志村車両検修場

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志村車両検修場(しむらしゃりょうけんしゅうじょう)は、東京都板橋区にある都営地下鉄三田線車両基地である。志村車両検修場のある交通局志村庁舎は三田線の中枢部となっており、保線作業を担当する志村保線管理所、乗務員基地の高島平乗務管理所、職員住宅の志村寮などを擁する。

高島平寄りの留置線。右側の高架が本線と引込み線である。
2005年9月17日一般公開時に撮影
奥が西台側
2007年4月22日、車内から撮影

高島平駅から入出区線が通じているが、地理的には西台駅のすぐ北側に位置している。

概要

1968年昭和43年)11月に、都営6号線の志村(現・高島平)~巣鴨間の開業の際に、都営地下鉄2番目の車両基地として志村検修場として開設された。翌1969年(昭和44年)には全重要部検査を行う志村車両工場が発足した[1]。新設当初は団地の建物も少なくいわゆる「青天井」と言いうる基地だった。

1970年(昭和45年)施設上部の有効活用のため、車庫の上部に人工地盤を建設した。そこに公営住宅(都営住宅西台アパートおよび東京都住宅供給公社西台住宅)と板橋区立高島第四小学校2001年平成13年)に廃校)が設置された。この中で、上野モノレール2代目車両「M形」の車体が長年留置されたのも風雨に当たることがないためだった。

2000年(平成12年)4月には組織上別々であった志村検車場と志村車両工場が統合され、志村車両検修場となった[1]。三田線は6両編成で運行されているが、施設は将来の8両化を見据えた設計になっており、1999年(平成11年)に廃車になった6000形は、搬出されるまでの間1~2両ずつに分けて奥に留置され、西台駅の1番線ホームからも望むことができた。

工場施設も併設され、重要部検査出場の際に使用する試運転線もある。試運転線の上に志村寮、留置線の上には高島平乗務管理所・公営住宅がある。1970年(昭和45年)に開設された公営住宅は車庫上空の有効活用の一例として当時話題になった。

なお、都営地下鉄の車両基地を地上で目に出来るのは本検修場と浅草線馬込車両検修場だけであり、新宿線の大島車両検修場大江戸線木場車両検修場および同検修場高松車庫は全地下型の検修場のため、関係者以外は目にすることが出来ない。

沿革

  • 1968年 - 六号線用基地として志村検車場が発足。最初の6000形(6011~6014)がメーカーの川崎車両・日立製作所から搬入された。
  • 1969年 - 検査工場として志村車両工場が発足。
  • 1971年 - 巣鴨~日比谷延伸用として2次車となる6151~6231と1次車組み込みの6015+6016~6145+6146がアルナ工機・日本車両豊川・日立製作所から搬入。このころから6000形は6連となった。帯色が現在の青となる。
  • 1972年 - 三田開業に向けて3次車となる6241~6246がアルナ工機で製造された。 
  • 1973年 - 都営住宅が検車場の上で完成。
  • 1975年12月 - 西高島平開業用として4次車(6271.6281)がアルナ工機から搬入。
  • 1978年 - 六号線から現在の都営三田線へ変更。
  • 1989年 - 京王重機整備からの出張工事により6000形の改修工事が始まる。あわせて冷房工事も施行。
  • 1993年 - 東急線相互乗り入れに備えた1975年12月の6271.6281以来17年ぶりの新車となる6300形が登場。6000形の廃車始まる。
  • 1998年 - 志村車両工場で6000形の検査終了。    
  • 1999年 - 6300形3次車の投入開始。6000形の営業終了で三田線は全てが6300形となる。
  • 2000年4月 - 三田~目黒間開業で東急目黒線武蔵小杉(現在は日吉)まで直通運転開始。志村検車場と志村車両工場は志村車両検修場へ統合。

施設概要

留置線は8両編成3本および8両編成2本縦列線が15本ある。月検査を行う検車庫は8両編成6本が留置可能である[1]

洗車線は3本存在しており、車体及び車内の洗浄に使用する。

車両洗浄装置(いわゆる洗車機で日本車輌洗滌機製C8D型機)は洗車線に分岐する位置に1基存在している。開業以来の洗車機を使用してきたが、老朽化が進んだためか最近は新型機へ交換になったようである。

留置車両

自局の6300形東急3000系5080系が留置されるほか、工事用保線車両も留置されている。

過去には引退した6000形新宿線が開業する前の1971年(昭和46年)に試作車両として10-000形第1編成4両(当初は4M)が試運転のため、配置されたことがある。同線が建設中のため、本来の所属路線での走行が出来なかったためであった。本線での他、検修場構内での試運転が繰り返された後、量産車化改造を受けて新宿線に転用した。台車は、線路の幅が異なるために当時製造していた6000形6271Fへ転用している。

搬入ルート

都営地下鉄の場合はメーカー各社より貨物駅まで鉄道で、あとはトレーラー輸送による陸送で基地へ搬入する方式をとっている。


その他

映画「新幹線大爆破」では犯人グループの一味が検修場内を逃げ回り、警官が犯人を追走するシーンが見られる。撮影当時(1973年ごろ)は新製されたばかりの6000形が入庫するシーンなども見られる。

脚注

  1. ^ a b c 鉄道ピクトリアル2001年7月号増刊号参照。

参考文献

関連項目