20]1969年(昭和44年)6月6日開店[20]、店舗面積383m²[1]
  • 西新店 - 福岡市西区曙1-188[2]、店舗面積455m²[20]
  • 田島店 - 福岡市西区大字田島字垣添216-4[5]1972年(昭和47年)6月開店[5]、店舗面積459m²[2]
  • 堤店 - 福岡市西区大字字原の前178[5]1970年(昭和45年)12月開店[5]、店舗面積479m²[5]
  • 姪浜店 - 福岡市西区姪浜町3081[5]1971年(昭和46年)8月開店[5]、店舗面積805m²[5]
  • 周船寺店 - 福岡市西区周船寺[19]、1979年(昭和54年)9月開店[19]、店舗面積1,460m²[19]
  • 早良店 - 福岡市西区大字野芥字上六井手453-1[5]1976年(昭和51年)7月開店[5]、店舗面積804m²[5]

糸島郡

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春日市

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  • 岡本店 - 春日市岡本町1-9[5]、1972年(昭和47年)12月開店[5]、店舗面積648m²[5]

筑紫野市

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  • 筑紫店 - 筑紫野市大字筑紫字扇町14-1[5]、1978年(昭和53年)12月開店[4]、店舗面積81m²[5]

大牟田市

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  • 四ツ山店 - 大牟田市三里町3-5-5[5]、1972年(昭和47年)7月開店[5]、店舗面積1,550m²[5]
  • 吉野店 - 大牟田市大字橘1441-1[5]1977年(昭和52年)5月開店[5]、店舗面積317m²[5]
  • 草木店 - 大牟田市[17]、1978年(昭和53年)1月開店[17]、店舗面積1,155m²[17]
  • 小浜店 - 大牟田市[17]、1978年(昭和53年)8月開店[17]、店舗面積581m²[17]

飯塚市

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  • 飯塚店 - 飯塚市大字飯塚1228-1[5]、1973年(昭和48年)3月開店[5]、店舗面積693m²[5]

田川市

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  • 後藤寺店 - 田川市本町2-14[5]、1971年(昭和46年)11月開店[5]、店舗面積858m²[5]

直方市

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小郡市

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北九州市

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佐賀県

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地場スーパーの「日祐」の旧本店建物を買収し[26]、「マルユー佐賀店」として[24][26]佐賀市中心部の中央大通り沿いに出店した[26][25]
敷地は約2,100m²で[27]、鉄骨5階建て・延べ床面積約7,500m²の建物で[24][26][25]、1階を駐車場[24][26][25]、2階と3階を食料品と衣料品売り場[24][25]、4階と5階は事務所や倉庫などにしていた[24][26][25]
郊外へ大型商業施設が相次いで出店して中心市街地の空洞化が進んだ影響に加えて[26][25]、店舗周辺住民の高齢化が進んだことから売上の減少が続き[26][25]、2011年(平成23年)から売り場を2階に集約して3階は空き店舗化した[25]
不採算店となったことから[23]2013年(平成25年)11月に閉店した[27][28][29]
店舗跡は隣接地を含めて佐賀市が購入し[27]、改装して[29]バルーンミュージアムが新設する計画を[27][29]、2014年(平成26年)1月31日に佐賀市が市議会全員協議会で表明した[28]
  • 唐津店 - 唐津市本町1901-1[5]、1973年(昭和48年)8月開店[5]、店舗面積1,026m²[5]

熊本県

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  • 坪井店 - 熊本市坪井3-11-6[5]、1972年(昭和47年)12月開店[5]、店舗面積799m²[5]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e f g h 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。 pp291
  2. ^ a b c d e f g 『流通会社年鑑 1978年版』 日本経済新聞社、1977年10月25日。
  3. ^ a b c 『流通会社年鑑 2001年版』 日本経済新聞社、2000年12月11日。
  4. ^ a b c d e f g h i 『流通会社年鑑 1990年版』 日本経済新聞社、1990年11月24日。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。 pp292
  6. ^ a b c d e 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。
  7. ^ a b c d “九州地区で異彩放つスーパーマーケットマルキョウ。年商900億に迫る”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1992年10月9日)
  8. ^ “待ったなしの生存をかけたSM大競争時代に突入(下)”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年10月9日)
  9. ^ a b “公正取引委員会、マルキョウに排除措置命令 不当返品・値引き・従業員使用で”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年5月28日)
  10. ^ “新たな成長に挑む食品スーパー”. 三菱銀行調査 1991年6月号 (三菱銀行調査部) (1991年6月).pp23
  11. ^ a b 「スーパー日祐、マルキョウ傘下に 【西部】」『朝日新聞』1996年5月16日、13面。
  12. ^ a b c d e 小原擁 (2013年9月5日). “西鉄:スーパーのマルキョウと提携 「効率化目指す」”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  13. ^ a b c “西鉄、食品スーパーのマルキョウに15%出資”.日本経済新聞(日本経済新聞社). (2013年9月5日)
  14. ^ a b c d e f “西鉄、マルキョウの筆頭株主に 資本・業務提携で合意”. 西日本新聞(西日本新聞社). (2013年9月4日)
  15. ^ a b 堀江勝(2013年9月6日). “西鉄ストア親会社、マルキョウと資本・業務提携 事業効率向上目指す”.日本食糧新聞(日本食糧新聞社)
  16. ^ a b 中山裕司(2013年12月20日). “西鉄:スーパーのマルキョウと提携 株式取得は10%に”. 毎日新聞(毎日新聞社)
  17. ^ a b c d e f g h i j 『流通会社年鑑 1980年版』 日本経済新聞社、1979年11月12日。pp138
  18. ^ a b 『日本スーパー名鑑'20 本部編』商業界、2019年11月20日、242頁。 
  19. ^ a b c d e f 『流通会社年鑑 1980年版』 日本経済新聞社、1979年11月12日。pp139
  20. ^ a b c d e f g h i 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp215
  21. ^ “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング(No.7)”. ヤノニュース 1980年7月15日号 (矢野経済研究所) (1980年7月15日).pp52
  22. ^ a b c d 『流通会社年鑑 1978年版』 日本経済新聞社、1977年10月25日。 pp266
  23. ^ a b c “マルキョウ佐賀店、来月閉店 中心市街地活性化に影響も”. 朝日新聞(朝日新聞社). (2013年10月30日)
  24. ^ a b c d e f g “マルキョウ佐賀店閉店へ 11月にも、人口減や高齢化響く”. 西日本新聞(西日本新聞社). (2013年10月29日)
  25. ^ a b c d e f g h i j “マルキョウ佐賀店19日閉店、高齢化や郊外店影響”. 読売新聞(読売新聞社). (2013年11月6日)
  26. ^ a b c d e f g h i “マルキョウ佐賀店、11月19日で閉店”. 佐賀新聞(佐賀新聞社). (2013年10月30日)
  27. ^ a b c d 田中韻(2014年2月1日). “バルーン博物館:整備へ 旧スーパー建物に佐賀市、熱気球資料など展示”. 毎日新聞(毎日新聞社)
  28. ^ a b 山中由睦 (2014年2月1日). “マルキョウ跡にバルーンミュージアム 佐賀市”. 朝日新聞(朝日新聞社)
  29. ^ a b c “旧・商工会館跡ぽっかり 旧・県病院も解体急ぐ”. 佐賀新聞(佐賀新聞社). (2014年10月13日)

広報など1次資料

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  1. ^ a b c d e f g h 第56期決算公告” (PDF). 株式会社マルキョウ (2020年6月3日). 2021年5月11日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ a b 有限会社ポテトの事業一部譲受けに関するお知らせ”. マルキョウ (2009年11月13日). 2021年10月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月4日閲覧。
  3. ^ 西日本鉄道株式会社との資本・業務提携に関するお知らせ (PDF) - マルキョウ、2013年12月19日[リンク切れ]
  4. ^ 株式の売出し、主要株主の異動の予定に関するお知らせ (PDF) - マルキョウ、2013年12月19日[リンク切れ]
  5. ^ 株式会社マルキョウとの資本・業務提携に関するお知らせ (PDF) - 西日本鉄道、2013年12月19日[リンク切れ]
  6. ^ a b 株式会社リテールパートナーズと株式会社マルキョウの株式交換による経営統合に向けた基本合意書締結に関するお知らせ(PDF) - マルキョウ、2016年7月21日[リンク切れ]
  7. ^ 会社情報 > 沿革”. マルキョウ. 2021年10月10日閲覧。

外部リンク

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