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大学生時代に北九州市[[小倉北区|小倉]][[魚町 (北九州市)|魚町]]の東映会館前でスカウトされ上京。[[TBSテレビ|TBS]]の若者向け情報番組『[[ぎんざNOW!]]』の1コーナー「素人コメディアン道場」に大学の後輩[[清水アキラ]]が出場してものまねを披露する際にバックでギターを弾いていたのが好評を受ける{{efn|その清水アキラは後に「[[ものまね王座決定戦]]」で清水健太郎の物真似をしたことがある。}}。[[1975年]]から『ぎんざNOW!』で木曜日のコーナーを担当し、そのアイドル的なルックスで大きな話題となる。
 
[[1976年]][[11月21日]]([[日曜日]])にデビュー曲「失恋レストラン」([[作詞]]・[[作曲]]:[[つのだ☆ひろ]])リリで歌手デビュ<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20081101-424917.html|title=清水健太郎容疑者5度目逮捕はひき逃げ|publisher=日刊ポーツ|date=2008-11-01|accessdate=2023-10-14}}</ref>。翌[[1977年]]にかけ大ヒットとなる。その後も「[[帰らない/恋人よ]]」「遠慮するなよ」「泣き虫」などのヒット曲を飛ばした。1977年[[12月31日]]に[[第19回日本レコード大賞]]で[[最優秀新人賞]]を獲得するなど、同年の新人賞受賞を総ナメにし、さらに『[[第28回NHK紅白歌合戦]]』に初出場を果たした。同時期にはアイロン[[パーマ]]をかけた髪を短くカットする清水の独特のヘアスタイルが「'''健太郎カット'''」と呼ばれ、男性の間で流行した。
 
芸名は、自身が昔からの憧れだった[[清水次郎長|'''清水'''次郎長]]と[[高倉健|高倉'''健''']]、[[菅原文太|菅原文'''太''']]それぞれから文字をとり、収まりを良くするために「郎」を付けたという説がある<ref>週刊テレビ番組(東京ポスト)1982年5月7日号「芸名由来記」69頁</ref>。