「日枝神社 (千代田区)」の版間の差分

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{{神社
|名称 = 山王日枝神社
|画像 = [[Image:Tokyo Hie-Shrine Gate.jpg|250px]]<br />神門<br />{{maplink2|frame=yes|plain=yes|type=point|zoom=14|marker=religious-shinto|frame-align=center|frame-width=250|coord={{coord|35|40|29|N|139|44|22.5|E}}}}
|所在地 = [[東京都]][[千代田区]][[永田町]]2丁目10番5号
|位置 = {{Coord|35|40|29|N|139|44|22.5|E|region:JP-13_scale:5000|display=inline,title}}
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}}
[[File:Hie Shrine Grand Shrine(Branch) - 旧官幣大社 日枝神社(分社) - panoramio (1).jpg|thumb|right|250px|西方 裏参道 大鳥居]]
[[File:hie-jinja_torii.jpg|thumb|right|250px|南方 裏参道 大鳥居と山王橋(右側奥の建物は、現在は[[東急キャピトルタワー]]に建て替えられた[[キャピトル東急ホテル]])<ref group="注釈">画像右([[山王パークタワー]]側)に上り専用の[[エスカレーター]]が、左側には下り専用のエスカレーターが設けられている。</ref>]]
'''日枝神社'''(ひえじんじゃ)は、[[東京都]][[千代田区]][[永田町]]二丁目にある、[[山王信仰]]の[[神社]]。'''山王さま'''等とも呼ばれ<ref>{{Cite web |title=日枝神社 |url=http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/chiyoda/5550 |website=東京都神社庁 |date=2017-01-19 |access-date=2024-10-06 |language=ja}}</ref>、[[江戸三大祭]]の一つ、[[山王祭 (千代田区)|山王祭]]が行われる。旧[[社格]]は准[[勅祭社]]([[東京十社]])、[[官幣大社]]。
 
[[大山咋神]](おおやまくいのかみ)<ref group="注釈">大山咋神は、須佐之男神の孫神とされる。[https://www.hiejinja.net/about/ ご祭神 | 公式ホームページ]</ref>を主祭神とし、[[祭神#主神・配神|相殿]]に[[国常立神]](くにのとこたちのかみ)、[[イザナミ|伊弉冉神]](いざなみのかみ)、[[仲哀天皇|足仲彦尊]](たらしなかつひこのみこと)を祀る。'''山王さま'''とも呼ばれている<ref>{{Cite web |title=日枝神社 |url=http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/chiyoda/5550 |website=東京都神社庁 |date=2017-01-19 |access-date=2024-10-06 |language=ja}}</ref>
 
所在地は正確には[[千代田区]][[永田町]]であり、社殿は東向き、[[参道|表参道]](山王坂)も[[国会議事堂]]方面の東方へと伸びているが、[[港区 (東京都)|港区]][[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]地区の北東に隣接しており、そちらの南西方面([[外堀通り]]沿い)にも大きな鳥居と[[裏参道]]が2つ(南方は[[エスカレーター]]付きの山王橋)、更には南方に[[東京メトロ]][[溜池山王駅]]が設けられていることや、近に[[赤坂氷川神社]]が鎮座していることもあって、総じて「赤坂」の印象が強いため、'''赤坂(の)日枝神社'''と通称されることが多い。
 
== 歴史 ==
創建は、[[鎌倉時代]]に[[江戸氏]]が山王宮を祀ったことを起源とするが、直接的には[[文明 (日本)|文明]]10年([[1478年]])、[[太田道灌]]が江戸城築城にあたり、[[川越]]の無量寿寺(現在の[[喜多院]]・[[中院]])の鎮守である[[日枝神社 (川越市)|仙波日枝神社]]を勧請したことに始まる<ref name="official">[https://www.hiejinja.net/about/ 日枝神社について] - 日枝神社</ref>。[[徳川家康]]が江戸に移封されたとき、城内の[[紅葉山 (東京都)|紅葉山]]に[[遷座]]し、江戸城の鎮守とした<ref>日枝神社「[http://www.hiejinja.net/jinja/hie/yuisyo/index.html 日枝神社について]」。『公文類聚』「[https://web.archive.org/web/20160304193345/http://jpimg.digital.archives.go.jp/pdf/S46B0300080000/0504.pdf 東京府社日枝神社ヲ官幣中社ニ列ス]」。「東京府社日枝神社ヲ官幣中社ニ列ス」pdfファイルの3頁めにある平山省斎の上申には、文明3年の勧請とある。</ref>。
 
[[慶長]]9年([[1604年]])からの[[徳川秀忠]]による江戸城改築の際、社地を江戸城外の麹町隼町に遷座し、庶民が参拝できるようになった。社地は家康により5石、元和3年([[1617年]])に秀忠により100石、そして寛永12年([[1635年]])に[[徳川家光]]からの寄付を加えて600石となった<ref>「東京府社日枝神社ヲ官幣中社ニ列ス」PDFファイルの3頁め。</ref>。