田口久美
(カニー小林から転送)
田口 久美(たぐち くみ、1952年[注 1]12月23日[1] - )は、日本の女優。歌手。本名:コンスタンス・クミ・アーノルド[2][3]。アメリカ国籍[2]。オスカー企画[注 2]。身長168cm。B85cm、W60cm、H88cm(1975年10月)[2]。デビュー当初はカニー小林名義で活動していた。
田口 久美 | |
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本名 | コンスタンス・クミ・アーノルド |
別名義 | カニー小林 |
生年月日 | 1952年7月21日(72歳) |
出生地 | アメリカ合衆国·ノースカロライナ州 |
国籍 | アメリカ合衆国 |
職業 | 女優 |
活動期間 | 1975年 - 1980年代前半 |
主な作品 | |
映画 『東京エマニエル夫人』 『東京ディープスロート夫人』 |
経歴
編集アメリカ・ノースカロライナ州生まれ[1][2][4]。父はアメリカ人の元軍人で、除隊後は大工になった[2]。母は日本人[1]。2歳の時、母と帰国[1][2]。6歳まで神奈川県横浜市で暮らした後[1][2]、母に福岡県福岡市の祖母宅へ預けられる[2][3]。1971年、九州女子高等学校(現・福岡大学附属若葉高等学校)卒業後[1][5]、上京し、資生堂美容学校を出て美容師免許を取得[2]。レブロンの美容室でインターンをしていた1974年7月[3]、お客として店に来た[1]西城秀樹や安西マリア、五十嵐淳子らをスカウトした[6]上条英男に芸能界入りを薦められ[1][2][4][7]、1975年、東映『ウルフガイ 燃えろ狼男』でデビュー[2][8]。同年男性雑誌に掲載された「エマニエル+モンロー=田口久美」というグラビアを見た日活が『東京エマニエル夫人』の主役に抜擢した[1][4]。同作は3億円の大ヒットで[9]、一躍ポルノスターNo.1の座にのし上がった[7]。1976年日劇ミュージックホール公演「'76恍惚の秘めあそび」では、僅か二景の出演だったが、田口効果でお客が連日殺到し[3][10]、同ホール5年ぶりの大ヒットとなった[10]。
出演
編集映画
編集- ウルフガイ 燃えろ狼男(1975年、東映)※カニー小林名義
- 東京エマニエル夫人(1975年、日活)
- 東京エマニエル夫人 個人教授(1975年、日活)
- 東京ディープスロート夫人(1975年、東映)
- 修道女ルナの告白(1976年、日活)
- 撃たれる前に撃て!(1976年、松竹)
- あるコールガールの証言 露出(1976年、日活)
- 国際線スチュワーデス 官能飛行(1976年、日活)
- 江戸川乱歩の陰獣(1977年、松竹)
- 日本の首領 完結篇(1978年、東映)
- 白昼の死角(1979年、東映)
テレビドラマ
編集- バーディ大作戦 第48話「必殺!ママに捧げる犯罪」(1974年、TBS / 東映)
- Gメン'75 第1話「エアポート捜査線」(1975年、TBS / 東映) - 客室乗務員 ※カニー小林名義
- さよならの夏(1976年、NTV)
- 情炎・遥かなる愛(1977年、NTV)
- 新・必殺仕置人 第27話「約束無用」(1977年、ABC / 松竹) - お梶
- 大追跡(1978年、NTV / 東宝)
- 第5話「潜入刑事」
- 第19話「ご不要な亭主、始末します」
- 大空港 第59話「ダイナマイト抱いた女刑事!!」(1979年、CX / 松竹) - キャサリンICPO捜査官
- 探偵物語 第10話「夜の仮面」(1979年11月20日、NTV)
- 斬り捨て御免! 第1話「炎と燃える三十六番所の灯」(1980年、東京12チャンネル / 歌舞伎座テレビ) - おりん
- 大激闘マッドポリス'80 第4話「切り札は黒いクイーン」(1980年、NTV / 東映) - 石神聖子
- プロハンター 第8話「夜を探せ」(1981年、NTV)
その他
編集- 日劇ミュージックホール(1976年、1977年、1978年正月特別公演)
ディスコグラフィ
編集シングル
編集発売日 | A/B面 | タイトル | 作詞家 | 作曲家 | 編曲家 | 規格 | 規格品番 |
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キングレコード | |||||||
1975年10月21日 | A | めくるめく季節 | 増永直子 | 佐藤健 | 佐藤健 | EP | BS-1971 |
B | 個人教授 |
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b c d e f g h i 俳優全集 1980, p. 417.
- ^ a b c d e f g h i j k 尾崎晃一 (1975年10月6日). “〔お時間拝借〕 裸の爽やかさん 田口 久美 男性に抱かれて寝るのは好きよ… "その気"になってしまう相手役も 大きな茶目 "英語ダメネ"とケラケラ”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 15(田口のインタビューに基づく記事)。
- ^ a b c d 「〈話題の迫力シリーズ〉 濃密度満点! 龍虎突っ張り対談 田口久美 『十人くらいの男性と…でも別れたわ、夢中のときが過ぎると欠点がネ』 北欧の匂いのする人気最高の大型ポルノ女優・二十三歳の実感的セックス論」『週刊現代』1976年2月19日号、講談社、134–138頁。(龍虎との対談)。
- ^ a b c d e 松島利行『日活ロマンポルノ全史 —名作・名優・名監督たち』講談社、2000年、236頁。ISBN 4-06-210528-4。
- ^ 「誌上ワイド討論会 "友情なんてありゃしない"のか」『高二時代』1969年5月号、旺文社、426–6267頁。
- ^ “ポルノと知らなかったヮ 日活『東京エマニエル』で金的射止めた大谷みどり ルナ恥ずかしいヮ……でも決心のポルノョ”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年9月17日)
- ^ a b 「今年たんじょうした新しいライバル ポルノ女優の新しい旗手 田口久美vs.三井マリア」『週刊現代』1975年11月27日号、講談社、44頁。
- ^ “ムード満点 和製エマニエル ブームに便乗 日活で『東京エマニエル夫人』制作”. デイリースポーツ (神戸新聞社): p. 6. (1975年5月29日)
- ^ “私『東京ディープスロート夫人』に変身するの 田口久美 次は東映で男性遍歴 相手は新宿No.1ホスト 本物プレーボーイ登場”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 13. (1975年10月2日)
- ^ a b 「〈LOOL 今週の話題・人と事件〉 安倍寧のか~てん・こ~る 日劇M・H公演」『週刊現代』1976年2月26日号、講談社、39頁。
- ^ “『東京エマニエル夫人・個人教授』歌手でもデビュー田口久美軽快な初吹込み”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 13. (1975年9月5日)
参考文献
編集- 『日本映画俳優全集・女優編』キネマ旬報社、1980年。