ブラウンソン (DD-518)

フレッチャー級駆逐艦

ブラウンソン (USS Brownson, DD-518) は、アメリカ海軍駆逐艦フレッチャー級駆逐艦の一隻。艦名はウィラード・H・ブラウンソン英語版少将に因む。「ブラウンソン」はフレッチャー級の中で「スクエア・ブリッジ」と呼ばれる大型化した艦橋を持って建造された最初の艦であった。同艦橋を持つ艦は「ラウンド・ブリッジ」あるいは「ハイ・ブリッジ」を持つ初期の艦よりも良好な視界を得ることとなった。

ブラウンソン
基本情報
建造所 ニューヨーク州ニューヨークベスレヘム造船スタテンアイランド造船所
運用者 アメリカ合衆国の旗 アメリカ海軍
艦種 駆逐艦
級名 フレッチャー級
艦歴
起工 1942年2月15日
進水 1942年9月24日
就役 1943年2月3日
最期 1943年12月26日、グロスター岬沖にて戦没
要目
排水量 2,050 トン
全長 376フィート6インチ (114.76 m)
最大幅 39フィート8インチ (12.09 m)
吃水 17フィート9インチ (5.41 m)
主機 蒸気タービン
出力 6,000馬力 (4,500 kW)
推進器 スクリュープロペラ×2軸
最大速力 35ノット (65 km/h)
航続距離 6,500海里 (12,000 km)/15ノット
乗員 329名
兵装
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艦歴

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「ブラウンソン」は1942年2月15日にニューヨーク州スタテンアイランドベスレヘム・スチール社で起工。1942年9月24日にクレランド・S・バクスター夫人(ブラウンソン提督の孫娘)によって命名、進水し、1943年2月3日に艦長J・B・マーヘル少佐の指揮下就役した。

「ブラウンソン」は大西洋太平洋の両方で活動した。就役から1943年6月11日まで本国の北東海岸沿いに活動し、北大西洋での船団護衛および対潜哨戒に当たった。1943年5月12日から31日までは北アフリカを訪れている。

1943年6月18日に「ブラウンソン」はパナマ運河を通過し、28日にカリフォルニアに到着した。カリフォルニア州沿岸で短期間活動し、7月にはアラスカに向けて出航した。アラスカに到着すると、1943年11月29日まで哨戒および船団護衛を行う。その後真珠湾を経由して南西太平洋に向かい、ビスマルク諸島での戦いを支援し、日本軍を圧倒した。

1943年12月26日の14:42、「ブラウンソン」はニューブリテン島グロスター岬への上陸支援中に日本軍の急降下爆撃機による2発の爆弾を受ける。爆弾は中心線の右舷、2番煙突付近に命中した。すさまじい爆発が起こり、主甲板上の全構造物が吹き飛んだ。艦は右舷に10度から15度傾斜し、艦中央部が急速に沈み込み艦首と艦尾が上方を向いた。負傷者は救命筏に乗せられ、14:50に艦の放棄が命じられた。そのとき、艦中央部は完全に水没していた。爆雷が爆発した様な波が立ち、艦は14:59に沈没した。ブラウンソンの乗組員の内108名が失われた。残る乗組員は「ダリー (USS Daly, DD-519)」と「ラムソン (USS Lamson, DD-367)」によって救助された。沈没位置は南緯5度20分、東経148度25分[1]。この日、日本軍は海軍がラバウルから零戦55機と艦爆25機が、陸軍がウェワクから重爆7機と戦闘機32機で艦船攻撃を行っている[2]

「ブラウンソン」は第二次世界大戦の戦功で1個の従軍星章を受章した。

脚注

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  1. ^ Robert Cressman, The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II, Naval Institute Press, 2016, ISBN 9781682471548、1943年12月26日の項
  2. ^ 防衛庁防衛研修所 戦史室『戦史叢書第96巻 南東方面海軍作戦<3>ガ島撤収後』朝雲新聞社、453-454ページ

関連項目

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外部リンク

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