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[[File:Asian Financial Crisis EN
'''アジア通貨危機'''(アジアつうかきき、{{lang-en|Asian Financial Crisis}})とは、[[1997年]]7月
アジア通貨危機は、狭義にはアジア各国における「自国通貨の[[為替レート]]暴落」のみを指すが、広義には、これによって起こった'''[[金融危機]]'''('''アジア金融危機''')を含む[[恐慌|経済危機]]を指す。
これによって[[タイ王国|タイ]]・[[インドネシア]]・[[大韓民国|韓国]]は、その経済に大きな打撃を受け[[国際通貨基金|IMF]]管理に入った<ref name=":0" />。[[マレーシア]]・[[フィリピン]]・[[香港|中国香港]]はある程度の打撃を被った。[[中華人民共和国|中国大陸]]と[[中華民国|台湾]]は直接の影響はなかったものの、前述の国々から間接的な影響を受けた。▼
▲これによって
[[日本]]に関しては、[[融資]]の焦げ付きが多発した。また[[緊縮財政]]と、1997年([[平成]]9年)4月の[[消費税]]増税のタイミングが重なった結果、同年と1998年(平成10年)における金融危機の原因の一つとなった。そして1998年(平成10年)9月の[[日本銀行]]政策金利引き下げ、10月7 - 8日の[[円 (通貨)|日本円]]急騰(2日間で20円の急騰)、10月23日に[[日本長期信用銀行]]の[[倒産|破綻]]と[[国有化]]、12月13日に[[日本債券信用銀行]]の国有化へと繋がる一連の金融不安の遠因となった。▼
▲[[日本]]に関しては、[[融資]]の焦げ付きが多発し
また、[[新興国]]における通貨不安はアジアに留まらず、1998年8月17日からの[[ロシア通貨危機]]、[[1999年]]1月[[ブラジル通貨危機]]など、その他の経済圏でも同様の混乱を招いた。▼
▲また、[[新興国]]における通貨不安はアジアに留まらず、1998年8月17日からの[[ロシア財政危機|ロシア通貨危機]]、[[1999年]]1月[[ブラジル通貨危機]]など、その他の経済圏でも同様の混乱を招いた。
ただし、1998年からの経済回復は迅速であり、金融システムの崩壊などは起こらなかった。
== 経緯 ==
日本、台湾、フィリピンを除く[[アジア]]の
またアジアの[[国際分業]]体制は、1992年以降の中国[[改革開放]]政策の推進により構造的な変化が生じていた。そのため東南アジアに展開していた日系、欧米系企業の多くが、当時人件費の安かった[[中国本土]]への[[空洞化|生産シフト]]を強めていた。
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1995年以降、[[アメリカ合衆国]]の[[景気循環|長期景気回復]]による経常収支赤字下の[[経済政策]]として「強いドル政策」が採用され、[[アメリカ合衆国ドル]]が高めに推移するようになった。これに連動する形で、アジア各国の通貨が上昇(増価)し、その結果アジア諸国の輸出は伸び悩む展開となった。これらの国々に資本を投じていた[[投資家]]らは、経済成長の持続可能性に疑問を抱くようになった。
== 各国での状況 ==
1997年7月のタイ・バーツ暴落の影響を受けた一連の通貨・経済危機は、インドネシア、韓国などへ伝染し、アジア地域経済全体を巻き込む未曾有の経済危機となった。これらの国々の経済は高成長を続けていた状態かは急激に悪化し、翌1998年は各国ともに大幅なマイナス成長となった(タイ▲10.5%、インドネシア▲13.1%、韓国▲6.7%)<ref>https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hakusyo/04_hakusho/ODA2004/html/column/cl01014.htm</ref>。[[1998年]]には五つの国と地域がマイナス成長を記録し、'''アジア経済全体'''でマイナス0.1 %成長にまで落ち込んだ(同年中も高成長だった中国を除
=== タイ
[[タイ王国|タイ]]は1993年に[[オフショア市場]]を開設した。[[1990年代]]のタイ経済は、それまで年間平均[[経済成長]]率9%を記録していたが、1996年に入るとその成長も伸び悩みを見せ始めていた。この年、
同年6月30日には、当時の首相、[[チャワリット・ヨンチャイユット]]が通貨切り下げをしない(ヘッジファンドの攻撃に対する勝利宣言)をしたものの、再びヘッジファンドによる空売り攻勢が始まり、同年7月2日にバーツとドルのペッグ制は終わりを告げ、[[変動相場制]]に移行した。
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=== フィリピン ===
1997年の[[ヘッジファンド]]による[[タイ・バーツ]]の空売り開始により、[[フィリピン]]共和国政府は同年5月に[[フィリピン中央銀行]]の[[公定歩合]]を1.25%まで上げた。同年の[[6月19日]]には、さらに2ポイント引き上げた。タイ政府が同年[[7月2日]]、バーツに[[変動相場制]]を導入すると、逆に自国通貨である[[フィリピン・ペソ]]を守るため、翌日物金利(overnight rate)を15%から24%まで上げた。
結局1998年3月にはフィリピン・ペソが変動相場制に移行したが<ref>[https://search.sbisec.co.jp/v2/popwin/info/fund/report/fund_shiryou130927b.pdf ~新興国通貨の現状と今後の展望~] - 三井住友アセットマネジメント・2013年9月27日</ref>、その結果としてペソの暴落(対米ドルで危機前の6割程度に下落)に見舞われ、同年9月には同国の[[フラッグ・キャリア]]である[[フィリピン航空]]が全面運行停止に追い込まれるなど、同国経済に大きな悪影響を与えた。
=== 韓国 ===
[[File:Suicide rates in G20 countries.svg|thumb|500px|G20各国の人口10万人あたり標準化自殺率<ref name="OECD2019">{{Cite report|publisher=OECD|date=2019|title=OECD Date Suicide rates|accessdate=2020-07-27|doi=10.1787/a82f3459-en|at=Chapt.1.6|url=https://www.oecd-ilibrary.org/social-issues-migration-health/suicide-rates/indicator/english_a82f3459-en}}</ref>。1991年から大きく上昇している緑の波線が韓国。]]
{{See also|IMFによる韓国救済}}
[[大韓民国]]は[[マクロ経済学|マクロ経済]]の[[ファンダメンタルズ]]が十分であったが、一方で[[金融]]部門では[[不良債権]]を抱えてしまった。過剰な[[借金]]は経営判断で大きなミスを招き、経営交代を招いた。1997年1月の[[韓宝鉄鋼]](現:[[現代製鉄]])破綻を契機として、特殊鋼製造を中核事業とする三美グループが倒産するなどの状況となった。[[市場]]に異変を感じた[[格付け機関]]の[[ムーディーズ]]は、同年[[7月]]に韓国の格付けをA1からA3まで落とした。同年10月22日に[[起亜自動車]]が法定管理を申請すると、ムーディーズのみでなく他社も韓国の国家信用格付けを下方修正した。財閥の破綻と株価暴落などから外資の引き上げに至り、韓国中央銀行の外貨準備が減少。11月21日に韓国政府が[[国際通貨基金]](IMF)へ救済を要請する事態となった。
IMFによる韓国支援プログラムは12月4日に決定されたが、[[大韓民国ウォン|韓国ウォン]]の安定には至らなかった。
追加支援として[[G7]][[先進国]]とIMF協調の下で、12月24日に韓国に対する金融支援パッケージが組まれたことで韓国の危機は回避された。韓国が通貨危機に際して12月4日にIMFと合意した金融支援は総額580億ドル。このうち実際に支援が実施されたのは[[国際通貨基金]]の210億ドル、[[世界銀行]]の100億ドル、[[アジア開発銀行]]の40億ドル。これに加え、第二線準備として230億ドルが準備され、日本はその中で最大の100億ドルをコミットした<ref>{{PDFlink|[http://www.esri.go.jp/jp/prj/sbubble/history/history_02/analysis_02_04_03.pdf 第3章 アジア通貨危機とその伝播 - 内閣府経済社会総合研究所]}} 51ページ</ref>。結局、第二線準備金は使用されることはなく貸し出されることはなかった<ref>「通貨危機後のアジア経済の動向について」シンポジウムにおける[[斉藤国雄]]IMFアジア・太平洋地域事務所長の発言(平成11年3月12日){{
ソウル証券取引所は、同年[[11月7日]]に4%も落ち込み、翌日には一日の株価変動としては史上最大の7%の下落を記録した。[[国際通貨基金]]に韓国が救済を申請したのが[[1997年]][[11月21日]]で、この後IMFがしっかりとした再建を行うかどうかの不安感も災して、[[11月24日]]には、さらに7.2%落ち込んだ。[[12月12日]]時点で韓国の抱えていた民間短期対外債務残高は320億ドル、その借入先の内訳は日本が118億ドル、[[ヨーロッパ]]全体で118億ドル、[[アメリカ合衆国]]で42億ドルであったとされる<ref name="mof_report">[http://www.mof.go.jp/jouhou/hyouka/honsyou/14nendo/hyoukasho/sougouhyoukasho/ronten1.htm 論点1:アジア通貨危機発生時の我が国による支援は適時適切であったのか。] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20081012101304/http://www.mof.go.jp/jouhou/hyouka/honsyou/14nendo/hyoukasho/sougouhyoukasho/ronten1.htm |date=2008年10月12日 }}</ref>。
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=== 中国 ===
[[中華人民共和国|中国]]では外国企業の進出が多く、金融システムにも問題があったにもかかわらず、国内全体の預金がほとんど国内口座にあったうえ厳しい規制があったため、あまり影響を受けなかったと推測される。
特に海外移入資本は無論のこと、国内資本の自由な移動も規制されている段階であったほか、外国為替(元相場)が事実上のドルペッグであったにもかかわらず、為替取引に関する「事前申請制」を採用していた事が大きい<ref>{{Cite report|和書
|title = 中国における金融国際化へのロードマップ —資本移動の自由化と人民元為替相場の展望
|author = 柯 隆
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[[アメリカ合衆国]]では1997年10月27日、アジア経済への不安から、[[ダウ・ジョーンズ]]工業平均株価は554ポイント (7.2%) の株価下落を記録した。[[ニューヨーク証券取引所]]は[[サーキットブレーカー制度]]が発動し、取引を停止した。アジア通貨危機は消費者信頼感指数の低下に繋がった。
=== 日本
[[File:Unemployment rate in Japan.svg|thumb|right|550px|日本の[[失業率]](男女別、年齢別)。15-24歳の細線が[[若年失業者]]にあたる<ref name=OECDemp>{{Cite |publisher=OECD |title= OECD Labour Force Statistics 2020| |date=2020 |doi=10.1787/23083387}}</ref>。]]
==== 影響 ====
当時の日本は既に[[バブル崩壊]]の影響が顕在化し金融危機が起きており、金融機関の財務状況はさらに悪化した<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/choken/y-yoshino/20201030-OYT8T50020/ 小峰隆夫氏に聞く「平成の経済」停滞はなぜ長期化したか : 読売新聞]</ref>。後に『[[失われた10年]]』と呼ばれる時期に当たる。[[カンフル景気]]など漸く内需主導の回復が目指されていた日本経済だが、[[橋本龍太郎]]政権の[[新自由主義]]型改革が実施され<ref>[https://hiroseto.exblog.jp/26818917/ 金融恐慌~橋本龍太郎退陣から20年ーーあのとき新自由主義の総括が出来なかったのが痛かった : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)]</ref>、アジア通貨危機の影響に加えて、[[緊縮財政]]、[[消費税]]5%増税の波が元々日本経済が抱えていた経済課題に合わさり、[[1998年]]には実質マイナス成長に転じ([[就職氷河期]]、第2次[[平成不況]]、日本列島総不況)、以後、[[デフレーション]]が継続する<ref>https://www.rieti.go.jp/jp/publications/rd/058.html</ref>。1998年以降は自殺者も急増する<ref>[https://www.nikkei-science.com/page/magazine/0305/sp3.html データで見る日本の自殺 - 日経サイエンス]</ref>。
{{see also|橋本龍太郎#消費税増税とその後}}
==== 日本の支援 ====
[[日本]]は、2年間にわたり[[国際機関]]や[[G7]]各国と協調し当初の危機対応において、二国間支援の主導的な役割を果たした。また、一時的な資金不足を補填する[[流動性 (経済学)|流動性]]支援のみならず[[政府開発援助|ODA]]を含む日本独自の政策的金融手段を総動員し長期の安定的な資金を供与してアジア各国の実体経済の回復と安定化に対して全力で取り組んだ。
中でも、[[国際通貨基金|IMF]]・[[世界銀行|世銀]]年次総会において発表された[[新宮澤構想]]は、アジア諸国の実体経済回復のための[[円借款]]・輸銀融資などによる中長期の資金支援を含む合計300億ドル規模の資金支援スキームを用意するものであり、一連の支援策の中でも最大級の物で、[[チェンマイ・イニシアティブ]]に引き継がれた。この他にも、日本は、人材育成等環境整備のための専門家派遣、研修員受入などの技術協力や、[[食品|食糧]]・[[医療品]]などの緊急支援および人道・医療・保健対策面での無償資金協力も行った(詳細は「外部リンク」参照)。
インドネシアに対しては[[メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリ]]大統領からの支援要請に答えるかたちで、[[白石隆]]京都大学教授、[[浅沼信爾]]一橋大学教授、[[伊藤隆敏]]東京大学教授らが、経済政策支援プロジェクトに参加して助言にあた
▲一方、日本では、経済恐慌などの危機は直ちに発生しなかったが、危機に際して[[東南アジア]]への支援金の支出なども含め、相応の経済的打撃を被っている。当時アジアでも、特に著しい経済力を持ち、アジア各国へも工業製品を輸出する産業の多い日本は、それら各国の通貨危機の影響も少なからず被っている。
▲インドネシアに対しては[[メガワティ・スティアワティ・スカルノプトゥリ]]大統領からの支援要請に答えるかたちで、[[白石隆]]京都大学教授、[[浅沼信爾]]一橋大学教授、[[伊藤隆敏]]東京大学教授らが、経済政策支援プロジェクトに参加して助言にあたり、プロジェクトの事務局を[[中尾武彦]][[財務省国際局]]開発政策課長や[[大串博志]][[外務省]][[在インドネシア日本大使館]][[一等書記官]]らが担った<ref>[https://www.jica.go.jp/topics/person/20130718_01.html 「「一所懸命」に和風の流儀で世界の課題解決に貢献」] 国際協力機構</ref>。
== 総評 ==
アジア通貨危機は、関連諸国の経済に大きなダメージを与えただけでなく、インドネシアやタイでは政権失脚の原因ともなった。特に注目されたのは、[[世界]]からの借り入れが、国家的な危機を引き起こした点である。[[公的債務]]か民間の債務かを問わず、海外の短期的な資金に頼るリスクが浮き彫りになった<ref>「[https://www.nikkei.com/article/DGXKZO18366420Q7A630C1EA1000/ アジア通貨危機から20年で浮かぶ課題]」日本経済新聞、2017年7月1日</ref>。そのため、海外資本の[[ヘッジファンド]]や IMF に対して反感を抱く者もあらわれた。
アジア経済に対する不安感から[[ユーロカレンシー|ユーロダラー]]は「質への逃避」を起こし、ことごとくアメリカへ回帰。新興市場への不信感から[[ロシア財政危機]]、[[ブラジル危機]]をも招いた
一方、同通貨危機の影響をさほど受けなかった中国やインドが、アジア地域の魅力的な投資対象として台頭する流れも生んだ。中国やインドは無条件に貿易や金融を自由化せず、政府の介入と自由化の混合的な戦略をとったことが成功要因であったという説がある<ref>[https://toyokeizai.net/articles/-/210501?page=3 グローバル化と民主主義の両立は可能なのか 自由化・国際ルールと「有権者の意思」 | 読んでナットク経済学「キホンのき」 | 東洋経済オンライン]</ref>。
この通貨危機の教訓から、関連諸国は民間の対外借り入れにも慎重になり、成長に必要な資金を[[国内貯蓄]]でまかなう姿勢を強めた。結果としてアジア各国は、この通貨危機を経て外からの経済ショックに対する抵抗力を高めた<ref>「[https://www.nikkei.com/article/DGXKZO18366420Q7A630C1EA1000/ アジア通貨危機から20年で浮かぶ課題]」日本経済新聞、2017年7月1日。同記事では、通貨危機を経てアジアの経済抵抗力が高まったため「2008年のリーマン・ショックではアジアも景気停滞を避けられなかったが、欧州のような危機的な状況には陥らなかった」としている。</ref>。
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