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{{脚注の不足|date=2016年9月}}
{{政治家
| 人名 = 大木 喬任
| 各国語表記 = おおき たかとう
| 画像
| 画像サイズ = 245px
| 国略称 = {{JPN}}
| 生年月日 = [[1832年]][[4月23日]]<br>([[天保]]3年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]])
| 出生地 = {{JPN}}・[[肥前国]]赤松町<br>(現在の[[佐賀県]][[佐賀市]][[水ヶ江]]三丁目)
| 没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1832|4|23|1899|9|26}}
| 死没地 = {{JPN}}・[[東京府]][[東京市]]
| 出身校 = [[弘道館 (佐賀藩)|弘道館]]
| 称号・勲章 = [[正二位]]<br> [[File:JPN Toka-sho BAR.svg|38px]] [[勲一等旭日桐花大綬章]]<br>[[伯爵]]
| 子女 = 長男・[[大木遠吉]]<br>娘・[[岡崎えん]]
| 親族(政治家) = 父・[[大木知喬]]<br>養孫・[[大木喜福]]
| 国旗 = JPN
| 職名 = 第2・4代 [[枢密院 (日本)#歴代議長|枢密院議長]]
|
| 退任日 = [[1893年]][[3月1日]]
| 元首職 = 天皇
|
| 国旗2 = JPN
| 職名2 = 第2・5代 [[元老院 (日本)#主な人事|元老院議長]]
| 就任日2 = [[1880年]][[2月28日]] - [[1881年]][[10月21日]]<hr>[[1885年]][[12月22日]]
| 退任日2 = 1889年12月24日
| 元首職2 = 天皇
| 元首2 = 明治天皇
| 国旗3 = JPN
| 職名3 = 第4代 [[文部大臣]]
|
| 就任日3 = 1891年6月1日
|
| 国旗4 = JPN
|
| 内閣4 = [[第1次山縣内閣]]<br>第1次松方内閣
| 就任日
| 退任日
| 国旗6 =
| その他職歴1 = 初・第
| 就任日6 = [[
| 退任日6 =
| 国旗7 =
| その他職歴2 = 第
| 就任日7 =
| 退任日7 =
| 国旗8 =
| その他職歴3 = 第
| 就任日8 = 1871年[[
| 退任日8 =
| 国旗9 =
| その他職歴4 = 第
| 就任日9 = 1871年[[
| 退任日9 =
| その他職歴5 = {{Flagicon|東京都}} 第2代 [[東京都知事一覧|東京府知事]]
| 就任日10 = [[1869年]][[1月16日]]<!--(明治元年[[12月4日_(旧暦)|12月4日]])-->
|
}}
'''大木 喬任'''(おおき たかとう、[[天保]]3年[[3月23日 (旧暦)|3月23日]]〈[[1832年]][[4月23日]]〉- [[明治]]32年〈[[1899年]]〉[[9月26日]])は、明治期の[[日本]]の[[官僚]]、[[政治家]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%9C%A8%E5%96%AC%E4%BB%BB-17857 朝日日本歴史人物事典「大木喬任」]</ref>。[[仮名 (通称)|通称]]を'''幡六'''{{Clarify|title=読み|date=2013年8月}}、'''民平'''{{Clarify|title=読み|date=2013年8月}}。
[[栄典]]は[[正二位]][[勲一等旭日桐花大綬章|勲一等]][[伯爵]]。
== 経歴 ==
=== 出自 ===
[[肥前国]][[佐賀藩]]の45石の藩士[[大木知喬]]の長男として赤松町(現在の佐賀市[[水ヶ江]]三丁目)に生まれる。[[天保]]13年([[1842年]])父、知喬が亡くなり、以降、母シカ子の手で育てられる。出身家の詳細については'''[[大木家 (伯爵家)|大木家]]'''を参照。
=== 幕末 ===
藩校の[[弘道館 (佐賀藩)|弘道館]]で学び、[[1850年]]([[嘉永]]3年)[[副島種臣]]らと共に[[枝吉神陽]]の[[義祭同盟]]結成に参加。後に[[江藤新平]]や[[大隈重信]]らも加わり藩論を[[尊皇攘夷]]へと導くことを図るが果たせなかった。[[万延]]元年([[1860年]])藩校弘道館から選ばれて江戸遊学の途に上る。
=== 明治新政府 ===
[[1868年]](明治元年)に新政府が樹立されると、大隈・副島・江藤らとともに出仕し、[[徴士]]、参与、[[軍務官]]判事、[[東京府]][[知事]]などを務めた。[[江戸]]を[[東京]]とすること([[東京奠都]])に尽力した。[[1871年]](明治4年)に[[民部省 (明治時代)|民部卿]]、[[文部卿]]として[[学制]]を制定。[[1872年]](明治5年)に[[教部卿]]を兼任。[[1873年]](明治6年)、[[参議]]兼[[司法卿]]。[[1876年]](明治9年)の[[神風連の乱]]と[[萩の乱]]の事後処理に当たった。
[[戸籍]]編成の主導権を巡り[[大蔵省]]の大隈と対立。[[大久保利通]]の側近となり、[[民部省 (明治時代)|民部大輔]]として[[戸籍法]]制定を行い、のち民部卿に任命されるが、大隈の巻き返しで民部省は大蔵省に統合された。民法編纂総裁として法典編纂に関わる。のち[[元老院 (日本)|元老院]]議長、[[参議]]などの要職を歴任した。
[[1884年]](明治17年)、[[華族令]]施行によって[[伯爵]]に叙せられた。12月14日学習院講堂で開かれた[[大日本教育会]]の常集会で[[森有礼]]とともに演説を行った<ref>『澤柳柳太郎と帝国教育会-成城大学』</ref>。[[1888年]](明治21年)に[[枢密院 (日本)|枢密顧問官]]、[[1892年]](明治25年)に枢密院議長再任。
しかし同年11月、[[教科書疑獄事件|修身教科書秘密漏洩事件]]が発生。引責辞任を余儀なくされ、以後、[[麝香間祗候]]にとどまった<ref>{{Cite book |和書 |author=千田稔 |title=華族総覧 |publisher=講談社現代新書 |year=2009-07 |page=519 |isbn=978-4-06-288001-5}}</ref>。
[[ファイル:OkiTakato20131208.jpg|thumb|170px|大木喬任の墓([[青山霊園]])]]
[[1899年]](明治32年)に死去、享年67。
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教育制度や法典編纂の確立にも尽力したことから、明治の[[明治六大教育家|六大教育家]]の1人に数えられている。
*[[江藤新平]] 「大木はあたかも熟練したる仕立て屋の如し。その裁縫の技、堅緻ならざるに非ず。ただ、恨むらくは、その手に成る綿入れの仕立て終わる時は、春既に去りて夏方に近づく也。もし余をして大木と共に、干戈を交へしめば、余は彼の考慮を費せる間に於いて、その首級を奪うを得べし」<ref>『江藤南白』P640</ref>
== 系譜 ==
[[大木氏]]は[[筑後国]]の[[蒲池氏]]の一族で、[[筑後宇都宮氏]]の[[宇都宮懐久]]の次男の[[宇都宮資綱|資綱]]の嫡子[[大木政長]]を祖とし、資綱の兄の[[蒲池久憲]]の後裔の[[蒲池鎮漣]]の重臣で、のちに[[鍋島直茂]]に仕えた[[大木統光]]の子孫にあたる。
*妻:朋子<ref>[https://sagaijinden.sagafan.jp/e608542.html]</ref>
*
*次男:[[大木遠吉]]…原・高橋内閣の司法大臣、加藤内閣の[[鉄道大臣]]を歴任。
*娘:栃木の農家に嫁ぐ<ref>[{{NDLDC|778815/111}} 大木喬任夫人]『明治大臣の夫人』岩崎徂堂 (大学館, 1903)</ref>
*娘:[[岡崎えん]]…喬任と芸妓の子。銀座の小料理屋の女将となり<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%B2%A1%E5%B4%8E%E3%81%88%E3%82%93-1061717 岡崎えん]日本人名大辞典</ref>、没後、[[吉屋信子]]により『岡崎えん女の一生』が執筆された)
== 資産 ==
[[沼津市|沼津]]や[[磯部温泉]]に別荘を所有した。
== 栄典・授章・授賞 ==
;位階
* [[1886年]](明治19年)[[10月19日]] - [[従二位]]<ref>『官報』第993号「叙任及辞令」1886年10月20日。</ref>
* [[1896年]](明治29年)[[6月20日]] - [[正二位]]<ref>『官報』第3893号「叙任及辞令」1896年6月22日。</ref>
;勲章等
* [[1877年]](明治10年)[[11月2日]] - [[勲一等旭日大綬章]]<ref>[https://web.archive.org/web/20040408175857/http://www.geocities.jp/nakanolib/giten/kyoku3.htm 中野文庫 - 旧・勲一等旭日大綬章受章者一覧(戦前の部)]</ref>
* [[1884年]](明治17年)[[7月7日]] - [[伯爵]]<ref>『官報』第307号、「叙任及辞令」1884年07月08日。</ref>
* [[1899年]](明治32年)[[9月11日]] - [[勲一等旭日桐花大綬章]]<ref>[https://web.archive.org/web/20031005101858/http://www.geocities.jp/nakanolib/giten/kyoku2.htm 中野文庫 - 旧・勲一等旭日桐花大綬章受章者一覧]</ref>
== 脚注 ==
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== 関連文献 ==
* 「[https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_M0000000000000788062 大木喬任]」([[国立公文書館]]所蔵 「枢密院文書・枢密院高等官転免履歴書 明治ノ一」) - [[アジア歴史資料センター]] Ref. A06051166700
** 『国立公文書館所蔵 枢密院高等官履歴 第1巻』 [[東京大学出版会]]、1996年10月、ISBN 4130987119
* [[大木遠吉]]編 『紀念』 1904年5月序
* 『明治大学刑事博物館目録 第2号』 [[明治大学]]刑事博物館委員会、1952年8月
** 『明治大学刑事博物館目録 第4号』 明治大学刑事博物館委員会、1953年8月
* 田中艸太郎、常安弘通著 『大木喬任 辰野金吾』 佐賀県青少年育成県民会議〈郷土史に輝く人びと〉、1971年3月
* 島内嘉市著 『年譜考 大木喬任』 アビアランス工房、2002年7月、ISBN 490128410X
* [[西川誠]] 「大木喬任」([[伊藤隆 (歴史学者)|伊藤隆]]、[[季武嘉也]]編 『近現代日本人物史料情報辞典』 [[吉川弘文館]]、2004年7月、ISBN 4642013415)
* {{Cite journal|和書|author=重松優
* [[佐々木隆 (歴史学者)|佐々木隆]] 「[{{NDLDC|3051567}} 「大木喬任関係文書」所収司法・検察関係者書翰翻刻]」(
* {{Cite journal|和書|author=重松優
* 星原大輔 「幕末明治期の大木喬任日記」(『財団法人鍋島報效会研究助成研究報告書』第4号、財団法人鍋島報效会、2009年10月)
* 重松優著 『大木喬任』 佐賀県立佐賀城本丸歴史館、2012年2月、ISBN 9784905172055
* 重松優編 『大木喬任伝記資料談話筆記』佐賀県立佐賀城本丸歴史館〈佐賀城本丸クラシックス〉、2023年3月、ISBN 9784905172178
== 関連項目 ==
*[[大木家 (伯爵家)]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat}}
* [https://
* [https://ndlsearch.ndl.go.jp/rnavi/kensei/ookitakatou 憲政資料室の所蔵資料 大木喬任関係文書] - 国立国会図書館リサーチ・ナビ
* [https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/ 古典籍総合データベース] - [[早稲田大学図書館]]。大隈関係文書の大木喬任書翰などが閲覧できる。
* [http://www.sagakentosyo.jp/komonjo/php/menu.php 古文書・古記録・古典籍データベース] - [[佐賀県立図書館]]。江藤家資料の大木喬任書簡などが閲覧できる。
* [http://www.geheugenvannederland.nl/?/en/items/VKM01:2732-16A-3 Memory of the Netherlands] - オランダ王立図書館。肖像写真が閲覧できる。
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[[Category:日本の枢密顧問官]]
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