「日枝神社 (千代田区)」の版間の差分

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|神体 =
|社格 = [[官幣大社]]・[[別表神社]]
|創建 = 不詳([[鎌倉時代]])
|神殿 =
|別名 = 日吉山王社<br />日吉山王大権現社<br />江戸山王大権現<br />麹町山王<br />山王社<br />山王さま<br />山王さん
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|地図 = {{Location map|Japan Tokyo city|lat_deg=35|lat_min=40|lat_sec=29|lon_deg=139|lon_min=44|lon_sec=22.5|label=日枝神社|position=top|width=210|float=center|caption=|mark=Shinto torii icon vermillion.svg|marksize=20}}
}}
[[File:Hie Shrine Grand Shrine(Branch) - 旧官幣大社 日枝神社(分社) - panoramio (1).jpg|thumb|right|250px|西方 裏参道 大鳥居]]
[[File:hie-jinja_torii.jpg|thumb|right|250px|南方 裏参道 大鳥居(右側奥の建物は、現在は閉館となり無くなった[[キャピトル東急ホテル]])<ref group="注釈">画像右([[山王パークタワー]]側)に、上り専用の[[エスカレーター]]が設けられている。</ref>]]
'''日枝神社'''(ひえじんじゃ)は、[[東京都]][[千代田区]][[永田町]]二丁目にある[[神社]]。[[江戸三大祭]]の一つ、[[山王祭 (千代田区)|山王祭]]が行われる。旧[[社格]]は准[[勅祭社]]([[東京十社]])、[[官幣大社]]。
 
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== 歴史 ==
創建の年代不詳であ、[[鎌倉時代]]に[[江戸氏]]が山王宮を祀ったことを起源とすが、直接的には[[文明 (日本)|文明]]10年([[1478年]])、[[太田道灌]]が江戸城築城にあたり、川越の無量寿寺(現在の[[喜多院]]・[[中院]])の鎮守である[[川越]][[日枝神社 (川越市)|日枝神社]]を勧請したことに始まる<ref name="official">[https://www.hiejinja.net/about/ 日枝神社につて] - 日枝神社</ref>。[[徳川家康]]が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に[[遷座]]し、江戸城の鎮守とした<ref>日枝神社「[http://www.hiejinja.net/jinja/hie/yuisyo/index.html 日枝神社について]」。『公文類聚』「[https://web.archive.org/web/20160304193345/http://jpimg.digital.archives.go.jp/pdf/S46B0300080000/0504.pdf 東京府社日枝神社ヲ官幣中社ニ列ス]」。「東京府社日枝神社ヲ官幣中社ニ列ス」pdfファイルの3頁めにある平山省斎の上申には、文明3年の勧請とある。</ref>。
 
[[慶長]]9年([[1604年]])からの[[徳川秀忠]]による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになった。社地は家康により5石、元和3年([[1617年]])に秀忠により100石、そして寛永12年([[1635年]])に[[徳川家光]]からの寄付を加えて600石となった<ref>「東京府社日枝神社ヲ官幣中社ニ列ス」PDFファイルの3頁め。</ref>。
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[[昭和]]20年([[1945年]])の[[東京大空襲]]で社殿が焼失し、昭和33年([[1958年]])に再建された。
 
[[File:Hie Shrine Grand Shrine(Branch) - 旧官幣大社 日枝神社(分社) - panoramio (1).jpg|thumb|right|250px|西方 裏参道 大鳥居]]
[[File:hie-jinja_torii.jpg|thumb|right|250px|南方 裏参道 大鳥居(右側奥の建物は、現在は閉館となり無くなった[[キャピトル東急ホテル]])<ref group="注釈">画像右([[山王パークタワー]]側)に、上り専用の[[エスカレーター]]が設けられている。</ref>]]
 
=== 年表 ===