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{{Otheruses|ソビエト連邦の映画|史実のベルリン陥落|ベルリン市街戦}}
{{Infobox Film
『'''ベルリン陥落'''』(ベルリンかんらく、原題(ロシア語):<span lang="ru">'''Падение Берлина'''</span>)は[[1949年]]に公開された[[ソビエト連邦]]のカラー戦争映画である。日本では[[1952年]]に公開された。題名の[[ベルリン市街戦|ベルリン攻防戦]]だけでなく、[[独ソ戦]]全体が描かれている。
| 作品名 = ベルリン陥落
| 原題 = Падение Берлина
| 画像 = Film De Val van Berlijn in bioscoop Royal te Amsterdam betreft Russische fil…, Bestanddeelnr 904-3434.jpg
| 画像サイズ = 240px
| 画像解説 = [[オランダ]]・[[アムステルダム]]の上映館の様子(1950年12月8日)
| 監督 = {{仮リンク|ミハイル・チアウレリ|ru|Чиаурели, Михаил Эдишерович}}
| 脚本 = {{仮リンク|ピョートル・パブレンコ|ru|Павленко, Пётр Андреевич}}<br />ミハイル・チアウレリ
| 原案 =
| 原作 =
| 製作 =
| 製作総指揮 =
| ナレーター =
| 出演者 = [[ミハイル・ゲロヴァニ]]<br />{{仮リンク|ボリス・アンドレーエフ (俳優)|ru|Андреев, Борис Фёдорович|label = ボリス・アンドレーエフ}}<br />マリーナ・コワリョーワ
| 音楽 = [[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ]]
| 主題歌 =
| 撮影 = レオニード・コマロフ
| 編集 = タチアナ・リカチェヴァ
| 制作会社 =
| 製作会社 = [[モスフィルム]]
| 配給 =
| 公開 = {{Flagicon|SSR1923}} [[1949年]][[12月21日]](式典公開)<br />{{Flagicon|SSR1923}} [[1950年]][[1月21日]](一般公開)<br />{{Flagicon|FRA}} [[1951年]][[6月22日]]<br />{{Flagicon|GBR}} [[1952年]][[5月7日]]<br />{{Flagicon|USA}} 1952年[[6月8日]]<br />{{Flagicon|JPN}} 1952年[[12月2日]]
| 上映時間 = 167分(オリジナル版)<br />151分(1953年版)
| 製作国 = {{SSR1923}}
| 言語 = [[ロシア語]]
| 製作費 =
| 興行収入 =
| 前作 =
| 次作 =
}}
『'''ベルリン陥落'''』(ベルリンかんらく、原題:<span lang="ru">''Падение Берлина''</span>)は、[[1949年]]に公開された[[ソビエト連邦]]のカラー[[戦争映画]]である。日本では[[1952年]]に公開された。題名の[[ベルリン市街戦]]だけでなく、[[独ソ戦]]全体が描かれている。全2部構成。
 
[[ヨシフ・スターリン]]の神格化の影響を強く受けており、スターリンが[[ナチス・ドイツ]]を破った最大の功労者として描かれているなど[[プロパガンダ]]色が強いため、スターリンの死後は[[ニキータ・フルシチョフ]]の[[スターリン批判]]からソ連でも厳しい評価を受け、上映されることがほとんどなくなった。
 
== あらすじ ==
=== 第1部 ===
[[1917年]]、[[ロシア革命]]の年に生まれた鉄工所に勤務するアレクセイ(愛称アリョーシャ)は優秀な工場労働勤務を表彰されて[[レーニン勲章]]を授与され、[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]書記長の元に謁見する。アレクセイには婚約者で小学校教諭のナターシャ(本名ナターリア・ルミャンツェワ)がいたものの、1941年6月22日の[[ナチス・ドイツ]]の[[独ソ不可侵条約]]破棄による[[バルバロッサ作戦]]により、ナターシャはナチスに拉致される。報復を誓った主人公はソビエト連邦[[赤軍]]に入隊し、[[ヴォルゴグラード|スターリングラード]]など数々の戦闘で武勲を挙げる。[[1945年]]4月、遂に[[ベルリン]]に迫るソ連赤軍。熾烈な戦闘の上、ナチスの首領[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]は妻[[エヴァ・ブラウン|エヴァ・ヒトラー]]と供に服毒自殺を遂げる。陥落したベルリンの中でナターシャと4年振りの再会を果たし、スターリン首相の到着するベルリン飛行場へ待つ。「スターリン賛歌」の合唱のなか、旅客機より降り立つスターリン。ソ連軍により解放された世界各地の[[捕虜]]たちから[[英語]]・[[フランス語]]・[[イタリア語]]・[[チェコ語]]・[[ギリシア語]]・[[セルビア語]]などでスターリン首相は祝福を受ける。スターリン首相の前に歩み出るアレクセイとナターシャ。ナターシャはスターリンの前に赴き、手に接吻を受ける。
鉄工所に勤務するアレクセイ・イワノフ(愛称アリョーシャ)は、優秀な工場労働勤務を表彰されて[[レーニン勲章]]を授与される。工場長はアレクセイを称える演説を小学校教諭のナターリア・ルミャンツェワ(愛称ナターシャ)に依頼する。演説をきっかけに2人は惹かれ合うが、アリョーシャは想いを伝えられず、スターリンの招待に応じて[[モスクワ]]に向かい、スターリンに謁見する。帰郷後、アリョーシャはナターシャに想いを伝えるが、そこに[[バルバロッサ作戦]]を発動した[[ドイツ国防軍]]が現れて町を破壊し、アリョーシャは意識不明の重傷を負う。
 
3か月後、意識を取り戻したアリョーシャは、友人のザイチェンコから母が殺され、ナターシャがドイツに連れ去られたことを聞かされ、彼女を取り戻すため[[赤軍]]に入隊し[[モスクワの戦い]]に参加する。同じ頃、[[ベルリン]]では各国大使からモスクワ進撃を称賛されたヒトラーが[[共産主義]]の殲滅を宣言するが、ヨードルやブラウヒッチュから進撃を続けるのが困難だと報告され機嫌を損ねる。モスクワではスターリンの演説を受けた赤軍がドイツ軍を撃退し、赤軍は反撃を開始する。ドイツ軍の撤退に激怒したヒトラーはブラウヒッチュとルントシュテットを解任し、自らドイツ軍を指揮する。ヒトラーは[[ヴォルゴグラード|スターリングラード]]で赤軍を撃滅する作戦を立案し、ゲーリングはイギリス人実業家ベッドストーンから物資を調達する。[[スターリングラード攻防戦]]でドイツ軍はチュイコフの活躍により壊滅し、アリョーシャの部隊は彼の故郷を奪還し、ベルリンの制圧を誓う。一方、スターリンは[[ヤルタ会談]]に出席し、準備不足を理由に進撃を躊躇うチャーチルを余所にベルリンへの進撃を宣言する。
== 史実と異なる脚色 ==
*劇中ではヒトラー夫妻が供に服毒自殺を遂げるが、史実ではヒトラーはピストルと[[青酸カリ]]を併用し、エヴァは青酸カリによって自殺した([[アドルフ・ヒトラーの死]])。[[総統地下壕]]を占領し、ヒトラーの遺体を回収したソ連軍およびスターリンはヒトラーの頭蓋骨に銃創が残っていたことを把握していたが、詳細を発表しようとはしなかった。
*スターリンがベルリン飛行場へ降り立つシーンがあるが、スターリンは大の飛行機嫌いであり、演出によるものである。
*第二次世界大戦、独ソ戦線で活躍した名将[[ゲオルギー・ジューコフ]]元帥がほとんど登場しない。これは映画作成当時、ジューコフがスターリンによってソビエト連邦の[[モルダビア・ソビエト社会主義共和国]]に左遷されていたことによる。史実ではジューコフは大戦中の主要局面で活躍しているが、全て省かれている。
 
=== その他第2部 ===
[[File:The Fall of Berlin (film).jpg|thumb|240px|ヒトラー役のサヴェリエフとエヴァ役のコヴァノヴァ]]
*ソ連初のカラー映画であった。[[ソ連占領地区]]にあった[[アグフア・ゲバルト|アグファ社]]の工場で製造されたフィルムを使用して撮影した。カメラテストの結果、安定した色彩を再現できるのは曇天時のみであることが判明し、曇り空の時を伺い撮影を行った。
スターリンはドイツ軍がイギリス軍・アメリカ軍に降伏しようとする動きを察知し、英米よりも先にベルリンを制圧するように将軍たちに指示する。一方、ドイツ軍の敗退に危機感を募らせるヒトラーは、アメリカ軍と赤軍を互いに戦わせて共倒れさせようと偽情報を流すが、スターリンに見破られ失敗する。強制収容所の[[親衛隊 (ナチス)|親衛隊]]は撤退の足手まといになる捕虜たちを虐殺し始めるが、ナターシャはソ連の勝利を信じ抵抗を呼びかけ、そこにアリョーシャの部隊が到着し強制収容所を解放するが、ナターシャと再会することは出来なかった。
*撮影が終戦直後であるため、第二次世界大戦で実際に使用された本物の車両や、かなり本物に似せた改造車両が多数出てくる。
*市街戦のロケは当時のベルリン市内で行われた。
*あまりにもスターリン賛美の[[プロパガンダ]]色が強いため、スターリン没後は[[ニキータ・フルシチョフ|フルシチョフ]]の[[スターリン批判]]から、ソ連でも厳しい評価を受けて上映されることがほとんど無かった。
 
1945年4月、赤軍はベルリンへの総攻撃を開始し、ヒトラーは[[総統地下壕]]に退避し徹底抗戦を続ける。しかし、敗北が決定的になる中、ゲーリングやヒムラーたち側近は離反し、クレープスら将軍たちも反発し、ヒトラーは孤立していく。味方を失ったヒトラーは勝利を諦め、愛人のエヴァと結婚式を挙げた後に服毒自殺を遂げる。ヒトラーの死を見届けたクレープスは降伏交渉に臨むが、「無条件降伏以外は認めない」と返答され交渉は失敗する。アリョーシャの部隊は国会議事堂に突入し、[[ライヒスタークの赤旗|赤旗を掲げ勝利を宣言する]]。赤軍は戦争の勝利を祝い、スターリンが降り立つ飛行場に向かう。「スターリン賛歌」の合唱のなか、ベルリンに到着したスターリンは解放された世界各地の[[捕虜]]たちから[[英語]]・[[フランス語]]・[[イタリア語]]・[[チェコ語]]・[[ギリシア語]]・[[セルビア語]]で祝福を受ける。飛行場で再会したアリョーシャとナターシャはスターリンの前に進み出て、スターリンの栄光を称える。
== スタッフ ==
*監督:[[ミハイル・チアウレリ]]
*音楽:[[ドミートリイ・ショスタコーヴィチ|ドミトリー・ショスタコーヴィチ]]
 
== キャスト ==
{|
*アレクセイ・イワノフ:ボリス・アンドレーエフ
|style="vertical-align:top"|
*ナターシャ・ルミャンツェワ:M.コヴァリョーワ
; ソ連
*ヨシフ・スターリン:M.ゲロヴァニ
* [[ヨシフ・スターリン]] - [[ミハイル・ゲロヴァニ]]
*アドルフ・ヒトラー:V.サヴェリエフ
* アレクセイ・イワノフ - {{仮リンク|ボリス・アンドレーエフ (俳優)|ru|Андреев, Борис Фёдорович|label = ボリス・アンドレーエフ}}
*[[ウィンストン・チャーチル]]:V.スタニツィン
* ナターリア・ルミャンツェワ - マリーナ・コワリョーワ
*[[フランクリン・ルーズベルト|フランクリン・ローズヴェルト]]:O.フレリク
* [[クリメント・ヴォロシーロフ]] - {{仮リンク|アレクセイ・グリボフ|ru|Грибов, Алексей Николаевич}}
* [[ラーザリ・カガノーヴィチ]] - {{仮リンク|ニコライ・リャボフ|ru|Рыжов, Николай Иванович}}
* [[ラヴレンチー・ベリヤ]] - {{仮リンク|アレクサンドル・カンス|ru|Ханов, Александр Александрович}}
* [[ミハイル・カリーニン]] - {{仮リンク|ガブリエル・ベロフ|ru|Ханов, Александр Александрович}}
* [[ヴャチェスラフ・モロトフ]] - {{仮リンク|マキシム・シュトラウフ|ru|Штраух, Максим Максимович}}
* [[アナスタス・ミコヤン]] - {{仮リンク|ルーベン・シモノフ|ru|Симонов, Рубен Николаевич}}
* [[ゲオルギー・ジューコフ]] - フョードル・ブラシェヴィチ
* [[アレクセイ・アントーノフ]] - {{仮リンク|アンドレイ・アブリコソフ|ru|Абрикосов, Андрей Львович}}
* [[ワシーリー・ソコロフスキー]] - {{仮リンク|コンスタンティン・バルタシェヴィチ|ru|Барташевич, Константин Михайлович}}
* [[イワン・コーネフ]] - {{仮リンク|セルゲイ・ブリニコフ|ru|Блинников, Сергей Капитонович}}
* [[コンスタンチン・ロコソフスキー]] - {{仮リンク|ボリス・リヴァノフ|ru|Ливанов, Борис Николаевич}}
* [[アレクサンドル・ヴァシレフスキー]] - {{仮リンク|ウラジーミル・リュビーモフ|ru|Любимов, Владимир Александрович (актёр)}}
* [[ワシーリー・チュイコフ]] - {{仮リンク|ボリス・テニン|ru|Тенин, Борис Михайлович}}
* [[セルゲイ・シュテメンコ]] - {{仮リンク|ミハイル・シドルキン|ru|Сидоркин, Михаил Николаевич}}
* {{仮リンク|ミハイル・イェゴレフ|ru|Егоров, Михаил Алексеевич}} - ドミートリー・ドゥボフ
* {{仮リンク|メリトン・カンタリア|ru|Кантария, Мелитон Варламович}} - ゲオルギー・タチシュヴィリ
|style="vertical-align:top"|
; イギリス
* [[ウィンストン・チャーチル]] - {{仮リンク|ヴィクトル・スタニーツィン|ru|Станицын, Виктор Яковлевич}}
* チャールズ・ベッドストーン - K・ロデン
; アメリカ
* [[フランクリン・ルーズベルト]] - {{仮リンク|オレグ・フレリク|ru|Фрелих, Олег Николаевич}}
* [[ジェームズ・F・バーンズ]] - {{仮リンク|レオニード・ピロゴフ|ru|Пирогов, Леонид Григорьевич}}
; ドイツ
* [[アドルフ・ヒトラー]] - {{仮リンク|ウラジーミル・サヴェリエフ|ru|Савельев, Владимир Дмитриевич}}
* [[エヴァ・ブラウン]] - マリア・コヴァノヴァ
* [[ヘルマン・ゲーリング]] - ヤン・ヴェリフ
* [[ヨーゼフ・ゲッベルス]] - N・ペトルンキン
* [[ハンス・クレープス]] - {{仮リンク|ウラジーミル・ケニグソン|ru|Кенигсон, Владимир Владимирович}}
* [[ゲルト・フォン・ルントシュテット]] - ウラジーミル・レニン
* [[ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ]] - {{仮リンク|ニコライ・プロトニコフ|ru|Плотников, Николай Сергеевич}}
* [[アルフレート・ヨードル]] - {{仮リンク|ウラジーミル・ポクロフスキー|ru|Покровский, Владимир Александрович (актёр)}}
* [[ハインツ・リンゲ]] - K・ゴモラ
|}
 
== 製作 ==
=== 企画 ===
[[1946年]]7月、映画大臣イヴァン・コルシャコフの指示により、スターリンのお気に入りの映画監督の一人である{{仮リンク|ミハイル・チアウレリ|ru|Чиаурели, Михаил Эдишерович}}と脚本家の{{仮リンク|ピョートル・パブレンコ|ru|Павленко, Пётр Андреевич}}が、『{{仮リンク|Клятва|ru|Клятва (фильм, 1946)}}』に引き続き監督・脚本を務めることになった<ref name = "Story">{{cite book |author=Wendell Steavenson|title=Stories I Stole|year=2003|location=|publisher=Grove Press|isbn=978-0-8021-1737-3|page=43}}</ref><ref name = "Taylor">{{cite book |author=Richard Taylor|title=Film propaganda: Soviet Russia and Nazi Germany|year=1999|location=|publisher=I.B. Tauris|isbn=978-1-86064-167-1|pages=99–127}}</ref><ref name="History">{{cite web |url=http://urokiistorii.ru/2010/09/3-chiaureli%20|script-title=ru:"Падение Берлина": миф о Сталине, созданный им |title=''The Fall of Berlin'': Stalin's Myth, Made By Him| language =Russian |author=Olga Romanova |date=|publisher=|work=urokiistorii.ru|accessdate=30 April 2011}}</ref>。本作はスターリンの70歳の誕生日である1949年12月21日{{#tag:ref|スターリンの正確な誕生日は「12月18日」だが、最高指導者に就任して以降「12月21日」と記録を改竄していた。|group=#}}の式典で公開することを目的として製作が進められた<ref name = "Cinema">{{cite book |author=Richard Taylor, D. W. Spring|title=Stalinism and Soviet cinema|year=1993|location=|publisher=Routledg|isbn=978-0-415-07285-4|page=88}}</ref>。本作は[[ベルリン市街戦]]と[[アドルフ・ヒトラーの死]]を描いた初めての映画作品となった<ref name = "Perspective">{{cite book |author=Leen Engelen, Roel Vande Winkel|title=Perspectives on European film and history|year=2007|location=|publisher=Academia Scientific|isbn=978-90-382-1082-7|page=185}}</ref>。
 
スターリンはベルリン市街戦の描写に強い関心を示し、パブレンコの脚本に干渉して何度も書き直しを命じている<ref name = "Karl">{{cite book |author= Thomas Lindenberger (editor)|title=Massenmedien im Kalten Krieg: Akteure, Bilder, Resonanzen|year=2006|location=|publisher=Böhlau Verlag|isbn=978-3-412-23105-7|pages=83–90}}</ref>。[[スヴェトラーナ・アリルーエワ]]の証言によると、チアウレリは「スターリンの長男[[ヤーコフ・ジュガシヴィリ]]の死亡シーンを描きたい」と提案したが、スターリンに拒否されたという<ref name = "Dancer">{{cite book |author=David Caute |title=The Dancer Defects: the Struggle for Cultural Supremacy During the Cold War|year=2003|location=|publisher=Oxford University Press|isbn=978-0-19-924908-4|pages=143–146}}</ref>。
 
=== 撮影 ===
撮影には[[ソ連占領地区]]の[[アグフア・ゲバルト|アグファ社]]で製造されたカラーフィルムが使用されている<ref name = "Taylor"/>。カメラテストの結果、安定した色彩を再現できるのは曇天時のみであることが判明し、曇り空の時を伺い撮影を行い、1万人のロシア人エキストラを動員した<ref name="Spi">{{cite web |url=http://www.spiegel.de/spiegel/print/d-44448956.html|title=Frau Hitler reicht das Gift| trans-title=Mrs. Hitler is Satisfied with the Poison| language =German |author=non-credited writer |date=13 July 1950|publisher=[[Der Spiegel]]|work=spiegel.de|accessdate=19 September 2011}}</ref>。
 
[[国会議事堂 (ドイツ)|ドイツ国会議事堂]]の戦闘シーンは、議事堂が[[イギリス]]の占領地域に位置していたためロケーション撮影ができず、{{仮リンク|バーベルスベルク・スタジオ|en|Babelsberg Studio}}で撮影された<ref name="Spi"/>。ベルリン市街戦のシーンの大半は戦闘で破壊された[[バルト諸国]]の都市で撮影された<ref name="Abgesang">{{cite web |url=http://www.zeit.de/1991/39/die-meister-des-abgesangs|title=Die Meister des Abgesangs| trans-title=The Masters of the Swan Song| language =German |author=Andreas Kilb |date=20 September 1991|publisher=[[Die Zeit]]|work=zeit.de|accessdate=19 September 2011}}</ref>他、バーベルスベルク・スタジオに1平方キロメートルの模型が作成され、第2部の撮影が行われた<ref name="History"/><ref>{{cite journal |journal=[[Ogoniok]]|date=29 January 1951|volume=|issue=1182|pages=12 |title= Padeniya Berlina|author= Mikheil Chiaureli |issn=0131-0097 |url=https://books.google.com/books?id=nYJBAQAAIAAJ&pg=PA12&dq=%D0%BC%D0%B0%D0%BA%D0%B5%D1%82+%D0%B1%D0%B5%D1%80%D0%BB%D0%B8%D0%BD%D0%B0&hl=en&ei=Qpp3Tpn8HIqB4ASJifmoDQ&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&ved=0CCwQ6AEwAA#v=onepage&q=%D0%BC%D0%B0%D0%BA%D0%B5%D1%82%20%D0%B1%D0%B5%D1%80%D0%BB%D0%B8%D0%BD%D0%B0&f=false |format= |accessdate=19 September 2011 }}</ref>。戦闘シーンでは戦闘機193機、4個戦車大隊、鹵獲した[[ドイツ陸軍 (国防軍)|ドイツ陸軍]]の戦車45両を動員して撮影し、撮影中に150万リットルの燃料を消費したという<ref name = "Karl"/>。
 
=== 演出 ===
[[File:Potemkinmarch.jpg|thumb|240px|『戦艦ポチョムキン』オデッサの階段]]
ロシアの歴史家アレクサンドル・プロホロフは、本作が[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]のプロパガンダ映画の影響を受けていることを指摘している<ref name="Pro">{{cite web |url=http://www.kinokultura.com/2006/12-prokhorov.shtml|title=Size Matters: The Ideological Functions of the Length of Soviet Feature Films|author=Alexander Prokhorovr |year=2006|work= kinokultura.ru|accessdate=30 April 2011}}</ref>。作家ジョン・ライリーも、スターリンがベルリン飛行場に降り立つシーンについて、実際のスターリンは大の飛行機嫌いであり、『[[意志の勝利]]』でヒトラーが飛行機から降り立つシーンに影響を受けた演出だと指摘している<ref name = "Era">{{cite book |author=Philip Boobbyer|title=The Stalin Era|year=2000|location=|publisher=Springer Verlag|isbn=978-0-415-18298-0|page=113}}</ref>他、ドイツ国会議事堂の戦闘シーンは『[[戦艦ポチョムキン]]』の「[[ポチョムキンの階段|オデッサの階段]]」のオマージュだと指摘している<ref name = "Story">{{cite book |author=Wendell Steavenson|title=Stories I Stole|year=2003|location=|publisher=Grove Press|isbn=978-0-8021-1737-3|page=43}}</ref>。主人公のアレクセイ・イワノフは個人として描くことは意図されておらず、ソ連が求める「模範的労働者」として象徴的に描かれており、生年月日は[[十月革命]]の勃発日である1917年10月25日([[ユリウス暦]])に設定されている<ref name = "Front"/>。
 
歴史家リチャード・テイラーは、本作では[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の指導者の中でスターリンのみが[[第二次世界大戦]]の勝利に貢献した人物として描かれ、他の指導者([[フランクリン・ルーズベルト]]、[[ウィンストン・チャーチル]])はスターリンへの追従者・抵抗者として、敵対者のヒトラーは常にヒステリックに叫び続ける狂乱者として描かれており、終始冷静なスターリンと対照的な描かれ方をしていると指摘している<ref name = "Taylor"/>。また、独ソ戦で[[赤軍]]司令官として活躍した[[ゲオルギー・ジューコフ]]がほとんど登場しない。これは製作当時、ジューコフがスターリンによってソビエト連邦の[[モルダビア・ソビエト社会主義共和国]]に左遷されていたことによる<ref name = "Taylor"/>。史実のジューコフは大戦中の主要局面で活躍しているが、本作には描かれていない。[[1953年]]に[[ラヴレンチー・ベリヤ]]が粛清されて以降は、本作からベリヤの登場シーンが削除され、現在流通しているDVDにもベリヤの登場シーンは収録されていない<ref name="Taylor2">{{cite web |url=http://www.kinokultura.com/2007/15r-padenie.shtml |title=Mikheil Chiaureli: The Fall of Berlin (Padenie Berlina, two parts, 1949)|author=Richard Taylor |year=2007|work= kinokultura.ru|accessdate=30 April 2011}}</ref>。
 
ヒトラーを演じた{{仮リンク|ウラジーミル・サヴェリエフ|ru|Савельев, Владимир Дмитриевич}}は、翌年に製作された映画『{{仮リンク|秘密の使命|ru|Секретная миссия (фильм)}}』でもヒトラーを演じている。ヒトラーとエヴァ・ブラウンの結婚式のシーンでは[[フェリックス・メンデルスゾーン|メンデルスゾーン]]の[[結婚行進曲 (メンデルスゾーン)|結婚行進曲]]が流れるが、メンデルスゾーンはユダヤ人で、実際のナチス政権下では[[19世紀]]のドイツ音楽を[[退廃音楽|退廃的]]にした張本人と名指しで批判され、[[ライプツィヒ]]にあった銅像が撤去されたり、[[メンデルスゾーン奨学金]]が打ち切られるなど迫害されていた<ref>Hansen, Jōrg and Gerald Vogt, "Blut und Geist" : Bach, Mendelssohn und ihre Musik im Dritten Reich, Eisenach, 2009, cited on web page of [http://www.mlgk.de/veranstaltungen/bloodandspirit.html Martin Luther Memorial Church] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20120402183805/http://www.mlgk.de/veranstaltungen/bloodandspirit.html |date=2012年4月2日 }}</ref>。
 
本作に登場する国家の描写には、製作当時のソ連を取り巻く国際関係が反映されている。第二次大戦末期まで中立を維持していた[[トルコ]]はドイツ寄りの国家として描かれており、これは[[反共産主義|反共]]の防波堤として[[西側諸国]]の一員となったことへの反感の表れである。同様に、反共の[[バチカン]]もナチスへの協力者としての面が強調されており、[[鉄のカーテン]]を主張したチャーチルは消極的で卑屈な指導者として描写されている<ref name = "Taylor"/>。
 
== 公開 ==
=== ソ連 ===
[[File:Stalin in The Fall of Berlin.jpg|thumb|240px|スターリン役のゲロヴァニ]]
本作はスターリンの誕生日に上映された後、[[1950年]]1月21日{{#tag:ref|1月21日は[[ウラジーミル・レーニン]]の命日に当たる。|group=#}}にソ連国内で一般公開された<ref name = "Taylor"/>。観客動員数は38.4万人を記録し、同年のソ連映画の観客動員数第3位となった<ref name = "Front">{{cite book |author=Denise J. Youngblood|title=Russian War Films: On the Cinema Front, 1914–2005|year=2007|location=Lawrence|publisher=University Press of Kansas|isbn=0-7006-1489-3|pages=95–101}}</ref>。公開当日、作家の{{仮リンク|アレクサンドル・スタイン|ru|Штейн, Александр Петрович}}は新聞のコラムで「素晴らしい…指導者と人民の真実の描写…全ての人民のスターリンへの愛の描写」と論評した<ref name = "Karl"/>。また、翌22日には[[フセヴォロド・プドフキン]]も「これは優れた映画だ。深く壮大なスケール、被写体の大胆で創造的な表現、これまでの映画を発展させた社会主義リアリズムの作品」と論評した<ref name="Vse">{{cite web |url=http://retrocd.webcindario.com/ART_3.html|title=ru:ПОДЛИННАЯ НАРОДНОСТЬ| trans-title=Genuine Popularity| language =Russian |author= Vsevolod Pudovkin|date=22 January 1950|publisher= Sovietsko Iskustvo|work=|accessdate=30 April 2011}}</ref>。ソ連当局は熱心に本作を宣伝し、[[プラウダ]]では「歴史の本物の表現」と絶賛している<ref name = "Front"/>。公開後、チアウレリ、パブレンコ、コマロフ、ショスタコーヴィチ、ゲロヴァニ、アンドレーエフ、ケニグソンの7人は[[ソビエト連邦国家賞|スターリン賞]]を受賞し<ref name="Encyclopedia">{{cite web |url=http://www.russiancinema.ru/template.php?dept_id=3&e_dept_id=2&e_movie_id=4572#movie_panel_cast|title=ru:Падение Берлина| trans-title=The Fall of Berlin| language =Russian |author= |date=|publisher= |work=russiancinema.ru|accessdate=30 April 2011}}</ref>、[[チェコスロバキア社会主義共和国]]で開催された第5回[[カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭]]では{{仮リンク|クリスタル・グローブ賞|en|Crystal Globe}}を受賞した<ref name="IFF">{{cite web |url=http://www.kviff.com/cz/o-festivalu/historie-rocniky/1950/|title=5. MFF Karlovy Vary| trans-title=5th Karolvy Vary Film Festival| language =Czech |author= |date=|publisher=|work=kviff.com|accessdate=30 April 2011}}</ref>。
 
一方、ソ連当局は本作に対する国民の反応を監視している。[[ミハイル・スースロフ]]の覚書によると、1950年3月11日に[[ソビエト連邦共産党|ソ連共産党]]宣伝部の職員2人が、国民から本作の感想が書かれた手紙を大量に受け取ったと報告している。大半の感想は好意的な内容だったが、一部に批判的な内容が書かれた感想があったとし、「そのような人民は生産性の高い労働者には値しない」とスースロフは記している<ref name = "Kremlin">{{cite book |author=Kiril Anderson|title=Кремлевский кинотеатр. 1928–1953. Документы|year=2005|location=|publisher=SPB University Press|isbn=5-8243-0532-3|page=44}}</ref>。また、ソ連陸軍中佐エフゲニー・チェルノボグは、泥酔状態で本作を鑑賞した際「この天使(スターリン)は何処から来たんだ?我々はベルリンで彼を見たことがない」と発言したため逮捕され[[ラーゲリ]]送りとなり、8年間の強制労働刑を宣告された<ref name="Echo">{{cite web |url=http://www.echo.msk.ru/programs/staliname/664399-echo/|title=ru:Именем Сталина| trans-title=In Stalin's Name| language = Russian|author= Natela Boltyanskia|date=20 March 2010|publisher= |work=echo.msk.ru|accessdate=30 April 2011}}</ref>。
 
しかし、1953年3月にスターリンが死去すると状況が一変する。6月にベリヤが逮捕された後、チアウレリはフルシチョフの命令でモスクワを追われ、本作の上映も停止されてしまう<ref name = "Khru">{{cite book |author=Nikita Sergeevich Khrushchev, Sergei Khrushchev|title=Memoirs of Nikita Khrushchev, Volume 2 |year=|location=|publisher= Brown University|isbn=978-0-271-02861-3|pages=41–42}}</ref>。[[1956年]]2月に開催された[[ソ連共産党第20回大会]]において[[スターリン批判]]が行われた後、本作は上映を禁止され、フィルムは全て[[アーカイブ]]入りとなった<ref name = "Taylor"/>。以後、[[東側諸国]]を始めとした各国でも上映禁止に追い込まれ、上映禁止が解除されたのは[[レオニード・ブレジネフ]]政権下の1970年代後半になってからであり<ref>DVD特典映像。</ref>、国外的に解除されたのは[[1991年]]に[[第48回ヴェネツィア国際映画祭]]で特別上映されてからだった<ref name="Abgesang"/>。
 
=== 東側諸国 ===
[[ドイツ民主共和国|東ドイツ]]では、本作は「ドキュメンタリー映画」に分類され[[兵営人民警察]]の職員は鑑賞することを義務付けられたが、ソ連での政変の余波を受け、1953年7月に上映が終了した<ref name = "Karl"/>。東ドイツでの観客動員数は芳しくなかったが、映画配給会社Film-Verleih社長のジークフリート・ジルバーマンは[[1959年]]3月10日に「ドイツ国民の間に反ソ連機運が醸成されていたためではないか」と映画誌でコメントしている<ref name = "Karl"/>。
 
1956年3月、[[グルジア]]ではフルシチョフに反発する[[スターリニズム|スターリン主義者]]が{{仮リンク|1956年グルジア暴動|en|1956 Georgian demonstrations}}を起こすが、ソ連への要求の中に本作の上映を続けることが含まれていた<ref name = "Demo">{{cite book |author=Lurye, Lev; Malyarova, Irina|title=1956 God. Seredina Veka|year=2007|location=|publisher=Olma Media Group|isbn=5-7654-4961-1|page=134}}</ref>。一方、[[中華人民共和国]]ではスターリン批判を行ったフルシチョフ指導部と[[毛沢東]]指導部の関係が悪化し、ソ連への反発として上映が引き続き行われた<ref name = "China">{{cite book |author=Olivia Khoo, Sean Metzger|title=Futures of Chinese Cinema|year=2009|location=|publisher=Intellect Ltd|isbn=978-1-84150-274-8|page=80}}</ref>。
 
=== イギリス ===
1952年に文化交流協会によって輸入されたが、[[全英映像等級審査機構]]は「チャーチルが否定的に描かれている」として上映を禁止する方針を示した。5月にチャーチルとイギリス議会関係者は、それぞれ[[ウェストミンスター]]と[[チャートウェル]]で本作を鑑賞した。鑑賞後、チャーチルは「ヒトラーが地下鉄に水を流して国民を殺したのは本当か」と周囲に尋ね、歴史家[[ヒュー・トレヴァー=ローパー]]は「歴史を神話化した」と返答した<ref name = "ST"/>。[[外務・英連邦省]]は「共産主義プロパガンダ映画と判断するのは一方的過ぎる」として上映が許可され、1940年代から1950年代にイギリスで公開されたソ連映画の中で、最も成功した作品となった<ref name = "ST">{{cite book |author= Tony Shaw|title=British Cinema and the Cold War: The State, Propaganda and Consensus|year=2001|location=|publisher=I.B. Tauris|isbn= 9781860643712|pages=187–188}}</ref>。
 
[[サンデー・タイムズ]]と{{仮リンク|ロンドン・イブニング・スタンダード|en|London Evening Standard}}はそれぞれ評論を掲載し、「映画には英米軍の活躍が描かれていないが、これは英米の戦争映画で赤軍の活躍が描かれていないのと同様の理由に過ぎない」としている<ref name = "ST"/>。
 
=== アメリカ ===
[[バラエティ (アメリカ合衆国の雑誌)|バラエティ紙]]は、「米英の戦争映画に対するロシア側の答え…西側とソ連の緊張の中で現代的意義を持つ」と論評した<ref name = "TV">{{cite book |author= Su Holmes|title=British TV & Film Culture in The 1950s: 'Coming To a TV Near You'|year=2005|location=|publisher=Intellect Ltd|isbn=978-1-84150-121-5|pages=86–87}}</ref>。作家デヴィット・キュートは[[ニューヨーク・タイムズ]]で「歴史的な壮観さと希望的観測の耳をつんざくようなブレンド…チアウレリの人生はそれに依存しているかのようだ」と批判した<ref name = "Dancer"/>。また、キュートは[[ヤルタ会談]]のシーンの歴史的信憑性の欠如についても批判している<ref name="NYT">{{cite web |url=http://movies.nytimes.com/movie/review?res=9A0DE4DD143AE23BBC4153DFB0668389649EDE |title=Padeniye Berlina (1950)
|author= H.H.T.|date=9 June 1952|work=nytimes.com |accessdate=30 April 2011}}</ref>。脚本家で[[アメリカ共産党]]ハリウッド支部長の{{仮リンク|ジョン・ハワード・ローソン|en|John Howard Lawson}}は、「最高の作品」と評価している<ref name = "Dancer"/>。
 
== 脚注 ==
<references group= "注釈"/>
{{reflist|group=#}}
 
== 出典 ==
{{Reflist|2}}
 
== 外部リンク ==
* {{Allcinema title|21103|ベルリン陥落}}
* {{Kinejun title|14211|ベルリン陥落}}
 
{{DEFAULTSORT:へるりんかんらく}}
[[Category:ソビエト連邦の映画作品]]
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