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[[File:Maru ni Naka ga Urizane no Katabami inverted.png|thumb|100px|丸に中が瓜実の片喰]]
'''守田勘弥'''(もりたかんや)は、[[江戸]]の芝居小屋[[守田座]](森田座)の座元で、後に[[歌舞伎役者]]となった。江戸時代前期から14世を数える。
[[File:unknown2.jpg|thumb|100px|喜の字丸]]
[[ファイル:Grave of Kanya Morita.jpg|サムネイル|[[多磨霊園]]にある守田家の墓]]
'''森田/守田 勘彌'''(もりた かんや、新字体:'''勘弥''')は、[[歌舞伎]]役者の[[名跡]]。名字は十一代目までが'''森田'''、以後が'''守田'''。[[屋号]]は[[喜の字屋]]。[[定紋]]は丸に中が瓜実の片喰、替紋は喜の字丸。
 
当初「森田勘彌」は[[江戸三座]]の一つ・[[守田座|森田座(→守田座)]]の座元(座を主宰し芝居小屋を経営する者)の名跡だったが、後代になると座元が役者に転じたり、逆に役者が座元を兼ねたりすることが多くなる。そして[[明治]]末年に守田座改め[[新富座]]の経営権が[[松竹|松竹合名]]の手に渡ると、「守田勘彌」は単に役者の名跡となった。
*初世(?-[[1678年]]?)
勘弥は道化方[[坂東太郎兵衛]]の子で、[[森田座]]を開いた[[森田三津五郎]]の養子となり、森田勘弥と称した。その後は、勘弥の実兄坂東又次郎が森田勘弥の名跡を相続した。
*9世(?-?)
天保13年、死去した10世森田勘弥の代わりに森田座を再興させようと幕府に出願するが却下される。
*10世(?-天保9年(1838年))
天保8年、負債のため森田座を休業。[[控え櫓]]の[[河原崎座]]に期限10年で興行権を譲る。大阪で病死。
*11世([[享和]]2年([[1802年]])-[[文久]]3年([[1863年]])11月)
4世[[坂東三津五郎]]。安政3年(1856年)、森田座改め守田座を再興。文久3年11月、死去。
*12世([[弘化]]3年([[1846年]])-[[明治]]30年([[1897年]])8月21日)
喜の字屋。歌舞伎役者後に帳元[[中村翫左衛門]]の次男。幼名・寿作。18歳で守田家の養子となり、勘次郎と改名。文久3年11月、11世守田勘弥が死去したので12世守田勘弥を襲名。[[守田座]]座主を継ぐ。明治5年9月、守田座を[[猿若町]]から[[新富町]]へ移転させ、新劇場を開業させる。明治8年1月、守田座を[[新富座]]に改称。9世[[市川団十郎]]・5世[[尾上菊五郎]]・初世[[市川左団次]]ら([[団菊左]])を招聘し、明治時代中期の歌舞伎界を牛耳った。明治20年4月26日、歌舞伎界で初めて天皇御前の天覧芝居を催す。多くの負債と明治22年の[[歌舞伎座]]新興のため次第に没落。息子に新富座を譲る。明治30年8月21日、病死。享年52歳。軍医[[松本順]]と親交が深かった。
 
*[[森田太郎兵衛|俗に初代 森田勘彌]]
**[[摂津国|摂津]]の人、「うなぎ太郎兵衛」と呼ばれた森田太郎兵衛、????-1665?。万治三年 (1660) に[[江戸三座#木挽町|木挽町]]五丁目に森田座の[[江戸三座#概要|櫓]]をあげる。<!--舞台の方は舞踊の名手だった兄の[[坂東又九郎 (初代)|初代坂東又九郎]]に任せた。-->
**森田太郎兵衛 → 俗に初代森田勘彌 → 森田友楽(隠居名)
 
*[[森田勘彌 (初代)|初代 森田勘彌]]
[[category:歌舞伎役者|もりたかんや]]
**[[坂東又九郎 (初代)|初代坂東又九郎]]の次男、のち初代(森田太郎兵衛)の養子、????-1679。[[中村勘三郎 (2代目)|二代目中村勘三郎]]の門人。
[[category:名跡|もりたかんや]]
**[[坂東又七]] → [[坂東太七]] → 初代(名義上)森田勘彌
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*[[坂東又九郎 (2代目)|二代目 森田勘彌]]
**初代(森田太郎兵衛)の兄・[[坂東又次郎 (初代)|初代坂東又次郎]]の次男、????–1734。
**[[坂東又吉]] → [[坂東福太郎]] → 二代目森田勘彌 → [[森田又左衛門 (2代目)|二代目森田又左衛門]] → [[坂東又九郎 (2代目)|二代目坂東又九郎]] → 森田又左衛門 → 二代目坂東又九郎
 
*[[坂東又九郎 (3代目)|三代目 森田勘彌]]
**二代目の弟、つまり初代坂東又次郎の子、????–1722
**[[坂東福松]] → [[坂東又次郎 (2代目)|二代目坂東又次郎]] → 三代目森田勘彌 → 三代目坂東又九郎
 
*[[森田勘彌 (4代目)|四代目 森田勘彌]]
**二代目の子、????–1743。
**[[坂東鍋太郎]] → [[坂東又次郎 (4代目)|四代目坂東又次郎]] → 四代目森田勘彌
 
*[[森田勘彌 (5代目)|五代目 森田勘彌]]
**四代目の母方の血縁・寳來屋金七の子、????–1802。
**五代目森田勘彌 → [[森田又左衛門]](隠居名)
 
*[[森田勘彌 (6代目)|六代目 森田勘彌]]
**五代目の婿養子、実父は狂言作者の[[中村重助 (初代)|初代中村重助]]、1724–80。[[助高屋高助 (初代)|初代澤村宗十郎]]の門人から出世。
**竹中重の井 → 瀧中重の井 → 澤村重の井 → [[澤村小傳次 (2代目)|二代目澤村小傳次]] → 六代目森田勘彌 → [[森田八十助]](隠居名)
 
*[[森田勘彌 (7代目)|七代目 森田勘彌]]
**六代目の長男、????–1783。
**[[森田勘次郎]] → [[森田太郎兵衛 (2代目)|二代目森田太郎兵衛]] → 七代目森田勘彌
 
*[[森田勘彌 (8代目)|八代目 森田勘彌]]
**五代目の子、1759–1814。
**[[森田又次郎 (初代)|初代森田又次郎]] → [[坂東又九郎 (4代目)|四代目坂東又九郎]] → [[坂東八十助 (初代)|初代坂東八十助]] → 八代目森田勘彌 → [[坂東喜幸]]
 
*[[森田勘彌 (9代目)|九代目 森田勘彌]]
**八代目の子、????–1838。<!--天保13年、死去した10世森田勘弥十代目の代わりに森田座を再興させようと幕府に出願するが却下される。-->
**[[坂東又吉]] → 九代目森田勘彌 → [[坂東八十助]]
 
*[[森田勘彌 (10代目)|十代目 森田勘彌]]
**[[坂東三津五郎 (3代目)|三代目坂東三津五郎]]の3男または養子、????–1851。<!--1830年]]に九代目の養子となり、十代目を襲名。1833年に森田座を再興させる。1837年、負債のため森田座を休座。[[控櫓]]の[[河原崎座]]に期限10年で興行権を譲る。大阪で病死。-->
**[[坂東三田八 (2代目)|二代目坂東三田八]] → [[坂東三八 (3代目)|三代目坂東三八]] → 十代目森田勘彌
 
*[[守田勘彌 (11代目)|十一代目 守田勘彌]]
**三代目坂東三津五郎の養子、1802–63。森田座を守田座と改める。
**[[坂東蓑助 (2代目)|二代目坂東蓑助]] → [[坂東三津五郎 (4代目)|四代目坂東三津五郎]]→ 十一代目森田勘彌 → 十一代目守田勘彌
 
*[[守田勘彌 (12代目)|十二代目 守田勘彌]]
**十一代目の養子、実父は守田座[[会計|帳元]]・[[中村翫左衛門]]、1846–97。守田座を新富座と改める。名興行師として[[江戸三座#明治以降|明治の歌舞伎界]]を牽引した。
**[[中村次三郎]] → [[守田勘次郎 (3代目)|三代目守田勘次郎]] → 十二代目守田勘彌
 
*[[守田勘彌 (13代目)|十三代目 守田勘彌]]
**十二代目の三男、1885–1932。
**[[坂東三田八 (3代目)|三代目坂東三田八]] → 十三代目守田勘彌
 
*[[守田勘彌 (14代目)|十四代目 守田勘彌]]
**伯父・十三代目の養子、実母は十二代目の四女・みき、1907–1975。
**四代目坂東玉三郎 → [[坂東志うか (3代目)|三代目坂東志うか]] → 十四代目守田勘彌
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{{人名の曖昧さ回避}}
[[category{{DEFAULTSORT:名跡|もりた かんや]]}}
[[categoryCategory:歌舞伎役者|もりたかんや]]
[[Category:歌舞伎役者の名跡]]
[[Category:歌舞伎座元の名跡]]