ヒンドスタン (Hindostan)、はイギリス競走馬日本種牡馬として成功した。馬名の由来はインドヒンドスタン平原より。

ヒンドスタン
欧字表記 Hindostan
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1946年
死没 1968年10月16日
  (22歳没・旧23歳)
ボワルセル
ソニバイ
母の父 ソラリオ
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 アーガー・ハーン3世
馬主 アーガー・ハーン3世
調教師 フランク・バターズ(イギリス
競走成績
生涯成績 8戦2勝
獲得賞金 8872ポンド
勝ち鞍 愛ダービー
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生涯

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現役時代は8戦2勝。2000ギニーエプソムダービーは着外に終わったが、アイルランドに遠征したアイリッシュダービーのほか、セントジョージステークスに優勝し、8872ポンドを稼ぎ出した。

引退後は1950年にアイルランド・ダブリンのゴルグラン牧場(GilltownStud,Kilcullen)[1]で供用されたが、めぼしい産駒を出せず[2]1955年に日高軽種馬振興会が日本初のシンジケート組織として1350万円で輸入した。このときブッフラー(コダマの父)がおまけで付いてきたので実際の価格は1200万程であったと言われている。組まれたシンジケートも30万×40株と高額であった。

輸入されたヒンドスタンは北海道浦河郡浦河町の荻伏種馬所で供用された。当初は高額なこともあってそれ程人気を集めたわけではなかったが、1961-1965, 1967-1968年の7度日本リーディングサイアーに輝くなど成功を収めた。代表産駒は戦後初の中央競馬クラシック三冠シンザンである。産駒の重賞勝利数は113に達し、今なおサンデーサイレンスディープインパクトキングカメハメハステイゴールドに次ぐ歴代5位である。また、シンザン以外に2頭の年度代表馬を輩出しているが、種牡馬として3頭の年度代表馬を輩出したのはヒンドスタンが唯一である[3]

1967年には日本中央競馬会理事長により最優秀種牡馬の表彰を受け、1968年横隔膜破裂により23歳で死亡したが、翌1969年には浦河町の日高軽種馬農業協同組合会館にヒンドスタンの馬像が建立され、伊藤国男が製作、同年8月3日に除幕式が行われている。また同町の馬事資料館(浦河町馬事資料館)にはヒンドスタンの剥製も展示されている。

その後の子孫

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上記の通りヒンドスタンは日本で7度リーディングサイアーに輝いた。その子孫は、時にヒンドスタン系と呼ばれた。後継種牡馬たちは1960年代から70年代の内国産種牡馬不遇の時代にもろに活躍時期が重なったため、大成功と言えたのはシンザンのみで、一定の成績を残したのもダイコーターやリュウファーロスなど少数に限られた。大父系を形成することはなかったが、1990年代でもシンザンの仔ミホシンザンやリュウファーロスの仔アンドレアモン産駒が散発的に活躍馬を出していた。

2000年前後になると、現役種牡馬はミホシンザン産駒のマイシンザンのみとなった。マイシンザンは3年目以降繁殖牝馬が集まらずに早々と種牡馬を引退し、最後の産駒マイティシンザンは浦和競馬場で5戦0勝のまま2008年4月1日付で抹消された。スーパーシンザン最後の産駒タカシマシンザンは2007年9月18日に160戦19勝で登録抹消、最後の1頭であったマイシンザン産駒のシルクセレクションは2009年10月1日付で登録抹消され、ヒンドスタンのサイアーラインは完全に途絶えた。

しかしながら、今日でもヒンドスタンの血を引く馬は一定数いる。ヒンドスタンやシンザン産駒の牝馬は多数繁殖牝馬となっており、日本に古くから伝わる牝系出身の活躍馬の血統表を見ると、ヒンドスタンの名前を頻繁に見かけることができる。

主な産駒

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太字八大競走優勝馬。

血統表

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ヒンドスタン血統ボワルセル系 / Canterbury Pilgrim 5×5=6.25% St.Simon 4×5=9.38%) (血統表の出典)

Bois Roussel
1935 黒鹿毛
父の父
Vatout
1926 鹿毛
Prince Chimay Chaucer
Gallorette
Vasthi Sans Souci
Vaya
父の母
Plucky Liege
1912 鹿毛
Spearmint Carbine
Maid of the Mint
Concertina St.Simon
Comic Song

Sonibai
1939 鹿毛
Solario
1922 鹿毛
Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Sun Worship Sundridge
Doctrine
母の母
Udaipur
1929 黒鹿毛
Blandford Swynford
Blanche
Uganda Bridaine
Hush F-No.3-e


  • 2代母Udaipurはオークス優勝馬
  • 3代母からは2000ギニー優勝馬パレスタインなどが出ている。

脚注

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  1. ^ https://www.agakhanstuds.com/Studs/Ireland/GilltownStud/en
  2. ^ 輸出後にパンディット (Pundit) 、アイリッシャー (Irisher) 、ヒンドゥーフェスティバル (Hindu Festival) などがそれなりに活躍している。
  3. ^ 次点でテスコボーイブライアンズタイムトニービンサンデーサイレンスが2頭ずつ輩出
  4. ^ 当時はオープン特別扱いだった。
  5. ^ 地方競馬での登録馬名はゴウカイオー
  6. ^ 中央競馬での登録馬名はヒデチカラ

参考文献

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  • 『蹄跡』北海道馬産史編集委員会 1983年

外部リンク

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