「中田ダイマル・ラケット」の版間の差分
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戦後間もないころから劇団(一座)を結成、[[1946年]]には松長興業に所属し[[千日前]][[南地劇場]]、[[阿倍野]][[近畿劇場]]、[[神戸]][[新開地劇場]]など小さな劇場に出る。[[1947年]]に[[戎橋松竹]]の幕間の「拳闘漫才」で話題を博し、民放テレビの黎明期の[[1958年]](昭和33年)に、[[朝日放送]]の専属タレントとなった。『[[お笑い街頭録音]]』『[[ダイラケ二等兵]]』『[[ダイラケのびっくり捕物帖]]』『[[スチャラカ社員]]』『[[ダイマル・ラケットのみんなの歌謡曲]]』『すかたん社員』などの番組に出演し、一世を風靡した。
「スチャラカ社員」の終了後は、テレビ出演よりも[[演芸場]]への出演に重きを置くようになり、同時に後進の指導に当たった。[[1970年]]に[[松竹芸能]]から[[吉本興業]]に移籍。
[[1978年]]に[[心斎橋]][[パルコ]]にて、傑作ネタの数々を後世に残すために「笑学の会」主催で9月13日
横山エンタツ・花菱アチャコ、[[夢路いとし・喜味こいし]]らの正統派しゃべくり漫才の系譜とは一線を画し、奇抜な着想から作りこんだ奇妙なシチュエーションをもとに緻密な計算の行き届いた展開や構成で笑わせるタイプの天才肌漫才であった。初期にはボクシング漫才を舞台で行うなど、激しい動きを伴う漫才を披露していたが、ダイマルの持病の治療の為に飲み続けた[[副腎皮質ステロイド]]の影響で[[満月様顔貌]]を発症して身体が太ってしまい<ref>服用を止めた晩年には、元の痩せた身体に戻った。「[[スチャラカ社員]]」当時に太っていたのはこの為。</ref>、体を使った漫才が演じられなくなった為、アクションの面白みは身振りの滑稽味に残しつつも、持ち前の話芸に磨きを掛けて独特なスタイルを確立した。
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ダイマルは酒と女性が大好きであり、人気も収入も全盛期であった53歳の時に当時の妻に全ての動産・不動産を譲ることを条件に離婚、32歳年下の女性と再婚した。この妻(中田和子、中田興芸代表取締役を勤めた)は作家としてダイマルとのドキュメント小説を出版している。なお、和子夫人はダイマルの長男よりも年下である。この結婚は当時ワイドショーで大変話題となり、バラエティ番組でも司会者からよく突っ込まれていた。
結婚歴は二回であるが、一人目との妻との間の三番目の子
ラケットは明るく遊び人であった兄ダイマルとは対照に、とても無口で神経質な性格であり、大きな舞台では顔が引きつったラケットをダイマルがニコニコ笑いながら励ます光景がよく見られたそうだ。
代表作に、『僕は幽霊』『家庭混戦記』『僕の恋人君の恋人』『恋の手ほどき』『地球は回る目は回る』『僕は迷医』『僕は迷優』『僕の時計(僕の健康法)』『僕の漂流記』『僕の農園』『僕は小説家』『無線車』『ジャンケン』『僕の発明』などがあり、「いうてみてみ」「きいてみてみ」・「なんじゃとて」・「かわいそうになぁ」・「青火がパァ、ボヤがボォ」・「いっしょやいっしょ
読売テレビで主に昭和50年代に放送された「[[ライオンお笑いネットワーク|お笑いネットワーク]]」と「漫才笑学校」の中から、6本を収録した[[DVD]]が[[ポニーキャニオン]]から発売されている。
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== 弟子 ==
*直弟子
**中田アップ
**[[中田純平・ひろこ]]
**中田トンマ(アタックボーン)
**[[中田リル・ルリ|中田リル]](元ダイラケのマネージャーから転身)
**[[麻理奈々・美々]](奈々はダイマルの娘)
**中田みゆき・ゆきみ(ゆきみは後の[[夢乃タンゴ・園ひとみ|園ひとみ]])
*孫弟子(アップ門下)
**[[中田カウス・ボタン]]のボタンがダイマル門下であると自身のホームページで公表している。(実際は相方のカウス同様中田アップ門下であり、孫弟子。)
**中田ポテト・チップ
**[[大木ひびき|中田ネオン・サイン]] (後の[[大木こだま・ひびき]]のひびき)
**[[中田伸江・伸児]]
**[[中田ブラック・ホワイト]]
**[[中田ヒッチ・ピッチ]]
*ひ孫弟子(カウスの弟子)
**中田尚希・祐士(尚希は後の[[中田なおき]])
**中田新作(漫才作家)
*ひ孫弟子(ボタンの弟子)
**中田ハチ・マキ(ハチは[[中田はっさく]])
**中田はじめ・圭祐→[[中田はじめ]]
**ライム・ライト(ライム中田・ライト坂田)(ライトは後の[[別所清一]])
**[[海原やすよ・ともこ]]<ref>「海原」の亭号を名乗っているのは[[海原お浜・小浜|海原小浜]]の実の孫だから</ref>
**中田尚希・祐士(祐士は後の中田ゆうじ([[笑ハンティング]]))
一門とは関係ないが[[タレント]]の[[中田真理亜]]はダイマルの娘(元・桂三枝(後の[[桂文枝 (6代目)|六代目桂文枝]])門下の[[シェイプアップ]])。
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* 「[[桂米朝 (3代目)|米朝]]・[[上岡龍太郎|上岡]]が語る昭和上方漫才」(単行本、[[朝日新聞社]]、[[2000年]])
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[[Category:日本のお笑いコンビ]]
[[Category:過去の吉本興業所属者]]
[[Category:過去の松竹芸能所属者]]
[[Category:長崎県出身の人物]]
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